17:対峙
今回は地図はありません。ただ執拗に、ただ粘着質に……有馬いじめをしている回です。
天文二三(一五五四)年神無月七日
森山、日野龍哉陣
「……勝ったか」
俺は岩松の戦いでの勝利に安堵の溜息を洩らした。兵力的には有利であったが、短期決着になったのがありがたい。
こちらは名将と呼ぶにふさわしい有馬晴純が千八百の兵力を引き連れてきている。これは全兵力ではない。まだ、有馬義貞率いる後詰が同数位いるのではないかと推測している。
「あちらが勝ったとなると、多少はこちらが優勢になりますな」
楽観的な意見を吐く西東空海。その物知り顔の禿げ頭を無性に叩きたくなるのは俺だけではないはず。
「優勢と思うか?」
「え? 援軍が来るでしょ?」
「無理だわ。どう考えても」
分家とはいえ、有馬家の所領を削り取った……というのは短絡的な話。この後、それぞれの国人衆や村落などと交渉が待ち受けている。万が一、交渉に失敗しようものなら、二千近くの兵は泥沼な一揆に巻き込まれてしまう。当初は援軍、なんて俺も考えていたさ。でも、その辺の一揆対策をしなければ挟撃喰らって……なんてお断りだ。むしろこちらから鎮定のための援軍を出す必要性が出たらどうしようと思っていたくらいなのだから。
「大村領を鎮静化した上でだな。そんな簡単に行くわけないぞ。ただ、後背を然程気にしなくとも良くなったのがありがたいかな。」
森山の陣地から室町陣、そして遠くに見える隈の城と有馬晴純本陣を見るが……やはり緊張する。南肥前の名家。その名は伊達じゃない。それなりの政略と軍略でここまでの勢力を築いてきているのだ。
これは、ゲームではない。
愛野・隈の城、有馬晴純陣
「……嫌らしい場所に二部隊とも布陣しているな。」
地図と実際の布陣を見ながら、晴純が言う。そう、室町高次の陣も日野龍哉の陣も双方小高い丘の上に布陣している。何より……。
「水没まで行かなくとも、ここまで泥田状態だと行軍もままならない。」
ようやく雨は止んだが、水がなかなか引かない。よもや日野家の工作、などと思いたくはないのだが、ここまでの日野家の僥倖を思うと、ついつい用心深くなってしまう。
「幸い、日之江との輸送路に支障はない。徹頭徹尾、防衛陣を敷く!」
迂闊に動かば、虚を突かれ、隙が生じる。それは先の日見峠の戦いがそうだった。なので、ここでできる限り日野家に圧力を掛けたい。うまく行けば大村が逆撃して、挟撃できるではないか。
「万一、純忠様が敗れた場合は?」
「義貞を呼び寄せる。敵が援軍を得ても、互角だろう。ならば膠着だ。その間に伊東に使者を出し島津を牽制、大友や龍造寺、少弐や松浦衆などと誼を通じ大村に圧力を掛ける。」
晴純とてただ意味もなく出陣したのではない。隈の城の後詰と同時に、各地の国人衆にも圧をかける。それくらいの政治効果は考えている。
「この戦、焦れば負けよ」
「この戦、焦れば負けよ、と考えてくれればいいのだがねぇ」
俺は呟く。膠着状態、大歓迎だ。おそらく有馬は各地の豪族、大名と連携しようとしてくるはずだ。それのもう一歩上手を獲れるか……が勝負だ。
既に直接利害関係の無い大友に、遜った手紙を出し、出兵するだけで莫大な米の提供を提示している。阿蘇家に対しても同様の提示と阿蘇神道への寄進も行っている。五島水軍に対しては試作安宅を貸出、海軍力強化を図っている。
有馬の連携策より広く、実利的な関係を結ばせてもらっている。
「相変わらず出費は止まりませんなぁ」
銭については心配していない。既に利益が余裕で出る体制を作り上げたのだから。問題は人手の方だが……。
「専業兵だけだと、室町隊と合わせて千くらいに減りますが……」
俺の隊はかなり頑張って兵農分離を進めていたのが効を奏しているが、室町隊は無理だろう。幸い、領地が近いので交代で収穫に向かっているが、敵の圧が怖すぎる。
天文二三(一五五四)年神無月二十四日
森山、日野龍哉陣
「まずい……」
「大いにまずいですね、これは」
水が引いた有明川一帯を見て、俺と空海は焦る。高城までほぼ一本道に近い平野がつながってしまったのだ。
「一応計算通りとはいえ、難儀な戦いになりそうだな」
俺と室町隊は隈の城の対岸に陣を移した。迂回作戦を取られないように、三百程森山陣に残しているが……。
「鉄砲を出すには早すぎるだろうなぁ」
「まぁ、今の布陣からすると使いたくもなりますがねぇ」
有明堤の高さはそれそのものが頑丈な防壁でもある。ただし、範囲が広い。そこで機動防衛を行いやすいように対岸に布陣したのだが、鉄砲を使うにも範囲が広すぎる。
鉄砲は集団で一点を狙い撃つのが最も効率が良い。なので後の世では「殺し間」なんて物騒な言葉が使われたのだが、有明堤から撃つのは効率が悪すぎる。
「誘いをかけて死地に誘い込まれる、なんて期待はしないほうがいいだろうしなぁ」
「同感ですね」
実は移動直後に森山陣に強襲を掛けられている。幸い、室町高次が即断で戻り撃退しているが、防衛するのに難易度が上がっている。
隈の城、有馬本陣
「敵の防衛構想は崩れたものと思われる」
少なくとも水の壁はなくなっている。後は土の壁だ。息子、義貞が日見峠城奪還作戦で、土の壁を甘く見ていたようだ。だが、そんなに甘くはない。ならば、敵の弱点をを突かせてもらうしかあるまい。
そのように考え、敵の森山陣に四百をもって奇襲をかけた。事の他、順調に進み、あと少しで陥落、と思いきや奇襲部隊に奇襲をかけるという荒業を仕掛けてきた輩がいた。
室町高次。かつての日野家当主、且元の実弟にして、寡黙な重石と言われた男だ。安定感のある内政と軍事運営能力は、何度も調略をかけた程だ。その男による奇襲返し……仕方あるまい。
それにしても、あの日野龍哉という若僧、正直舌を巻く思いだ。日見峠の戦いの策を練り上げ、前当主且元の動きを完封し、我が有馬家に盾突く。相当な曲者と見た。
……大村が陥落したのは痛かった。僅か三日前に、行商人の姿をした手の者が陣に転がり込んで来たときには思わず狼狽してしまったからな。
純忠が首を討たれる、正直そこまで悲しいとは思わなかったのだ。戦で命を失うは不覚ではあるが、ある種武士の誉れでもある。命を軽率に、という者もいるだろうが、名誉を大切にする以上、戦場で命を散らしたは、大村家はおろか有馬家にも語り継がれるに違いない。
それにしても純久め、よくも裏切りおって。正剛(今は亡き伊佐早正剛のこと)が攻められた時に敵の背後を突いておれば、今頃こんな胃の痛くなる戦いをしなくとも済んだのに。まさか、信頼していた弟に裏切られるとは……そこまで想定していなかったので、かなり衝撃は大きい。
だがな、身内を裏切らせる者は、何れ身内に裏切られるに違いない。そうでなくとも、身内の謀反の可能性に脅えるがいいさ。
天文二三(一五五四)年霜月七日
「そろそろ敵にも兵糧の痛手が出てきているだろうねぇ」
俺は、そう嘯いた。まぁ、根拠があるわけでないが、肥沃な有明川周辺の半分を取られ、半分は水没している。かなり有馬領の相場は高騰しているはずだ。そこに、橘湾から大量に穀物を移動させ、一気に売りさばいた。さらに儲けさせてもらっている。
同様の事を有馬家も考えていたようだが、五島水軍が執拗に襲撃を加えたと報告を受けている。制海権はこっちにあるんだよなぁ。
「今度は大暴落しているでしょうねぇ」
空海が本気で嬉しそうに、暗く笑う。何といっても空海は元証券マン。相場の上下には相当興奮するらしい。一応姿はショボい僧の体裁を整えているので、破戒僧もいいところだ。
そう言っているが、高騰の後に暴落はつきものだ。直観的なところから、大体の底値を狙って、今度は買占めを行う。巧妙なのは、一括ではなく中小商人を複数使っての買占めだ。
有馬晴純は戦国時代の将としては有能であろう。それは認める。伊達に日之江、高城、伊佐早、矢上、大村等の諸地域を抑えていたわけではない。
だが、未知の経済戦を仕掛けられて対応できるのであろうか。
「高騰したかと思うと、今度は暴落か……城の兵糧はどうなっている」
「報告によりますと、銭は相当貯えができた、と報告があります」
「ならば、その銭全て使って、兵糧をかき集めろ!」
晴純は苛立っていた。戦をしており、相場が乱高下するのは仕方がない。だが、あまりにも動きが露骨だ。
「あの若造め、後方から崩すつもりか」
ある意味驚嘆のできごとである。あの小領の日野が有馬に対して、後方攪乱を仕掛けてきているのだ。しかも、その対応がとても早い。
「次に高騰しても、売り払うな。確実に罠だぞ」
現代の証券取引の経験など当然ないが、危機管理の能力はある。その能力が囁くのだ。この相場に乗るのは甚だ危険だ、と。
「さらに、日之江城の役人や、島原衆にはがんがん鼻薬を嗅がせておけ!」
調子に乗ってきた龍哉が次々と指示を出していく。それに対して、修正したり、さらに追加をしたりと空海も忙しい。
戦陣にいるはずなのに、やっていることは相場荒らしなのだ。
「戦で決着が着くのは後方支援を崩せるかさ」
そう俺は言い切る。補給無しで勝てた軍隊などありはしない。そして、戦略的に供給地点から補給地点までの道を潰すのでは無く、政略的に供給地点の物資を削り取る。これはかなり前から狙っていた策だ。
「空海、この策どう思う」
「いいんじゃないですかねぇ。人は死なないし、こちらは儲かりますから。敵さんは大混乱でしょうなぁ、こんな戦。」
「そりゃ南蛮交易で儲かるとなれば、日の本の土地ですら寄進する輩だからなぁ。」
史実の大村純忠の事だ。
「今や、撤退したくともできないだろうなぁ」
「そりゃ本拠地を荒らされてますからね、日野家に」
既に日野家によって相場を荒らされているのは有馬も分かり切っている。腹立たしいのは、戦と違い、表向きは中立的な商人たちの売り買いを規制できないことだろう。
「行商人や中小商人を切れば、その地は商売できなくなる。日野家にも同じように仕掛ければいいさ。俺たちは受けて立つのみ」
俺はそう豪語している。既に対策を練っているからこその豪語だ。
「そして、有馬は収穫期に無理をして農民を動員し続けた。日野家ですら兼業兵には交代で収穫のために戻したのにな」
「引けぬ戦い、と見ていたのでしょうが……ここで引いていたら我らは、また数年がかりでさらに面倒な謀略を仕掛けないといけなくなっていたでしょうからねぇ」
これは冗談ではない。有馬晴純は用心深い男でもある。血縁を使って地道に勢力を広げてきた存在だ。その辺は日野如水にも通じるものがある。そんな用心深い男をおびき寄せるために、有明川周辺を沈めるという暴挙に近いことをしている。そして、領地を空前絶後な策で荒らされた晴純は引くに引けなかった。引けば国人衆はもうついてこなくなる。
「この対峙の状態に持ち込むのが一番の至難の業でしたなぁ」
有明川を沈めるだけでは晴純は出てこない。微妙に沈めきれずに、抜かれると一気に高城まで出てこられるような沈め方をしてもだ。出てくるのは息子だろう。なので、かなり無茶をして大村を攻め落とした。しかも裏切り者の西郷純久が軍功第一位になるような策で。
他にも細々と、嫌がらせ、いたずらのような挑発も行った。
それが今の結果だ。
晴純よ、どうだ、俺が舞台に上がってきた感想は。おそらく、能をやっていたのに突然京劇が紛れ込んできたような気分でも味わっているか?
そして……相場が荒れても。お前らが兵糧を売らず貯める方向も予測していたとしたらどう思う?
「伝令!! ……日之江城下で暴動です。米問屋の米蔵で略奪、焼討が発生しています」
もちろん俺と空海の仕込みだ。日之江城下の民に様々吹き込ませてもらったからなぁ……。これでさらに相場が荒れまくるだろうなぁ。そして、冷静沈着な有馬晴純も、僅かながら父に及ばない義貞も……誤った判断を下すことになる。
「……日之江が荒らされとるのか」
「は、義貞様が懸命に略奪や焼討に対応しておりますが、同時多発的に発生しているので、即時の鎮圧は難しいです」
ちっ、兵糧確保をしておけばこの戦、地力で勝る我らの勝ちと思うていたが……。
「撤退する。隈の城は放棄」
講和など結べるか。散々なまでに挑発されまくったのだ。日之江を落ち着かせたら逆襲してやる……。
さらに誤った判断をした瞬間だった。
「追撃の心配は無用! 敵も疲弊しきっている。即時撤退、即時平定だ!」
この瞬間、日野家は有馬家に勝ったも同然の状況に持って行けたのだ。
「よっしゃーー!」
俺は思わずガッツポーズを取り、僅かに日数を空けての追撃を命じたのだった。
相場がここまで荒れるのか、ですが、軍事行動中の軍需物資の消費量は想定以上のものがあります。しかも、有馬家……刈り入れ時に兵を村に帰すことができなかったという大きな失態です。背後に供給してくれる同盟勢力がいてくれればよかったのですが……。




