5話「コミュニケーション」
『先輩は普段、どんなことをしてすごしていますか?』
「普段は友達とゲームしたり、一人のときは本を読んだりしてるかなあ」
『私も読書が好きです。なにかおすすめの本があったら教えてください』
「俺が好きなやつでよければ貸すよ。あ、弁当おいしかったです」
『ありがとうございます、待っています。お弁当、これからも作って行っていいですか?』
「俺はありがたいけど、大変じゃない?」
『お料理自体はもともと好きなので、全然大変じゃないですよ』
「無理しなくてもいいからね」
『好きな食べ物とかあったら教えてください』
「すぐには思いつかないかなあ。大抵のものは好きだよ」
『まだ、もう少しお時間大丈夫ですか?』
「時間は全然大丈夫だよ。だいたいいつもヒマしてるから、気にしないで」
『ありがとうございます。私、もっと先輩のこと知りたいです』
彩とのメールのやりとりは真夏には少々新鮮だった。真夏がメールで誰かとやりとりをするときは、大抵なにかしらの連絡事項がある。伝えるべきこと、知らせるべきことがあるからその機能を使う。なので、メールで雑談がメインのやりとりをしたことがあまりなかった。そういうものは直接会って話したほうが楽しいからだ。
だが、彩との文章でのやりとりがたのしくないのかと言われると、それも少し違う。つまらないわけではない。双方ともに絵文字や記号などを使わない文面のため、やや淡々としたやりとりにも見えるが、むしろ真夏としてはそのほうが気負わず自然体のままに返信ができる。そもそも、真夏は人見知りをする性格なので、ならば彼女とは顔を合わせて雑談するより前に、こうした文章でのやりとりを続けて彼女の存在に慣れたほうがいい。でないと今日や昨日、彩と話したときのように、無理に平静を装うことになる。
女友達ならナズナや千秋をはじめ、他にも何人かいて、いずれも関係は良好だ。なので女子と関わるのがとことんまで苦手であるとか、異性との会話に慣れていないというわけではないはず。しかし真夏はやはり、この清水彩という少女への戸惑いを隠せなかった。異性の友達はあくまでも友達。彩の目的は真夏と友達になることではなく、それ以上の関係になることだ。彩が真夏を異性として好いている前提があるために、真夏もまた、彼女を異性として意識せざるを得なくなる。友になるのはそのための第一歩、通過点にすぎない。こういった関係には前例がなく、どうしていいかわからない。この戸惑いはそこから来ているのだろうか。
日常的ではない。真夏の日常にはこんな悩みはない。そもそも、悩みを持つこと自体がほとんどなかったのだ。こんな気持ちになることは、今までの日常ではありえなかった。変化を恐れているわけではないが、こんな形での変化は想像だにしなかった。
「どう思うよ」
「どう、って?」
「ナズナや千秋みたいな他の女友達と同じように接していいものか、そうでない、こう、もっと特殊な存在として扱うべきか……」
腕を組み、ううむと考え込む真夏の正面でくつろいでいるのは、茶色のブレザーに身を包んだ一人の少年。東阪の生徒ではない。彼の制服は同じ片並町にある西丘高校のものだ。しかし、レベルの低い西丘に通ってはいるがその実、学力的に言えば彼は片並にも通えるほどの秀才である。少年は真夏からもらったメロン味のアイスキャンディーをかじり、なんだか不服そうな顔をした。
「特殊な存在として扱うって?」
「なんというかな、ちゃんと異性として意識して、好きになれるように努力する……っていうか。いや、俺も自分で言っててよくわかってない」
「そりゃ、たしかにその子はお前が好きなんだろうけど、お前がそこまでその子に気を遣う必要はないんじゃないか? 自然にしてればいいんだよ。だいたい、好きになる努力なんてしなくても、好きになるときは勝手に好きになるもんだ。いつまでも好きにならなかったなら、そういうことだろ」
「白坂、お前そういえば彼女いただろ。相手を好きになっていくときって、どういう感じだったんだ?」
西丘の少年――白坂友人は食べ終えたアイスの棒を捨てながら眉間にしわを寄せる。
「その話はやめろ。フラれたばっかりなんだから」
「は? なんで、はやくね?」
「……愛が重いんだとさ」
「笑っていい?」
ため息とともに肩を落とす白坂。彼は真夏の幼馴染であり、親友だ。真夏は片並町の生まれではなく、小学生のころに移住してきたのだが、同じ幼馴染でも、山吹とはそれからの縁。白坂とはその前からの縁だ。この場合、なぜ白坂までもがこの町にいるのかどうかを気にしてはいけない。
この白坂は大変に面倒見のいい男で、誰かに尽くすことを快しとする性格だ。過保護ともいう。真夏はその反対に少々わがままであるため、常に誰かに頼られたい、必要とされたい願望のある白坂とは相性がいい。真夏にとっては白坂の奉仕属性は便利なものなのだが、慣れていない者や遠慮がちな性格の者からすると白坂の面倒見は重荷らしい。だがそれも、わからなくもない。正直、白坂の面倒見のよさに慣れていて、いつもいいように使っているはずの真夏でも、ときどき、そこまでするのはやりすぎだと思うことがある。重いと言われても仕方ない。
「いつだったか、ずっと前の彼女は……なんだっけ? 俺に構いすぎたのを浮気と勘違いされてフラれたんだっけ」
「そうだよ。理不尽だよなあ」
「笑っていい?」
「いいよ」
白坂の尽くしたがりの性格は、相手のためになんでもしてあげたいと思う優しい心――といえば聞こえはいいが、要は自分に依存して、自分を頼ってほしいという歪んだ愛情表現に他ならない。彼がただ尽くすことで満足していようと、尽くされる側にはその見返りをどう返せばいいか、いったいなにを期待されているのか、そういった不安やプレッシャーが施しを受けるたびに募っていくのだ。
「だからな、お前はなんでも頼りにされるとうれしいんだろうけど、それだけだと相手からすると心配になるんだって。相手のためになにかしたら、そのつど、お前からもなにか要求するようにすれば、重いとか言われなくなるだろ」
「って言われてもなあ、まるで相手になにかしてほしいから、俺がなにかするみたいじゃないか」
「それでいいんだよ。人は相手との立場が対等でないと不安になる。お前がひとつ、相手の頼みを聞いたなら、相手にもひとつ、なにかしてもらう。無欲なやつほど信用されない」
彼の場合は頼んでなくともなにかしてくるので、それが重いと言われているのだが。少なくとも、相手から頼まれたときくらいはなにかを要求するようにすれば、今よりは改善されるだろう。要求といっても、代わりに飲み物でもおごってくれとか、今度の週末にデートしてくれとか、そういう些細なことでいい。それだけで相手の心の負担はうんと減るだろう。それをしないから長続きしない。
「待てよ真夏。対等っていうけど、それだと俺がひとつに対して相手がふたつだ。俺の望みばかりが叶って不公平だぞ」
だが、そう、彼にとっては相手になにかしてあげること、それ自体が既に見返りである。そこへさらになにかを求めるのは公平ではないと。彼はそう言いたいのだ。だから重いと言われるのがわかっていない。
「お前と話してると頭が痛くなってきた」
「なに、熱はあるか? せきやのどの痛み、身体のだるさは。そういえば前に蓄膿症が原因で発熱したことがあったな。今年は春先も調子がいいみたいだったけど、アレルギーの薬はちゃんと飲んでたか? いや、まだ五月とはいえ最近は暑いから……めまいや吐き気は? 最後に水を飲んだのはいつだ」
白坂がべたべたと無遠慮に真夏の頬や額をなでまわして体温を確認する。真夏はうっとうしそうに彼を押しのけた。
「ただの比喩だよ。お前よく他人のことでそこまで頭がまわるよな」
この男は少なくとも真夏にとっては、基本的に便利で都合のいい良き友なのだが、ときどき本当に気持ち悪い。真夏が呆れていると白坂は首をかしげるが、すぐにはっと気が付いた。
「……って、今してるのは俺の話じゃなくて、お前の話だろ。真夏」
「そうだけど、俺がお前に質問したらはぐらかされたんじゃん」
「はぐらかしてはいない。その話はしたくないって言っただけで」
「なんとなくでも好きになりそうな気はしたもんか? それとも、まるで予想してなかった?」
しぶる白坂の声を真夏はまるで聞いていない。白坂はため息をついた。
「……正直、まあ、ふとしたときに、俺この子と付き合うことになりそうだなと思ったことはある。たぶん、そのとき既に向こうが俺を好きで、俺も無意識にそれを感じ取って、自分でも気付かないうちにその子を気にしたり、いいなと思ってたんだろうな」
「へえ」
「真夏はそういう感覚、経験ないか? お前自身の話じゃなくても、友達とかクラスメイトとかで、なんかこの二人そのうち付き合うことになりそうだな、って根拠もなく思うこととか、思ってたら実際にそうなったとか」
「ああ、他の人を見てて思うのはあるかも。あとまあまあ似たようなことも」
「似たようなことって?」
「なんかそのうち、この子に好かれそうな気がするな、と思ってたら本当にそうなったことならある」
「それは、ああ……なんとなく誰のことかわかった気がする。たぶん、そのうち好かれるかもじゃなく、既に好かれてたんだろ。その逆は?」
「逆? 思ったけどそうならず、ただの自意識過剰だった場合? ないよ。まずそういう感覚になること自体が」
「いやそっちではなく。この子を好きになりそうな気がすると予感したことは?」
「それもない。女子でもなんでも、まず最初に友達として仲良くなるだろ。でも友達として認識しちゃうと、好きにはなるけど、どうしてもそういう意味での好きにはならないんだよなあ」
「じゃあ誰かにひと目惚れしたことは?」
「あんまり人の顔とか覚えられないからなあ。そもそもまっすぐ相手の顔を見ることも少ないし」
「わかった、お前あれだ、恋愛に向いてないわ」
「そうだよ。向いてないのにこんなことになってるから相談してるんじゃん」
「真夏は悩んでもすぐに自分で答えを出せるタイプだからな。そのお前がいまだ悩んでいるということは、それは答えが出ない、どうしようもない問題だということ。これは本当にまれなことだな。どうしようもないとわかっていても、なにかはっきりした答えがほしいんだろ?」
さすが、今までの人生の大半をともにすごした幼馴染は真夏のことをよくわかっている。真夏はなにかしらの悩みに直面してもすぐにどうするべきか、どうしたいかの答えを出せる。だから今まで、悩みというほどの悩みなどほとんど抱えたことがなかった。
「そう、答えがほしい」
どうすればいいのか、その問いにはいつも必ず、こうすればいいのだという答えがあった。自分自身で答えを出せた。だから答えが出ないと――不安になった。真夏は大抵のことは気にしない能天気な男であるが、それでもはけ口となる場所は必要だ。そして多くの場合、それは白坂の役目なのである。
「なら、そうだな。俺が出せる答えとしては、お前は自然にしてていい。いつもどおり、他の友達と同じように接していい。でもときどき、その子が異性であることを思い出して、ちょっとだけ特別に扱う。……そう、新しいカテゴリを作るんだ。ただの友達とはちょっと違う。でも、好きな子でも恋人でもない。だったら新しい枠組みを作ってその子をそこに置いておけばいい」
「新しいカテゴリ」
その言葉はなんだか――自然と腑に落ちた。心に巣食っていたどうしようもない気持ちが、すとんと収まった気がする。白坂にしてみれば偶然出た言葉だったかもしれないが、真夏にとってその解答は青天の霹靂だったと言ってもいい。
「ああ、それは――盲点だった。そうだな、今までに前例のない関係の子なのだから、新しい枠組みが必要なのは当然だ。既存の枠に押し込もうとするから据わりが悪いんだ」
「お、答えが見つかったか。ならよし」
ところで――白坂は背筋を少しだけ伸ばして表情を引き締める。
「例のストーカーの件、あれはどうなってる?」
例のストーカー、というのは蒼と山吹のことだ。誰にも話さないつもりではあるが、真夏は白坂にだけ、このことを話している。それだけ彼のことを信頼しているからだ。この男の脳ミソを借りたい気持ちもあった。白坂は蒼たちと面識はないが、真夏がいつも写真なども交えて彼らのことを話しているため、だいたいどういう人間なのかは把握しているので、相談自体に支障はない。
「現状、どうにもならないな」
「お前がなにかするにしても、準備と時間が必要だ。俺もできることがあれば協力するけど……念のため、もしなにか――なんでもいいからとにかくなにか――するときは、俺にも伝えてくれ」
「なにか、なにか、ねえ」
なにかしなければならないのだ。
「真夏、俺はお前に余計なストレスを与えたくないんだけどな」
「待て待て、たしかにこれは俺の身に余る事態だ。不安もあるしストレスといえばストレスだろう。でも、余計なものかどうかはわからないぜ?」
覚悟が決まったかどうかはわからない。ただの強がりかもしれない。だがそれでも、直接の被害者である蒼や山吹はもっと不安なのだ。ならば、せいぜいそれが軽くなるように尽力するのが友としての役目だろう。野次馬的な好奇心であれこれ聞き出した代償ともいう。
「頼むから、危ないことには首を突っ込むなよ、真夏」