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朱蓮、視線の君と傍らの孤独

作者: 蒼久保
掲載日:2013/10/30

この話で使われるルビは、通常の【読み】と所々変えております。

誤読とは違いますので、ご承知おきください。

傍らには、孤独が常に漂っていた。


孤独というものに寄りかかっていると、ふと一人ではないのだと感じていた。

そういう、そういう人間であり、また、そういう奴でいた。

薄暗いが、いつも恐怖と焦燥を、呻き声と同じく、鼓膜に訴えてくる。

何も無い、正しくは其処にいるという実感がある場所で、

つまりは、なにも無い部屋、決して片付いている訳でもないのに、何も無い場所に

ずっと息をしているのだ。

息の仕方だけは、言われなくても忘れずにいた。

忘れないのは、それだけではなかった。





そう、それだけでは。





血の空、群青の雲、鋼鉄の風。

どんな美辞麗句ことば演繹あいなれない、衒学ペダンな場所に、

朱蓮しゅれんは、いた。


若くも老いもいかない、男。朱蓮は孤独にいた。



大きな灰色の谷底の小さな灰色の村に。更には岩場の方に、孤独と棲んでいた。


朱蓮は孤独を愛している。見えないその孤独という二人目の自分が、見えも、聞こえもしない

もう一人の自分が、とてもとても愛おしかった。そして、鬱陶いらいらしくもあった。

そう、そんな孤独がとても心地よかった。


村には、当然に人々が当然に暮らし、当然にそれぞれの幸福を求め、また得ている。

その人々の幸福にすら、いや、またその不幸にすら、朱蓮は興味も何も起こさなかった。

また同じように、当然、人々も朱蓮を忌み避けていた。ずっと、ずっと。

いつも、おこすのは欠伸あくびと溜息だけ。

何故、人々は無為に生き、死ぬと分かって無理をするのか。

そんな、哲学的な思想回路シンパシイも入る隙も無いほど、一人でいた。




灰色の谷の外側に陽が昇る頃、鋭角な形の朱鷺色ときいろが射す。

谷は、しかし灰色のまま。

人々は急かされるかのように、各々自慢おのおのじまんの人生の今日を歩く準備を始める。

ある者は、谷のそとへ。ある者は、家庭の中で食事を作る。

自慢の人生に歩を進める。

もう、お気づきの通り、朱蓮は起きない。そんな簡単に一日が始まろう訳がない。

朱鷺色が、そろそろと灰色に変わる頃、そっと目を覚まし出して、

ゆっくりと、傲岸ごうがんぞうが倒れるかの速度すぴいどでむっくり体を起こす。


今日もまた、息をしている。


朱蓮にとっては、今日という一日が始まることに何の意味も感ずる事無くいるという事は、

傍らの孤独から見ても、あたかも息をする死体であり、

孤独から感じれば、死体に同じだったという事で。

朱蓮は、仕方なくといった動作で立ち上がって、何も無い部屋の扉を開ける。

すると灰色の世界が飛び込んでくる。

何も変わらない、今日も何も変わらない。

いつもは、この灰色が段々と黒へ変貌おちて逝くのをずっと見続けているのだ。

そして、黒へ落ち着きだすと扉を閉めて、また眠りに着くのだ。

今日がその幾千幾万まいにちの日々の変わらない日であった。


眼光の先に映るものが変わっていなければ。


それは、朱蓮が初めて見る光景。


谷の岩場、大きな剣立つ岩の先に、ポツンと人がいたのだ。

普段から、谷底の村の更には岩場の方に棲む朱蓮が居る場へ、

誰某なにものも来ることは無かったのだ。


まぁ、今日のその時までは、という事になるだろうか。


薄ぼんやりと先に見えるその場へ、吸い込まれるように、朱蓮は、不思議とずっとその者を見ていた。


どうやら、朱蓮と変わらない、青年であった。

青年は、何するでもなく、方膝をつき膝に腕を添え顎を置いて、水面みなもを眺める様な

そんな視線だった。

正すと水面はないのだが、朱蓮には、そこに然もありなんと、そう思えた。

いや、見えていたのだ。確かに。


視線の先の者は、まだずっと虚空に目を投げつけている。


暫時の流れが、止まる。


と、朱蓮は声を出した。


「どうした」と。


なんとも、無機質なそんな声であった。朱蓮も自らの声を聞くことは余り無い。

自身も驚くような、冷たい、詰まらない声であった。

己の声に罵倒心ばとうしんぎる前に、青年から声がした。


「べつに、なにも」


朱蓮は驚いた。自分よりもっと冷たい、無機質な声の持ち主であった。

それが、朱蓮とその者の出会いであった。


「別に?こんな場所に来るものはいない。しかも私の周りには、寄りもしない。

 なぜ貴様はこんな場所にきて、またジっと何を見ているのか?」


朱蓮は、けだし思うおおよこれまでの人生の分、言葉を紡いだだろう。


「そうですね、疲れたのでしょう。此処は静かで、何も無い。村から灰色の世界が見えました。

 あぁ、綺麗な灰の世界だと、そう思うと此処に自然と来ていたのです。」


沈黙。


朱蓮には、不思議がまとっていた。今まで己の見えている世界が他の者に見えるとは、当然に

思っていなかったのだ。それも確かに興味も聞きも。

孤独を愛した己だけのものだった。


「灰が綺麗か?」


「どうでしょう、ただ、とても綺麗に見えたので。」


朱蓮は、いや、お互いは、それから何も言わず交わさなかった。

いつしか、辺りに黒のとばりが落とされ始める。

谷の外へ出て行った者は帰り、忙しく駆け回っていた子も帰り出す。

当然の人々が当然に。


しかし、この世界のたった二人だけが、当然のはこには居なかった。


黒に染まる瞬間、青年は、笑った。


ように見えた。


朱蓮は、静かに、心の中で、その者を視線のきみと名づけた。


きみよ、また来るのか。」



「えぇ、灰色を見に来ます。」


生涯の短い、約束であった。



これまで朱蓮は、孤独を愛した。しかし、視線の君と会い、話をしたことが

つまりは、孤独でない時間が不思議と不思議と嫌いではなかった。

傍らの孤独は、朱蓮が死体から息をする人になった。と、むせた。


明くる日、いつもの通りに灰色になってから、朱蓮は欠伸をしながら、むっくりと起きだす。

なにも変わらない、退屈で孤独な日の始まりであり、仕方なく扉を開けたまでは

いつもと変わらなかった。


しかし、開けた途端に昨日を鮮明に思い出した。

視線の君がいたのだ。あの岩場に。


「今日も来たのか。」と、声を出す。


「えぇ。」と、視線の君は、そこに居た。


「そうか。灰は変わらず綺麗か。」


「今日は、そうでもないですね。でも、来てしまいました。」


朱蓮は、視線の君をジッと見つめて微動にせず、視線の君も、此方を見ず、相変わらず虚空を

己の視線を彷徨わせていた。こうして、今日も黒が落ちてくるだろうか。


それから毎日、視線の君は、この岩場へ来た。朱蓮も同じに。


「君は、灰を見に来るのか。」


「いいえ、それだけではないです。ここが好きなんです。静かなんで。あなたは?」


朱蓮に会話という高尚こうしょうな力も無かった。

あったのは、孤独を知る溜息。

しかし、今は違う。視線の君は、明らかに朱蓮に問いかけたのだ。


「俺は……俺も、好きだ。ここは静かだし。なにより、煩わしくない。」


「そうですね。僕も此処が好きになっていきます。僕も孤独が好きに。」


不思議だった。視線の君は孤独と言ったのだ。

朱蓮は、日に日に孤独から遠ざかってゆくのを感じているのに、視線の君は、孤独を感じている。


朱蓮は、どこか、この一日を追いかけ始めている事に気がつく。

なるほど、谷の人々が追う世界が少し分かったような。

そんな、毎日が此処にあったように。


「君は、なんという名だ?」

たどたどしく、今までの無機質ではなく、一世一代の力を言葉に乗せて言った。


「――」


小さく唇から発せられた言葉は、朱蓮に届かなかった。が、それでよかった。


「そうか」


視線の君で朱蓮には、十分だった。


一方で傍らの孤独は、朱蓮を不思議がった。

之まで孤独を愛し、他の人々を遠ざけ、遠ざかり、等閑なおざり粗暴ぞんざい

捉えて、孤独を、孤独をただ孤独を求めていた者が、

何故、視線の君などという、空ろなものに近づいたのか。

傍らの孤独がそう思うのと同じく、朱蓮本人もまた、不思議でいた。

視線の君は、何故あそこにいるのか。

何故、あそこに来るのか。そして、なにより、何故私を避けないのか。

否、何故私は、避けないのか。



人という者の不思議さとでも言うのだろうか。

はたまた感情の不確実さとでも表現するのか。

之を興味と置き換える人も居た。

なにより、朱蓮はそのどれもに当てはまりもせず、正に、空ろこそ全てだった。


あれからどれほど経ったであろうか。

朱蓮は、それを日常に変えたのだ。


朱蓮は、視線の君を待ってさえいる。

他愛ない会話の種類は、多く。

灰の世界は、違うこと無く。それもまた日常として。


「今日も見ているのか。俺には、灰は美しくない。寧ろ君の方が、なにかこう……」


「あなたは、不思議な人ですね。毎日僕と話なんかして。」


「何、君の方が不思議だ。こんな場所に来て。詰まらない風景ばかりで。」


朱蓮の心に何があったかは知らないまでも、傍らの孤独だけは、しっかりと理解をしていた。


孤独だった朱蓮に、とうとう孤独ではない時がきた。

傍らの孤独は大きくうねった。



視線の君、それが朱蓮の孤独を崩壊させた。いや、傍らの孤独を殺しにかかったのだ。

今まで孤独を愛していた、朱蓮の心すらを蒸発させようとしていた。

何者とも知れない、そんなやからが私という孤独を消そうとしている。


朱蓮は、孤独と生きていたのだ。


それはどこまでも静かで、どこまでも空しく、そして美しい世界だった。


朱蓮もまた、迷っていた。これまでの世界に。これまでの自分に。

世界から隔絶され、孤独と一緒にいた、色の無い世界は、

たった一人の君によって砕かれてしまった。そんな脆い世界。

そして、それが居心地という快楽をも生んだ。

心は、恐ろしく渇いていたのだ。気づかないだけで。

これから先は分からない。いや、分かっていた。

孤独と戻れば、これからも先にこんな懊悩に駆られることも無い。

いや、外の世界の者たちが、他愛なく過ごしている事さえ、朱蓮には恐怖なのだ。

何せ、その先を夢想できない。いや、夢想してしまう恐怖。

孤独となら、それは少なくとも無い。夢想すらしない。



朱蓮は、己が望んでいるものが、孤独か君かもう分からなかった。


翌日、普段どおりの時に、またあの谷先の岩場を見にいった。

そして、いつも通りに君はいたのだ。


「涼しいですね。」

今日は、視線の君から声が掛かる。


「あぁ、そろそろ雨季がくるのだろう。」


短い沈黙


「そうそう、今日は、お別れを言いにきました。」


朱蓮には、その言葉の意味が分からなかったが、声にでた言葉を少しずつ溶かして

理解した。


「どうした。もうこの景色に飽きたのか。」


「いいえ、この景色の方がやっぱり好きなので。ここにずっといる事にしました。

でも、それにはあなたとお別れとなるのです。」


やはり理解できなかった。何を言っているのか?


すると、咄嗟の事で分からなかったが、視線の君は、あの剣立つ岩から、谷に向かい

両手を広げ、一尋いっぱいに広げ、あの一瞬の笑顔を、今はハッキリと浮かべ


「あなたのお名前は!」と大声で聞く。


何が行われるのか、この静かな場所には不釣合いの声が朱蓮をまた懊悩させる。

これは、違った懊悩だった。


朱蓮しゅれんだ!」

その大声を聞くと、


「ありがとう朱蓮。」


と、視線の君は、谷へゆっくりと堕ちていった。




なにがあったのか。なにがあったのか。なにがあったのか。




只今の光景が、この間の孤独を蒸発させた日常が無かったかのように、消えた。



谷はまた静けさを伝える。



朱蓮は、大声を上げて笑った。

泣き声の笑でもあったか。


外の人々は、その声を聞き、震えた。



朱蓮は孤独に戻った。



それから、また何の代わりも変哲もない日が戻る。


朱鷺色が射しても、起きない日常が。


しかし、朱蓮がはしっかりと息をしていた。


息をするたび、思い出していた。


あの視線の君を。




初めて生きていると感じた。息をしていると。




傍らの孤独が、そっと由りそうとするが、すでに朱蓮には感じなくなっていた。


そしてどうやら、灰も美しく見えてきた。


朱蓮は、寒くなって戸を閉める。



もうすぐ雨季がやってくる。


お読みいただいてありがとうございます。

なにより感謝いたします。


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