おかしな人たち 7
おおきく息を吐く芝の当主。
選択の余地などない。誰が好きこのんで、愛娘を萩の妾になどしたいものか。
巫と手が結べるならば、萩への臣従など考慮に値しない。
「だが巫の。この提案、貴様らにどんなメリットがある?」
「あ? ねえよ。んなもん」
苦虫を噛み潰したような暁貴の顔。
だから嫌だったのである。
巫に、というより暁貴にメリットなどない。これは救済策。一方的に芝を助けるための提案なのだ。
「なぜそこまでする……?」
「芝が萩に食われんのが困るからに決まってんだろ。おめーらが自分の足で立ってられんなら、それがベストだけどよ。そーじゃねえなら、俺らが支えて立たせるさ。芝にゃ生き残ってもらわんとなんねーからな」
それくらいは買ってるんだよ、と、付け加える。
「伯父さん……」
実剛の声。
軽く頷く伯父。
「けどな。婚約ったって本人たちの意思を無視しちゃなんねー。俺が提案するのは、あくまで親の決めた許嫁ってやつだ。実剛と絵梨佳ちゃんが本当に結婚するかどうかは、これからの当人たちの歩み寄り次第さ」
「つまり、時間稼ぎってことね。伯父さん」
美鶴が口を挟んだ。
巫と芝が手を結んだ。その証拠に次期当主が婚約した。と、対外的に見せつけることこそが、暁貴の策なのだ。
さしあたり、それで萩は表だって手を出せなくなる。
「そういうことだ。美鶴。俺の頭じゃ出てくるのはこの程度だな。お前さんになんか代案があるなら言ってみそ」
「……残念ながら」
首を振る女子中学生。
芝だけで萩に抗しえない以上、どこかと結合するしかない。
そして同盟の相手として、巫以外に選択肢がない。
せめて他に澪の血族が残っていれば、取れる手もあったのだが。
「あとは当人の問題ですね。兄さんはどうでもいいとしても」
「え? 僕どうでもいいの?」
「当たり前じゃない。婚約者がいようが、それが破棄されようが、兄さんの経歴にたいした傷はつかないでしょ?」
「傷だらけの人生だよっ!?」
抗議の声を上げる実剛。
妹が薄く笑った。
「絵梨佳さんより?」
「……いや、僕が間違っていたよ」
男と女では傷の付き方が違う。本来、間違った考えなのだが、婚約を破棄された女、というのは傷物という印象を与えてしまうのだ。
絵梨佳が晒されるであろう好奇の視線に比べれば、自分が受ける嫉視など論じるほどのことでもない。
婚約者ができたといっても、せいぜい学校で「ひゅーひゅーやるねぇ」と冷やかされる程度だろう。
だが絵梨佳は違う。
高校一年生で、親の決めた婚約者のいる少女。
どんな目で見られることか。
「好奇の目、蔑むような目、それはありかも……」
小さな呟きが聞こえた。
全員の目が集中する。
絵梨佳である。
何事もなかったかのように咳払い。
「わたしはかまいません。それで芝が救われるなら、この身に受ける恥辱など、むしろ望むところです」
立派な発言だ。
見事な自己犠牲の精神だ。
なのに、どうしてこうも感銘を誘わないのだろう。
一同が首をひねる。
席を立った絵梨佳が実剛の前まで進み、三つ指をつく。
「実剛さん。はつかねずみですがよろしくお願いします」
空気が固まった。
はつかねずみ?
混乱の小鳩が室内を飛び回る。
誰一人として、絵梨佳の発言が理解できなかった。
「……もしかして、ふつつかものって言いたかったんじゃ?」
おそるおそる美鶴が指摘した。
なんだろう。この人の義妹になるのがものすごく不安になってきた。
義姉ははつかねずみ。あたたかい家庭を築くより先に、きっとぴろしきに狩られるだろう。
「あ、それそれ。美鶴ちゃん頭いいねー」
「つしか合ってないからねっ!? ありえない誤用だからっ!」
美鶴のつっこみが炸裂する。
十三年生きて、こんなしょうもないつっこみをしたのは初めてだった。
「そもそも、なんで自分はネズミだけどよろしくって紹介になるのよ?」
「最初はふつかねずみだと思ったんだけど」
「そんな生物はいないっ」
「だから、あー これははつかねずみがなまってそーなったんだなーと。日本語って奥が深いよねー」
「私には、あなたの深淵が計り知れない……」
疲れ切った表情で美鶴がため息をつく。
「……ねえ、坂本くん……」
ぼーっと実剛が知己となったばかりの少年に話しかけた。
「絵梨佳ちゃんってさ……よく高校受かったね……」
「澪の奇跡のひとつだな。ほかの奇跡は女神の降臨とかだ」
「ありえないくらいの奇跡と同列なんだね……」
「つーか、この空気どうすんだよ?」
暁貴が問いかける。
全員が、自分に振るなとばかり視線をそらした。
同盟が成立した。
もちろん書面に残すような類のものではない。
あくまでも当主同士の口約束である。
だが、これが対外的に与える影響は大きい。
澪の裏事情を知るものならば、なおさらだ。
「琴美。わりぃけど少しばかり萩の動きを探ってみてくれ。沙樹と協力してな。俺らが同盟したからって、それで大人しく引き下がるようなタマとも思えねえし」
帰宅後、暁貴が琴美に依頼する。
沙樹というのは、彼女の母親である。
もちろん巫の眷属だ。
「判ったわ。でもそうすると実剛くんのガードが外れちゃうけど、それは良いの? 暁貴さん」
「あんま良くはねえんだけどな……」
もともと、美鶴の護衛には光が、実剛の護衛には琴美がつく予定だった。
巫の直系とはいえ、二人はまだチカラに目覚めていない。
襲撃などされたら文字通りひとたまりもないだろう。
「であれば、その任は俺が承りたい」
名乗り出たのは光則だ。
同盟締結後、真っ直ぐに帰宅せずに巫家に立ち寄ったのである。
むろん、今後の方針について暁貴の意見を聞くためだ。
「坂本くん……」
どういう表情をするべきか迷う実剛。
そもそも護衛が必要な高校生活というのは、どういうものなのだろう。
「光則で良いぞ」
「じゃあ僕も下の名前で頼むよ。それはともかく、学校って場所はそんなに危険だという認識はないんだけどね」
「……ふむ」
腕を組み、光則が暁貴を眺めやった。
自分が説明して良いのか、と、視線で問いかける。
頷くおっさん。
あきらかに自分の役割を放棄している。
「実剛は引っ越してきたばかりだっけ?」
「うん。昨日ね」
「それなら知らないかもだけど、大通に信用金庫があるんだ」
「知ってる。街にそぐわないくらいのでっかいビルだろ」
澪信用金庫。
道南に十店舗以上を構える一大金融機関だ。昨今では札幌や本州にまで進出している。
「あれの本店、この町なんだ」
「名前で、なんとなくそうじゃないかとは思っていたけど、ちょっと意外だね」
地域の中核を成す金融機関があり、それが隆盛を誇っているのに、町は貧困にあえいでいる。
おかしな話だ。
「べつにおかしくはないさ。やつらは町に何一つ還元しないからな」
それどころか、いくつもの会社や商店が食い物にされている。
人々を圧迫し、搾取し、まるで鬼畜の所行だ。
「そしてその支配者が、萩の一族だ」
「なるほど。ゴッドファーザーみたいだね」
「ついでに、その一人娘が、俺らと同じ学年にいる」
「ぐっは……」
そりゃあ護衛が必要なわけである。
「さらにいうと、彼の一族もまた能力者ですよ。実剛君」
信二が口を挟む。
澪の血族ではないが、萩もチカラを持っている。
それがどういう種類のチカラなのかは、いまのところ判明していないが。
「めんどくさい状況だってのは判りますよ。信二先輩」
やれやれと実剛が肩をすくめた。
平凡な高校生だったはずなのに、転居二日目にして権力闘争に巻き込まれてしまった。
「ともあれ、今後ともよろしくね。光則」
「任せてくれ。巫家には恩があるからな」
差し出された右手を、同年の少年が握りかえした。
その上に琴美も繊手を重ねる。
「じゃあ光則くん。私は二、三日動けないけど、よろしくお願いね」