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3話「告白」

清水彩と別れたあと、校舎裏から自転車置き場の前を通り、校庭へ歩いていくと、ちょうど生徒玄関から志村蒼が姿を現した。いつもは千秋と、隣のクラスのナズナや香と四人で帰ることが多いのだが、今日は一人のようだ。蒼がこちらに気付いたので声をかける。


「千秋たちは?」


「千秋は用事あるからって先に帰った。香とナズナは委員会のことでまだ残ってる」


「さびしいなあ、しょうがないから一緒に帰ってやるよ」


「うぜえなあ」


校門を出て同じ方向へ歩いていく。蒼と真夏の自宅は方向がほとんど同じなので、登下校では一緒になることが少なくない。一緒になる、といっても、同じ時間に同じ道を歩く、という意味であって、隣り合って一緒に目的地へ向かうという意味ではない。前を歩く相手の姿に気付いていながら声をかけなかったり、あるいはそのまま追い越してさっさと歩いて行ってしまったり、ということがほとんどだ。それはなぜ、と問われても、二人の性質、性格だとしか言いようがない。


「……お前さ、このあと山吹んち行くの?」


「いや、連絡もしてなかったし、今日は行かないけど。……行きたかった?」


「なんで。別にそんなんじゃない」


蒼が自分から山吹に会いたがったことは今まで一度もなかった。蒼と山吹は不仲でこそないものの、仲がいいわけでもない。真夏という共通の友人が真ん中に立っているからこそ関係が続いているだけで、まだお互いに距離感を探り合っているような状態だ。蒼は少し気難しいところがあり、現状、自分に害がないから同じ空間にいることを拒絶しないだけで、山吹と仲良くなりたい意思もないのではなかろうか。そうとわかっていながら蒼と山吹を引き合わせるのは、真夏のわがままだ。


「あのさ」


しばらく無言で歩いていたが、やがて蒼が口を開く。真夏がそちらを見ると、彼は少し迷うように視線を泳がせ、また黙り込んだ。


「どうした?」


「いや……あ、う、んん、うう」


「なんだよ?」


うなってばかりの蒼に問いなおす。蒼は静かにため息をついた。


「時間、あるなら、ちょっと話したい」


「時間はあるよ。なんか話す?」


「いや、そ……うん、なんか、相談? みたいな」


「相談?」


珍しいことがあったものだ。もちろん蒼も人の子なのだからそれなりに悩むこともあるだろうが、わざわざ相談相手に真夏を選ぶことはない。家には片割れのナズナがいるし、家族には言いづらいことでも、恋人の千秋もいる。千秋にも言えないことなら、幼馴染の藤谷香がいる。悩みがあると言えば誠実に向き合ってくれる者が三人いるにも関わらず、よりによって真夏を選ぶとは。ナズナにも、千秋にも、香にも言えないような悩みがあるのだろうか。真夏も誰かから悩みの相談を受けることは少なくないが、それでも蒼からとなると初めてかもしれない。


「別にいいけど、じゃあ……今? 帰ってからにする?」


「うち来て。見てほしいものとかあるから」


「わかった」


それから蒼の家に着くまでは両者ともにほとんど無言のままであった。会話がはずまないわけでも、苦手なわけでもない。沈黙が苦にならない間柄であり、そういう二人であるからだ。蒼といるときはいつも、真夏の口数は減る。蒼に限らず、誰かと二人きりのときの真夏はいつもよりおとなしい。


ここ片並町は東部に商業地が広がっており、蒼の自宅はその近くだ。家の前に小さな庭があり、肩ほどの高さの柵と扉によって敷地内と外を隔てている。飼っていた犬を遊ばせるための庭と、脱走を防ぐための柵だったのだと、以前聞いた。今は母親が花壇を作ることを検討しているらしいが、花につられてハチが寄ってきては出入りがしづらいと言ってナズナが反対しているらしい。


「とりあえず、部屋に行ってて」


玄関で靴を脱ぐなり、蒼はそう言って階段のほうを指さした。おう、と真夏が返すと、リビングのほうへ入っていく。言われたとおりに二階へあがり、手前側にある部屋に入った。この家に来るのも初めてではないので、蒼の部屋の位置はわかっている。床にちらほら物が置きっぱなしになっているが、散らかっているというほどでもない。部屋の角にベッドがあり、枕元にノートパソコン。壁際に本棚が、部屋の真ん中に小さなちゃぶ台がある。本棚の隣にある扉の奥がクローゼットだ。落ち着いた色のカーテンはきっちりと閉じられている。やや殺風景だが、さっぱりしているところが蒼らしい。


ちゃぶ台の前に静かに腰を下ろし、数秒すると階段をあがる足音が聞こえた。蒼が両手に麦茶の入ったグラスを持って部屋に入ってきた。グラスをちゃぶ台に置き、真夏の斜め前に座る。蒼がお茶を飲んだのにつられてか、真夏もグラスに手を伸ばした。蒼がぽつりと話を切り出す。


「絶対、誰にも言うなよ」


「うん」


お茶を飲みながらなのでそうとしか返事ができず、軽く頷いた。わざわざ釘を刺さなくとも、真夏にだって口外していい話とよくない話の区別くらいはつく。蒼もその程度のことはこれまでの付き合いでよく知っているはずだが、それでもなお、念を押さずにはいられないということか。


「……誰かに、つけられてるんだ。最近」


不本意ながら、どきりとした。机に手をつき、少しだけ前に身を乗り出す。


「つけられてる?」


真夏が小声で聞き返すと、蒼は暗い面持ちで頷いた。


「最初は……気のせいだと思ってたけど、もう、間違いない……と思う」


「相手に心当たりは?」


「ない」


腕を組む。要はストーカー被害ということか。もっと身内の、人間関係のいざこざだとか、進路の悩みだとか、そういう学生らしい相談事を予想していたが、ずいぶんと重い内容だ。内心、あせっていた。


しかし一方で、蒼には悪いが――真夏は好奇心を大いに揺さぶられるのを感じていた。詳細を知りたい。


「……それだけか?」


確認すると、蒼は言いにくそうに頭をかいた。


「いや……他にも、持ち物がなくなったり、変な手紙が送られて来たり……みたいな嫌がらせも。あと」


「あと?」


「鳥の死骸が……家の前に置かれてたり」


「それは……、嫌がらせはいつから?」


「僕が、もしかしてつけられてるんじゃ……って、気付いたあたりから」


「お前がストーカーの存在に気付いたことに、向こうも気付いたってことか」


それにしても、死骸はやりすぎだ。


「それがずっと?」


「変だなって気付いたのが二週間くらい前で、それからずっと」


「警察は?」


「……言ってない。ナズナと千秋と、香にも言ってない」


「そうか、まあ、ちょっと言いづらいわな。その、手紙はどういう内容だった?」


「いや……文字じゃなくて、なんか、赤いペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶしたみたいな、そういうやつ」


「それ、今は?」


「一応、とってあるけど」


蒼は静かに立ち上がると、机の引き出しから白い封筒を取り出し、真夏に渡した。二通。どちらも差出人の名前も宛名もない。封筒の口は赤いハートのシールでとめられていて、開封した痕跡がある。中の便箋を取り出すと、紙の裏に赤いインクがにじんでいるのがその時点でわかった。蒼の言っていたとおり、文章どころか文字としても成立していない。無造作にめちゃくちゃな線が紙いっぱいに引かれているだけで、なんだか不気味だ。数秒、赤い便箋をながめたあと、元通り封筒に戻すと、蒼に返した。


「手紙はそれで全部か?」


「ううん。全部で十枚くらいある。今のは手に取ったのがたまたま二枚だっただけ」


「……鳥の死骸はどうしたんだ?」


「庭に埋めた。そのままにはできないし」


「埋めた。簡単そうに言うなあ、きれいな状態だったのか? 車に轢かれたみたいなのを想像してたんだが」


「もっとひどかった。釘か杭かで、何度も刺した……みたいな」


「ああ――」


余計なことを聞いた。想像してしまい気分が悪くなる。蒼はグラスに残ったお茶をすべて飲み干した。


「話は、それだけ」


「おう」


真夏もグラスをからにした。まだ五月だというのに、今日はいつもより少し気温が高い。


「今のを聞いた限りじゃ、なんていうか、恨まれてるような感じだなあ。恨まれるようなことをするようなやつじゃないとはわかっているけど」


「うん。覚えはないけど、僕もそうだと思ってる。意味わかんないことでキレたりするやつって、ときどきいるし」


「ただ、俺に相談したところで、別になにが変わるってわけでもない。そんなのは、たかが高校生の手には負えない。警察に届けるのが一番だ」


「わかってる」


「でも……まあ、なにもできないけど、はけ口にはなれる。俺に話したのも、黙って一人で耐え続けるのが苦しくなったからだろう。むしろ、よく今までなんでもない顔してたもんだ」


「……うん」


「なにかあったら言えよ。もし怖くなったら呼びつけていい。どんなに急な呼び出しでも、いつでも飛び出して来れるのが俺だってことは、もう知ってるだろ? 今さら遠慮なんぞいらん。俺は俺なりに、できることをする」


蒼はなにも言わず、ただ頷く。真夏は薄く笑った。


「……一緒に、悩むか」



*



「最近、誰かにつけられているみたいなんだ」


山吹が幼馴染である真夏にそう打ち明けたのは、日曜日の午後のことだった。一昨日の金曜日の放課後、同じ学校の女生徒から告白を受けたというよろこばしい話のあとに、こんな話をするのもどうかと思ったが、現状、山吹が安心してなにかを相談できる相手は彼しかいない。真夏はコントローラーのボタンを連打していた指を止め、こちらを見た。


「みたい、というか……つけられてる、んだ」


真夏はなにも言わないが、こちらを見ている以上、話は聞いている。山吹は緊張しながら続ける。


「もちろん、はじめは考えすぎだと思ってた。けど、どこからかはわからないんだが……その、盗撮までされてる」


「盗撮」


真夏が眉間にしわを寄せて呟く。


「人に見せるのは……結構、抵抗あるんだけどな」


言いながら戸棚の上から小箱をおろし、ふたを開けた。宛名も差出人もない茶色い封筒がまとめて収納されており、ひとつひとつに日付を書いた付箋がついている。字は山吹のものだ。傍目に見れば手紙をまとめているだけのようにも見えるが、よく見るとひとつひとつの封筒が妙に分厚い。そのうちのひとつを手に取って開いてみると、誰がどこから撮ったのかわからない写真が何枚も詰まっていた。被写体はすべて山吹だ。休日に出歩いていたときのもの、登下校中のもの、窓から家の中を覗いて撮ったような写真まである。気味が悪いのはたしかだが、いざというときに役立ちそうな証拠品でもある。捨てるわけにもいかない。


相談相手に真夏を選んだのはそれ相応の信頼があるからだ。彼はこういう大事なことは誰にも言わない。彼の秘密ごとに対する口の堅さはこれまでの付き合いからもよくわかっていた。山吹の話を聞いた真夏は、困ったような顔で黙り込んでいる。無理もない。突然こんな話をされても困惑するだけだ。


「いつごろから?」


「一ヶ月くらい前……だったか。ちゃんとは覚えてない」


「犯人に心当たりは?」


「ないな。写真はいろんな場所、いろんな角度から撮られているみたいだが、学校にいる間――とくに教室にいる間のものはない。だから、他校の誰かか、あるいは学生ではない別の職種、だと思う」


「教室にいる間のものは――ってことは、学校の近くの写真はあるのか」


「校庭と、体育館の周辺の写真があるけど、これは敷地外からでも撮れる。……あった、これだ」


写真の束から三枚の写真を抜き出し、真夏に渡す。校庭を歩いている写真が、後ろ姿と横から撮ったものの二枚。体育館から出てきたところを撮った一枚。真夏はその三枚と他の写真を見比べる。


「この三枚はトリミングされたものだな。サイズが他の写真と合わないし、この三枚だけ特に画質が粗い。よほど遠くから撮ったんだろう。たしかに、距離的には校外から、かもな。同じ学校に通う生徒によるものとは考えにくい」


どうやら興味を持ってもらえたらしい。


「時間には偏りがないな。朝も昼も夕方も……これは夜に撮ったな。時間に融通の利く仕事をしているか……いや、見るにどれも携帯で撮ったような写真だ。働いている社会人なら、もっといいカメラを買えるはず。となると、写真を撮るために学校を休んでいる学生か、あるいは働いていないのか」


「盗撮のために、わざわざいいカメラを用意するのか?」


「だって、一日中ずっと張り付いてることを明言してるみたいな写真だぜ? そこまで執着するなら、金があればカメラも用意するんじゃないのか? 恨みから嫌がらせのためにやっているなら話は別だけどな。一方的に好かれていて――というなら、きれいに撮れるほうがいいだろ」


「それは、まあ……そうかもしれないが」


「……この写真からはなにもわからないな。現状、お手上げ」


持っていた写真を小箱の中にばらばらと落とし、真夏は言う。軽い調子だが、笑っていない。


「警察に届けたほうがいいんじゃないのか?」


「それは……わかってる、けど」


「ま、そう簡単には言えないよな。……いいよ。具体的になにができるでもないけど、一人でびびってるよりはましだ。誰かに話すことで気が楽になるようなら、いつでも聞くさ」


真夏はそういうと小さく笑んだ。慈愛を含んだ笑みだ。彼がときおり見せるこの顔を見ると、なんだか少し落ち着いた。そして同時に、大事な親友を巻き込んでしまったことに罪悪感と背徳感を覚え、既に後悔している自分もいた。

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