#4 夜の会話 Nacht des Dialogs
タシロアイランドは、けして島ではない。
田代島南西、三石崎の沖に浮かぶTRU・曳航式滑走路であり、DG-TPの本来の本部であり、対TFP急降下突撃機アマノヌボコとその母機・ヤタガラスの母艦であった。
全長四〇〇メートル、幅一〇〇メートルのこの巨大な|
曳航式滑走路《TRU》は、南西島嶼紛争当時、米軍がФНАとの戦闘に備え沖縄本島に配備していた南西諸島防衛群の構成装備で、船齢は優に四〇〇年を越えていたが、度重なる改修を経て、その内装は最新であった。
ヤタガラスはその巨大さ故、滑走路上に露天繋留であったが、アマノヌボコはヤタガラスの機内格納庫からそのまま内部格納庫に収容され、そこで保守点検される。
普段ならこの時間、管理人としてそこで寝泊まりしている整備主任の久保田老しかいないはず。しかし、今夜はそうではなかった。
それほど広くない内部格納庫にはいつになく明かりが灯り、専用のベッドに横たわった銀色の筒・アマノヌボコが明るく照らし出されていた。
長さ一二メートル、直径二メートルほどの葉巻型の筒、その上部最後端には小さな垂直尾翼。尾翼より前、筒上面の中程までずらりと並んだ小さな丸窓は、飛行機らしくない。まるで深海調査船の小さな耐圧素材の窓。筒表面には大きめの四枚のダイブブレーキが展開している他、翼らしい翼はない。筒の先端下部からは巨大な砲門。砲門の突端には、マズルブレーキのような環。
航空機にはとうてい見えない。
その巨大な鉄の筒、その先端の砲門から、さらに異様な何かが抜き出され、これも専用のベッドに横たえられている。
それは矛。
一〇メートルを超え、太さは人の一抱えはある金属の棒。その後端は渦巻く雲とたくさんの玉飾りの造作が施され、本体は五本の金属棒を束ねたような五角形近似。
中程に破損を修復したものらしいカーボン製の中継ぎソケットがあるものの、その五叉に分かれた鋭い切っ先まで続く全体の流麗な意匠は、古代芸術の粋を集めたもののように見えた。
誰が何のために鋳込んだものか、その青銅の巨大な矛は、何も語ることなく、ただ緑青に覆われてそこに横たわっていた。
これが本来の天沼矛。
日本においては唯一、TFPを中和することができる謎の柱状遺構類。一七年前、兵庫圏淡路島近海で引き揚げられた謎の金属柱。
アカデミヤは、TFPのその数学的な規則性・再現性、その果てにあるGDEDを論理的に解き明かし、巨人の尾を構築した。
しかし、実際のTFPの発現地点の不可解な偏差から、TFPを阻害する要因の存在を推論し、そして発見したのはこれら柱状遺構類。
西ヨーロッパでは、ジブラルタル海峡で『ヘラクレスの柱』と呼ばれる巨大な海中遺構が発見された。北欧ではラップランドの凍土の下から『サンポ』と呼ばれる巨大な臼状の構造物、アフリカのグレートジンバブエで『シバの女王の錫』と呼ばれる金属棒、ФНのシャンドンにおいては、巨大な金属質の骨状物質『蚩尤の遺骸』が発掘された。
これら以外にも、世界各地で大小様々なピラーズが発掘、もしくは従来から存在が知られていた遺跡がピラーズであると確認された。
そのTFP発現阻害の原理は解き明かされていないが、天沼矛は、TFPを中和する際、雷近似の高エネルギーの光を照射する。まるで天に届く柱のように。
TFP発現時に発生する莫大な物理エネルギーを空間に高エネルギーの光として還元し、TFP自体を無効化する、いわば逆アクチュエータだと、DG-TPでは認識されていた。
この天沼矛を使ってTFPを中和し、三〇〇年後に起こると推定されている最大級地殻破壊・GDEDを阻止するのが、DG-TPの主任務。
そのDG-TPの存在の核、巨大な柱にすがりつくように動く影。
上半身は白いTシャツ。ツナギの上をはだけ、袖を腰のところでぎゅっと縛ったその後ろ姿は、少女のもの。
少女は、沈黙のまま巨大な矛の表面を磨くように拭いていた。小さな傷も見逃さない繊細さで、時に細い綿棒などを使って矛を磨いていた。
「もう帰ったらどうかね?」
少女の背中に久保田老が声をかけた。
「気にせんで放っとって。」
少女は振り返りもせずにぶっきらぼうに答えた。短く切りそろえた黒いおかっぱ頭が、矛を磨くたびにさらさらと揺れた。
「先に休んどってかまへんで。」
「でも明日も学校だろう?」
久保田老は内部ドックの壁にもたれ、阿部家からもらってきたワカメの和え物や試験ウニ、地魚の揚げ物などのツマミを並べた工具入れの蓋・簡易テーブルを前に苦笑した。
「仁斗田まで送っていくよ。」
タシロアイランドと仁斗田港の間は、NMM号かもう一隻の同型機ネオブルーライナー号、あるいは専用の連絡艇で行き来しなければならない。
今夜、歓迎会の宴会のまさに開始間際、急に「タシロアイランドに行く。」と言ったこのまだ若いアマノヌボコの整備主任を、久保田老は連絡艇で連れてきて、そのまま待っていた。
帰りの連絡艇も準備済みだが、九時を回った今も、阿部家から持ち込んだ食料に手を付けもせず、ただ延々とその巨大な矛を磨くばかりの少女。
久保田老はそれでも根気よく待った。一口も飲みもせず。
久保田老はこのタシロアイランドの整備主任。この若い少女はアマノヌボコの整備主任。ヤタガラスのパイロット兼整備主任の本郷もそうだったが、歳が離れているとか、性別が違うとか、そういうことは度外視して、同じ整備の長として、久保田老は少女のその気まぐれ、強情さに敬意を表して待った。
この娘はどうしていつもこうなのだろう。この冬、DG-TP創立の時、アマノヌボコとともにこのタシロアイランドにやってきたこの関西娘は、誰にも笑顔を見せない。誰かと語らっている姿も見たことがない。まだ一五歳だというが、娘らしい明るさがない。いったい何がそうさせるのか、久保田は理解できない。
何かきっかけが欲しいのだろうと、時々話しかけたが、返ってくる言葉は堅く冷たい。事務的で温もりが無い。
ふぅとため息をついて手首の秒針式QRに目をやれば、もう九時半を回っている。
ふいに、ポッポッ! と聞き慣れた汽笛が聞こえ、娘は、ぴくりと肩を動かし手を止めた。これがきっかけになった。
「こんな時間に、まごやの若旦那か?」
しばらくしてタシロアイランドにゴンという小さな揺れが走った。さらにしばらくすると、内部格納庫に続くタラップをリズミカルに踏んで人影が降りてきた。
「お疲れ〜っす。勝手に上がらせてもらったでば〜。」
影は内部格納庫を見下ろし声をかけた。
「残業っすか? 夜釣り帰りにそば通ったらば明がりついでだんで寄ってみだでば。夜食欲しぐねっすか?」
タラップの手すりにもたれて、若い男が二人を見下ろしていた。きつい東北弁だ。
「お〜アサミちゃんもいだの?」
と男。暗い内部格納庫の中、そこだけぱっと明るくなったように思えた。それくらい明るい笑顔、金色に輝く茶髪、オレンジの派手なTシャツには、『あけぼの』のロゴ。
「うちがおったらなんかあかん?」
娘が男を見上げて吐き捨てた。
「おっかねぇ。そんなごど言ってねべ。内海の揚げあんパンなんぼが持ってだがら、声かげで見だんだでば。」
男は笑顔のまま肩をすくめて見せた。「アサミちゃん好ぎだべ?」
「す、好きって何ぃ、誰も好きやなんて言うてへんやん!」
アサミは顔色を変え、少し言いよどんだ。
「あれ、嫌いだっだっけ?」
「まごやの若旦那、仁斗田に戻るなら、この娘も乗せて帰ってくれんか?」
久保田老はここぞとばかりに声を上げた。
「明日の学業に響くと、阿部司令に叱られる。」
五月の夜風、それも海上の風はまだまだ冷たい。
内海の揚げあんパンはそれでも美味しく、アサミは狭い甲板の上で体を縮こませて、砂糖をまぶした揚げあんパンを頬張った。震災前の内燃機の鼓動が、甲板のずっと下の方から響いてくる。
「夜更かしは!」
夜風を切り波を切る音に負けじと、まごやの若旦那が言った。「美容の大敵、勉強の友、だべ!」
「何言ってんねん!」
アサミは頬を切る夜風に叫んだ。
「アサミちゃんは頑張り屋だ。親元離れでこんなどごで、地震と戦うヤリ作っで、普段は学校行っでさ!」
「地震と違う!」
仁斗田港の灯りが近づく。
「TFPや! そいつが呼びよるGDEDをピラーズを使って止めとんのや!」
「グッドなら良がべっちゃ!」
「違う!」
アサミが振り返ってきつく叫んだ。「三陸沖に眠っとる化け物や! あの震災よか大きな地殻変動や! 世界の半分滅ぶくらいの災厄が来るんやで!」
「わ、わがったがら落ぢ着げってば。悪がった。ふざげでんじゃなくて、アサミちゃんあんまりギっとなってっから、も少し気ぃ楽に構えだほう良いって思っただげだ。」
『ギっとなる』は、深刻になる、身構える、硬直する、のような意味合いの方言だ。
「ギっとなってなんか、ないで!」
アサミは揚げあんパンを飲み込んでから若旦那を振り返り、吐き捨てるように言った。
内燃機がその咆哮をひそめ、まごやの若旦那自慢の自家用船・第五福神丸はゆっくりと仁斗田港に滑り込んだ。
「ほら、まだ余ってっがら持ってげ。」
肩を怒らせ釣り船から降りようとしたアサミの細い肩を、若旦那が掴み止めた。
「触らんとい……。」
振り払おうと上げた手も、ぎゅっと若旦那に掴まれた。大きくてがさついて、しかし暖かい手だ。
「ほら、持ってげってば。」
若旦那は内海の揚げあんパンの入った袋をアサミに持たせ、続けて言った。「三〇〇年後に起こるGDEDのごどは田代のみんな信じでる。それを止めるためにアサミちゃんだぢが、こごさ来たのも理解しでるってば。みんな仲間だ。だがらアサミちゃんばりギっとなんなって。」
アサミはカサカサ言う揚げあんパン入りのビニール袋を抱きしめた。
「ギっとなんか、なってへん……。」
小さくつぶやいた。
「うちはお父ちゃんを殺したTFPが憎いだけや。みんなよりずっとずっとずっとTFPが憎いだけや。TFPが呼びやるGDEDなんか、絶対起こさへんで!」
言い終わるや、第五福神丸の舷側を乗り越えて岸壁に飛び降り、駆けて行った。人気の途絶えた仁斗田の街を抜け、学園の寮に向かって走り抜けた。
ふぅとため息をついて、男は走り去るアサミを見送った。
船を係留して今夜の釣果を下ろしていると、人影が近づいてきた。
「ボクの生徒に手を出したら承知しないぞ。」
「わ! 驚かすなぁ! 阿部ぇ、何やってんの今頃〜。」
見れば、茶髪のジャージ娘。田代学園の教師だ。
「飲もうかと思って誘いに来たら、夜釣り行ったって聞いたから。」
阿部ちゃん先生はそう言って手にした缶ビールを差し出した。「あんまり遅いから、先にやってたよ。」
受け取った缶ビールは少し温くなっていた。
「をを、気ぃ利ぐな〜。」
まごやの若旦那は釣果の詰まった大きなクーラーバッグの上に腰掛け、阿部ちゃんにも座るように促した。
クーラーバッグは二人のお尻にはそれほど十分とは言えず、二人は領地を争うようにお互いお尻で押し合った。最終的にはまごやの若旦那が降参し、クーラーバッグの大部分は赤ジャージのお尻で占拠された。
「温るぅ!」
ビールを口にしてまごやの若旦那が思わず叫んだ。
「文句いうな! ボクを置いて一人で夜釣りになんか行くから温くなるんだ。誘いに来たときはキンキンに冷えてたんだ!」
阿部ちゃんの肘鉄が脇腹に入り、まごやの若旦那は泡を吹き出した。
「ひっでぇ。飲むなら飲むって先に言えってば。おれも退屈だったがら釣りさ行ったんだっでば。飲むなら出でねってば!」
「それはともかく、ボクの可愛い生徒にも、手、出すなよ。」
「……アサミちゃん、お父さん死んだのが?」
さっきTFPは父親の仇と言っていた。
「生徒の個人情報は言えませ〜ん。でも、担任のボクだってよくわからないよ、彼女。DG-TPのメンバーでしょ? 高等部の阿部サクラとか、今日転校してきたドイツ娘とか、そうそうロシア娘も、なんでこんな小さな娘が働いてるわけ?」
阿部ちゃんは言いながら、ぐーっとまごやの若旦那にもたれかかり、体重をかけていった。
「知らねでば! 昔あっだ児童福祉法どがに違反してっが? でもDG-TP無がったら、TFPで日本もしっちゃがめっちゃがなるべ? 仕方無んでねの?」
阿部ちゃんの全体重を受け止めつつ、若旦那が言った。
「ボクは言いたい! DG-TPの特別な少女たちよ、おまえら青春無駄使いすんじゃねぇぞ! あーっという間に、おばちゃんになっちゃうんだぞ!」
ビールをがーっと飲み干し、阿部ちゃんが大声で叫んだ。
「おめ五月蝿ってば! 夜中だど!」
アサミは仁斗田の街中を駆け抜けて寮へ帰って行った。
途中、消防ポンプ小屋の赤いランプの隣、まだ明かりの灯った事務所の前を通り抜けたが、気がつかなかった。
事務所の看板が『公益特殊法人タシロ計画災害防衛隊事務所』で、電気通信端末風の端末が並んだ事務机の列の向こうに佇む男が、黒い震災前然とした受話端末を耳に当てているのに。
「ですから、契約更新が御希望かどうかの確認です。TFP予報と選択式の出動依頼権、お見積の金額で更新を御希望かどうかの確認です。」
受話端末の向こうの声の語気が荒いことだけ、わかった。
「附則の改定? それは国軍松島基地の都合でしょう? DG-TP事務局としましては、従来通りの総括的な保守整備協力が得られない以上、自前の保守整備環境構築のため、見積の通り、契約金の改訂をさせていただかなければいけません。」
男は一切譲歩しない。
銀色がかった白いスーツに赤い鼈甲縁眼鏡と赤いネクタイ。全体が震災前の古典作品『ウルトラマン』のイメージだったが、ウルトラマンは勧善懲悪のヒーロー。男は一見して何か微妙な法的位置にある品物を扱うブローカーに見えた。
「そちらに誠意が認められない以上、当方は誠意を持った支援者を探すしかないでしょう? もちろん、三石崎重工の名が取り沙汰されているようですが、まだ具体的な協定は締結しておりません。」
受話端末の向こうの相手は沈黙し、男は勝利を確信したように舌なめずりをした。
「政府の対TFP政策の修正や、ESZとの安全保障関係、そのようなことは当方の関知しないところ。我々、DG-TPはタシロ計画、巨人の尾の示すその絶対解である大規模地殻破壊の阻止のために、日々、他国の関連機関と連携し活動し続けなければならないのです。その運営資金を独立採算性と定めたのはあなた方、日本政府でしょう? 我らは契約先と対等な関係であると願うのみです。契約内容について、再考されるか否か、明日中に回答いただきたい。これが最大限の譲歩です。」
男は受話端末をそっと切り、しばらくじっと黙り込んだ。
手首のオメガ型QRを見やればもう一〇時。しばしの躊躇の後、オメガを指で宙につまみ上げた。腕時計は形を崩して暗がりに無機質に光る銀縁の窓に変形した。
NQCOMのロゴ表示に後に、ごくそっけなく目、耳そして目と耳のたった三つの絵が窓に浮かぶ。耳のマークを押すと、登録済みのBIDが羅列された。履歴の上位の一つを指先でセレクト。
呼び出し中という表示が、すぐに応答中に変わる。
【ドーブリ ビチャラ!】
こんばんわ。窓から声が響いた。
その声の響きから、シャワールームで受けたのがわかったが、宝田は気づかない振りで続けた。
「夜分すまない。もう帰ってきたんだ? 盛り上がったかい?」
【エト ウミリノ ハロシェ。】
まあまあだったわ。
「そうか、それはよかった。……ところで、日本政府の担当者が契約更新で圧力をかけてきている。国軍松島基地での保守点検や給油を条件から外した上で、価格は据置としたいそうだ。」
【整備も給油も応援はしない、でも今までの単価で同等のサービスを?】
「三石崎重工の提示している保守契約の額から換算して、現在の契約単価ではサービス供与はできない。母国ながら、あまりにせこい」
【祖国を悪く言っては駄目だわ。】
「ナスターシャ、直近の赤六角のTFPをスルーした場合の、日本における被害想定を教えて欲しい。」
【宝田……。ナ サモン ヂレ タ ドゥメッ?】
本気でそう思ってるの?
黙ってうなづいた宝田の瞳は、夜の闇よりも濃く深かった。
(C)smcpせんだいみやぎコンテンツプロジェクト実行委員会




