#6 海神 Neptun
ヤタガラスが関東州上空に入ると、成田基地から出たらしい戦闘機が一機接近してきた。単機なので偵察のつもりだろうか。電波迷彩と光学迷彩でほとんど見えない三石崎重工のマルチロール機・モズは、沈黙のうちにしばらく伴走した。
そのウェポンベイは航行レーダーに反応が出るよう意図的に開け放したままらしく、『いつでもおまえなんか撃ち落とせる』と言わんばかりだったが、RRドライブ稼動中のヤタガラスの巡航速度には到底かなわず、じりじりと離され、やがて視界から消えた。
まさにこの瞬間、NBL号の操舵室内、宝田が政府関係者と通話していたことは、誰も知らなかった。
「四国州、紀伊半島沿岸地域への避難指示は終わったのですか? 人的被害は予報で極限されましょうが、インフラへの打撃はいかがなさいますか?来るか来ないか定かでない津波に保険はかけられない?やはり契約更新は国軍の支援無しで従来通りの線ですか?」
ヤタガラスはまだ赤六角に到達していない。
「仮にもDG-TPは日本の公益特殊法人、日本政府が歳出をしぶって独立採算性の経営とし、官民、国家間の物的支援で装備を揃え、やっとのこと運営しています。それが、松島基地での給油・整備支援はもう出来ない、とあなた方は言う。そうなれば、三石崎重工との保守契約で新たに発生する支出、これを契約者で等しく分担してもらうのは筋でしょう? 米国、露国、その他オセアニア諸国も承認済みです。日本との契約内容次第で単価が変動する、という内容で。」
【ヤタガラス、赤六角に間もなく到達! 減速し確認!】
宝田の交渉の間隙を縫い、本郷が同報QWで伝えた。
「事務局担当宝田からオールクルー! 日本との契約が不調。今回のTFPはスルー。ただちにヤタガラス帰投せよ。避難指示は出ている。人的被害は避けられる見込みであり、当DG-TPの出動は不要である。」
宝田の同報QWが、臨戦態勢のDGクルー全員を凍り付かせた。
【宝田? どうしても駄目なのか?】
と震次郎。
「サービス出動というにはあまりにハイリスク。そして津波被害対処などは、我々の本来任務ではありません。」
宝田は顔色一つ変えない。「日本は我々の事業に協力しない意向を示しています。三〇〇年後の世界的災厄、巨人の足跡理論はあくまで露国の論理、だとか。」
【非科学的!】
ナスターシャが同報QWの中で激昂した。【日本領内のすべてのTFPをスルーしてもGDEDは阻止できます! オペレーションを終了させます。】
【みんなおかしいよ!】
サクラの叫び声に、キャシーもゲルトルーデもアサミもはっとした。
事務所でバイトのお母さんたちを仕切っていたしずえも、固唾を呑んで状況を見守った。
【みんな、みんな忘れてるよ!わたしたちの仕事でしょう?TFPを止めるのがわたしたちの仕事でしょう?】
「仕事だから、ただではできないんだよ。」
宝田はSLNTSケーブルを伝い、NBL号を荻浜RCへと上げた。見晴らせば、田代島の島影の向こう遥かに、太平洋が広がっていた。
「きみのその熱い思いを叶えるその銀の矛や黒い翼、それら世界に一つしかない、TFPと戦うための武器を維持するために、どれだけのお金がかかるかわからない?」
宝田は太平洋に向かって手を差し延べ、NBL号を再び光るケーブルを伝わらせて海へと降下させた。
「ぼくたちの崇高な使命を達成するために、お金をケチるような相手には譲歩したらいけないんだよ。そんなことをすれば、ぼくたちは自らの誇りを汚すことになるんだよ。」
【汚してなんかない! TFPを見逃した方が、心を偽ってる! みんなを守るために戦う、それをしない理由なんて、どこにもないわ!】
「ちゃんと話を聞きなさい!」
サクラは聞き訳ない。宝田は初めて苛立ちを表に出した。
【サクラ、深海底でのアマノヌボコ運用はリスキーだ。巨人の尾は今回スルーしても結果は悪くないと試算する。】
ナスターシャもサクラをなだめる調子で割り込んできた。
【RATが、海の底で迷ってる! いつもと違う、ねぇ、場所が違うよ!】
サクラの次の叫びに、ナスターシャは怪訝げに眉をひそめた。
「サクラ、深海底のTFPは経験が少ないから、そんな感じがするんじゃない?」
たとえば、水の中の物は、光の屈折で実際の場所とずれて見えるように。
田代学園旧校舎、サブDCの黒板にはいつものワイヤーボールが投影され、それの重なるようにヤタガラスの航跡が光線で描かれていた。ヤタガラスは赤六角の手前だった。
「誤差?」 とキャシー。
「ヤ ニ トゥダ。」
そんなはずはないわ。
ナスターシャは巨人の尾を操作するDWをいじってみた。
【RATが、RATが、ここ、ここの下!】
サクラの声は絶叫に近かった。【すぐ落として!】
「サクラ落ち着いて! 赤六角はもう一つ向こうよ!」
キャシーが呼びかけた。「阿部司令! 最終指示を!」
【宝田、ケチるとかえってケチられる、今回は大サービスするぞ。ナスターシャ、巨人の尾に補正データ入力、サクラの言う六角形のTFPをスルーしたらどうなる?】
「非科学的!」
ナスターシャは舌打ちし、しかし迅速に指示に従った。
黒板に映ったワイヤーボール上、見る間に黄六角が増えだし、やがて赤六角が次々連鎖して現れた。
「か、関東・甲信越州に広範囲でTFP発現?」
ナスターシャは、試算のあまりの悲劇的な結果に思わず叫んだ。「で、でも非科学的!」
「いいから落として!」
サクラが叫んだ。
【アマノヌボコ、キャパシタ充電量十分、ダイブブレーキ動作良好、いつでも行けるで!】
アサミはアマノヌボコの傍らに立ち、銀無垢の表皮を撫で、ぽんと叩いて言った。【TFP潰してなんぼのDG-TPやろ? 四の五の言わんとちゃっちゃと行っとき!】
【宝田! おれもサクラの、猫娘の勘に乗るぞ!】
と本郷。【サクラ、TFPはどこだ? 旋回して真上に落としてやる!】
「本郷〜ありがと〜!」
サクラは泣きたくなった。うれしくて、キスしたくなった。
「右旋回! そのまま回って! RATたちが中心を教えてくれてる!」
サクラの視野に、はるか水面の下、三、四〇〇〇メートルの暗がりを走る波の群れが映った。
「回ってない、まっすぐ一点に向かってる、消失点型! 進路戻してそのまま! もうすぐ、もうすぐ真上! 回り込んで! ぐるぐる回り込んで!」
【ハッチ開くぞ! 多目的可動梁準備よし!】
「3秒前!」
サクラはRATたちの集う場所、その消失点に発現しつつあるTFPの兆しに向かってヤタガラスを旋回させながら、カウントダウンをした。
「2、1! 投下して!」
【サクラ行ってこい!】
ヤタガラスの腹部が左右にばくりと開き、機内格納庫から延び出た二本一組の梁が銀色のヤリを勢いよく繰り出した。
銀のヤリは、梁の先端の確保爪からその身を引き剥がすと、遥か眼下の海面、いや実際はその奥底の海底面目掛けて真っ直ぐに急降下していった。
潮岬東南二五キロ、巨人の尾の試算した赤六角の手前、南海トラフと和歌山のほぼ中間地点だった。
「次は終点、鮎川、お忘れもののないようお降り下さい。」
急行鮎川行きのNBL号は、牧ノ崎RCから田代島をパスし、網地島の北の玄関口の網地、南端の長渡、そして終点である牡鹿半島最大の鮎川・黒崎RCへとSLNTSケーブルを北に駆け上って行った。
左手眼下に見える鮎川港には新式の浮きドック型の巨大捕鯨基地が係留され、国軍の退役可潜対潜駆逐艇を改修した高速捕鯨艇が二隻、鉄のクジラの様相で出番を待っていた。
二〇世紀末に一度は頓挫したアーセナル・シップから発展したユニットシップ構想に基づく攻撃担当艦で、幅一〇メートル弱、長さ一〇〇メートル弱の細長い艇体はまるで、装甲で覆われた水棲ほ乳類を思わせ、その独特な舳先に、第24安住丸、第32安住丸と船名が誇らしげに光っている。
世界的食糧難が新漁業改革を後押しし、文化としての沿岸商業捕鯨が容認され、過激な自然保護団体も解消した。
日本はETW、すなわちRNF体制下における拡張領海・旧称『排他的経済水域』である三陸沖にミンククジラの養殖海域を設置している。
四〇〇年の歴史を積み重ねたクジラ養殖は今や安定期に入り、鯨肉は世界共通の蛋白源として日本の主要輸出産業となっていた。
この大きな国益を守るため、これらの捕鯨艇は、ФНなどの偽装略奪船らに対する即時撃破が認められ、副長は少佐相当の国軍からの出向武官、そして武装は現役時代のものがほぼそのまま残されている。
終着の黒崎RCで、NBL号は向きを一八〇度変え、普通石巻行きに切り替わる。
目の前に広がるのは、広大な太平洋。
その遥か南西方向、南海トラフ直近の海域にアマノヌボコが投下された瞬間も、宝田は牡鹿半島の市民の足、公共交通機関としての任務を遂行していた。
出発までの停留の間に、宝田の手首のオメガ型QRに着信があり、宝田はしばし間を置いた後、音声のみで応答した。
「はい。ええ、今回の件は現場の判断です。我がDG-TPの総意ではありません。今回の処置は、関東・甲信越州へのTFP拡大を未然に抑えるための緊急避難的なもの。サービスですらないことをご理解ください。未だ日本政府とDG—TPとの間には何ら有効な契約関係は構築されておりません。」
宝田は音声通話のみのオメガQWを閉じて手首に戻すと、爪を噛んだ。
眼下に広がる太平洋は、今まさに巨大な地殻変動が起きつつあることを知らせもせずに、ただきらきらと太陽の欠片を散りばめて揺蕩っていた。
アマノヌボコは海面に激しく着水したが、その頑強な機体はサクラを守り耐え抜き、海底面目掛けてそのまま沈降を続けた。
「効くわ〜! でも無事着水! 水漏れ無し! 沈降速度約四ノット!」
サクラは、トンネル状のコクピット上面に並んだ耐圧窓の外の青みが、どんどん黒ずむのを見渡した。
【深度が深まるとQCOM圏外になる。以後、ソノブイを通じた8キロヘルツ音響通信に切り替えろ。】
上空を遠巻きに旋回し始めたヤタガラスから本郷が伝えた。
すでにQWに画像は映らない。機能しているのは、アマノヌボコ本体の状態をモニターし、あるいは細かな設定を行うためのスタンドアローンの情報窓だけ。
「やだな〜。会話がすぐに伝わらないからな〜」
答える前に切り替えたようで、このサクラの声はアマノヌボコから8キロヘルツの音響信号となって発信され、アマノヌボコとともに投下された音響通信用ソノブイを通じ、時間差を置いてヤタガラスのコクピット内に届いた。
『聞こえるだけ、いいだろ。』
アマノヌボコはどんどん深度を深め、ほどなく窓の外の光が完全に消えた。
しかしサクラにはこの方が良かった。RATが水底で蠢く様が、手に取るようにわかる。
今までにない集まり具合だ。海の底全体が、RATの群れで激しく光って見える。その奥にTFPの核があるのだが、それが今までみたことのない密度感を持っている。
巨人の足跡ではなく、まるで海の底にうずくまる巨人、いやこの場合は海神・綿津見のよう。
それに群がるRATは、まるで綿津見の復活を妨げようと世界各地から集まってきたかのような密集感。
目覚めさせたら、いけない。
サクラにはそれがわかった。暗いコクピットの中、一文字操縦桿をしっかり握りしめながら、身体が震え、こめかみの上あたりがじんじんと熱く痺れるのを感じた。尾てい骨のところも熱い。
RATの規模が大きい時、TFPの規模が大きい時にはいつもそう。何か熱いものがそこからにじみ出る感じがする。
「深度二五〇〇! 直下にいるわ! このまま行くわ!」
そう言った時、熱いこめかみから、赤い光が漏れているのにサクラは気づいた。
暗い丸窓の耐圧ガラスに映るDWの仄かな緑色の照明に照らされたサクラの顔、そのこめかみの部分に明らかに赤い光の三角が、猫の耳のように浮かんで見えた。そう思うと、尾てい骨で蠢く熱い何かは、赤い光の尾に思えた。
まさに猫神様の使いに相応しい姿。
どきりとしたが、躊躇している時間はない。トグルスイッチを跳ね上げて、アマノヌボコの中に納められている天沼矛を、RATの群れに覆われ目覚めかけている綿津見に突き立てる準備をした。
「水深二六〇〇、七〇〇、もうすぐ底! 行くわ!」
群れるRATの形成する光の淀みの中に突っ込み、ダイブブレーキを開いた。
水の抵抗でアマノヌボコの沈下速度は見る間に落ち、やがて海底のふかふかした泥に先端が突き刺さった。
「ネイルダウン! 天沼矛射出!」
いつもなら落下の勢いだけで大地に突き立つ天沼矛は、海中の場合、初速が出ないため電磁的に弾き出す必要がある。
トリガースイッチを引くとともに、天沼矛は激しく軋み弾き出され、狭いコクピット内に衝撃が走り、次いでその切っ先が綿津見の背中、深い泥に覆われた深海面の奥底に突き立った鈍い響きが伝わってきた。
しかしRATたちがまとわりつく綿津見の背中に刺さった天沼矛は、沈黙したままだった。
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