おかしな人たち 2
少女たちが同時に間合いを詰める。
カミソリのような右回し蹴りと、舞のような左後ろ回し蹴りが衝突した。
はじき飛ばされるふたりの身体。
佐緒里は二転三転と蜻蛉を切り、絵梨佳はフィギュアスケートの選手のように横回転しながら宙を舞う。
再びの正対。
互いに息を整える。
「やるじゃない。芝の小娘」
「そちらこそ。萩の短慮姫」
動いた。
またも同時。
佐緒里のサマーソルトキック。
ミリ単位で回避した絵梨佳が前方宙返り踵落とし。
襲いくる右脚を崩れた体勢のまま左腕を振って払いのける萩の姫。
吹き飛ばされながらも、床を両手で叩き倒立開脚回転で、なおも芝の姫が攻めたてる。
ごうごうと空気が悲鳴をあげる。
目視するのがやっとの攻防。
大きくのけぞった佐緒里。鼻先ぎりぎりを通過する左足。
にやりと笑い、むんずと絵梨佳の足首を掴む。
「つかまえた」
そのまま右手を高くあげて吊り上げる。
逆さ吊り。
スカートがめくれ、下着が露わになった。
「絵梨佳ちゃんっ!」
思わず声をあげる。
「いやん。実剛さんのえっち」
間の抜けた返答。
そんなことを言っている場合ではない。
警告しようとした実剛が目を見張った。
掴まれた脚を支点にして蹴りを放ったのだ。
無謀である。
そんなものは、佐緒里が手を離すだけで解決する。そして彼女はそうした。
支えを失い絵梨佳が床に落ち……なかった。
手から離れた脚が、そのまま萩の姫の首を襲う。
重力すら無視したような動き。
事態の急変に、一瞬、佐緒里の動きが止まる。
砂時計から落ちる砂粒が考えられるほどの時間。
絵梨佳には充分だった。
両足で佐緒里の首を挟み込み、勢いよく後ろへと倒れ込む。
投げた。
リバースのフランケンシュタイナー。
見事な放物線を描き、佐緒里に頭部がリノリウムの床に激突してめり込む。
「かはっ!?」
萩の姫の口から微量の血が飛んだ。
白目を剥いて気絶する。
一転して立ち上がる絵梨佳。
「逃げますよ。実剛さん。みっつ」
視線を逸らさないまま、呆然と立ちすくむ男共に声を投げた。
彼女は知っている。
この程度の攻撃で萩の一族を無力化などできないことを。
今は気を失っていても、ものの数秒で復活するだろう。
この隙に凪兄弟と合流して、戦力を整えるのが上策である。
萩の能力者が多いことなど、気になる点はあるが凪信二ならばなにか解答を持っているかもしれない。
「う、うん」
「わ、わかった」
出来損ないの自動人形のように、かくかくと頷く実剛と光則であった。
この娘に逆らってはいけない、などと埒もないことを考えながら。
わずかに軋んだ音を立て、長距離バスが停留所に滑り込む。
降車した客は二名だけ。
実剛と美鶴である。
北国の空気と潮の香りが、つんと鼻を刺激する。
「やっとついたねー」
ぐっと伸びをする兄。
茶味がかった黒髪と同色の瞳。不細工ではないが、希少価値を主張するほど整ってもいない顔。
ありていにいって、普通の少年だ。
「この威圧感はどういうことなのかしら……」
妹が呟いた。
こちらは、はっと目を引くほどの美少女だ。
セミロングの髪と瞳は兄と同色。
一流の造型師によって作られたのでないかと思わせるきめの細かい白皙と、華奢な身体。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、装飾過剰すぎてどんな容姿だか逆に判らなくなってしまいそうである。
彼女の嘆きは、雰囲気が悪いとか、そういうことではない。
停留所の目の前に立っている建造物の話である。
それは観光案内所ではなかった。道の駅でもなかった。もちろん病院でも役所でもなかった。
入口がふたつあり、男性と女性を示すマークが貼り付けてある。
すなわち、公衆便所だ。
長距離バスを降りた客が最初に目にするのがトイレ。
「どういうことなの……」
観光事業というものを投げ捨てているとしか思えない。
「まあ、必要だとは思うよ? 生理現象だし」
実剛が苦笑した。
ないならないで困るのだ。
「判るけどっ 言っていることは正しいと思うけどっ」
釈然としない表情の少女。
もっとこう、色々あるだろう。せっかく街を訪れた客をもてなすための施設とか、閑静な公園とか、目を惹くオーシャンビューとか。
いきなり下の心配をされるというのは、なんだか納得がいかない。
「せっかくだし、僕ちょっと用を足してくる。荷物みてて」
言い置いて公衆トイレへと消えてゆく兄。
なにがせっかくなんだか。
バスの中にだってトイレくらいあったのに。
「あんたって人は……」
新天地にきて最初にすることが用を足すこと。
妹ががっくりと肩を落とした。
「お疲れさん。ようこそ澪町へ」
声がかかる。
肩越しに振り返った黒茶の瞳に映るのは、四十代中ばに見える男だった。
ぽつぽつと白髪が交じりはじめた黒髪と、ややふくよかな体つき。
父に似た面影。
巫暁貴である。
「迎えに来てくれたんですか? 伯父さん」
「地理不案内な子供ふたりに徒歩で家までこいってのは、ちょっとした虐待だろうからな」
にやりと笑う。
「ところで実剛のやつはどうした? ついたそうそう妹君の機嫌を損ねて札幌に置き去りにされたか?」
「それはそれで面白い展開ですけど」
微笑した美鶴が指さす。
「便所スタートとは、肝が据わってるな」
「どんなスタートですか。兄さんはバカなだけですよ」
くだらない会話を楽しみつつ荷物を暁貴の軽自動車へと積み込む。
「せまくてすまんな。独りもんだからコスト優先なんだ」
「いえ。実家には車すらありませんでしたし」
「東京だからな」
「こっちではやっぱり必要ですか?」
「ないと生活できんよ。ま、卵が先か鶏が先かは判らんがね」
「……なるほど」
一拍の時差で、美鶴は伯父の言葉を理解した。
皆が自家用車を保有するから、公共交通が発展しなくなる。公共交通が廃れてゆくから、ますます自家用車に頼らざるを得なくなる。
絵に描いたような悪循環だ。
こうして田舎の不便さは加速してゆく。
ふ、と笑う暁貴。
聡い娘だ。
わずか数語の言葉から本質を掴み取る。そんなことができる中学生は、いるのかもしれないが多数派ではあるまい。
もっとも、
「切れすぎるってのも苦労するかもな。こんな町じゃあ」
運転席に乗り込みながら小さく呟く。
「なにかいいました?」
ごく自然にナビゲーターシートについた美鶴が訊ねた。
「タワゴトさ。つーかお前さん。何のためらいもなく助手席に座ったなー」
「ここがいちばん広いですからね」
軽自動車である。
後部座席など飾りのようなものだ。
実剛と美鶴の荷物を放り込んでしまえば、座るスペースはほとんど残らない。
「鬼だね。アレはどうするんだい?」
指さす先には、公衆トイレから出てきた甥っ子。
途方に暮れたような顔で周囲を見回している。
当然である。
さて、暁貴の家は、停留所から車で五分ほどの場所にあった。
ありふれた庭付き木造サイディング二階建ての家屋である。
ここに彼は一人で暮らしている。
「お前さんがたの部屋は二階だ。四部屋あるから、好きなようにすみかを作ってくれ。二部屋ずつ分けるのも良し、一つの部屋に二人で住むのも良し。ただ、廊下に住むのだけはやめてくれ。邪魔くさいから。あと一人暮らしとはいったが、じつは他にも家族がいるんだ」
わけのわからないことを言って、家へと誘う伯父。
実剛と美鶴を出迎えたもう一人の家族。
玄関にちょこんと座っていた。
猫である。
「ぴろしきだ。スコティッシュフォールドなんだけど、なぜか耳は折れてないんだよな」
伯父の説明に頷いた美鶴が近づいて手を伸ばす。
人慣れしているのか、警戒もせずにぴろしきが擦り寄った。
「ぴろしきちゃん。可愛いお名前ですねぇ」
顔をとろけさせて撫で回す少女。
うむうむと大きく暁貴が頷く。
「だろう? 全俺が泣いた感動のゲームから拝借した、ありがたい名前だ。本家はシャム猫らしいがな、気軽にぴろと呼んで可愛がってくれ」
「…………」
腕を組む実剛。
彼は知っている。不幸なことに。
「ん? どうした実剛?」
「伯父さん……それってエロゲ……」
「それ以上はいけない」




