#8 おかえりなさい Willkommen Zrück
【ゲルトルーデ、アマノヌボコ浮上してきません。】
海上を注視しつつ旋回を続けるヤタガラスから、本郷が報告した。
推定酸素残時間は五分を切った。
「サクラ……。」
サブDCでキャシーは時刻を確認し、そして静かにうなだれた。その青い瞳から涙が流れた。しかしすぐに目を上げ、周りをうかがい、怪訝気に無数に瞬くDWの時刻表示に目を走らせた。
「どうしてこんな時だけ、こんな時だけうまくいかないの?」
再びうなだれ、嗚咽をもらしたが、その言葉の意味を知るものはまだいなかった。
「TFP、活動停止、未だ赤六角。」
ナスターシャが言い、巨人の尾に最新の数値を入力した。
「露国に支援を要請すべきです。アマノヌボコをサルベージすべきです。」
誰に対してか、続けてそう言った。
【サクラを失った今、DG-TPの存続は無意味です。タシロ計画はこれでお終いです。今後は、露国の『熊の爪』との連携しかありません。】
No Image の宝田。
【宝田! サクラは、サクラは絶対戻ってくる! そんな話するなよ!】
本郷が怒鳴った。こんな風に感情を表に出すことはあまりない。
【ちよだなら、近くにいるはず。……頼んでみるわ。】
と事務所のしずえ。
ちよだは国軍の潜水艦救難船のこと。
娘を失いつつある母親らしい感情は表に出していなかったが、それでもその表情には言いしれぬ寂寥感が満ちていた。
残時間三分。
【TFP! TFP再発現!】
本郷の叫びが、DGクルーたちの沈鬱に下げた顔を、再び上げさせた。
【今度は大きいぞ! 津波警報を出してくれ!】
ヤタガラスの翼の下、ふいに海面が沸き立ち、渦巻くように大きく凹み始めた。
「さっきより大きい! 津波警報! 津波警報を!」
凹みはどんどん深まり、海の底に巨大な穴が開いたのではと思えるほどだった。海水がその斜面を駆け下るときに白波を立て、穴の中心の黒々としたところでかき消える様は、海の怪物が海上のありとあらゆるものを食らいつくそうと大きな口を開いているかのよう。
「サクラ!」
本郷はその穴の奥に囚われたままのサクラを思い、叫んだ。
それに呼応するかのように、穴の中心から何かが飛び出してきた。小さな何か。
「ゲルトルーデ!」
大穴に比べてあまりに小さく最初わからなかったが、ゲルトルーデの黄色いDGスーツとヘルメット、太ももから先は素足。
その素足の部分から水しぶきを上げて急上昇し、ヤタガラスに接近、その開いたハッチに飛び込み、量子隔壁を突き破って格納庫の床にへたり込んだ。
【回避! 回避! TFP処置が始まります!】
ゲルトルーデは、息を限りにそう叫んだ。
【サクラ!】
DGクルー全員、同時にその名を呼んだ。
海の底から駆け上がる光の柱。
海を突き抜け迸る光は、TFPを中和し、元の場所に戻す、高エネルギーの光。辺り一面のQCOMを滅茶苦茶に妨害して宇宙まで駆け上がる光の柱。
まさに柱。
光の柱が細まり、かき消えてもしばらくはQCOM途絶となる。やがて最初に復旧するQCOMは、やりとりするデータ量の少ない音声通信。
「……く、苦しかった……」
【サクラ? サクラなの?】
皆が同時に呼びかけた。
【サクラ大丈夫なの?】
やがて同報QWが復旧し、皆の顔が映ったQWが次々とアマノヌボコのトンネル状のコクピットの宙空に浮かぶ。
キャシーの泣き顔、ナスターシャは巨人の尾に最新の数値を打ち込むのに夢中でサクラには目もくれない。アサミはアマノヌボコが壊れていないか心配そう、しずえの顔、男泣き震次郎の顔、本郷の嬉しそうな笑顔、 No Image は宝田だ。
「息止めてたから苦しい〜! 酸素もう少し多めに積んどいて、三〇分じゃ短いわ〜!」
TFPがかき消えた海から、銀無垢のアマノヌボコがゆっくりと帰ってきた。
TFP処置で充電したキャパシタは満タン。緊急酸素発生装置で何とか酸欠を免れ、海上に出てすぐに外気を取り入れ一息つけたようだった。羽衣も快調で、ヤタガラスの差し伸べる多目的可動梁に向かって、いつもの離脱・帰還シークエンスに入った。
【お帰り、サクラ……。】
皆が、一斉に言った。
その音声及び画像データは、QCOMの無味乾燥なデータの場を、かけがえのない大切な場に変えたようだった。
宝田はNBL号をDG-TPの駐機場に停泊させ、仁斗田の街に向かって歩き出した。
事務所では、今回のTFP処置に関わるたくさんの部署との連絡で、田代島のバイトのお母さんたちが忙しそうにしていた。時には、TFP被害の訴え、苦情の対応もある。
宝田は事務所に入り、しずえに会釈をした。
「国軍初の戦闘艦女性艦長の源大佐も変わられましたね。」
宝田が歩み寄り言った。「リムパック2498で米軍の敵役潜水艦群を殲滅してみせた可潜対潜駆逐艦・あさぎりの艦長ともあろうお方が、娘救出のために古巣から可潜潜水艦救助船・ちよだの支援を受けようとおっしゃるとは、耳を疑いました。」
「宝田情報大尉はいつまでも変わらないな。」
眉間に皺が寄ったが、その表情に険しさはなかった。「いつもブレないその芯、DG-TPのためには、大尉のような毒は必要だ。頼りにしている。」
「お褒めに与り光栄です。」
宝田はまんざらでもないように微笑んだ。「娘さんも無事で何より。タシロ計画が終わらなくてほっとしています。熊の爪は粗暴なので一緒に仕事をするのは嫌ですから。」
熊の爪は露国の半官半民の対スレッドノギギガンタ対処機関。
機体に漢字で『目出野次香月』と描いた高々度爆撃機・ベアバック改で、高々度よりスレッドノギギガンタを監視、兆候を確認するや五連装射出装置により、露国が保有する複数の柱状遺構類のうちの五種、通称・ストロッブ、柱を誘導弾の弾頭として発射するという大胆な運用を行う。主にユーラシア中央以西を活動範囲とし、極東は協定に基づきDG—TPが受け持っている。
「熊の爪のイワノフは悪い男ではない。ところで、今回の二度にわたる津波で、和歌山圏、四国州沿岸のインフラに被害が出ている。再度交渉してみてはどうだろう?」
しずえが苦笑いしながら言った。
「向こうからの連絡を待つことにします。結果的に、一度目の処置失敗は交渉する上で良い口実になります。機材の拡充の必要性にすり替えてみます。」
宝田が言った。「もうしぶりませんよ。相手が折れるまで、しつこくサービス運用を続けます。」
「サクラが納得するようにしてくれればいい。タシロ計画は、サクラの存在にかかっているから。」
しずえが言いながら、宝田の肩を叩いた。「午後からも網地島CL勤務だろう? ちゃんと休憩するように。」
宝田は、しずえに敬礼して見せた。
太平洋上を大きく迂回するコースで帰途についたヤタガラス機上、アサミは鼻歌まじりでアマノヌボコの整備をしている。海中運用後は脱塩処理が必要で手間暇がかかるのだが、それでもいつになく上機嫌なようで、操縦席の本郷は機内モニター用のQWでそれを眺めてほほえんだ。
一方、ゲルトルーデは酷使した人工の身体ががたがたで仮眠用のベッドに横たわったまま、静かに、小さな体に仕込まれた発電機がキャパシタを満タンにするのを待っていた。
DGスーツを脱ぎ下着姿になったサクラが、そんなゲルトルーデを見舞いに仮眠室に顔を出したのが、QWに映った。
「……ゲル?」
「サ、サクラさん、大丈夫?」
「ゲルこそ大丈夫?」
サクラは仮眠ベッドのすぐ横にしゃがみ込み、ゲルの金の髪をなぜた。ヘルメットのせいでお人形さんのような金の髪はごわついていた。
「大丈夫……あ!」
サクラがふいに、ゲルトルーデをぎゅっと抱きしめ、ゲルトルーデは言葉を失った。
「うれしかった。海の底に来てくれた時、うれしかった。」
「サクラさん、わたしの身体……こわくないの?」
「何言ってるのよ。」
サクラはゲルトルーデにしっかり抱きついたまま動かない。
「わたし、小さい頃、事故で身体のほとんどを失ったの。お父さんが科学者で、わたしの身体は、お父さんが作ったの。」
ゲルトルーデが言った。
「素敵じゃん。お父さんがこんな素敵な身体を作ってくれたなんてさ。」
サクラが言って、胸一杯ゲルトルーデの匂いを嗅いだ。「いい匂いだし。」
ゲルトルーデは涙が溢れた。
生まれてからずっと、人工の身体を皆から厭われ、母国でも隠れるように暮らしていた。
独国科学省の父から命じられた、日本への出向、それも母国がその創立に反対したDG-UNTPの成れの果てであるタシロ計画災害防衛隊への出向、どれだけ憎まれているかと心配だった。
しかし、田代島に来て本当に良かったと、心の底からうれしくて思えた。止めどもなく涙が出た。
「RATがね、」
ゲルトルーデの涙に気づかず、サクラが続けた。
「今日はRATがね、DWに現れたんだよ。小さな窓いっぱいに集まってくれて、勇気づけてくれたんだよ。サクラの仕事を手伝ってあげるって、綿津見の核をね、掘り出してあげるって言ってくれたんだよ。」
ゲルトルーデはそんな話を信じるも信じないもなく、機械の腕でそっとサクラを抱きしめた。
日本に来て良かった。そう思えてまた涙が出た。
「……夏になったらさ、ポケットビーチで泳ごう。学校の浜まで降りて磯波乗りするのも面白いよ。泳ぐのはきついけどね。」
サクラが言った。
ポケットビーチは仁斗田の港にある人工の砂浜、学校の浜は田代島の南にある小さな岩の浜で、あの震災の遥か昔、学用品を買うために子供たちがその浜で漁をして親たちの負担を減らそうとしたという言い伝えがある浜。こちらは泳ぐには波が荒すぎるが、磯波乗りにはぴったりの浜だ。
「それに、石巻域にも遊びに行こう、大王で味噌タンとか食べてさ、仙石ライン乗って仙台中央にも行こう。サクラがマークの花明百貨店とか、駅前にいっぱいお店があるよ……。」
「……楽しそう。」
ゲルトルーデはサクラの髪を作り物の指で撫でた。
サクラはゲルトルーデにおおいかぶさったまま、静かに寝息を立てていた。
「疲れたものね……。おやすみなさい」
ゲルトルーデはサクラを抱きしめたまま、そっとつぶやいた。
本郷は安心したように、QWを描画消去した。
サクラはゲルトルーデの胸の中、夢を見ていた。
虚無のDWに走る光の線・RAT、丸い背中を持った美しい波、ソリトンの波、その波が語りかけてくるのを。
サクラ・オオキク・ナッタネ
マタ・アエタネ・ウレシイヨ
スゴク・スゴク・ウレシイヨ
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