僕、夏になったら海水浴に行くんだ…… 4
「馬糞の味がする」
一悶着はあったものの、説明会に参加した候補者たちは、全員が霊薬を飲むことを選んだ。
もちろん、あらゆる意味において飲んでも意味がない絵梨佳や琴美は飲まない。
そもそも、胸を大きくしたいから霊薬を飲もうとするなんて。
「アンジー姉さんはスタイル良いんだから、べつに気にする必要ありません。絵梨佳ちゃんだって今のままで充分可愛いんだから、変な小細工はしない。いいね?」
「はーい」
「ふぁーい」
実剛くん説教タイムである。
まったく、少しは佐藤教諭を見習って欲しいものだ。
そんなわけで、一口飲んだ奈月の感想である。
「馬糞を食べた事があるんですか? 先生」
「あるわけないでしょ」
鼻をつまんで一気に飲み干した奈月が、うええという顔をしながら答えた。
十年くらい前に売っていた、ポーションとかいう飲み物みたいな瓶を、こつんと机に置く。
「これで変わるの?」
「一週間くらいかけて、少しずつ体が作り変わっていきます。明日くらいから実感できるかと」
研究員の説明である。
「海岸掃除は来週。なんとか間に合いそうだね」
頷いた実剛。
ぐるりと量産型能力者となった者たちを見まわす。
「君たちは力を得た。でもその力は私利私欲のためにあるわけじゃない」
訓令だ。
面倒ではあるが、これはやっておかなくてはいけないことである。
「力のある者がそうじゃない人たちを無理矢理に従わせる。それがどれほど酷いことか、経験している君たちは判っていると思う」
自嘲を込めて言う。
彼らは支配される側から、支配する側の陣営に身を投じた。
力によって支配される屈辱を知っている。
「だからこそ、力の取り扱いには慎重になって欲しい。僕たちは強者で人間たちは弱者だ。そう思えば鷹揚になれると思う」
一斉に頷く量産型能力者たち。
彼らはもう超人だ。人外の仲間だ。
人間など、たとえば武装した軍隊だって片手で一個分隊くらいは叩きのめせるのだ。
そんな卑小で惰弱な人間どもには、慈悲の心で接しなくてはいけない。
「無抵抗である必要はないよ。尊厳を汚されたときは叩きのめしちゃって良い。人間ごときが澪の血族をバカにすることなど許されないからね。でも」
一度、言葉を切る。
「それ以外の戦いは厳に禁じるよ。破ったときは命をもって償ってもらう。巫に二言はないからね。肝に銘じておいて」
睥睨する。
片膝をつく新たなる戦士たち。
嬉しそうに鬼姫が近づいてくる。
「巫実剛。巫実剛」
「どしたの? 佐緒里さん」
いちいちフルネームで呼ぶのが面倒になったのか、実剛は呼び方を変えた。
「彼らに名前を与えよう」
すごい良いことを思いついた、という顔をしている。
「チーム名ってこと?」
たしかに三十名もいるのだ。なにか呼称があった方がよい。
「澪の女神ハイドラを守護する聖闘……」
「却下」
後ろから、光則がこつんとチョップを入れる。
「なぜだ? 坂本光則」
「元ネタが分かり易すぎるんだよ。あと量産型能力者は八十八人もいない」
「じゃあ冥闘……」
「数増えてんだろうがっ」
「ち」
「いま舌打ちしたなっ」
どんどん横道に逸れてゆく。
そもそも、その案だと佐緒里がハイドラの生まれ変わりという立ち位置になってしまう。名前的に。
「名称などどうでも良いの。萩にも量産型能力者の部隊があるだから、それを第一隊として、こちらは第二隊で良いのではなくて?」
奈月が言った。
まったくその通り、と実剛が頷く。
名より実を取る。これからの澪に必要なことでもある。
「……なんかあの先生の評価がうなぎ登りです。アンジーさん」
「……新ヒロインに抜擢ってところね。絵梨佳ちゃん頑張らないと」
「がむばりますっ」
どうでも良い会話を交わす旧ヒロインたちだった。
「扱い悪っ」
さて、学生たちがボランティアの準備を進めているころ、澪町役場でも重大な案件の処理が行われていた。
「町の上下水道を、完全に整備する」
副町長が言った。
長年の懸案事項である。
下水道が完備されておらず、未だに汲み取りの家も多い。
以前に美鶴が言っていた町を覆う悪臭の原因だ。
十年ほど前に合併した地区など、そもそも上水道すらないありさまで、井戸を利用している。
家が数戸しかないような集落ではない。
三千人以上が暮らす地区が、である。
戦後かよ、という声が聞こえてきそうな状態。
もう半世紀以上前の、栄養と衛生が最大のテーマだった時代だ。
「まず、これをなんとかするぞ」
暁貴の宣言。
なんとかしたいのは山々だ。
歴代の町長たちも苦労してきた。なによりもまず金がない。整備するだけの工事費が捻出できない。
すでに借金が二百億円以上あるのだ。
返済の目処だってついていない。
さすがにこれ以上借金を重ねるのは、財政破綻コース一直線である。
「この問題をどう片づけますか? 副町長」
総務課長が言った。
「金は何とかする。というより何とかなった。萩と寒河江が投資してくれる。融資じゃねえぞ? 投資だ」
澪の再開発費として、萩と寒河江が金を出す。
萩はともかく、寒河江には対価を払わなくてはいけないが、じつはすでに払っている。量産型能力者を生み出す霊薬のデータと開発責任者たる村井の身柄だ。
村井氏は自らの意思で寒河江に走ったのだが、政治的な取引の結果、技術供与という形に落ち着いた。
「額としてはな、ちょっと驚いて欲しいんだが」
もったい付けるようにいって周囲を見渡す。
大会議室。
町の幹部たちが勢揃いしている。
ごくりと息を呑む一同。
鬼の一族である萩と寒河江が、本気で人間社会を支援する。
どれほどの規模か。
「二百だ」
ささやくような声。
二百億円。大金ではある。北海道の年間予算の一パーセント近くに達するだろう。
だが、この町の借金はそれを超えているのだ。
現実を再認識し、絶望の表情を浮かべる町の幹部たち。
「おいおい。もっと驚いてくれよ。この国の年間予算の倍以上だぜ?」
「は?」
間の抜けた声を出す総務課長。
いま副町長はなんといった?
「二百だよ。二百。二百兆円」
何を言っているのか判らない、という顔をする町の幹部たち。
そりゃそうだろうと暁貴も思った。
昨夜、彼自身も同じ顔をしたから。
「二百兆円だ。二十兆ずつ、十年間に渡って投資してくれるってよ。鬼さんたちは」
投資である以上、利益が出たら分配しなくてはいけない。
だが澪に関しては利益など当面は見込めない。文字通り資金の提供になるだろ。
「ど、どこにそんな金が……」
あえぐような高木の声。
当然の疑問だ。
そんな天文学的な資金をひとつふたつの家が用意できるはずがない。
「簡単な理屈さ。俺はなんにももっちゃいねーけどよ。女神でも鬼でも、人間が猿とかわんねー暮らしをしてた時代からこの星に君臨してんだぜ?」
溜め込んできた財宝の山を一つ二つ切り崩せば、この程度の金は簡単に出てくる、と説明する。
重力の異常を感じさせる幹部たちの顔。
いつまでも夢幻の境地を彷徨わせておくことはできない。
ばん、と、暁貴が会議テーブルを平手で一打ちする。
「こっからが正念場だ。三年後にゃあ大企業が四つばかりこの町に拠点を置く。それまでに澪の改造を終わらせてなくちゃいけねぇ」
上下水道の整備だけではない。
道路拡張、企業団地の整備、住居の増設、交通網の整備。
やるべき事は数多く、時間は限られている。
「金がないとは、もういわせねぇぜ」
もう貧乏を理由にはできない。
幹部たちの顔に生気が宿る。
転機だ。
そして、千載一遇の好機だ。
ここで踏ん張れば、澪は必ず再生できる。
これを逃せば、この町には滅びしか待っていない。
高木と沙樹が頷く。
「いいか野郎どもっ! 金は必要な限り使ってかまわねえっ! 三年で最高の町を作るぞっ!!」
『御意っ!!』
幹部たちが一斉に頭を垂れた。




