幕間 紅葉、桂子と千時2
紅葉は当てもなくただ逃げるように走った。
そして、人気の少ない事でコケる。
「――っ…。」
すぐに立ち上がろうとして、下を見れば鼻緒が切れていた。
紅葉は下駄を捨て走り出そうとするが、その手を掴まれる。
「よ、ようやく…追いついた……。」
肩で息をする詩音。
紅葉はビクリと体を震わせる。
「東雲さん、大丈夫?コケていたけど。」
「大丈夫。」
「本当に?」
詩音はそう言って紅葉を見る。
「あー、全然大丈夫じゃないじゃないか。」
鼻緒が千切れているし、指の間が擦り剝けている。
膝も擦り剝けているし、せっかくの浴衣も砂がついている。
幸いなのは少し着崩れているけれど、破れていないところだけだろう。
「……我慢強いのは偉いけど、それでも、痛みを我慢しずぎるのはよくないよ。」
「……。」
わなわなと紅葉の口が震える。
「言いたい事は言ってくれていいよ。」
「何で。」
「ん?」
「何で助けるの。」
「君が心配だったから。」
「何で。」
「あの時、君は泣きそうな顔をしていたから。」
「何で…。」
「何でだろうね。」
詩音は手を伸ばして紅葉の頬を伝う一粒のそれを拭った。
「放っておけなかった。」
「馬鹿じゃないの。」
「うん、そうかもね。」
「綺麗な人に腕を組まれてた。」
「綺麗?ああ、あの人ねあの人は別の人と恋人同士だから、ただただ、相手を煽る為に玩具にされてただけだよ。」
「……。」
「僕は君の方が綺麗だと思う。」
「……。」
「その浴衣来てくれたんだね、よく似合っているよ。」
「えっ、あっ、何で急に。」
「うん、落ち着いたようだね。」
紅葉は顔を真っ赤にさせて狼狽する。
「ごめんね。」
詩音はそう言うと紅葉の膝を抱えて持ち上げる。
「何をっ!」
「じっとしていてね、落とす気は全くないけど、それでも、バランスを崩すとどうなるか分からないし。」
紅葉をお姫抱っこした詩音は苦笑しながらそう言う。
「もし、東雲さんが嫌じゃなかったら僕の首に腕を回してくれるかな?」
「なっ!何でっ!」
「その方が安定するからだよ。」
「……。」
「嫌だったらもちろんいいよ。」
詩音の腕の中で紅葉は百面相をする。
彼女中である程度答えがでたのか、恐る恐るというように詩音の首に腕を回す。
「落ちたくないから、回しているんですからね。」
「うん。」
ゆっくりとした歩調。
しっかりとした足取り。
紅葉は心地いい揺れに涙が出そうになる。
「東雲さん。」
「ん。」
「あの人とは本当に何もないからね。」
「ん。」
「本当はさこのお祭りには来ないつもりだったんだ。」
「……。」
「君が嫌がる気がしたから。」
「でも、僕の選んだ浴衣を着た君が見られるかもしれないと、言われてさ…。魔が差してしまいました。」
「……。」
「…気持ち悪いよね、ごめんね。」
「……ない。」
「ん?」
「別にそんな事ない。」
「そっかー。」
「ん。」
「………東雲さん。いったん下ろすね。」
「………ん。」
紅葉は何処か名残惜しく思いながらも、頷く事しか出来なかった。
詩音はまるで壊れ物を扱うようにそっとベンチに紅葉を下ろす。
「ちょっと待っててね。」
そう言うと、詩音は何処かに駆け出す。
「……。」
ポツリと一人残された紅葉は顔を真っ赤にさせ、息を吐き出す。
「本当に何なの…。」
頭がぐちゃぐちゃする。
恥ずかしい。
嬉しい。
困惑。
泣きそう。
様々な感情が紅葉の中で渦巻く。
いつもならもっと感情を押し殺す事が出来るのに、彼の前だけはだめだった。
感情があふれ出す。
体が勝手に逃げに走ろうとする。
でも、心のどこかで喜んでいる自分がいる。
「どうしたんだろう……。」
訳の分からない感情に振り回される。
だけど、それを嫌だと何となく思えない。
一体どうしたのだろう。
紅葉は自分らしくない感情に翻弄される。
「東雲さん。」
「――っ。」
名前を呼ばれ顔を上げると眩いほどの笑顔がそこにあった。
「一人にしてごめんね。」
そう言うと彼はそっと膝をつく。
「膝のけがを見たいけどいいかな?」
はじめから浴衣のすそが乱れていたが、詩音は紅葉の許可を得ようとする。
「……。」
流石にそれは無理だと思った紅葉は首を横に振る。
「そうだよね。」
詩音は苦笑して、そして、紅葉に濡れた手ぬぐいを渡す。
「これで砂とか払ってくれるかな?」
「……。」
紅葉はコクリと頷いた。
「東雲さんは下駄の応急処置できるかな?」
「……。」
紅葉はその問いには首を横に振った。
「それじゃ、僕が応急処置をしてもいいかな?」
「……。」
コクリと紅葉は縦に振る。
「それじゃ、失礼します。」
まるで、壊れ物を扱うように紅葉の足から下駄を脱がせる。
「僕は少し離れたところでやるからね。」
そう言って詩音は紅葉に背を向けた。




