27:空堀
流石に領国が揺るぐと、大軍と言えども動揺するようです。そして、いかに名将と言えど、手の内を読まれてしまえば負けるもの。今回の敵方殊勲賞は、何気に小河遠江守信安だったりします。
弘治二(一五五六)年長月二十八日
「府内で暴動……」
大友義鎮はその一報を聞くや、勢いよく立ち上がる。
「殿……ここは動いてはなりませぬ」
戸次鑑連が窘める。
こちらの手は悉く潰されている。はっきり言って、謀略戦は大敗と言ってもよい。交易を利用した内乱策は、平穏なはずの有明海にも多くの海賊(と称している五島水軍と戸次は見ているが)によって潰えた。日野家諸将への調略も散々だった。松浦と少弐は最早、表立っての活動はできない程の敗退……。
吉岡も散々な目にあっている。陶家に対して画策した一揆暴動は全て鎮圧、家臣団の揺さぶりに関してもほぼ全て封じられている。陶家からの逆撃については、見事なまでな完封を行っているので、けして吉岡が劣っているわけではない。
島津については、日向と肥後の国人衆が反発しているのに加え、土持、阿蘇、甲斐が奮戦している。先手として攻めてきた南肥後の相良と日向の伊東とは一進一退の攻防を続けている。
補給については……正直拙い。何故日野家があそこまで補給物資についても、補給制度についても充実しているのかわからない。
「ここで動けば、豊前戦線、肥後・日向戦線も崩壊いたしまする。」
そう。ここで、引けば大友軍は崩壊する。
持久策は失敗であった。これは素直に認めないといけない。戸次も吉岡も、日野家の底力を過大評価していたように見えて、過少評価をしてしまったようだ。
「正直申しますれば、当初は持久策が良いと考え、提言いたしましたが……某の眼力、衰えてしまったようでございまする。」
「言うな、伯耆。それを言い出せば、反対の余地があったのに、全てを受け入れ作戦案を承認しておる儂の責任にもなる。速戦でもよいが……」
義鎮は全ての責任を負う覚悟をしている。だからこそ、龍造寺山城守の持久策を採用した。若干甘く見ていたことも否定はしないが、それを押し付けようとはしていなかった。
「……引きますか」
「できるか?」
今引けば、大友領全土で不穏な動きに満ちるだろう。しかし、現在出陣している兵力が其々の土地に帰還すれば治まる。
問題は眼前の敵。おそらく我々の動きを全て承知しきっているに違いない。とすれば……。
「殿、迷わずお引き下され。某が身命を賭して殿を務めます」
「わかった……引き陣じゃ!!」
「山が……動いた!!」
大友の馬印が動き始めた。
「好機到来……と言いたいのですがねぇ」
空海が右手に見える自軍本陣を見ながら言う。
「戸次伯耆守がただの殿をするわけもないからな。」
既にこちらは密かに陣替えを行っている。中央に室町左衛門尉。守りの名手だ。
「おそらく戸次鑑連は本陣に突撃してくるであろう。だからこその室町だ。そして……敵が想定通りに動くのであれば……さらに策は練ってある。
「右翼に鉄斎と肥後守の二千、左翼……本隊三千五百が山肌に沿って並行追撃。光秀、清房の其々六百が先行して補給地点を焼討……」
「本陣はかなりの手薄ね」
「それも策だ。戸次は一点集中突破を掛ける。必ずだ。俺たちの気勢を削ごうとするだろうからな。そこが今回の策の肝よ」
俺は不敵に笑う。そして、密かに妙法寺砦から山中へと歩を進める。
弘治二(一五五六)年長月二十八日子の刻
元来、夜戦を好む将はほとんどいない。何気に成功率がそこまで高くないのと、練度の高い精鋭部隊を用いなければ、到底成功しえないからだ。
だが、日野家は夜戦を好んだ。流人から取り立てた直属兵は、他の軍兵よりも練度が相当高い。俺は「訓練はそこそこでよい」と思っていたのだが、何故か軍事的センスが乏しいはずの空海が、某軍曹張りの海兵隊式訓練で、「戦場より訓練が苦しい」とまで言わせる調練を行ったからだ。当然、その調練の中には夜間訓練も多く取り入れられた。厳しい調練であったが、食事と日当、そして休暇完全取得という凄まじい飴もあったせいか、日野龍哉直属兵は日野家一の精鋭と化している。
無論、ナイトスコープなど無い。そのため、夜目を鍛えるという方法を取られているが……これはそこまで即効性があるわけではない。ただ、他国の将兵と比較すると、かなりマシである。
「このまま無為に退却などできるか! 全軍、突っ込め!」
殿として大友家の戸次鑑連を大将、龍造寺家の小河遠江守を副将とした総数、凡そ七千が勢揃いした。
暗闇とはいえ、日野本陣には煌々と篝火が焚かれている。それを目指して突っ込んでくる。前哨戦として弓、投石などの投擲部隊の戦いが始まっているが、やや日野家が押され気味である。
「伝令、右翼前方の突破を確認!」
突破報告に勢いを増す大友・龍造寺連合軍。中下級指揮官が各々指示を出して、突破地点への集中攻撃をはじめる。
「……何かがおかしい」
小河遠江守が呟く。
何かは分からないが、凄まじい違和感を感じている。歴戦の将だけが有する勘だろうか。
「……そうか。」
してやられた、と渋面を浮かべる。
二月にも及ぶ長対陣で、今の倍にも及ぶ兵力で散々奇襲夜襲を掛けたのに、僅かの乱れもなかった敵陣が、今宵に限ってこのように突破できるわけがないのだ。なのに、この崩れっぷり……。
「……戸次殿は気づかれるかな」
ふと頭を過るが……伝令を出す暇もない。自軍が流されていくのを押しとどめるのに手一杯だ。
「やれやれ、ここまで露骨なのに気づかんとはねぇ」
室町左衛門尉が呟きながら、更なる指示を出していく。一点突破、しかも突破の箇所まで予測済みだ。これは当主の予測ではなく、左衛門尉の予測。
守りの名手は自軍の手薄なところと敵軍が狙ってきそうなところ、全てお見通しのようだ。そして、当主が指示してきた「策」も万全だ。
「二の冊も突破されました。」
「怖気づくな! 押し返せ!」
ただし、策の実施は敵軍が一の柵を突破してから一ツ。これは厳命されている。
「始まったようだな」
俺たちは三根城塞の激戦を背後に聞きながら、飯盛岳から東坂本まで軍を進めている。既に清房と光秀は俵坂の封鎖を終えている。後は中尾に親父たちの隊が到着すれば……殺し間の完成だ。
問題は……光秀と清房が封鎖を完璧にしすぎていないかくらいか・突破できるかも、と思わせた方がいい。五万近くの大軍だ。さぞ混乱してくれるだろう。
「あと一息で敵将の首を獲れるぞ!」
日野本陣に突入した大友・龍造寺連合軍は、そう叫びながら突入してきた。だが、そこで足が止まってしまう。
距離的にはもう四半町(約三十メートル)もない。だが、目の前には深さ凡そ五間(六メートル)にも及ぶ空堀が複雑に掘られていた。これが日野本陣に仕掛けた最大の策だ。ところどころに掘られた落とし穴が、大友・龍造寺連合軍の足を止めた。深さ五間の穴を埋める余裕はない。
対応をどうするか、を考えた瞬間、鉄砲の轟音が響き渡る。
「また鉄砲か!」
先の戦いで、龍造寺の完勝を防いだ鉄砲の出現に、恐れよりうんざり感が出てくる。
「撃て撃て撃て!」
既に鉄斎から新たな運用法を聞いている左衛門尉は、ひたすら代わり撃ちに集中する。落とし穴の迷路を脱出できる者はいない。避けようとすれば穴に落ちる。撤退しようとしても、後ろから続々と味方が迫ってくる。
「構え……放て」
左衛門尉は冷静だ。
「しかし……あやつも人が悪すぎる」
数日前
「叔父上」
「おお、殿。わざわざ」
床几から下り、膝を着こうとする左衛門尉を手で制して、対面に座る。
「例の策は?」
「順調ですが……うまく行くのですか?」
「問題ない。おそらくここに突っ込んでくる敵将は戸次伯耆守。というか、殿を担える将は彼の者しかおるまい」
「その読みについては信じておりますが……その者にこのような策が……」
「彼は一流の将だ。だからこそ、このような二流、三流というより、子どものいたずらめいた策の方が通用するのさ。そして、まともな大人がいたずらっ子に真面目に対応しようとすればするほど……ドツボに嵌っていくのさ」
最初こそこんな馬鹿馬鹿しい策、と思っていたのだが、殿の想定の展開となっている。左衛門尉は口元を緩め……すぐに気を引き締める。
「……放て!」
冊は無く、見通しはかなり良い。そして敵兵には投擲部隊はいても鉄砲がない。
「まさか柵なしの鉄砲運用が切り札とはねぇ……」
意表を突かれたが、なるほど、敵の投擲がない以上、鉄砲で狙い放題だ。
「引け! 引けぃ!」
「駄目だ! 味方が……がはっ!」
味方が目の前で頭を砕かれる様に、完全に大混乱状態だ。防衛をしようにも、竹束・板盾などは持参していない。突撃前提で軍を編成している。
「……おのれ、日野め……我ながら不覚よ」
戸次鑑連は前方で繰り広げられる惨状に歯噛みをする。今までにない大惨敗は確定だろう。
「伯耆守殿!」
「……遠江守か。不覚よ」
合流した小河遠江守が心配げに声をかける。
「いえ、当初の予定通りでございます。少なくとも、ここの敵の進軍はないかと思われますれば」
小河の言は至極真っ当なものであった。確かに、ここまでの空堀を掘れば、追撃は難しくなる。さらに、下手に追撃を行えば、日野側が逆撃を喰らう。いかにこの城塞戦で優位とはいえ、全体的な兵数は圧倒的に大友・龍造寺連合軍が有利だ。
「……暫時、撤退致す」
戸次伯耆守の決断であった。
「引いたか。追撃無用! 敵の撤退を確認次第、三根郷・法音寺郷、音無田郷の統治をはじめていく。準備を怠るな」
「俵坂が封鎖?」
配下の報告に、隆信は青天の霹靂であった。
「後方は盤石でなかったのか?」
「はっ、いえ……」
隆信の下問に、伝令は答えられない。
「落ち着けい、山城守。敵の補給を絶ち切るは定石。一気に抜けばよい。所詮敵兵は少数じゃろう。」
俵坂の封鎖は確かに物々しいが、日野家そのものに多数の兵力は存在しない。
「抜けるのか?」
「抜くしかあるまいて」
不安そうな隆信に、義鎮はどんと胸を叩き、堂々と言う。
「我らは五万近く。全力で押し通りませい!!」
「始まったか」
日野光秀が呟く。こう見えても実は初陣に等しい。ほとんど内政担当だったからだ。だが、戦に関する才については何故か日野龍哉も日野瞳も、西東空海も心配していない。さらに言えば、清房と共同歩調をとる以外は、特段指示すら貰っていない。
「構え」
光秀は信任厚いことに、傲慢なふるまいはしない。それすらも見通されている気分になるが、ここまで信頼されるとうれしい限りである。
「引きつけなくともよい。音に反応するじゃろう。犬みたいなものだ」
真面目な口調ながら、兵の士気を鼓舞するため軽口を叩く。
「撃て!」
「光秀も始めたか。こちらも始めるか」
僅かになだらかな坂道を挟むように布陣した鍋島清房は、光秀陣からの鉄砲音に呼応して、指示を出す。
「あわてんでもよい。じっくり狙って撃て。敵は十兵衛殿が引き付けてくれるでな」
と言うと、ゆったりとした動作で指示を出していく。
「それにしても、あの十兵衛殿は拾い物じゃのぉ。内政にも戦にも強い。行く行くは……直茂、お主の政敵となるやもしれぬぞ」
「百も承知。某が日野家で活躍するには、彼の者の働きを存分に知らねばならぬ故」
生真面目な直茂が、頷き答える。まだまだ若輩ながら、目指そうとする視線は高い。
「お主、義兄(龍哉のこと)に追いつこうとする気はないのか?」
ふと気になり、戦の最中であるが息子に聞いてみる。
「……殿は高みにあるというより、むしろ幅広く深い空堀の向こうから、こっちへおいでとしている感じがします。それ故、追いつこうというより……その……」
「イラッとする?」
「そう! そうなのです! あ……これは失言を……」
「いや、よいのじゃ。それが正しい。相当な回り道をして、時にはその深い空堀を埋め立てなければ決して追いつけぬ。高みならともかく、殿に追いつくのは至難と見ておる」
「……父上!」
「放て!」
ちょっとした油断で、敵がこちらにも押し寄せてこようとしていた。迷わず銃撃で追い払う。
「さてさて、殿はどの時点で合図を送ってくるかのぉ」
「始まったか」
日野龍哉が息を切らせながら、山中より密かに大友・龍造寺陣営を見下ろす。総数五万近くの大軍は流石に壮観だが……。退却の最中の為か、妙に落ち着きがない。
「今頃は戸次鑑連や小河信安は引き始めているでしょうね」
夜間山中行軍に慣れない瞳が愚痴っぽく言う。
「……そうだな。それにしても、総大将がこんなに苦労している軍なんて、ここくらいじゃないのか?」
「何を言っているんですか。館にいて戦に勝てるわけないでしょう。せめて陣頭で指揮くらいしないと兵が着いてきませんよ」
空海が手厳しく言うが、完全に疲れているので、言葉に力は無い。
「もうしばらく待つ。」
「御意」
「打ち崩せ!」
大友・龍造寺の進軍で、俵坂に設置された簡易柵や逆茂木は少しずつであるが崩されてきている。それでも、いくつもの柵と逆茂木で歩みは遅い。
「狼煙を上げよ!」
俺は機を見て、狼煙を上げさせた……。
『俵坂に布陣する兵を全て……下げさせる』ために。
続く