#3 歓迎会 Willkommensparty
田代島は石巻市の南東に浮かぶ島。
その交通の要はかつては小型のカーフェリーであった。
石巻市中央、石巻域の上辺に沿って流れ石巻湾に注ぐ北上川の河口、かつて連絡船の発着場があったその河口は、五〇〇年前のあの震災でその姿を変えた。
広大な防災緑地・南浜慰霊森林帯は、震災の慰霊記念樹を起源とした鬱蒼たる森で、かつてここに街が一つあり、そして津波によって失われたという名残はもはや無い。
かつて隣接する河口にあった連絡船乗り場は、南浜慰霊森林帯を見下ろす日和山、その小さな丘陵を埋め尽くし林立する蜂の巣の群、HrRC・高層複合居住区の最東端、空に浮かぶように鳥居が石巻湾に臨む鹿島御児神社・通称『日和山神社』社殿のすぐ下の階にあり、連絡船は今や空を飛ぶ時代であった。
「急行田代島行きケーブルボート・ニューマーメイド号は午後五時三〇分出発です。皆様お乗り遅れの無いように!」
『網地島ケーブルライン』と描かれた看板の下、石巻で二番目に高い場所にある閑散とした乗降ホームで本郷は声を張り上げた。
「牧ノ崎、網地、長渡、鮎川へお越しのお客様は次の急行鮎川行きをご利用下さい。なお、急行鮎川行きは田代島には止まりませんのでご注意を。」
新漁業改革によって牡鹿半島の人口が増えたとは言え、平日の利用客はほとんどが石巻域への通勤、買い物、通院客と田代学園の生徒や教師くらい。最終便一一時のラストフライトで帰途につく酔っぱらいを含め、平日の客足はそれほど多くはない。
週末の田代島への観光客、釣り人を入れて、やっととんとんという感じ。
愛機、いや登録上は船舶である地面効果翼機・NMM号の純白の外装を磨いて待っていると、手首に巻きついたごつい腕時計が明滅したかと思うとその形を崩した。
腕時計は黒縁のごつい窓に変化し、宙空に浮かんだ。『サクラ』の名前がそこに明滅して、量子通信のコールを通知した。
二四九〇年・二二年前から本格運用され始めたQCOMインフラ、その本格的普及により、人類の生活は大きく変わった。
無尽蔵に広がる空間=場を特殊な媒体粒子で満たし、それに膨大な情報を記録する仕組みは、むしろ『粒子通信』と言った方がわかりやすいが、この万能の粒子は量子力学の成果として誕生したので、QCOMで間違いはない。
世界中のほぼどこからでも個別かつ排他的、選択的同時共有的にそれらにアクセスできるこの便利な仕組みは、世界から距離と時間の概念を消し去ったと言われる。
場を満たす媒体粒子に蓄えられた情報は、場に接している限り、どの点からも瞬時にアクセスできる。何の物理的な通信設備も無しで、南極の風景を即時、赤道直下で観察することも可能。
情報通知態である量子環や、情報共有態である量子窓を任意に呼び出し、情報の受発信が距離時間を問わずに行えるのだ。
特にQWについては、完全相互通信が可能だ。画像、音声の境目無く、送信機にも受信機にも、ビデオカメラにもスチルカメラにもなる。情報をテキストとして呼び出すことも、送ることも、リアルタイムで動画を配信することも、動画を録画したり、静止画を撮影したり、音声のみ録音することもできる。
しかしながら、媒体粒子が散布されていない場、もしくは完全に隔離された場は圏外となる。例えば大気圏外を航行する宇宙船の室内、深海探査艇の艇内など。
逆に、媒体粒子の物理的な振る舞いは気体分子に近似であり、気体が循環する環境ではくまなく、たとえば地下数百メートルの坑道でも高度二万メートルの高空でも、媒体粒子を含む大気と触れていれば利用可能となる。
DG-TP内で使っている業務連絡用の同報QWではなく、サクラの個人的コール。明らかに緊急性のない私用だ。
何となくにやけて顎など撫でながら、妹みたいに可愛いサクラの顔を高画質で拝もうと、最近契約したばかりのハイビジョンモードで応答した。
すると、A3判サイズに拡大した大画面高画質のGZ/IMPACT型QWに、サクラ以下、DGクルーの少女たちと見慣れない少女、さらにはサクラの担任教師までが、大迫力の高画質でみっちりと映っていて、本郷は思わず飛び退いた。
【本郷?今日新人さん来たから歓迎会やるよ〜!わたしん家に来てね〜!】
本郷はこの便で上がりだったので、発券所に「お疲れさん、これで上がるわ。」と声を掛け、早々に操舵室に乗り込んだ。
太さわずかニセンチほどの自己発光不捻膠着式ケーブル一本にぶら下がっているのは、極端に短い翼を持った飛行艇。
全長約三〇メートルの白い船状の機体には不釣り合いな大きな垂直尾翼、その先端には欠けた円形の水平尾翼、船体の横に張り出した前後に長く幅の狭い翼の前端には、径の大きな丸いスピナーを有する二重反転プロペラ。
スピナーの径に比べると短いブレードがゆっくり高ピッチで回転する、静かだが腹の底に響くような音は、高効率の可逆熱行程機関の音。
「五時三〇分発、急行田代島行きケーブルボート・ニューマーメイド号、出発いたします。」
NMM号は空中にむき出しの発着場に浮かんで出発時間を待ち、やがて数名の客を乗せ、静かに夕暮れの石巻湾に向かって光るケーブルを滑り降りた。
五月の今頃は日も長くなり、太陽はあと一時間程度地平線周辺でがんばっているはずだ。
北東の山並みには夕日に照らされた牧山HrRCが広がっている。
南には北上川を渡る南北二本の日和大橋の見事な二つのアーチが、南浜慰霊森林帯の東北、東南の両端から延びている。
川上側の北日和大橋は、石巻ラインの高架も兼ね、その高架懸垂式単軌は湊、渡波、万石浦と延び、さらに東、太平洋の際の女川域まで続いている。
東には石巻漁港RNFタウン魚町、非固定浮力構造の巨大な総合漁業プラント塊。津波が来ても自ら浮上し避難可能な可航建造物群で、民間のものではギネスブックサイズだ。
南西に目を転じれば、南浜慰霊森林帯の向こうに石巻工業港と新日本製紙の工場群、巨大な輸送船の群れる高規格輸送ターミナルポートもRNFタウン魚町同様のNFBSの浮き波止場。
重吉BPPの巨大なバイオ発電プラント群のさらに向こうには、菜の花新電源大曲浜栽培プラント群の明かりだ。
津波にあった沿岸沿いの農地を集約し建設された菜の花栽培プラントは、延々と仙南、相馬、福島原電記念塊へと続く。
収穫したナタネをバイオ燃料に加工し、内燃機関及び可逆熱行程発電器用の燃料に利用するようになってすでに四〇〇年。
近年の石油合成バクテリアによる合成化石燃料生産も合わせて、日本のエネルギー事情は震災前のレベル近くまで復興している。
かつて国内産業を荒廃させたあの忌まわしい電力飢饉は、すでに過去の物と言ってよかった。
旅客WIG機・NMM号は光るケーブルを伝い、石巻湾上空を東南へ滑走した。SLNTSケーブルは昼でもはっきりとわかるほど光りながら、日和山神社の空中鳥居の下から滑らかに垂れ下がり、RNFタウン魚町の南海上の分岐鉄塔につながっている。
この分岐鉄塔で一旦、海水面に触れるほど低くなり、再び光るケーブルは尾崎へ向けて駆け上がる。
最初の岬である尾崎の上に、夕日に桜色に照らされた複合居住区が広がっている。
尾崎だけではなく、牡鹿半島の岬の一つ一つには、RCが張り付くように広がっている。
五〇〇年前のあの震災の後、人々は長く辛い震災復興と電力飢饉の苦難を経て、又、自然を改変する土木技術の限界に直面し、軽量モジュールの複合によって居住環境を自然に順応させるようになった。
つまり宅地造成せず、基礎を打たず、自然の地形に軽量なモジュールを据え置き、それぞれを連結することでしなやかに応力を吸収する柔構造の住居が普及した。
牡鹿半島においては、急峻な峰々、大洋に食いつくリアスの岬のすみずみにまで、蜂の巣のような六角形の居住モジュールを連ねた複合居住区を作り上げた。
一方、世界的食糧難を機に誕生した漁業資源安全保障体制であるRNF・新漁業改革により、牡鹿半島の人口は震災前よりも増え、RCはさらに肥大した。
今上っている光るケーブルの先、夕日を反射するRCの窓のいくつかには、流麗なフォルムを持ったNMM号の接近を見守っている視線があるはずだ。
光るケーブルを伝ってそのまま尾崎RC発着場に到着。客が約半分ここで降りる。
尾崎RCから引き続き荻浜湾を越える。SLNTSケーブルを伝って次の分岐鉄塔まで降下する。
左手、入り組んだ無人の湾にはすでに夜が這い寄ってきていたが、次の岬、大室、君ケ金崎の上には桜色に照る荻浜RC。
再びケーブルを上り、荻浜発着場に入る。二、三人が降り、誰も乗らなかったが出発時間まで待つ。
NMM号は無動力で光るケーブルを滑り降り、暗い大原湾を滑空で横切りると、夕暮れの空を背に黒々と横たわる田代島が右舷に近づく。
夕暮れの中、分岐鉄塔で海面に着水。田代島の最北端の二鬼城崎灯台が放つパルスと光を感知しながら、NMM号は次の牧ノ崎RCへ駆け上るSLNTSケーブルから離れ、舵を西に切って田代島の北の玄関口、大泊を目指した。WIGは本来、このように海面直上を滑走するのが正しい使い方だった。
大泊で乗客を降ろし、夕日に浮かび上がる対岸の牧ノ崎RC、RNS・新畜産革命に基づく北里LABの巨大畜産プラントを左手に、田代水道を海面ぎりぎりの高度で再南下。ゆっくりと終着の仁斗田港に入った。
最後の乗客が降りたところで、時計を見れば六時過ぎ。NMM号を発着場から離し、DG-TPの専用駐機場に移動、後片付け、掃除、軽い全自動整備を終える頃には日も東北の背骨・奥羽山脈の向こうに沈み、夜が頭上を満たしていた。それでも手首のGZ/IMPACT型QRを見ればまだ六時半。
本郷は仁斗田の街に上り、『スーパーまごや』で自分が飲む分のビールを買い出し、道を少し戻って、阿部家に続く細い石段を登って行った。
仁斗田の街の大部分は古典的建築が主である。細い入り組んだ道を境目に、斜面に震災前様式の非モジュール住宅が肩を寄せ合うように立ち並んでいる。
あの震災の時、この太平洋に浮かぶ小さな島は、漁業インフラに大打撃を受けたものの、幸運にもあの巨大な津波による人的な被害はほとんど被らなかった。
あれから五〇〇年、特に防災に配慮した再開発も行われないまま、街並みは震災前然としている。
本郷が向かうサクラの家も、代々続く阿部家の非モジュール住宅である。初代から数えて何度建て替えられたか定かでは無いが、これまた田代島の家を代々建てている本土の大工さん一族の特徴が出ていて、周りの家々とうまく調和が取れていた。
石とコンクリートを組み合わせた狭い石段を延々と登って、小さな門扉をキィと鳴らして玄関先に立つと、もうすっかり盛り上がっているのか、阿部司令の笑い声と少女たちの嬌声が漏れ聞こえてきた。
「遅れました。」
開けるのにちょっと癖があるスライドドアをからりと開け、段差のきつい玄関に入ると、すぐに居間の様子が視界に飛び込んできた。震災前然とした畳の部屋に、たくさんの食べ物と飲み物が並んだローテーブル。
「本郷さん本郷さん本郷さん本郷さん」
玄関先で待ち構えていた河原田先生が、わしっと本郷の袖を掴んで居間に引きづり上げた。
「待ってましたわ。ゲルトルーデさんの転入祝いですよ。DG-TPの新入クルーの歓迎会ですよ。本郷さんも早く早く早く早く」
飲んでる。それも相当。お下げ髪が乱れつつあり、眼鏡の奥の小さな瞳は充血していた。紅潮した頬にはすでに誰かのイタズラのキスマーク。
誰か、ではない。
「ほ〜んご〜〜〜〜〜〜〜〜!」
油断していたが、左手、居間につながった台所の方向からピンク色の影が走り出てきた。ネコ並みの素早さでピンクの影は本郷の首に飛びつき、温かく濡れた何かが本郷の頬にぶちゅ〜っと……。
しずえの口紅をふざけて塗りたくったサクラが本郷に飛びかかり、しかしその刹那、キャシーがサクラの襟首をきゅっと捕まえた。
「サクラやり過ぎ! はしたないわ!」
サクラは見る間に引きづられていったが、引きずっていく当のキャシーの顔にもキスマーク。
「 わははははは! ついに捕まりおった!」
一番奥の席で大笑いしているのが、阿部震次郎、サクラの父でDG-TP司令である。
年の頃は五〇前後だが、元同僚の本郷も正確な年齢は知らなかった。その短い髪は金色に染められ、つんつんと空に立ち、金字で『金華山サイダー』と染め抜いた黒Tシャツと擦り切れたカーゴパンツは、日和山HrRCでふつうに見かけられる若者そのもの。
見れば、その頬にあるキスマークが一番多かった。
「はいはいはい!」
キャシーに取り押さえられたサクラの唇をクレンジングクリームで拭き取っているのは、サクラの母親の阿部しずえ。
ごく短い褐色の髪をぴっちりと撫でつけたその容姿は、宝塚OCの名男役かと思えるほど凛々しく美しかったが、サクラには少しも似ていない。ピンクのジャージ姿で大きなネコみたいに暴れているサクラの母親には到底見えなかった。
「盛り上がってますね〜。」
本郷は苦笑しながら震次郎のそばに座り、河原田先生がコップとビールを手に脇に張り付いた。
「ウニありますよウニ、おいしいですよウニウニウニウニ。ワカメもありますよ。ワカメワカメ。」
次に皿と箸を手にし、河原田先生はあくまで本郷から離れようとしない。充血した目がぎらぎらしていた。
「あ、ありがとう、いただきます……」
勢いに飲まれて箸と皿を手にし、ふと居間の中を見回すと、主要メンバーが足りない。
「宝田さんは仕事が抜けられないそうです。」
震次郎を挟んだ逆サイドで行儀良く正座したナスターシャが、本郷の目線に気づいて答えた。銀色の短い髪には若草色の可愛いカチューシャ。ラフなポロシャツにジーンズ姿で、カチューシャが無く、そのポロシャツの胸元のささやかな膨らみに気づかなければ、凛々しい銀髪の美少年にしか見えなかっただろう。
「アサミはここまでは来たけど、興味ないからって、タシロアイランドに渡りました。久保田さんが仕方無くついていきました。」
口調も男っぽい。
「宝田さんは忙しいとして、アサミちゃん、なかなか馴染まないですね。久保田さんも久々の仁斗田飲みなのにかわいそうに。」
久保田老は普段一人でタシロアイランドで生活しており、仁斗田で宴会というのはたまの楽しみでもあった。
「後で差し入れ持ってきますか? タシロアイランドとの往復ならオートパイロットでいけますから、飲酒運転にはなりませんよ。」
言って、ビールを一口で半分まで飲み干した。
「本郷さん素敵な飲みっぷり!」
河原田先生がすかさずビールを注ぎ足した。
「あ、すみません。」
「食糧は久保田に持たせてやったから、あとは任せよう。整備スタッフ同士、何とかしてもらいたいね。DG-TP結成からまだ五ヶ月、準備期間を入れてもまだ半年も一緒にいないからな。」
震次郎は目をしばしばさせた。
「ところで新しい子は?」
居間にはいない。ナスターシャが黙って居間と一続きの台所の方を指差すと、確かにいた。
可愛い娘だ。
キャシーとしずえがサクラを取り押さえて大騒ぎしている向こう側、台所のテーブルにしがみつくように、乱れに乱れている歓迎会を戦々恐々とした面持ちで見回すばかり。もちろんその白い頬にはキスマーク。
「…ただの娘さんに見えますけど……ESZの間諜じゃ無いですよね?」
本郷は小声で尋ねた。
ESZ・欧州安全圏は震災後に事実上瓦解した欧州連合に代わり、国連では解決出来ない地域独自の問題解決のために自然発生した独国以東の内陸国家を中心とした自主国家連合。より高度な安全保障、軍事同盟関係を核にし、時には国連と対立する場合すらある。
現在はTFP対策が主な争議点。T-TFPによるところのGDEDで大きな被害を受けないため、関わりのない世界的災厄のために経費を負担することを潔しとせず国連のTFP施策に反対している。一方で、世界的災厄に備えた防災関連事業で外貨を獲得している。
「違うだろう、いい子だよ。独国もそろそろ地下シェルター商売だけじゃなく、ピラーズ運用に本腰を入れたいんだろう? ま、スパイであろうがなかろうが、こっちは給料向こう持ちで優秀なスタッフを派遣してもらえたんだから、御の字だ。」
ナスターシャが利発そうな瞳で震次郎を見つめていた。
「ナスターシャ、きみもだよ。きみの母国が巨人の尾を全世界に公開してくれて、きみのような優秀なオペレーターまで派遣してくれて助かる。」
「スパシーバ。」
震次郎の言葉に、ナスターシャははにかんだ笑みを浮かべた。「こちらこそお世話になります。それに、わたしはサクラが、サクラのことがどうしても信じられない。あまりに非科学的。だからもしアカデミヤから帰還命令が出ても、ここに残るくらいの気持ちです。」
「も〜せっかく盛り上がっていたのに〜!」
すっかり口紅を拭き取られた、非科学的な当の本人・サクラが、這うように父と本郷の間、当初の位置に戻ってきた。
「サクラお前、さっきの顔凄かったぞ。化け猫みたいだった!」
震次郎は、QWの撮影機能で記録していた画像を宙空に映し出した。
カメラが趣味の震次郎は、最近SIGMAの最新QSを契約したばかりだった。モードが数パターンあり、お気に入りはこのF値2.8の五〇ミリ単焦点レンズモード。
宙空に映し出されたのは『キス魔』。
くちびるの周りをぐるぐる真っ赤に塗りたくったサクラが、くちびるを尖らせて迫ってくるその瞬間の映像で、思わず一同爆笑してしまった。台所のテーブルにしがみついていたゲルトルーデまで思わず笑った。
「お父さんそりゃないわよ! もっと可愛いく撮ってよね!」
サクラはふてくされたようにばたりと横になり、ぶつぶつ言いながら、ほどなく寝息を立て始めた。
「やれやれやっと寝た。誰だサクラにキウィ食べさせたのは?我が家の猫娘殿はキウィで酔うんだよ、マタタビ科の植物だからな……」
震次郎は苦笑しながら、しかし愛おしげにサクラの髪をなで、そのあどけない寝顔をQSしようと、宙空のキス魔を折りたたみ、改めてビンテージカメラ風フレームのQWを呼び出した。たくさん並んだ絵からカメラマークを選び、こっそりQSした。
「そういえば、みんなも昨日は遅かったわね。」
サクラにタオルケットを一枚かけてやりながら、しずえが言った。
「ニエット。大丈夫。」
ナスターシャは笑顔で答えた。「わたしたちはタシロアイランドのDCブースにいました。長旅をしたのはサクラと本郷さん、アサミだけです。」
「自分は大丈夫。明日は網地島CLも非番だし。」
「本郷さんウニありますよウニ、おいしいですよウニウニウニウニ」
サクラの担任の乱入で話はうやむやになり、ほどなく歓迎会もお開きになった。
泥酔と言えるほど酔っ払ったサクラの担任はそのまま阿部家に泊まることになり、本郷はナスターシャとゲルトルーデを学園の寮まで送っていった。
途中、学園に続く坂道の入り口、大網人長家の手前にある『スーパーまごや』の一角にある二四時間営業の『コンビニまごや』に寄って、貝最中アイスやずんだシェイクなどのおやつを買った。
それから、ゆっくりと坂道を登った。
「来て早々、大騒ぎですまなかったね」
ゲルトルーデの車椅子を押しながら本郷が言った。
「ナイン、エスワースパス。」
いいえ、楽しかったです。ゲルトルーデは首を回して本郷に答えた。
「こんな楽しいところだとは思ってませんでした。わたし、日本に行くよう言われた時、とてもこわかったです。」
「きみの国はどう考えてるかわからないけど、ここほど馬鹿正直なところはないよ。裏はない。ただ、TFPを止める、三〇〇年後の終末を止める、それだけ考えてるんだよ」
本郷は笑った。「もちろん、組織を運用するのにお金が必要だから、いろいろとやってるんだけどね。」
本郷がDG-TPの連絡用WIG・NMM号を持ち込みしてまで網地島CLで働いているのも、TFP潰しだけでは組織を運営できないからだ。厳しい話だが、公益特殊法人であるDG-TPは、独立採算性がその存続の大前提だった。
「でも、終末を止めなきゃ世界は滅ぶんじゃ?」
とゲルトルーデ。どうして明らかな危険の回避に予算がつかないのか? そこまで疑問に思ったものの、母国を含めたESZが去年、国連で行ったことを思い出して、言葉を失った。
本郷もナスターシャも黙り込んだ。
大網人長屋の灯りが切れて暗くなった坂を、二度ヘアピンカーブを曲がって登り切ると、メインストリートの両側に田代総合病院の窓明かりと、田代学園の寮の窓明かりが見えた。
「三〇〇年後の世界がどうなるかなんて、実際は誰も気にしちゃいないのかもな……。」
しばしの沈黙の後、本郷が軽い自虐気味な口調で言った。
「最大級地殻破壊、GDEDの論理的な予見は、T-TFPの核心、巨人の尾の絶対解。」
ナスターシャが本郷の言葉に異を唱える口調で続けた。母国の威信をかけての発言に聞こえた。
「その通りだな。GDEDを信じなければ、おれたちの仕事は無駄になるし、おれたちの仕事で、三〇〇年後に起こるGDEDそのものをなかったことにすることが、世界にとって理想の結末だ。」
しかしそれは、ゲルトルーデの母国が含まれるESZ、GDEDで大きな被害を受けず、地上最後の避難場所という売りで外貨を得ている国々の不利益でもある。
ゲルトルーデはそんな国からやってきた。
国連の専門機関による総括的TFP・GDED対応の是非を問う決議で、多数派工作を行い反対票を投じ、これを頓挫させたESZからやってきた。
だからDG-TP行きはこわかったのだ。
ゲルトルーデの母国が反対し潰えさせた世界規模のTFP対処隊『国連タシロ計画災害防衛隊は、結局、発案国の日本において、法的根拠を持たない独立採算制の公益特殊法人として立ち上った。
今、ゲルトルーデが所属しているDG-TPのことだ。
本郷は学園前で二人と別れ、改めて仁斗田の貸家に戻った。明日は網地島CLは非番だが、ヤタガラスの整備でタシロアイランドに行かねばならない。
(C)smcpせんだいみやぎコンテンツプロジェクト実行委員会




