#10
DG—TPはビューグルズを仮設母機として再始動した。
「これからハワイ北方海域のTFPを処置する。だが、サクラ以下四名はQCOM不通でいつものような運用が出来ない。」
震次郎が言った。「今回はPRAOIUのビューグルズに全員乗り込み、すぐ近くから業務用無線を使って指揮する。」
ビューグルズの一機が完全にDG—TPの移動DC兼アマノヌボコ母機となり、ごく近接した位置でTFP処置にあたる。PRAOIUクルーがさらにこれらを補助する。初めての日米共同のTFP処置だった。
日本時間2215、月は東の海からやっと顔を出したが、牡鹿半島と網地島の島影に邪魔されてタシロアイランドを照らすほどではなかった。
仮設アマノヌボコ母機・ビューグルズの一機は、まだ暗いタシロアイランド滑走路から飛び立ち、準弾道軌道を描いてハワイ北方海域の赤六角を目指した。
水平線より上った月を飛び越すのではないかと思えた。
タシロアイランドには、身重のしずえと宝田、久保田老が残った。
しずえは冷たい二月の風に肩を抱きつつ、飛び去る三角コーン菓子を見上げ、やがて久保田老に促されるように艦内に戻った。
そして大宴会場の惨状を目にし、大きく息をついた。
「……仕方ないわね。」
「片づけ、手伝いますよ。」
宝田が言って腕まくりをした。
「サクラちゃんの仕込んだ送別会、大成功、ですよね?」
久保田老が言った。
「いいえ、明日が本番だわ。」
しずえが笑った。「だから、ちゃんと帰ってきてくれないと困るわ。」
ビューグルズの操縦はPRAOIUクルーがあたり、震次郎以下DGクルーはコクピット背後のCOC・指揮作戦中枢のシートに身を委ねていた。体重が三、四倍に増えるその加速Gにしばし耐え、やがて刹那の浮遊感の後、降下時の減速Gが同じく三、四倍の体重となって襲いかかる。
二〇分弱、ビューグルズは月を飛び越すこともなく、ハワイ北方海域の赤六角周辺空域へと滑空を始めた。田代島では東の海に見えた月が、ここではずいぶん南に上っていた。
「シンジロー、ココカラ先ハ頼ンダゾ。」
ダディが席から降り、背後のPS・兵員輸送区に下がった。
「任せとき!」
震次郎はダディが座っていた対G仕様の指揮官席に代わりに上り、仮設DCルーム・ビューグルズのCOCを見回した。
コクピットの横複座を見下ろす幅三メートル奥行き六メートルほどの狭い空間、心持ち一段高い位置にある指揮官席を頂点に左右に四席ずつ、それぞれDWが開いた埋没式の乗員席。
そこに今、交渉担当のキャシー、機上整備員のアサミ、巨人の尾のインターフェースを展開して準備万端のナスターシャ、出番なしだがついてきた本郷、サクラのサポートで出番待ちのゲルトルーデ、そしてサクラの六人のDGクルー。
六人は指示を待つように、じっと震次郎を見上げた。
「そう言えば、こんな風に一緒に仕事するのは初めてだな?」
震次郎は照れくさそうに鼻をこすった。「んで気合い入れでぐぞ! DG—TP、活動再開!」
「赤六角まであと一〇マイル。」
とナスターシャがワイヤーボールを展開して伝えた。「あれから数件の更新がありましたが、巨人の尾情報に大きな変化無し。」
「NASへ通知します。処置の可否を問わず津波発生の可能性があります。」
とキャシー。
「天沼矛自動射出ルーチンはヤタガラスの多目的可動梁に組込しとるんや! このとんがりコーンじゃ使えへん!」
とアサミ。
「大丈夫、わたし出れるわ。ゲルトルーデ、一緒に来てくれる?」
サクラが埋め込み式の対Gシートから這い上がった。
「了解」
ゲルトルーデがおぼつかぬ足取りで這い出、つかまり立ちでサクラに続いた。邪魔な車椅子は背後のPSに押し込んである。
「頼んだぞ。」
震次郎は横を通り過ぎようとした娘の赤い髪を優しく撫でた。
「大丈夫。QW不通だから、連絡は無線でするね。」
サクラが震次郎の手を両手で握り返した。
「サクラの顔が見れんのは寂しいが、仕方ねーな。」
震次郎もサクラの右手だけ、やけに血の気がなく冷たいことに気づいた。サクラは素知らぬ風にCOCを出、アマノヌボコに乗り込むためにPSに向かった。
PSは、兵員輸送用の対Gシートと武器を収めるラックが大人数分作り付けてあり窮屈だったが、今はダディのほか数名のPRAOIUクルーが残っているだけだった。
サクラとゲルトルーデが入っていくと、若い米兵がすぐに足下のおぼつかないゲルトルーデに手をさしのべた。
「ダンケシェン。」
ゲルトルーデはにこりと微笑み手を差しだし、その包帯でぐるぐる巻きにされた機械の指に気づき、はたと手を引っ込めた。
「こんなにひどい怪我をしているのにあなたはそれでも出動するのですか?」
若い米兵がゲルトルーデの腕をそっと取り、眉をひそめた。
ゲルトルーデは言葉につまり、しばし逡巡した後、包帯を歯で噛みするりと解いて人工の指を見せ、微笑んだ。
「ご心配なく、頑丈さは折り紙付きです。」
しかし若い米兵は微笑み返した。
「でも、愛らしい指です。大切にして下さい。」
ゲルトルーデはぽっと頬を赤らめた。
「ゲル? 告白でもされたの〜? 顔真っ赤よ〜?」
サクラがやりとりを見ていて茶々を入れた。「よ、お似合いよ!」
「そ、そんな……。」
ゲルトルーデは真っ赤になってうろたえた。
「いいじゃない。」
サクラが続けた。「ゲルトルーデも、彼氏見つけてさ、幸せになれるんだよ。」
ゲルトルーデは久保田老の言葉を思い出した。
あれは修学旅行に行く前の晩のこと。
『きみは、サクラやほかの娘と変わらず、恋をして、そして結ばれていいんだよ。』
「……わたし、ゲルトルーデ。」
ゲルトルーデは若い米兵に名前を告げた。
「可愛い名前だね。ぼくはジョー・ジャック・ジャクソン。JJJって呼ばれてる。 (ミドルネームの)ジャックはおじいさんの名前なんだ。」
「……JJJ、」
ゲルトルーデはその名を小さく繰り返した。
「やばいよ、RATが動き出したよ!」
サクラがゲルトルーデのささやかな出会いに水を差した。「早く出なきゃ!」
「JJJ、また後でね。」
ゲルトルーデはそう言うと、サクラを追ってPSの後部に仮設されたタラップを伝ってアマノヌボコに乗り込んだ。
アマノヌボコは上下逆にビューグルズに固定され、耐圧ハッチから逆さに機内に上ることになった。
「もー逆さじゃん!」
サクラは文句を言いながらも、アマノヌボコを起動した。DWがノイズがちに開き、システムが不安定であることを示す赤い字が明滅した。
「やっぱ調子悪いわ。狭山基地からずっと、直んない。」
『サクラ、アマノヌボコの調子どうや?』
無線でアサミが呼びかけた。
「あかんわ〜調子やっぱ悪いわ〜。」
関西弁で答える余裕はあった。「でも大丈夫、何とかするよ!」
ゲルトルーデが逆さのアマノヌボコに乗り込み、耐圧ハッチを閉めた。
「ゲルごめん、わたしをこのシートに座らせてくれない?」
逆さのアマノヌボコの衝撃緩衝シートに、どうやっても自力で座ることが出来なかった。
ビューグルズが飛び立った後、宴会場の片付けをしていたしずえは、ずっとうつむいてビール瓶やコップを片づけている内に、吐き気を覚え、洗面所に向かった。
そこで制服姿の若者と鉢合わせし、一瞬で吐き気はどこかに飛んだのだが、警官はもじもじと何か言いたげにしずえの前から離れない。
「あの……。」
「あの……?」
二人同時に声を出し、また妙に気まずい雰囲気になったが、やがて若い警官は意を決したように口を開いた。
「DG—TPの方ですよね?」
しずえはただうなずいて見せた。
「松島基地の人に頼まれて、田代島に警察軍の人たち連れてきたんですけど、何のために来たか、知らなかったんです。」
まさかDG—TPの捜査、いや逮捕だとは思ってもみなかった、ということをその当惑顔に浮かべた。
「DG—TPのファンなんです。QLOOKUPとかQVIEでDG—TP活躍、チェックしてます。」
恥ずかしそうに肩をすくめた。
「あ、ありがとう。」
しずえも何と言っていいかわからなかった。
「海岸課なんで、時々警邏で寄せてもらって、事務所の前とかよく通ってるんですけどね、なかなか声はかけられなくって。」
また恥ずかしそうに笑った。
「お正月の、あの騒ぎの時、RNF漁研泊まり込みであの船の捜索手伝ってたんですけど……毎日、岸壁のとこにいませんでしたか? よくお見かけしたんですよ。」
葛城とともに沈んだえんしゅうのことだ。しずえは表情を固くした。
「あの船、不思議なんですよね。」
若い警官が声を落として言った。「まだ動かせないのは、ちょっとした訳があるんですよ。」
とっておきの内緒話で、えんしゅうに興味のあるしずえにいいところを見せたい、そんな若気の至りが若い警官を守秘義務違反に走らせた。
「ご遺体の回収、手伝ったんですよ。皆、奇麗な仏さんで、屍蠟化して生きてるみたいだったんですが……。」
やはり噂は本当だった。生きていた頃と変わらない葛城があそこにいた。
しずえは胸が高鳴った。
「実は最後の一体だけ……。」
ビューグルズはやがて赤六角直上に達した。
ハワイ北方海域、南に月が上っているが夜明けはまだ遠く、暗い海原にサクラは群れ集まる光の波・不規則移動痕跡を見いだした。
「RATが集まってる! 早いよ、いつでも起きそう!」
アマノヌボコの衝撃緩衝シートに逆さにぶら下がった状態でサクラが告げた。
「それから……。」
『それから? 何か問題があるの?』
キャシーが心配そうにたずねた。
「頭に血が下がって……も〜無理!」
逆さのままの待機はさすがに無理があった。サクラは真っ赤な顔で目をぱちくりした。
「サクラ!大丈夫?」
ゲルトルーデも驚いて叫んだ。
『一八〇度ロールするわ!』
キャシーが英語で何か叫ぶと、ビューグルズはぐるりと上下逆さまになった。ゲルトルーデはごろりとアマノヌボコのトンネル状のコクピット内を転がり落ち、サクラはやっと天地が戻り、ふ〜と大きく息をついた。
「も〜ダメかと思ったわ〜。」
しかし今度はキャシーたちが天地逆に耐えている。
サクラは太平洋に群れ走る光の波・不規則移動痕跡が示す中心、TFPを見定めた。
「見つけた! アマノヌボコリリース!」
『ほな行っとき!』
アサミがアマノヌボコを押さえる可動梁を展開し確保爪を離すと、銀色の矢は遥か眼下の海面目指して先端を下げ、自重だけを頼りに自由落下を開始した。
「ゲルは外で待ってて!」
自由落下のGに耐えながらサクラが言った。
「了解!」
ゲルトルーデはアマノヌボコの耐圧ハッチを開け放って飛び出し、両足のコンボドライブを吹かしつつアマノヌボコのやや上空、いつでもサクラをサポートできる位置を追随して降下していった。
そんな様子を南の空から月が見つめている。
見る間に近づく海面。銀の矢はいつものように、その茫漠たる海原にまっすぐに飛び込んだ。
水柱が高く舞い上がる。
「冷たい!」
ゲルトルーデはとっさにコンボドライブを吹かして旋回したが、冷たい太平洋の水を全身に浴びてしまった。
宴会場に放置された空き瓶やらコップを厨房の大きな洗い場に集め終わり、久保田老はやっと一息ついた。宝田は休む間もなくお湯を流してコップを洗い始め、久保田老も慌てて空き瓶をケースに戻し始めた。
「あれ? しずえさん遅いですね?」
ふと宝田が言った。
「あ、そうだね? 大丈夫かな? ずっと具合悪そうだったけど。」
久保田老が小首を傾げ、衛生的で配管はおろかあらゆる突起物も無い照明パネルだけの厨房の天井を見上げた。
その刹那、DWが一枚現われた。
「NMM号が動いてる!」
久保田老が叫んだ。「一体誰が?」
宝田がDWを開き、NMM号のセキュリティシステムにアクセスした。
「しずえさん!」
セキュリティシステムが、NMM号の使用許可がしずえのBIDによって出されたことを告げていた。
海へと突き刺さったアマノヌボコは、その激しい衝撃からサクラを守り、そのまま暗い深水へと真っ直ぐに沈んでいった。
DWはノイズがちで流れる数字や文字は判読しがたかったが、赤くハイライトされているところから、あきらかに不調を知らせているようだった。
水深が深まれば深まるほど、細長いトンネル状のコクピット内はしんと冷えてくる。耐圧窓の外は夜より濃い闇。不調なDWのちらつきが照らす暗い虚のようなコクピットは、まるで底無しの井戸のようにサクラの足元にぽっかりと口を開けている。
サクラは冷たい右手をさすった。狭山基地で黒い龍に損なわれた肩から下が、冷たく麻痺してきた。
「もう少し待って……。」
サクラはピンクのDGスーツの上から右手をさすったが、冷たさは増すばかり。神の部分の傷が、生身のサクラにまで影響してきた。
「まだ、まだ生きさせて……。」
国津神としての死は、人間であるサクラにも関わるのだと、何となくわかった。美與利比売の痛手は、やがてサクラにも及ぶと何となくわかった。
サクラはQCOM途絶した暗い深水のただ中で、一文字操縦桿から手を離し、ぐっと両の手のひらを合わせ握りしめた。冷たい右手を左手で温めつつ、祈った。
時間が欲しい。まだ、人として生きていたい。
真っ暗な虚のような細長いコクピット内に、赤い光が満ちた。
赤い火の耳と尾、碧に燃える瞳、言わば『猫娘フェーズ』だ。これは人間の時間軸に沿って国津神の力を発揮できる相だ。
人間・阿部サクラの時にはRATしか見えないが、このモードならはっきりとRATにまとわりつかれた巨人本体も視認できる。
やがてサクラの碧の瞳は、深い海の底で不規則移動痕跡にまとわりつかれ佇む巨人・八十禍津日を見いだした。
「お願い。去って。」
今回のそれは深海に突き立つ大きな頭でっかちの杭に見え、手足も無い。
年末のあの時には、巨大な国津神『お正月さま』と長い間、国津神フェーズで旅をした。その時の話はまだ誰にもしていないが、たくさんの国津神と出会い、目に見えない世界の秘密をたくさん垣間見た。
産土と呼ばれる土着神も多く見知っている。今や田代島にもたくさんの産土のともだちがいるし、狭山基地の火之炫毘古も優しくしてくれた。
サクラにとって国津神は、キャシーたち人間のともだち同様の、国津神の同胞、ともだちとしてコミュニケーションがとれる間柄だった。
しかし、同じ国津神でも八十禍津日となると、とたんに話が変わる。TFPの中心核・八十禍津日は様々な姿でサクラの前に現れたが、その名を決して教えてくれない、答えてくれない。同じ国津神であるサクラと一切コミュニケーションがとれないのだ。
数少ないコミュニケーション例は、足長と牛頭天王の時だけで、今回の地杭もサクラ、いや美與利比売の存在には全く無関心に見えた。
「お願い、話を聞いて。」
猫娘は問いかけるが、地杭は反応しない。
光の波は群れ集まり地杭を覆い、水底に光る柱が立っているように見える。
「八十禍津日、そこに穢れがあるの? そこは何万年も前から海の底でしょう? 瀬織津比売に起こされたとはいえ、おまえが振るうてどんな穢れが浮く?」
八十禍津日が振るう、つまり巨人の足跡は、世界に蓄積し刻まれている種々の念を乖離させ新しい世界の卵へ運ぶために発動する。
しかし多くの海洋TFPは、念など残っていそうにない茫漠たる海原のただ中でも起こる。国津神・美與利比売であるサクラでさえ、その真意は未だわからない。
「瀬織津比売がどんな穢れを運ぶ? 八十禍津日、もう振るわず収めて。」
猫娘の切望も地杭には届かず、RATの群れはさらに密度を増す。もはや、地振るうのは間近だった。
サクラは説得を諦め、表示が乱れがちなDWに苦労して数値を入力、たくさんのトグルスイッチを所定の位置に倒し、アマノヌボコに天沼矛射出の指示を出した。
ふと、和歌山沖で海神・綿津見の核に天沼矛が届かず絶体絶命の危機となったことを思い出した。
あれ以来、海洋TFPではこのような巨人型のTFP発現は無かった。海中は媒体粒子が不活性で依代として非力なため、よほど力がある国津神でないと現実世界に表出しないのだと『お正月さま』との旅で実感したが、今回は久しぶりの大物で、さすがのサクラもあの時のことを思い出して不安が募った。
しかし躊躇している暇はない。
サクラは地杭、そのTFPの中心に狙いをつけ、天沼矛を強制射出する準備を終えた。
「今度は一度で届いて!」
和歌山沖の綿津見のように、天沼矛の届かない奥の奥にTFPの核がなければいい、とサクラは祈った。
あの時はRATが核を文字通りほじくり返してくれて処置が出来たが、今回はあんなぎりぎりで処置したくない。
ただでさえ、右手がもう駄目なのだから。
右手は深水の冷たさに同化したように麻痺し、もう自分の一部ですらないよう。左手一本でアマノヌボコを操り、地杭の核に狙いをつける困難さにサクラは歯噛みした。
こんなに苦しい処置は初めて、そんな弱音がにじんだ瞬間、地杭が動いた。
深海に深く突き刺さった頭でっかちの杭にしか見えなかった巨人が、不意に振り返った。
群がるRAT・光の波を振り払うと、杭の裏側に折り畳まれていたシギのくちばしにも似た長い吻がぐいと持ち上がり、その曲がった先端がサクラに向けられた。
吻の付け根、バランス悪く巨大な丸頭には深水でらんと光る目二つ、杭の本体と思っていた部分がくるくると解けて扇のように開かれると、シギのような細長い下肢が隠れていた。
丸い頭から直接くちばしと細長い下肢、幕だけのマントのような羽根が広がる、子供の落書きのような鳥形の八十禍津日だった。
サクラの帰りをじっと待つDG—TP移動DC・ビューグルズを、ふいに黒い機影が襲った。
英語の叫びとともにビューグルズは急速旋回し、これを間一髪避けたが、その影・巨大な黒い全翼機は、機体後端から延びた曳航式のケーブルアンテナのようなものを巻き付けようと、さらに執拗にビューグルズにすり寄ってきた。
敵味方識別装置はおろか二次レーダーも止めており、正体も意図もわかりかねたが、その機影はDGクルーの誰もが忘れもしない、ヤタガラスに酷似していた。
DGクルーの戸惑いをよそに、PRAOIUのパイロットは機動旋回を繰り返し、ビューグルズ上面の近接防御機構も自動的に、接近する黒いワイヤーを迎撃した。
黒いエイの尾は実体弾によって砕け散る端から、次々に再生して長さを増し、あたかも意志を持っているかのようにビューグルズを追いかけてきた。
「ヤタ……黒い全翼機に告ぐ! 米国領空内での米軍機への異常接近行為の意図を述べよ。これは明らかな攻撃である。」
震次郎が国軍のバンドを使い、暗号化せず日本語で呼びかけた。「じきに迎撃機が来るぞ! 撃墜されたいのか?」
しかし応答は無く、全翼機はドラッグワイヤーを執拗にビューグルズに絡めつけようと接近を繰り返した。
「シンジロー、アレハ日本国軍ノ再突入輸送機ジャナイカ?」
ダディが這いつくばるようにCOCに戻ってきた。本来なら指揮権を早々に戻さなければならないが、TFP処置もまだ終わっていない。
「わからない。ヤタガラス、ReCーFW24には……似ている。」
震次郎が曖昧に答えた瞬間、それまで執拗にビューグルズを追いかけていた全翼機が、急に離脱した。
まるで新たな獲物を見つけたかのよう。
「ゲルトルーデや!」
アサミが叫んだ。「ゲルトルーデの方に行きよった! あの黒いんは、ゲルトルーデの妹やで!」
『お姉さま! 探しましたわよ!』
夜より黒い巨大な翼が、サクラをサポートするために海上で滞空していたゲルトルーデの上に覆い被さった。
「ブリュンヒルデ?」
巨大な黒い全翼機はMエフェクターを起動して空のただ中に悠々と止まり、南の空の月明かりを受け、まるで悪魔の使いの空飛ぶ黒エイのように見えた。その巨大な黒い翼はぞわぞわと風を孕んで蠢き、長い尾は螺旋を描いて夜をかき混ぜた。
『日本国軍ったら頭っ堅くて話になんなくて、やっとのことお姉さまの使ってたこの黒いのを拝借して追いかけてきたのよ。』
「国軍からヤタガラスを盗んで追いかけてきたの?」
ゲルトルーデが黒いエイに呼びかけた。
よく見れば、蠢く翼はヤタガラスの機体表面を覆う黒い集合体の蠢き。狭山基地でゲルトルーデと戦ったあの黒い龍を成していた黒い虫の群れが、ヤタガラスの形を醜く変形させているのだった。
『盗んだ? それは失敬な言い方だわ。国防大臣の許可ありよ。PMGの運用試験、正々堂々借りてきたわよ。』
ヤタガラスを覆っている黒い六角形がざわざわと蠢き、歪んだ翼や長い尾が見る間に消え失せ、黒い全翼機のコクピットの部分に黒い影が集まり盛り上がった。
『TFPはそこでしょう? 古くさいオーパーツも、人の真似してる巨人もまとめて処置するわ。』
ヤタガラスの平たい三角のクチバシ、わずかばかりのコクピットの膨らみの上に、巨大な黒い龍型の影が凝り固まって長い首をもたげた。
「や、やめてブリュンヒルデ!」
ゲルトルーデが止める間もなく、竜の顎に光が灯った。
『海中であろうが、可能性の粉雪は巨人を貫くわ。』
竜の顎がかっと四つに分かれ、媒体粒子を改変する特殊粒子・媒体粒子殺しが放射された。
「やめて!」
ゲルトルーデの叫びもむなしく、MPTは白い光の線となって暗い海原に降り注ぎ、媒体粒子を破壊しながら激しい閃光を発し、塩化化合物の吹雪を巻き起こしながら水底まで貫き落ちた。
『このあたりでしょう? わかっているのよ。』
獲物を探るように黒い龍は長い首を振り、白い光の階で海をかき回した。
「八十禍津日! 振るうなれば叩く! 覚悟!」
サクラはアマノヌボコを加速し、鳥と化した地杭目がけて進路を変えた。
その刹那、光など届かないはずの深水に一条の光の線が届いた。
まるで天からの迎えの光の階のようだったが、その白い光は無遠慮に暗い深水を探るようになぞり、激しい閃光と衝撃音が深水の暗がりを不穏に満たした。
その光の階が、サクラと対峙していた地杭を撫で過ぎた。一際激しい閃光と衝撃波が走り、地杭が悲鳴を上げた。
「八十禍津日?」
巨大な鳥型の国津神が光の一撫ででその半身を真っ白く燃やされ、暗い深水を眩く照らしつつ、白く粉々に砕け散った。
刹那、地杭の視線がサクラと重なった。
そして何かが、サクラを通り過ぎた。
「……わたしの番?」
弾け飛ぶ意識、拡張する感覚、三石崎重工製の特殊な機体とそれが抱きかかえた柱状遺構類・天沼矛がサクラの中に入り込む。
いや、サクラがアマノヌボコと天沼矛を飲み込んでいる。
冷たい水、水圧、海底を漂う地杭の断片、死にかけた国津神の死臭、それらすべてがサクラに入ってくる。
気がつけば、傍らに気配。
女性、見知らぬ女性が立っている。
母でもともだちたちでもない、女性が立っている。サクラの肩に手を置き、耳元でささやく。
「チフレ。」
その生温かい吐息は地の底に数万年埋められていた臭いがした。その声は数万年沈黙を保っていたかのように嗄れていた。
「イマシチフレ、イマシ、ヤソマガツヒ。」
「アチフル、ア、ヤソマガツヒ。」
サクラは、知らず知らず答えて言った。
「サクラ!」
ゲルトルーデは叫んだ。
媒体粒子が破壊されると、国津神であるサクラは死ぬ。それは狭山基地で嫌と言うほどよくわかった。
ゲルトルーデは後先考える暇もなく、白い光の階を辿るように急上昇し、黒い龍頭の全翼機に激しく打ちかかった。
『お姉さま無駄よ! 可能性の粉雪を前に、巨人に逃れる術はないわ。』
ゲルトルーデの道標、白い階が途切れ、ヤタガラスに寄生した黒い龍は勝ち誇るように身を震わせた。
「ブリュンヒルデ! 許さないわ!」
ゲルトルーデの怒りは頂点に達し、体の奥底の星は赤く燃えた。両足のRRドライブとSドライブのコンボドライブは激しく風を巻いて唸り、振りかざした腕、無数の動力伝達装置から成る鋼の義手は溢れかえる電力を押さえきれずスパークを放って光った。
黒い六角形が細い蜘蛛の糸で綴られ形作られた黒い龍頭は、火花を散らして突き出された鋼の拳で容易く貫き通され、しかしすぐに再生し、ゲルトルーデを激しく打ち据えた。
『許してほしいなんてちっとも思っていないわよ!』
ゲルトルーデは咄嗟に両腕で生身の上半身をかばい、黒い鞭となった六角形の集合体はその防御の前に容易く砕け散ったが、やはり見る間に再生し、今度は巨大な棍棒となって防戦一方のゲルトルーデを、遙か眼下で揺蕩う黒い水面に叩き落とした。
「きゃー!」
人形のように力なく落下するゲルトルーデの姿は、あまりに一方的に脆弱過ぎた。
ゲルトルーデが落下した夜のハワイ近海。その暗き深水で人知れず生まれていたのは巨大な器だった。
地杭の骸を集めて形とし、巨大な神像がサクラの入れ物となった。
そこに群れ集まるは金の波、前駆の者、古き地に属する、国津神にも産土にも満たぬ地の精たち。
振ルワナイデ 振ルワナイデ
地ハマダ若イ マダ早イ
ソノ時デハナイ マダ先ダ
群れ、鎮めようと、巨大な器に納まったサクラに集まってくる。
汝ガ人トシテ産マレシハ
地ヲ振ルワセヌガタメ
ソノ時ヲ選バセルガタメ
しかしそんな小さき者たちの言葉も届かず、天と地がつながった。
『TFP処置終了、巨人の尾の情報を更新……。』
ブリュンヒルデの言葉を待たずして、夜のハワイ北方海域、その静かな海面が何の前触れもなく、落ちた。
『え?』
文字通り、底が抜けた大海原、黒々とした闇がぽっかりと口を開け、海の水が次いで雪崩うって水底目がけて流れ落ちた。
吾、地振る、吾、八十禍津日。
何万年もの間堆積した小さき生命の滓を沸き立たせる。
沸き立つ生命の残滓、舞い上がる記憶、思い、感情、生と死の小さくとも激しい火花の集積、大地形作る古い巌が軋み叫び深き水が振るえ吠える。
地、振る。天から地へと貫く、地より天へ貫く。
「TFP処置失敗! 大型の津波発生!」
ビューグルズのDCルームでキャシーが悲鳴めいた叫びを上げた。
「巨人の尾情報更新! 海洋TFP複数発現!」
ナスターシャの声もうわずって狭いCOCに響いた。
「サクラ!」
震次郎が叫んだ。
「吾、地振る、吾、八十禍津日、八十禍津日? 本当に八十禍津日? どうして、どうしてわたしが? わたしがどうして八十禍津日なの!」
巨大化したサクラ・美與利比売は、愕然と、八十禍津日と化生した巨大な我が身を見返した。
「そんなの嘘よ〜!」
自らが核となって発動したTFPの中心で叫んだが、もう遅かった。
沸き返る穢れが凝固し赤子のように化生したそれを胸に抱きかかえた六人の瀬織津比売が、嗄れた笑いを幽かに深水に響かせ六方へ駆け出すその後ろ姿が、サクラには見えた。
これがプロパだ。穢れをGDEDへと伝播し、その道すがら次のTFPを呼び起こす国津神だ。
今まで懸命に止めようとしていたTFPを、目の前で死んだ国津神から引き継ぎ、自らが起こしてしまうなんて。
巨大な神像、八十禍津日となったサクラは叫び、深水から急上昇した。
止めなければならない。
起こるであろう津波を。
守らなければいけない。
タシロアイランドのみんなを。
震次郎の叫びに答えるように、それは始まった。
暗い海原にぽっかり開いた大穴、その底から信じがたいものが浮き上がるように現れた。
「TFP直上、未確認物体を視認、レーダーの反応は曖昧。」
本郷がたくさんのDWをさばきながら言った。「大きい! 二〇〇メートルはあります!」
「画像をくれ!」
震次郎が手をさしのべ、本郷はDWを一枚複製して投げ渡した。
DWに浮かぶ海洋の大穴、その中心に浮かぶ巨大な何か。
三角の耳をいただく円盤型の頭に顔は無い。ただ二枚の円盤の重なったその隙間に黒々とした闇の刻み目が一周走るのみ。
壺のような体躯には足も無い。あるのは、その両脇にだらりと垂れた笹蒲鉾型の腕。その先端には鋭い四枚の爪と猫の足裏を模したような丸い突起の連なり。
背中には丸く環になった二枚の翼。いや、輪になった二本の尾。
まるで猫を抽象的に象った土偶、巨大な塩の塊から削り出された白い『猫偶』。
白い猫偶は、夜の闇の中、わずかな月明かりに照らされつつ、その足もとで沸き返る津波の卵・これから激しく四方に拡散する巨大な水の落差のエネルギーを支えにゆっくりと海底から姿を現した。
そして激しく沸き返った津波の子らは、一気にその足下を離れて四方に伝播して行った。
この津波が大陸端、海岸線に到達すれば、太平洋岸・島嶼の多くに甚大な被害が出ることは容易く予想出来た。
「巨大津波発生! 一斉に警告を発します!」
キャシーが叫び、同時に複数のQWを開き、津波について英語で早口にまくし立てた。
「ドウナッテイルンダ?」
しばし言葉を失っていたダディが、やっとの思いで声を絞り出した。
「TFP処置に失敗した。津波が、太平洋岸を蹂躙する……。」
震次郎は首を振り、震える手のひらで顔を覆い隠した。
「あの巨人は、サクラ、おれの娘だ……。」
その巨大な猫、翼のような二本の尾、猫の耳は、紛れもなく、かつて目にしたことのある国津神・美與利比売と同じ。
サクラと同じ。
『化け物!』
ヤタガラス上で黒い龍が身をもたげ、再びMPTを放射しようとした。
可視化した国津神・媒体粒子に寄生して発現する化け物を前に、さすがのブリュンヒルデも動揺し、わずかにその第一射に手間取った。
その一瞬の間に、巨大な猫偶は二〇〇メートルを越える巨体を軽々と宙に舞わせ、黒いエイを飛び越えるように空高く舞い上がった。
その円盤型の頭が全体的に大きく広がり、壺型の体が前後に伸びて流線型に変化し、両脇に垂らされた笹蒲鉾型の腕が水泳選手が水に飛び込むように真っ直ぐに前に突き出された。輪になった二本の尾は開きつつ後方に長く伸びた。
まるで天翔る白い宇宙船。猫偶は空翔る船へと変化し、急速に飛び去り、ほどなく物理法則の外側・国津神の時間へと飛び出したように視界からかき消えた。
『逃がさないわ!』
ブリュンヒルデはヤタガラスを急加速急旋回させ、猫船の飛び去った方向へ追った。
「ブリュンヒルデ! もうやめなさい!」
ゲルトルーデが妹に高速で追いすがってきた。激しく伝播し始めた津波から辛くも離水したのだろう、濡れ乱れた金の髪は額に貼り付き、黄色いDGスーツはすっかり濡れて光って見えた。
体の奥底で燃える原子炉は限界まで出力が高まり、両足のコンボドライブは最大推力で吠えた。半ば生身半ば機械の体から、圧縮膨張断熱によって激しい水蒸気の傘が開いた。
『お姉さま、今はあの巨人を追うのが先よ、さよなら。』
ブリュンヒルデは追いすがる音速近い姉を置き去りにし、RRドライブを唸らせ、準弾道飛行へ移行した。
「サクラ!」
ビューグルズのCOCで震次郎は何度もその名を叫んだ。
ダディが英語で何かまくし立て、取り乱した震次郎を指揮官席から引きずりおろし、別のシートに押し込んだ。
「シンジロー、シッカリシロ! 今ハ次ノTFPを止メルコトガ先決!」
「でも天沼矛はもうない、さっきのでかいの、サクラが持って行った……。」
震次郎は首を振りながら、救いを求めるようダディを見上げた。
「追いかけよう!」
本郷が言った。「あれがサクラちゃんなら、タシロアイランドいや田代島を津波から守ろうとして飛んでいったんだ!」
「せや! さっき一瞬だけ反応があったで! さっきのでかい白いのん中に、アマノヌボコが、サクラが埋まっとるで!」
アサミがDWでログを確認しながら言った。
「戻りましょう!」
キャシーがダディを見つめ、強く言った。「タシロアイランドへ!」
後編に続く




