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火之国立志伝簡易年表

本文と一部年代が異なったりすることがありますが、歴史的な流れはこちらの年表が正確です。(但し、閑話については改稿していません)

転生、登録武将~火之国立志伝~

簡易年表

1:始動 2:仲間

天文一三(一五四四)年卯月六日

決意して一年間、日翔寺にて政策研究を行う。


3:変化

天文一三(一五四四)年水無月六日

 政策研究中

天文一三(一五四四)年水無月一六日

 北天翔地空と南海宙興、日野家へ仕官する。


4:内政

天文一四(一五四五)年卯月六日

 政策研究成果発表(品種改良・山地における田の開拓・検地・石堤防・重商政策・兵農分離)


5:外交

天文一四(一五四五)年卯月六日

 日野希美、日野龍哉の直臣となる。

卯月十六日

 如水、本河内と資金援助に関する相談を行う。

 島津との交渉開始

 日野瞳(月照)への謀略指南開始

るのさ」

天文一四(一五四五)年卯月二十八日 

島津貴久宛に日野龍哉より書状が届く。


6:停滞

天文一四(一五四五)年文月六日

 対国人衆対策の本格化

天文一四(一五四五)年霜月十六日

 日野龍哉宛に島津貴久より書状が届く。

琴海衆との会談

天文一五(一五四六)年睦月二十六日

 北九州への相場介入開始

 小規模交易(天草下須島経由)

阿部彦佐(琴海衆頭領三男)を登用

記録の文書化




7:難儀

天文一五(一五四六)年卯月一日

 方針変更を行う。島津との交易、石堤防の建造。検地・品種改良の期限を変更する。

 米・麦だけでなく粟・黍・稗、大豆、蕎麦の栽培への着手

 硝石の生産。

 定期的な猪・鹿・ウサギなどの狩猟と保存食化

困窮者・避難民対策を本格的に始める。

(山地開拓・扶持を現物支給・二年無税)

 西郷純久に調略をはじめる。

本河内家の嫡男、正助を登用。


8:転機

天文一六(一五四七)年卯月六日

 鹿の角(鹿茸)の売買開始

椎茸栽培の開始

孤児院の建造

戦専業集団の育成開始。

天文一六(一五四七)年皐月八日

 有馬家への兵糧操作を行う。

天文一六(一五四七)年水無月二十三日(閑話1:堅実)

 からすみ・干し海鼠・フカヒレ・味噌・醤油・麦焼酎・塩(入浜式)開発(済)

 アマモの養殖・真珠・鮑、衛生面の徹底、植林、竹炭、石炭、孤児院も含めた学舎の設立

天文一六(一五四七)年文月二日

有馬氏、日野氏に対して陣触れを行う。

文月八日、有馬家金毘羅山本陣(9:初陣)

大村純忠様、芒塚南東に布陣

伊佐早正剛様、芒塚西部に布陣。

有馬義貞、本陣より三百、伊佐早正剛に後詰

天文一六(一五四七)年文月九日

 日野家、作戦会議を開き、方針を決める。

 室町高次、日野龍哉に助言(10:離反)

9:初陣

天文一六(一五四七)年文月九日夜半

 日野龍哉、長崎街道沿いを東上する。

秘蔵部隊千と室町高次隊五百隠密行動で進軍。

日野家2500対有馬家6000の戦い

文月十日、深夜

払暁強襲に方針変更。

文月十日早朝

日野龍哉、日見峠城主の氷見頼興討取る。

日見峠城の改修。大量の逆茂木、竹束を設置

文月十日 午前九時頃

 有馬義貞、氷見頼興の訃報を知る。

文月十一日、正午

日見峠城突貫作業(逆茂木・竹束・土塀)

文月十二日、正午

西郷純久、宿町周辺で日見峠城陥落の報告を受け、動きを止める。

伊佐早正剛、芒塚西部で一進一退の戦い。

文月十三日、夕刻

 日野龍哉、日見峠城から密かに出陣。

有馬義貞隊、日見峠城攻撃に全兵力を回す。

日野且元、撤退開始。

 

10:離反

天文一六(一五四七)年文月十四日早朝

 日見峠城の防衛体制、準備完了

有馬義貞、徳田新右衛門四百を大村隊後詰に派遣。野平衆頭目、野平弥兵衛の二百を伊佐早正剛に派遣。

文月十四日、午後四時頃

 西郷純久隊、八郎川周辺での焼討対応で足を止める。

日野龍哉、阿部彦佐に五十を与え八郎川周辺の村落を焼討。同時に伊佐早正剛討ち取りの為に迂回攻撃の計画を策定する。

文月十五日、深夜

室町高次、日見峠城より少し下がった場所で、盛大に野焼き、火薬に火をつけ陽動を行う。

文月十六日深夜

西郷純久隊、矢上・宇木方面の治安維持のために後詰部隊の一部を派遣する。


文月十五日~十六日

 大村純忠隊、徳田新右衛門隊、日見峠城攻略作戦実施中。

 室町高次隊、決死の防衛戦


文月十七日夕刻

 伊佐早隊、野平隊、日野龍哉隊の奇襲を受け伊佐早正剛敗死。

西郷純久隊、撤退。

日野如水、日野且元を廃嫡し日野龍哉へ日野家当主の座を譲り渡す。


11:世代

天文一六(一五四七)年文月十八日早朝

 有馬義貞隊、日野龍哉隊と奈良東司隊の払暁強襲を受ける。室町高次隊逆撃に出る。

前当主、日野且元が日野龍哉様以外の全軍に召集をかける。

鎌倉一馬、奈良東司、日野龍哉の配下に下る。


文月十八日正午

室町高次、武功山突端砦で再編、日野且元に対して対応する。

 日野如水と日野龍哉、鳥屋城で日野家の今後について会談。

 日野如水、大瀬戸琴海へ転封。


12:温泉

天文一六(一五四七)年文月二十四日

日野龍哉・奈良東司・室町高次が桜馬場城の日野且元に対して籠城戦を仕掛ける。

文月二十六日

稲佐温泉の開発(済)

 食事の改善(炊き立ての玄米飯に、濃い目具材豊富な味噌汁、焼き魚、醤油、味噌の使用)

 山窩、河原者、行商人の増加。

 蕎麦栽培成功。

火薬生産体制整備。

日野龍哉宛に島津貴久から書状が届く

島津虎寿丸こじまる、家臣団と共に非公式訪問の伺い。

天文一七(一五四八)年睦月十七日

島津虎寿丸と家臣団、野母崎来航。大規模造船所等、鳥屋城までを移動しながら視察。

睦月十九日~睦月二十四日

島津虎寿丸、領内を視察しながら鳥屋城で過ごす。

二十四日から二十八日

日野龍哉と島津虎寿丸、伊王島にて秘密会談。

如月三日

 島津貴久、島津虎寿丸より帰国報告を受ける。

天文一七年(一五四八)年文月七日

 島津日野同盟締結

天文一七年(一五四八)年長月三日

 日野龍哉、単独で桜馬場城に向かう。


13:融和

天文一七(一五四八)年長月四日

桜馬場の変、終結。日野且元、鉄斎を号して隠居する。

天文一七年長月三十日

日野龍哉、鉄斎・空海・月照・紗耶香・希美による大転封会議を行う。

街道の整備開始

大瀬戸方面の開拓と産業開発の継続

天文十八(一五四九)年

龍造寺と少弐家で戦が始まる。




閑話2:心外

天文一六(一五四七)年葉月

 日野龍哉、鍋島清房の息女との婚姻を計画する。

 天文一八(一五四九)年水無月一日

鍋島清房息女、由姫と婚約。岳父の鍋島清房が配下に加わる。


14:課題

 武器改良の更なる発展。

 硝石作成のための厠の土の入替方法変更

 土壌改良(貝殻、魚骨、殺菌腐葉土の導入)

 陶磁器の研究開始


天文二一(一五五二)年

諏訪大社より分霊、鎮西諏訪大社建立。

 大宰府天満宮より分霊、風頭天満宮建立。

寺社保護と一向宗、基督教排除。

禁中並公家対策


15:分断

天文二二(一五五三)年如月十四日

 ひたすら内政。日野希美配下、不祥事を摘発される。

天文二三(一五五四)年睦月十九日

 有明川の氾濫を用いた策を考案する。

阿部彦左衛門也茂あべひこざえもんなりしげ本河内生左衛門光輝ほんごうちせいざえもんみつてる元服。

天文二三年(一五五四)年文月七日

有明川流域、水没。

天文二三(一五五四)年文月二七日

 日野龍哉、有馬家に対する陣触れを行う。


16:撃破

天文二三(一五五四)年 長月六日

西郷純久、岩松に布陣。

大村純忠、久原に布陣。七百で迎撃。

有馬晴純、千八百を率いて隈の城へ布陣。

天文二三(一五五四)年長月十六日

鎌倉一馬隊、西上針生へ移動。

天文二三(一五五四)年長月十九日

奈良東司隊、稗ノ迫から長瀬に移動。

天文二三(一五五四)年長月二十五日

西郷純久隊、肥前岩松陣から与崎へ移動


天文二三(一五五四)年長月二十九日

 大村純忠隊、撤退直前に鎌倉一馬隊、

奈良東司隊、西郷純久隊による突撃を受け、純忠討死する。

天文二三(一五五四)年神無月四日

 西郷純久によって大村城が接収される。


17:対峙

天文二三(一五五四)年神無月七日

 日野龍哉と有馬晴純、本格的に長対陣の構えに入る。

天文二三(一五五四)年神無月二十四日

有明川一帯から水が引き始める。

有馬家、日野家の森山陣へ奇襲をかけるが失敗する。

天文二三(一五五四)年霜月七日

 日野家、日之江周辺の相場に対して、大規模介入を行う。

天文二三(一五五四)年霜月二十七日

有馬家、領地で一揆発生のため隈の城放棄。


18:降伏

天文二三(一五五四)年師走一日

 日野龍哉、長女生誕の報を受ける。

天文二三(一五五四)年師走十日

 有馬晴純、日野龍哉に降伏。

天文二三(一五五四)年師走十五日

日野龍哉、娘と初対面。

 飛鳥西斗、明智十兵衛光秀を連れて帰参。

 飛鳥西斗、松永久龍に改名。


19:誤算

天文二四(一五五五)年睦月一日

 日野家新年会開催される。

 共同保育案、婚活の積極的な推進、新年の食事の口上」


天文二四(一五五五)年弥生四日

鳥屋城近辺の石堤防崩落事故発生。

総代官を明智光秀、日野希美を総代官補佐役へと降格。

天文二四(一五五五)年 文月九日

 明智光秀と日野希美、婚姻。

 日の本初の新婚旅行のため、薩摩に向かう。

弘治元(一五五五)年霜月一日

日野家に対して龍造寺、少弐、松浦、波多が連合を結ぶ。



20:突破

弘治元(一五五五)年霜月一日

日野龍哉、西郷純久を日之江に転封。これを機に純久から清久に改名する。

明智光秀、婚姻を機に日野光秀と改める。


21:飛鳥

弘治元(一五五五)年師走十七日

日野龍哉、島津義弘と日野紗耶香の婚姻を打診する。同じく長宗我部国親に、元親と星鳴の婚姻を打診する。

弘治二(一五五六)年如月六日

 長曾我部家との婚姻交渉断念。

流下式塩田技法、完成。

慶誾尼けいぎんに(隆信の母親)追い落としの為の工作を行う。

 弘治二(一五五六)年皐月十三日

龍造寺氏、日野氏に対して陣触れ。


22:迂回

弘治二(一五五六)年皐月十三日

 日野家、狼煙を用いた高速通信で龍造寺氏の陣触れを知り、即日対応。

弘治二(一五五六)年水無月一日

 龍造寺氏、鎌倉一馬隊と證誠寺を巡って攻防を行う。

少弐氏、針生島に布陣。

 松浦氏、大音琴おおねごと郷近くに布陣。

弘治二(一五五六)年水無月十九日

 針生島、鉄斎と少弐冬尚の膠着状態。

室町高次と松浦隆信、大音琴おおねごと郷で膠着状態。

 嬉野、鎌倉一馬が、龍造寺隆信と膠着。



23:【全面改稿版】 鉄砲

弘治二(一五五六)年水無月二十日

 日野鉄斎、鍋島清房と密計を策す。

弘治二(一五五六)年水無月二十二日夜半

 鍋島清房隊による夜襲銃撃により千葉胤頼討死。

日野鉄斎、針生島にて少弐冬尚に鉄砲連激戦を展開する。

弘治二(一五五六)年水無月二十三日夜半

 松浦隆信陣に日野鉄斎隊と室町左衛門尉隊が鉄砲夜襲を仕掛けて勝利する。

鎌倉肥後守、嬉野より撤退。





24:死闘

弘治二(一五五六)年文月二日

 日野龍哉、軍再編のため三根郷へ布陣。

 龍造寺山城守による猛攻撃開始

弘知二(一五五六)年文月五日

 本陣近くまで攻撃を受けるが押し返し、睨み合いへと入る。

弘知二(一五五六)年文月十七日

 日野龍哉、三根に今までで最大規模の野戦築城を行う。

 大友の参戦により、島津家及び陶家に援軍要請を行う。


25:他国

弘知二(一五五六)年文月十七日

 日野家、大友家を宗教面から北天翔地空が、経済面から南海宙興が謀略を行うように指示。

 奈良三郎、北肥前西部の平定のため転戦。

弘知二(一五五六)年文月二十七日

 大友家重鎮、戸次鑑連と吉岡長増による会談

 島津家、日向及び南肥後攻略を開始する。

 陶家、筑前へ出兵する。


26:搦手

弘知二(一五五六)年長月二十七日

 三根郷にて日野家と大友・龍造寺連合軍の長期戦が始まる。

納富但馬守及び小河遠江守への離間策を実施。補給地点の焼討。通信手段、補給路に遅延

慶誾尼、和睦のための使者として三根城塞に出向くが、無礼な対応で追い返される。


27:空堀

弘治二(一五五六)年長月二十八日

 大友義鎮、豊後府内館への撤退を開始する。

弘治二(一五五六)年長月二十八日子の刻

 大友家の戸次鑑連を大将、龍造寺家の小河遠江守を副将とした総数、凡そ七千が日野本陣に突撃する。策に嵌った戸次鑑連、撤退開始。

 俵坂の封鎖により大友家混乱状態へとなる。


28:小河

弘治二(一五五六)年長月二十九日

 俵坂を封鎖していた日野家の部隊が撤退を開始。

小河遠江守、鎌倉肥後守の隊へ対応。日野鉄斎、二百の兵をもって戸次・小河の兵に対して対応。

 小河遠江守信安討死

弘治二(一五五六)年長月三十日

肥前湯野田城へ戸次鑑連入る。



29:嬉野

弘治二(一五五六)年神無月五日

 日野家、肥前湯野田城に籠城する戸次鑑連に対して、矢文で投稿を呼びかける。焼き石投石機の運用開始。

弘治二(一五五六)年神無月十五日

 西郷清久、逝去。

戸次伯耆守鑑連、肥前湯野田の地にて討死。享年四十三才。


30:鹿島 

弘治二(一五五六)年神無月十五日

肥前鹿島城包囲戦の開始。

松浦郡と平戸、波多水軍の平定。龍造寺家の国人衆の離反。

龍造寺と大友を分断のため、日之江から肥後に牽制の兵を送る。

陶家、立花山への侵攻。

 日野家の統治に入った村落には三年無税。日当制で石堤防の導入、肥料の改良、作物用の種の配当、治水堤の大規模作成の命を下す。

経済戦のため塩を大量投入。

 ようやく流下式の塩を使う場面が出てきたわけだ。

協力的な寺社に対して銭を渡し、地方統治と教育を担わせて切支丹対策を行う、反抗的な寺社勢力の監視を行う末次興善(すえつぐこうぜん)島井宗室(しまいそうしつ)ら博多商人衆、堺衆や廻船問屋などと連携して大規模な相場戦を行う。

大友家筑後久留米城主の高橋鑑種(たかはしあきたね)調略。


第31話 覚醒

弘治二(一五五六)年神無月十六日

 西東空海、日野瞳と婚約。

吉弘孫七郎鑑理(あきただ)への調略開始。


弘治二(一五五六)年霜月十八日

 筑後久留米城城主、高橋鑑種(あきたね)が日野家の傘下に降る。

包囲戦本陣である肥前末光城に、吉弘左近大夫投降する。

12年でここまで勢力を伸ばしたのは、ゲーム的には遅いかもしれませんが、実際の歴史的には異常でしょう。豊臣秀吉の1582年から1594年までの流れは本能寺の変から山崎の戦いを経て、賤ヶ岳で柴田を滅ぼし、神戸信孝も滅ぼし小牧・長久手……版図は一気に広がっていますねぇ。その間に天正壬午の乱なども起きていたりするので、波乱万丈です。まぁ、本編で波乱万丈な状況に陥っているのは本当だったら九州三国志の一角を担うはずの龍造寺と大友でしょう。重臣鍋島を謀略で奪われ、五人いる四天王は死に、猛将に相応しい小河は撤退戦の最中死ぬ。龍造寺、不憫です。大友も不憫ですよ。日野龍哉が「切支丹気に入らねぇ」という理由で、宗教的に謀略を受けるわ商人と連携した経済戦で猛攻に晒されるわ、本当だったら死んでいるはずの陶からも攻撃されるし、史実だともっと後から躍進してくるはずの島津に攻撃されるわ。挙句の果てに高橋鎮種や吉弘鑑理は裏切るわ、吉岡長増は過労状態になるわ、戸次鑑連は死ぬわ……。

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