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15:分断

何を分断するのか、です。

天文二二(一五五三)年如月十四日


「兵力はある程度整ったが……」

「敵がめんどくさいですな」

「後は西郷ね。あの動きが気になる」

 龍哉・瞳・空海の三人の謀議。いつもの光景であるが、深刻さは増している。

 盛大に袋叩きに合う状況ではないが、どうにも膠着状態が続いていたのだ。何らか、打つ手がないかとあれこれを知恵を巡らせるが、二正面作戦を避けない限りは優位に戦を進めることはできない。

 現在、宇木(現在の有喜)に室町高次が館を築き、東の有馬からの侵攻に備えている。また、八郎川周辺にあった矢上旧城を鎌倉一馬が改装して統治をはじめている。その北の、同じく旧城だった久山城には奈良東司が入り、大村湾からの支援体制を整えつつはある。


肥前国高城城周辺農村

「今日も普請工事か」

「でも有難いかぎりじゃ。賦役としてただ働きじゃなくて、日銭が出る」

「確かに、そりゃありがたいのぉ。」

「それに、先が鉄でできとる鍬だと、少しくらい固い土も簡単に掘れるからなぁ。」

「あの猫車ってのも便利だわ」

 日野家が行う土木工事は比較的好意的に受け止められていた。

 日野家は金払いがよい。その段階で、他国の領民から羨望の眼差しを集めている。自分の田畑がなければ……と思っているのも多いだろう。また、食事も出るが、これも豪勢なものだ。玄米のおにぎりに漬物、日によって変わる汁物(味噌汁だったり猪や鹿を使った鍋だったり)、濃い目の味付けがされた焼き物、煮物など。

「ずっとこういう工事続かねぇかなぁ」

「続いてほしいなぁ。こんな休耕期に稼げるなんて。昔は日之江や大村までもで稼ぎにいっていたのになぁ……」

 そうこうしている内に、時間を迎える。この日雇いは決まった時刻に始まり、決まった時刻に休憩があり、決まった時刻に終わる。

「手続きをしたら今日の日当を受け取ってくれ」

 顔見知りの番兵が声をかけて回る。日当を受け取り忘れる者はほとんどいないが、数少ない粗忽者は、何と純久様から怒られてしまうのだ。

 何故領主が直々に? と思うかもしれないが、裏はある。純久様は有馬家から日野家へと鞍替えをしている。日野様は仁君であると評されているが、厳しい方でもある。以前別の村で日当を誤魔化した者がいた。純久様の家来筋とも、日野様の御親族だったとも言われるが、その誤魔化したことが露見した際には、何と斬首を申し渡されたのだ。

 武士にとって切腹は名誉、斬首はこれ以上に無い恥辱とされていると、語り法師が言っていたが、日当を誤魔化した程度でここまでとは……。


天文二三(一五五四)年睦月十九日


「各地の工事は順調です」

 筆頭代官の私、日野希美が報告のために鳥屋城に登城する。

「……不正はないか?」

「……二度と出てくることは無いと思いますが」

 希美が以前、自分の配下が起こした不祥事に対して顰め面になる。

「そうか。姉貴、済まないね。直接関係ないとはいえ、厳しく詮議させて」

 龍哉は本気で済まなそうに言う。

 だが、申し訳ないのは私の方なのだ。

 龍哉、いや、殿は本気でこの小領主から大きく羽ばたこうとしている。その羽ばたきに、善政は欠かすことの出来ぬ大きな武器なのだ。

 武に対しては一通りできるか、できぬか、といった微妙な塩梅だが、この日野領をここまで発展させた才腕は空前絶後である。

 そして、何故ここまで? と思うほどに人を大切にする。配下の兵が戦や病、不慮の事故で無くなれば心底より悲しむし、豊作や技術改良が成功すれば大喜びするし、うまく行かない者がいれば自分事のように悩み考えてくれる。

 普通の人のようにも見えるが、それを慕う者が多い。

「殿、配下にそのような優しすぎることを申しますな」

 周りに聞かれたら面倒なのだ。だが、殿もそこは引かない。

「いや、これからも起こる可能性があるのだ。だからこそ、家中に対しては厳しくありたい。我々はあくまでも富の再配分を厳格に、適正に行わなければならない。家中の腐敗は絶対許さない……その姿勢を貫き通したいのだ」

 ……当たり前の事なのだが、ふと、自分の知らない弟の真摯さに圧される。

「……殿の良きように。」

「頼む。」

「して、高城の東。有明川の氾濫の件でご相談が……」

「うん、かなりの被害が出ているようだね」

 切り替えたか、報告書を受け取り確認し始める。こんなに所にこだわる領主も珍しい。

「……そうか、五人亡くなったか」

「はい、それで治水工事を行いたいのですが……」

「問題は隈の城か。」

 有馬方の国人衆が前線基地として急遽整備した砦だ。

「ここが動くと面倒なんですよねぇ」

 正直、どうしたらよいか困ってしまう。

 私には、内政については大きな権限を与えられており、下手したら軍権を握る三人の叔父よりも内政においては腕を振るわせてもらえる。もちろん、一人ですべてはできないから、適材適所を心掛け、本河内をはじめとした長崎商人衆の意見も聞きながら進めている。

 だが、軍権は一切ない。必要とも思わないのだが、敵の邪魔を受けた時などは攻め潰してやりたいと、極稀に、よく思う。

「……水が敵……水……攻め……無理……いや!」

 突如、頭を掻きむしりながら勢いよく立ち上がろうとし、報告書を踏んでひっくり返る。

「と、殿!?」

「ああ、大丈夫大丈夫。それより……瞳と空海、それと彦佐、正助を!」

「は、ははっ!」


「……水攻め?」

「違う、攻めるのが目的じゃない」

 瞳の呟きに、間髪入れず突っ込む俺。

「水攻めは城を水で沈めようとする唐国の戦術だ。某が考えているのは、人為的に洪水を起こさせることだ」

「……あの辺りの人々を巻き込む気?!」

 姉貴がまなじりを上げるが、手で制する。

「そこらへんは、うまく制御する。」

「どうやって」

「水は低き所に流れる、ってね」

 そういうと、俺は絵地図に線を引く。距離にして凡そ半里程。

「高さは……二丈。底幅四丈の大堤防だ。ただし、対岸には設置しない。普請は有明川より西側の農民に限定する。東側は一切入れない」

 俺が冷酷に呟く。

 東側に水が集中的に流れるように制御し、隈の城周辺を農耕に適さない地、泥沼へとすることが今回の作戦の主眼だ。 仁君など言われているようだが、それは他人の評価で勝手なもの。

 この作戦で狙うのは、あくまでも有馬家本隊の進行を遅らせることが主眼である。

 希美の表情が厳しい。悩んでいるんだろうなぁ。俺の厳しくも暖かいという普段の内政方針からすると逆の方針に。

「……普請に携わる人たちの安全は?」

 希美が本当に言おうとしたことは別の事かもしれないが、何とか飲み込んでくれたようだ。

「室町高次に合津の方から兵を送らせる。それと西郷家も二百程」

「この普請……敵の妨害をいかに防ぐかが肝要となると思います」

 瞳の言葉に頷く。

「希美様」

 瞳が希美に向く。

「不本意は百も承知なれど、殿の遠大な策のために、室町様の補佐として入っていただけませぬか」

 不本意とは二重の意味だろう。一つは肥沃な地を数年に渡り使用できなくする策の実施。もう一つは、武官の下に文官が配属される点だ。

 本来であれば、兵農分離と同様、職権分離も明確にしておきたいのだ。一か所に集中すれば専制化する。専制君主は良いが、君主を凌ぐ暴臣など要らないのだ。

「……承知」

 僅かな逡巡はあれど、明確に承諾する。

「空海」

「はっ、寺社勢力に鼻薬を嗅がせておけ。もう一つ、耳目を用いて有馬・大村を攪乱」

「人使いが荒いですが、承知」

「瞳」

「はっ」

 今度は俺が逡巡する。

「……此度の戦で大村を獲る。西郷軍を中心に布陣を行う。お主はそこの軍監として、彦佐、正助を……いや、阿部彦左衛門也茂あべひこざえもんなりしげ本河内生左衛門光輝ほんごうちせいざえもんみつてると共に行け。」

 希美、瞳、空海の三人が絶句する。

 巷間、西郷は再度裏切りをするに違いないとの不穏の噂がある。その地に、日野家の当主の懐刀を送り込むのだ。さぞ居心地が悪いに違いない。それどころか、噂が事実とすれば、命は無い。

 俺とてこんな指示は出したくない。だが、こちらの謀略とはいえ、寝返らせたのは俺なのだ。西郷一人の責任ではない。汚名を払拭する手助けくらいはせねば、民からの信奉があっても将が見放すだろう。

 信頼を形で示すとなれば、これ以上の手はないと俺は考えている。ただ……西郷が疑心暗鬼になり万が一瞳の身に何かがあったときは……一族郎党殲滅してやる。

「……承知」

 かなり長い間があったが、瞳も俺の意図を察したのか、承諾した。


 それからしばらくは、有明川周辺にかかり切りだった。耳目を巡らせ、敵の情報をできる限り遮断、または嘘の情報を盛大にばらまかせた。同時に行商人たちにも真偽織り交ぜたもっともらしい噂を流させた。

 同時に盛大に銭で人手をかき集め、突貫工事に突入した。下敷きは備中高松城の水攻めの際の工事だが、敵方も熾烈な攻撃を仕掛けてくる。

 意図は察していないのだろうが、敵方の何らかの工事に対しては妨害を仕掛けるのは当たり前だ。

 室町高次は少数の兵力を効率的に運用すべく、比較的高台から投擲攻撃を繰り返す。弓矢や石による被害は軽視できない。いや、七割の死傷はこれらによるものだ。そして、通常の槍よりも長くしたものも用いている。竹やりが多く混じっているが、この際、一つひとつの武器の威力でなく、廉価であろうが数で補おうとする戦術だ。そして、西郷家からの二百。何気に練度は高く、的確に敵の側面、後背に攻撃を仕掛ける。そのため、防衛戦は負けない状況に持ち込むことができた。

 だが、普請に携わる者たちの精神的疲労はあった。自分たちが戦っている分にはそれでもいいのだろうが、戦声を聞きながらの工事というのは気分のいいものではない。

 俺は作業効率を上げるために領内の工事の一時中断と交代制を取り入れる。休憩・休息は効率を上げるために最も手っ取り早い方法だ。

 まぁ、金が飛んでいくのだが。

 備中高松城の水攻めの際には八千貫文の銭がかかっているらしい。これが堤の土嚢だけの金なのか、それ以外の経費も含めているのかは分からない。それと比しても、この有明堤には金がかかっている。ついでに言おう……この戦が終わったら、この堤防は一旦崩す必要がある。

 治水のためには、両岸に溢れないように高さを調節した堤を建造しなければならないのだが、今回の戦では一切そんな計算はしていない。

再度計算しなおして、両岸共に安全になるようにしなければならない。


天文二三年(一五五四)年文月七日


……工事は成功した。本気で過労死するかと思った。だから、チートはどうなったんだ、と内心突っ込みを入れている。

 何はともあれ、敵の数えきれないほどの襲撃を捌き切り、堤は作り終えた。そして、合図の狼煙が上がる。

 遠くで轟音が聞こえる。

 降り始めて二週間、頃合いは良し。

 あっという間に、というほどの速さではないが、少しずつ水嵩が増していく。二刻後……。

 敵領の方に少しずつ水の範囲が広がっていく。雨に紛れているからすぐには気づかないだろうが、かなり広大な範囲が水没することになるだろう。

「高次」

「はっ!」

「さらに苦労をかける。敵本隊をここで足止めせよ」

「堤に逆茂木などの設置をお許しいただけますなら」

「許す」

「はっ、有難き幸せ!」


天文二三(一五五四)年文月二七日、矢上城


 俺は有明から一旦鳥屋へ戻り、兵を招集した。

 そして、千二百を連れて矢上城に前触れなく入場する。一馬は何も言わなかった。予見していたのであろう。

「では、配置を申し渡す。中央、西郷純久」

「は? ……承知!」

 思いもよらない中央配置に唖然とするが、謹んで受ける。

「左翼、奈良東司」

「承知」

「右翼、鎌倉一馬」

「承知」

「室町高次には引き続き有馬本隊の足止めを命じておる。同時に、橘湾方面は五島水軍や茂木水軍に命じて、矢上・宇木周辺への侵攻を足止めしてもらう」

「本隊は高城城へ布陣……各々……抜かりなく」

 俺の言に一同が『承知』と唱える。

挿絵(By みてみん)

 さぁ、どうなるかねぇ。前回は払暁強襲、火薬による誘い込み、正面強襲などで勝たせてもらったが、そう簡単にはいかないだろうなぁ。

 だが、大村を獲り、返す刀で有馬本領の一部でも切り取れたら勝ちだろう。できれば橘湾側と島原湾側で断ち切れたら今後の展開が楽になるのだが……。

 高城城の評定の間でのんびり茶をすすりながら、ふと考える。そして……。

「ん? 内政の時より暇になってないか、俺?」

と呟く。

 俺は後になって気づいたのだが、勝戦の時は暇になるようなのだ。おそらく、事前の準備が整っているからこそできることのようだ。

 今回は有馬本隊を動けなくしたことが鍵か。有馬の次、おそらくは龍造寺になるだろうが……どのような手をいくつくらい重ねて行けばよいのか……いや、皮算用はするまい。

 まず、大村を獲るそこからだ。


 史書によってまちまちであるが、有明川周辺の水没防衛については、堤防の工事による人為的なものではなく、たまたま起きた洪水を、策にしたてあげたのではないかと疑義を上げる者がいる。また、日野家の資産がそのように膨大なものであったのか、日野龍哉の当主就任から僅かな期間でそこまでの資金を出せるわけがないと主張する郷土史家もいる。

 このあたりの事について、詳しい書簡などが残ってなく、最近までは講談上の作り事と思われていた。だが、旧家の蔵よりある書簡が発見されたことで、この説が講談上の出来事でなく、ほぼ史実だったと証明された。

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