うごめくモノども 7
撤退信号が上がったことにより、命が助かった者がいる。
光則だ。
本気になったリンの猛攻は凄まじく、少年の命運は尽きるところだった。
左腕は腱を切り裂かれ、だらりと垂れ下がっている。
貫かれた腹からは、恥ずかしそうに腸が顔を覗かせている。
もっとも、リンの方もさほど変わらない。
砂剣で割られた右肩は折れた鎖骨が露出し、腹からも太股からも何本も石筍を生やしていた。
それでも、このまま戦い続けたら敗北したのは自分だったろう、と、光則は分析する。
リンという少女は、まだ底を見せていない。
「時間切れ。残念ね」
すっと左手一本で掲げた槍を降ろす。
「ぜんぜん残念じゃない」
視線を外さずに吐き捨てる少年。
「久しぶりに熱くなれたのに。つれないね」
「バトルマニアめ……」
「何言ってるの? 強敵と闘うことこそ武人の本懐でしょ?」
「俺は武人じゃない。ただの高校生だ」
かみ合わない会話すら、少女は楽しそうだ。
ショートカットの髪と紅潮した頬。
服がぼろぼろで血まみれでなければ、さぞ魅力的だろう。
「ミツノリ。これから私のことはリンと呼びなさいよね」
「初対面の女をファーストネーム呼ぶのは流儀じゃないと言ったはずだが」
「次にあったら初対面じゃないでしょ」
「……また来る気かよ……」
「ふふ。どうだろ? でもミツノリとはまた会える。そんな気がするの」
小首をかしげる少女。
青春映画のワンシーンみたいだが、満身創痍の状態で吐くような台詞ではない。
「そんな機会がないことを、切に願う」
「うふふ。私は尽くす女だからね。簡単には諦めないよ」
言って、槍で地面を突く。
助走なしの棒高跳びのように。
舞い上がった小柄な身体は、接近してきた翼ある蛇の背中に危なげなく着地した。
そしてそのまま八雲方面へと飛び去ってゆく。
右腕を突き出し、砂弾を放とうとした光則だったが、すぐに諦めた。
あっという間に射程外へ出てしまったから。
追撃するなという指示は出ていないが、わざわざ帰師を阻む必要もない。
「……そういうのは、尽くす女とは言わないと思うんだがな」
ぼそりと呟く。
本人はまったく気づいていないが、厄介な女に気に入られる体質なのである。
加速度的に損害が増してゆく。
最初の戦死者が出たとき、自衛隊の指揮官たる三浦陸将補はそう予感した。
そして予感は十秒後に現実となった。
立て続けに戦死報告が届いたのである。
その報告は、むしろ悲鳴に近いものだった。
怪物だとか。
殺されるとか。
いまさらである。
判っていたことだ。澪がモンスターの巣窟であることなど。
そしてモンスターどもは、脆弱な人間ごときに本気になったりしない。
「方針が変わったということか。結局、虎の尾を踏んでしまったな」
本気を出されないうちに頭を潰したかった。
つまり澪の王、巫暁貴の殺害である。
そのための転生者三名による強襲だったのだが、彼らの結果を待っていたらこちらが全滅してしまうだろう。
「撤退だ」
思考にほとんど時間を使わず、副官に命じる。
作戦は失敗だ。
凄まじいまでの胆力で見切りを付ける。
すぐに撃ち上がる撤退信号。
満ちていた潮が引いてゆくように後退してゆく自衛隊。
一糸の乱れもなく。
実戦経験のない名ばかりの軍隊とは思えない統制だ。
明確な目的を持って行動し、それが叶ったり、逆に不可能だと判断された場合には、ためらいなく後退する。
この場に魚顔軍師がいたなら、首相官邸のときのように、名将の戦いだとでも称しただろうか。
切り込んできた勇者隊が見たものは、整然と退却してゆく自衛隊の最後列だった。
「なかなかどうして。打つ手が速いな」
レイピアを持った勇者が嘆息する。
最も難しいといわれる退却戦を、いとも簡単にやってのけるとは。
「こちらも退くぞ。負傷者を回収しろ。敵味方関係なくな。助けられる限りは助ける」
淡々とした指示。
魚顔筋肉が近づいてくる。
「どのくらい死んだかな」
「味方が二。敵が十五というところだろう」
負傷者はその数倍だ。
二百名と三十四名がぶつかって、それだけで済んだのはむしろ少ないといっても良い。
「味方にも損害が……」
呻く信一。
突撃銃の弾丸程度で量産型能力者は致命傷を負わないが、それでも当たり所が悪いと死んでしまうのだ。
横から頭を撃ち抜かれたりとか。
ちなみに額で受ければ、痛いだけでけっこう平気だ。
第一隊の戦士たちはそのように訓練されているのだが、序盤において手加減した戦いを続けたため、思わぬ隙を突かれることとなった。
「俺が不甲斐ないばかりに……」
肩を落とす。
勇者がぽんとその肩を叩いた。
「その通りだ。次はしっかりやってくれ。敵を殺したくなくて味方を死なせるのでは本末転倒だ」
厳しい言葉が、だがこの際はありがたかった。
殺すつもりで襲ってくる敵を、手加減して無力化できるなどという考えは、ただの増長にすぎない。
「……すまん」
「謝るような事じゃない。俺たちの命はとっくに澪に捧げているからな。使いどころを間違ってくれなけれぱ良いだけだ」
右手を挙げ、去ってゆく勇者。
見送り、ぽつりと魚顔が呟く。
「実剛……おまえはいつもこんな気持ちで指揮を執っているのか……」
死ね殺せと命じるのが指揮官というものだ。
当主たちの使命の重さを、改めて痛感する信一だった。
「退いてくれたか……」
大きく息を吐いて、副町長席にどっかりと腰を下ろす暁貴。
庁舎は酷い有様だ。
窓ガラスはダース単位で数えなくてはならないほど割れ、壁面はひび割れ、前庭も駐車場も穴だらけ。
なんとか敵を追い返したものの、再建の苦労が思いやられる。
建物などは金と人手と時間さえかければ何とでもなるが、問題は人的資源の方だ。
「沙樹」
「街の方は被害なし。避難の途中で腰を打ったりしたお年寄りはいたけど、准吾くんが治療したわ。第二隊の誘導も迅速だったしね」
従兄に訊ねられ報告する蒼銀の魔女。
絶対に守らなくてはいけない場所は、なんとか守られたようだ。
「庁舎の被害は深刻ね。いま建設課が調べてるけど、たぶんここは捨てないといけないわ」
「だよなぁ」
補修でどうにかなるようなレベルではない。
新築するか改築するかしなくてはなるまい。
「人的被害はどうだ?」
「重傷者二十四。軽傷者は数えてないわ。もう治療は終わってるんで、みんな職場に復帰してる」
「死人が出なかったのは不幸中の幸いか」
「最初の攻撃が当たったのが相談室だったからね。たまたま誰もいなかったのよ」
「鉄心の方はどうだ?」
「こっちはもう少し悪いな。第一隊に死者が二名だ。敵の方は十四名だな」
「ついに死人が出ちまったか……」
唇を噛む。
戦う以上、犠牲が出るのは当然で、それをゼロにすることはできない。
いままでが上手くいきすぎたのだ。
「遺族に不自由はさせるなよ」
「判っている。第一隊には後顧の憂いのない者しかいないはずだが、係累がいないか改めて調査しよう」
「頼む」
澪唯一の戦闘部隊である第一隊。
いつかは犠牲者が出るだろうと推測されていたので、家族のいる者は除外している。
とはいえ、ことが人間関係であるため、この一、二ヶ月で恋人を作った隊員がいてもおかしくはない。
充分な補償が必要になるだろう。
もとより覚悟の上とはいえ、やはりきつい。
「各セクションは担当者の指示に従って、行政機能を復旧させてくれ。よほどの事がない限り現場の判断を優先しろ。いちいち報告は要らない。あと、建設課長には、プランがまとまり次第こっちに顔を出すように伝えてくれ」
最低限の指示を出し、疲れたように天井を仰ぐ。
犠牲は出たが、なんとか凌いだ。
次は……。
「頼むぞ……実剛……」
口中の呟き。
音波になるには小さすぎる。




