4話「秘密の相談」
顔が怖い、と言われたことは何度かあった。自分ではそんなつもりは一切ないのだが、真剣になにかに打ち込んでいるときや、深く考え込んでいるときなどは、たいそう不機嫌な顔になるらしく、その間は誰も声をかけてこない。だがそれは一人で集中している間、誰からも邪魔されずに済むということでもある。
火曜日の三時間目が終わった休み時間。真夏は昨日の放課後に蒼から受けた相談と、一昨日の日曜に山吹から受けた相談事について考えていた。二人とも悪質なストーカー被害にあって悩んでいる。真夏は、話くらいは聞いてやれる、ほかにもなにかできることがあればなんでも言え――とは言ったが、自分にできることとは具体的になんなのか。それは考えてみてもいまいちピンとこなかった。話を聞くだけだと思ってみても、二人同時にとなると、正直少し荷が重い。理由は簡単、真夏が無力であるからだ。
警察に行きたくないというなら、今はまだ行かなくてもいいだろう。もっと直接的に危害を加えられたならまだしも、現段階ではただひたすらに気味が悪いだけだ。しかし、尾行も嫌がらせも盗撮も、毎日続けば神経がすり減っていくだろうし、相手が次にどんなことをしてくるかわからない以上、慣れるということもない。ならば常に平然とはすごせまい。真夏が直接被害にあっているわけではないのに、なんだか胃がしめつけられるような気分だ。
「あ、あのー……さ、西東くん?」
自信なさげな声に呼ばれて顔を上げる。クラスメイトの少女が、おそるおそると言った様子で気まずそうな愛想笑いを浮かべていた。
「ごめん、なんか機嫌悪かった?」
「いや、別に」
「そう? あ、えっと、呼んでほしいって言われたんだけど。ほら、あの子に」
指をさしたほうを見ると、教室の扉の前でそわそわと落ち着かない挙動の少女が立っていることに気が付いた。清水彩だ。
「あの子、妹? 彼女?」
「ちがうよ、ただの後輩。ありがとう」
席を立って廊下に出る。彩に声をかけると、彼女は肩を少し震わせてからこちらを見た。真夏の顔を見た途端にほんのりと頬が赤くなり、前髪を気にしだした。
「おはよう。……おはよう? こんにちは? うん? あ、えーと、どうかした?」
「お、おはようございます、先輩。突然すみません。あの、これをわたしたくて……」
彩が後ろ手に持っていた物を差し出す。大き目の青い布で包まれた長方形のそれは、ひと目見てすぐに弁当だと思った。真夏のきょとんとした顔を見ると、彩はやや早口に言った。
「せ、先輩はいつもお昼はコンビニのお弁当とかパンばかりだって聞いて、だからあの、ご迷惑でなければ、こ、これお昼に食べてください!」
「えっ、あ、ふわ、いいの? ありがとう」
予想だにしなかった展開に思わず気の抜けた声が出る。真夏が弁当包みを受け取るやいなや、彩はぺこりと頭を下げて逃げるように走り去った。まるでなけなしの勇気をふるってここまで来たような顔だったが、それで差し出すのが弁当とは、大胆なのかそうでないのかよくわからない少女だ。数秒その場で彼女の去った先をぼんやり見ていたが、やがて教室へ戻った。
席につき、弁当をカバンにしまったとき、夏目が声をかけてきた。
「ま、真夏、さっきの子って、前に真夏が言ってた子?」
「まあ」
「ええっ、つ、付き合わないんじゃなかったのか?」
「付き合ってないよ。フったはフった。けどなんか、向こうは諦めきれず、俺は断りきれず、この先の未来に賭けるとのこと」
「つまり……お友達からはじめましょうってやつ?」
「そんなとこ」
「ほえー……ほ、本当にかわいい子だったな」
「俺を選ぶその趣味はどうかと思うけどね」
「そう言うなって。いいことなんだからさ」
四時間目の開始を告げるチャイムが鳴る。にもかかわらず賑わいでいる生徒たちに、教室に入ってきた教師が着席を促した。夏目は教卓をちらりと見てから、じゃあ、と言って自分の席へ戻っていく。彩とのことについては断り切れなかった自分を情けなく思っている節もあり、あまり言及されたくない気分だったので、うまく逃れられた気分だった。
窓際列の最後尾、怠学のベストポジションである真夏の席は、真夏自身があまり目立つ生徒でないこともあり、教師の目が届かない。おとなしければ優等生というイメージは、いったいなんの根拠があって定められるのだろう。真夏はほどほどにまじめにしているつもりではあるが、ほどほどになまけたがる生徒でもある。
実際、なかなか気付かれないだけで蒼の背中に隠れて居眠りをすることも珍しくない。居眠りでなくても、窓の外をぼんやりながめたり、ノートにらくがきをしていたり、とりあえずなまけている。まじめなのはあくまでほどほどに、だ。騒がない、遅刻しない、途中でバックレない、板書はしている。それだけのことである。
この日本史の授業も、ノートこそとってはいるものの、ほとんどの時間は空をながめてぼんやりしていた。授業が単調でつまらないというのもあるが、なんの変哲もなかったはずの平凡な日常からはかけ離れつつある現状に、頭が追いつかなくなっているのだ。慣れきった平凡からの変化を恐れている。授業になど集中できない。……いや、それはある意味いつもどおりではあるのだが。
――退屈だ。
退屈だが、焦燥感が常にある。実際に嫌な目にあっているのは蒼と山吹であり、真夏は被害を受けている当事者ではない。しかし当事者でないからこそ、日常と非常の境に身を置かれた今、名状しがたい感情がどうしようもなく腹にうずまく。ストレス、不安感、逃走願望、どれともつかない、されど遠からず。であればやはり、焦燥とするよりない。
踏ん切りがつかないのだ。彼らの悩みに真摯に向き合うための覚悟が足りていない。力になりたい、なんでも言ってほしい、あわよくば救いたい――そう思う気持ちに嘘はない。かといって、そうそうすぐに心を切り替えることはできない。我々をとりまく我々以外のすべては、なにも起こっていないころと、なにも変わらないのだ。スイッチひとつでどうとでもなる機械のようにはいかないのだ。それがまた、わずらわしい。
なぜ、平穏であれないのだろうか。
真夏は大きくため息をついた。
「真夏?」
急に名前を呼ばれ、はっと我に返った。いつの間にか授業が終わっていて、教室にはがやがやした賑やかさが戻っていた。夏目が真夏の目の前で手を振りながら、おーい、と呼びかけている。
「どうした、珍しくぼーっとして」
「いや、別になんでもないけど」
「そう? じゃ、飯食おうぜ」
言いながら持っていた弁当箱を真夏の机に置く夏目。蒼が自分の机を寄せて座りなおす。真夏と蒼の席が隣接しているため、昼はここにみんなが集まるのだ。千秋が蒼の隣に座り、すぐに隣のクラスから中性的な外見の少年と蒼に似た風貌の少女がやってきた。香とナズナだ。六人で二つの机を取り囲むのは少し窮屈だが、もうすっかり慣れたこと。真夏はカバンからパンを出そうとして、彩からの弁当があることを思い出した。
「あれ、今日は弁当だ」
蒼が真夏の持つ弁当包みに気付いた。顔を赤くして弁当を差し出す彩の姿を思い出し、なんだか恥ずかしくなった。
「まあ、たまにはな」
「珍しいね、自分で作ったの?」
千秋が尋ねる。正直に言うべきか否かを考える前に「もらいもの」という言葉が口に出ていた。そういう性質であるため、真夏はなかなか嘘がつけない。もはや向いていないのだ。言ったあとから、別に隠す必要もないのだし、と理由をつける。正直者なのか、バカ正直なのか。正解はおそらく両方だ。
包みを解くと箸入れと弁当箱の間に二つ折りの紙片が挟まっているのに気付いた。開いてみると、丸く小さな女の子らしい字で数字とアルファベットが書き込まれていた。ひと目で携帯の電話番号とメールアドレスと理解する。他の誰かの目に留まるより前に紙片をポケットにしまった。
二段重ねの弁当箱を開けていく真夏の正面で、夏目が声を上げた。
「あっ、それってもしかして、さっきの子が?」
「え? ああ、うん」
「さっきの子って?」
香が問う。
「蒼や千秋から聞いてない? 真夏、告白されたんだよ。で、とりあえず友達からならってことになったらしい」
夏目の説明に蒼が首をひねった。
「お前フるって言ってなかった?」
「フったけど、フラせてもらえなかったの」
「ふうん」
「付き合うの?」
これはナズナだ。
「さあな。いつか俺があの子を好きになって、そのときにまだあの子が俺を好きだったら、付き合うんじゃねえの?」
「……それで弁当ねえ」
「なに?」
「いや……別に? お前がなんとも思わないならいいんじゃないの。にしても、こんなんのどこがいいんだか。ずいぶんと変わった趣味の子がいたもんだね」
それは真夏自身も思っていたことだが、ずいぶんとはっきりものを言う。ナズナはいつも辛辣だ。もっとも、今さらそんなことを気にするような真夏ではないのだが。
「でもよかったね、罰ゲームではなかったんでしょ?」
「ううん、まあ、たぶんな」
弁当箱の蓋を開ける。香がおお、と小さく歓声をあげた。
「きれいな盛り付けだね。彩りも栄養バランスも考えられてるし、市販の冷凍食品もほとんど使ってない。その子、もともと料理が得意なんだろうね」
香は料理が得意で自分で弁当を作ってきているのだが、やはりわかるものなのだろうか。真夏は栄養学などには詳しくないのでよくわからない。へえ、と夏目が感心したような声をもらす。
「やっぱり、普段から料理する人からすると、そういうのって見ただけでわかるんだ? 俺はただおいしそうだなあ、としか」
「おいしそうって思わせるのも腕だよ」
「そっかあ。真夏、おいしい?」
箸を取り出し、卵焼きに手をつける。
「うまい」
「真夏は料理が得意な子、好き?」
「そりゃあ、きらいなやつのほうが珍しいだろ。料理に限らず大抵のことは、できないよりできるほうがいいもんだ」
「それはまあ、そうだけど」
「……その子さ、いいお嫁さんになるんじゃない?」
蒼が意地悪そうな笑みを浮かべながら真夏をつつく。からかわれているのだ。だが、黙って茶化されるばかりの真夏ではない。
「そういえば千秋も料理得意だよな」
「え? うん、得意ってほどでもないけど、最近はいろいろ勉強してるかな」
「蒼の弁当も千秋が作ってるんだろ?」
「毎日じゃないけどね」
「部屋もいつ行ってもきれいに片付いてるし、勉強熱心で料理の腕も毎日みがいて。たしか家のことも率先して手伝ってるんだろ? 立派だよな」
「そ、そんなことないよ。手伝いって言っても食器洗ったり、干してる洗濯物取り込んで畳んだり、たまにご飯作ったりするくらいだし……」
「休みの日は朝から洗濯物干して家の掃除もしてるんだろ?」
「それは……できる日はしてるけど」
「いやあ、今のうちからそれだけできるんなら、もういつでもお嫁に行けるんじゃないか?」
「あはは、それはさすがにおおげさだよ」
「お嫁に……ねえ? 行けるんじゃないのか? もらい手だって、なあ? 志村?」
「はあ?」
「新婚さん、いらっしゃい」
「してないし! 学生だし!」
蒼は声を荒げるが、顔が赤いので迫力はない。
「学生だし? つまり……おっ、学生じゃなくなったら。んん?」
「お前は! お前は!」
蒼が真夏の背中を何度も叩く。背骨まで響いているような鈍い音だが、音のわりに痛くないのが彼の平手の特徴だ。二人のじゃれ合いを見ていた千秋がくすくす笑う。
「二人とも、ほんと仲いいよね」
「だろ?」
「よくない!」
二人の声が重なり、千秋はさらに笑った。




