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6話「セッション」

暗くなった道を街灯が照らす。夜風はまだ冷たく、ひと気のないせいもあってか、薄着の体には少々肌寒く感じられた。やや速足気味に帰路を急ぐが、通い慣れた道なこともあり、現在地から自宅までの移動にかかる時間が容易に計算できてしまう。あと十分。たったの十分、徒歩で歩くだけのこと。その十分がいやに長く感じるのは心のあせりからだった。


塾からの帰り道、山吹和正は中学時代の旧友に出くわした。それ自体はいい。その旧友、田中夏目は東阪高校に通う友人の一人で、少々気弱な性格ではあるが、相手のことをしっかり考えて行動できる性根の優しい男だ。学校が違うことと、彼自身が部活で忙しいため、中学卒業以来はあまり会う機会がなく、ときどき真夏の計らいによって同じ集まりに参加することもあるが、それも数える程度だ。部活が終わって帰る途中だった夏目との偶然の再会に、つい会話がはずんでしまい、あたりが暗くなっていくのにも気付かなかった。


夏目とは自宅の方向がある程度同じなので、しばらくは一緒に歩けたが、やはりどうしても別れ道はある。友との再会はうれしかったし、久しぶりの雑談はたのしかった。だが、別れたあとのさびしさ、静けさはどうあっても、山吹に現実を知らしめる。なにもない道でも暗いとそれだけで見晴らしが悪い。見晴らしが悪いと、先になにがあるのかが見えない。先にあるものがわからないということはすなわち、うしろになにがあるのかもわからないということ。それは今の山吹にとって脅威でしかなかった。


帰りが遅くなったのは話し込んでしまったから。だが時間を忘れるほど話し込んでしまったのは、純粋にたのしかったからこそ。であれば、もはやそれは責められない。後悔などできようはずもない。ゆえに、山吹はただあせっていた。


頼りなく明滅を繰り返す街灯に照らされた十字路を早足に通過する。片並町は東部に商業地、西部に農業地があり、山吹は商業地からは少し離れた南部のほうに住んでいる。どちらかというと農業地に近い、閑静な住宅街だ。人通りがないのは日が沈んだせいだからというわけでもない。このあたりはいつもこうだ。


だからこそ、なにかあったらと思うと不安になる。今夜は両親が家を空けているため、帰っても誰もいないということを思い出して余計に不安になった。山吹自身はなにも臆病というわけではなかったはずだが、それでもここ最近は常に緊張状態が続いている状態なのだ。だんだんと心が弱ってきているのだとしてもおかしくはない。ともかく、どんな言い訳をしようと今このとき、山吹が不安に駆られているのは事実である。


足音がするのだ。


自分のものとは違う。少しうしろから追いかけてくるような。誰かの足音が。


それでも振り返ったときには誰もいない。気のせいだろう、考えすぎだろう、なにかを聞き間違えたのだろう。そう思いながらもうしろが気になってしまい、何度も振り向くうちに、遠くの曲がり角に隠れる誰かが、電柱のうしろに隠れている誰かが、ときどきちらりと視界に映る。気のせいではない。引き返して正体を暴くだけの勇気がなく、得体の知れない気味悪さにつきまとわれるばかりだ。そんな日々を送るうちに、精神は疲弊していく。


誰かがいるのはわかっている。なら、もはや振り返るのは時間の無駄だ。さっさと帰りついてしまうのが一番いい。背後からの気配は今日もある。いっそのこと、ここから全力で走って帰ろうか――と、思ったときだった。


とん、と誰かに肩を叩かれた。心臓が大きく跳ね、勢いよく振り返りながら後ずさる。


「わ、なんだよ、びっくりした」


「ま――」


真夏――よく知る顔に安堵する。西東真夏は制服姿のまま、手にコンビニの袋を提げていた。


「びっくりしたのはこっちのほうだ、真夏。こんなところでなにしてるんだ」


「なにって、夕飯。腹減ってきたからコンビニ行って、買って帰るところ」


真夏の家は両親が共働きで、朝早くから夜遅くまで家を空けている。なので、いつも夕飯は――朝食と昼食に関してもそうだが――自分でなんとかしているらしい。といっても、いつもコンビニやファストフードでしのいでいるだけの、健康的とはいえない食生活だ。山吹家は母親が専業主婦なので、朝も夜も、ちゃんとした料理が食卓に並んでいる。だからか、真夏が日常としている生活には異文化を覗いているような感覚があった。


彼の自宅は山吹の家からだいたい徒歩五分から十分ほどの距離にある。お互いの家が近いからこそ、それをきっかけに仲良くなったといってもいい。隣り合って歩きながら適当な会話をしているうちに、山吹は帰っても家に誰もいないことを告げた。自分の置かれた状況から来る不安を、そのひと言から理解してくれたらしい幼馴染は、ならばと本来の分かれ道を無視して山吹についてきた。


真夏と合流してからは先ほどまで胸中にくすぶっていた不安も消え、あっという間に自宅へ帰りつけた。帰った直後の家の中が真っ暗なのも、一人なら言い知れぬさびしさを感じただろう。いつもは帰って来れば、当たり前に家族がいる。今日だけ、たった一日の留守番で、もう高校生にもなるのに、まるで小学生の子どもに戻ったように心細い。


とりあえず一緒に夕飯を食べる話になったため、自分の部屋ではなくリビングに真夏を通した。テーブルの上にあったリモコンでテレビの電源をつける。見たい番組があるわけではないが、無音の空間はあまり好きではないのだ。真夏は一度だけ部屋を見回すと窓際に寄り、わずかに隙間の空いていたカーテンを閉め切ってからソファに座った。


「火曜の夜って、なんかやってたっけ」


テレビの話だ。


「さあなあ、九時からならドラマでもやってると思うが。……真夏、コーラとお茶、どっちがいい?」


「うーん、今はお茶」


「弁当、なに買ったんだ? 温めるか?」


「熱いの嫌だし、このままでいいや。お前、夕飯どうすんの?」


「母さんが作り置きしてくれてるから、それ温める」


「ふうん」


冷蔵庫から取り出した作り置きのおかずを電子レンジで温め、保温された白ご飯を茶碗によそう。食事と二人分のお茶をテーブルに運び、真夏の隣に腰掛ける。真夏がチャンネルをあちこちでたらめに切り替える。結局、彼の食指がはたらくものはなかったのか、もとのチャンネルに戻してからコンビニの袋をがさがさやりだした。


「真夏んところは今日も帰りが遅いのか?」


両親のことだ。真夏は弁当を開封しながらどうでもよさげに頷く。


「まあ、そうだろうな」


「お前の兄さんは?」


「さあ。バイトなのか遊んでるのか知らないけど、今の時間はほとんどの確率でいない」


「だいたい何時くらいに帰ってくるんだ?」


「兄貴のほうはまちまちだけど……十時くらいに帰ってくることが多いような。ま、帰ってこない日も多いけど。あれはそのうち刺されるぞ。遊んでるってのはつまり、女遊びだからな。連れてる女が毎回ちがう」


「親は?」


「……そうだな、いつも寝ようとしてるときに玄関で音がする」


「朝はどうしてる?」


「起きたらいないのがほとんど。……なんだ? 急に家のことなんか聞いて」


「ああ、いや――なんでもない。なんでもないんだが……毎日その、帰ってきたときや起きたときに誰もいない、家の中で誰にも会わないっていうのは……さびしいか?」


「思ったことないな。家にいる間は基本的に自分の部屋にいるんだから、他が留守だろうがそうでなかろうが、結局なにも変わらんだろ。たとえ同じ空間にいたところで話すこともなし。俺はむしろ、誰もいないほうがのびのびできていい」


「鍵っ子って、そういうもんか?」


「俺の場合はな。お前はどうだ、さびしいのか?」


「……うーん、まあ、今のほら、あのことがあるから余計にそう感じるだけかもしれないけどな。それを差し引いても、迎えてくれる人がいないっていうのは、物足りなさを感じる。あと、部屋が静かだと耳鳴りがしてくるだろ? あれが嫌いなんだ」


「お前、よく部屋で音楽かけてるからなあ。俺は一人でいるときは静かなほうがいい。静かな場所での耳鳴りなんて愛おしいくらいだ」


「愛おしいっていうのは、ちょっと大げさだろう。……あ、そういえば、例の告白の件はどうなったんだ?」


「ああ、断ったは断ったんだけどな、なんかいろいろあって、とりあえず友達からってことになった」


「へえ、よかったな」


「俺は別によくないよ。いや、悪いってわけでもないけど。で、俺の話ばっかりしてるけど、その後の様子はどうなんだ?」


その後の様子――もちろん、山吹のストーカーのことだ。食べ終えた食器を重ね、流し台に運びながら、うーん、と長くうなる。


「これといって変化はないな。まあ、悪いほうに変化があっても困るんだが」


「あれからも新しい盗撮コレクションが?」


「ああ、昨日も。家の前にこう、封筒の上に石を置いて……」


「置きに来るのを待ち伏せてみるか?」


「といっても、毎日必ず届くってわけじゃないんだ。二日連続で届いたり、かと思えば三日ほど空いたり。時間帯も決まってない。張り込むにはかなりの根気と時間がかかる。それに危険だ。相手がどんなやつかもわからないんだぞ」


「こんなことをするようなやつがマトモとは思えないからな。もしかすると刃物なんか持ってるかもしれない。いやなに、言ってみただけだ」


「刃物ってまた、物騒だな」


「その可能性がないとは言い切れないぜ? 向こうだって、直接自宅まで来て写真を置いていくんだ。それなりのリスクも承知の上だろう」


「なあ真夏、お前今日ここに泊まっていかないか。考えすぎだとわかってはいるが、さっき外で家に誰もいないって話、しただろ。もしどこかで聞かれていたらと思うと……なんか急に心配になってきた」


同感だな、真夏は苦笑まじりに頷いた。


「次の瞬間どんなことをしてくるかわからん相手だ。なにがあってもおかしくないんだし、警戒するに越したことはないだろ。これで俺が帰ったあと、夜中に窓を割って侵入してきてグサッ! とか、そんなことになったら俺も夢見が悪い」


「刺されるのかよ。いや、たしかにその可能性も否定できないけど」


「実際、ストーカーに刺された事件なんていくつもあるからな。考えすぎってわけでもないさ。なにかある前に警察に相談するのが一番だけど、それでもある程度は自分たちで自衛しないと」


そのあとは適当な雑談を一時間ほど、ほどほどの時間で入浴を済ませ、再びテレビのチャンネルをまわしていたときだ。真夏がまたあの盗撮された写真たちを見たいというので、部屋から写真の入った小箱を持ち出した。封筒につけられた日付の書いた付箋を見ながら真夏が言う。


「たしかに日が空いたりそうでなかったり、だな。全部で何枚あるんだ、これ」


「どうだろうな。百枚は下らないと思うが。……にしても本当に、なんの目的があってこんなことをするんだか。隠し撮りした写真を本人に見せるなんて」


「相手がお前を愛しく思っていようが、反対に憎らしいと思っていようが、そこに関しては共通しているんじゃないか? 『いつでもお前を見ている』っていうことを伝えたいんだろう。そうすることによって怖がらせたいのかどうなのかは、まあお前に向けられた感情によるが」


「どっちであっても、迷惑なのに変わりはない。はあ、せめて見せつけにこなければな……いや、盗撮を容認するわけじゃないが、なにも知らなければ知らないまま気楽にすごせたのに、と思って」


「そうさせないために見せてくるんだろ」


真夏は封筒に入った写真を一枚一枚、確認している。


「……ところで、どうしたんだ。またこんな悪趣味な写真が見たいなんて。まさか日付を確認したかっただけじゃないだろう」


「別に見たくて見てるわけじゃないよ。山吹、お前はこの写真を全部、すみずみまでじっくり見たか?」


「いいや。いつどこから撮られたのかもわからない、自分の生活を隠し撮りしたものだぞ。気持ち悪くてほとんどちゃんと見てない。昨日なんて、封筒の隙間からちらっと見て、中身が写真だとわかったらすぐこの箱に入れた」


「まあ、そうだろうなあ。あれからちょっと、気になることが――というかもう一度、改めて調べておきたいことがあって」


「調べておきたいこと?」


「といっても、なにかわかるかどうかは……正直、望み薄だ。わざわざ付き合う必要はないさ。先に寝てていいぜ」


「そうもいかない。他でもない俺自身のことだからな。お前にばかり働かせるわけにもいかない。なにを調べるんだ?」


「うーん、むしろ休んでほしいんだけどなあ。なんの収穫もなかったら俺が恥ずかしいだけだし。現状、お前のストレスもひどいもんだろ。心労の溜まり具合なんて、もう見ててわかるほどだ」


「お前は今の俺の状況を知っている。その先入観からそう感じるだけじゃないか? さっき外で、お前と会う前に夏目とも会ったんだ。あいつと話すのなんて久しぶりだったから、つい長話してしまって。でも別に、なにかあったのか――とかは聞かれなかったぞ」


「甘いな、山吹。夏目は、あれはあれで妙に鋭い男だ。きっとお前の態度から、ちょっとした違和感くらいは感じ取っていたかもしれない。はっきりと口に出来なかっただけだ。夏目はもともとそういうやつだろ」


「……そんなに弱って見えるか? 今の俺は」


「少し話していればわかる程度にはな。本当は、なんとなくでも自覚があるんじゃないのか?」


それは図星だった。たしかに山吹自身、少しずつ精神が弱っていくのを感じていたからだ。今日、一人になる不安から真夏を引き留めたのが、その最たる証拠と言えよう。普段の山吹なら、そもそも真夏をこうして家に招いたりしなかったはずだ。あの分かれ道で、じゃあまた、と言って別れたはずだ。


「いや、だとしても、まだ寝るには早い」


「そうか。じゃあ、テレビでも見ててくれ。こっちは俺が引き受ける」


「……ああ、なにかわかったら教えてくれ」


真夏が山吹になにも手伝わせないのは、きっと山吹に気を遣ってのことだろう。盗撮された自分の写真など、見たくもない。持っているのだって嫌だ。本当なら今すぐ全部焼き払いたいくらいだ。彼はそんな山吹の心中を察したように、山吹から写真を遠ざけた。


西東真夏はもともと勉強が得意ではなく、むしろ苦手としている。運動も、際立ってできないというほどではないが、あまり得意でなければ好んでもいない。持久力がないのですぐにバテる。きっと単純な力比べにしても、山吹のほうが強いと思う。人見知りをする性格で、人間関係に関して消極的だ。なので女から見ると――というか男から見ても――男としては、あまり頼りにならないだろう。


だが、なぜか。それでも、なぜか。ときどき妙に頼もしいのだ。頼りないはずなのに、頼りになんてならないはずなのに、なぜか。頼りにしたいと、こいつは頼れるやつだと、頼りになると。そう信じてしまう。


奇妙なやつだ――と、思った。

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