19話「宣言」
それからしばらくは事件のことでばたばたしていたが、真夏が直接なにかをするということはほとんどなく、後処理はすべて両親がおこなったようだ。三島頼子がその後どうなったのかは、真夏には知らされていない。だが、それはそれでかまわないとも思う。知ったところでどうなるわけでもないからだ。
真夏が退院したころには周囲の面々もいつもどおり、また事件前となにも変わらない日常が返ってきた。蒼も山吹も安心して学生生活を送れている。真夏も、傷痕は残っているものの後遺症はなく、無事に元の生活に戻りつつあった。
「……で、さ。結局、なんだったの。あの姉妹」
「なんだったの、って言われてもなあ」
退院祝いと称した、ただの座談会。通い慣れた蒼の部屋で、真夏はのんきにスナック菓子を食べる。山吹が代わりに尋ねた。
「真夏、お前はあの二人の見分けがついてたのか? あとから来たほうを、さも当然のように三島頼子と呼んでいただろう」
「ああ、あれな。見分けがつくわけじゃないけど、どっちがどっちかはわかってたよ」
蒼が怪訝な顔をする。
「どういうこと」
「優香が盗撮魔で、頼子が嫌がらせの犯人だっていうのがわかってた、ってことか?」
「そう。三島の情報をくれたのは、あの二人と同じ角崎中だった、俺の……まあ、友達だな。そいつにいろいろ聞いたおかげだ。三島頼子が中学時代におこなった、好きな男子に対してのストーカー行為。その内容が、志村の受ける嫌がらせ内容と酷似していたってことから、二人の区別がついた」
「そういや、その盗撮してきたほうはどうなったの」
「あまりおおごとにはしたくないって言ったら、なんか、接近禁止命令――みたいな感じのが出て。しばらく様子を見ることになったんだけどな。発令から三日と経たずに接触してきて、結局は逮捕されたよ」
「ふうん」
自分で聞いておいて興味なさげに相槌を打つ蒼。真夏は他人事のように笑っている。
「加害者も被害者も、親は大変だな。ああ、そういえば、三島家はこの町から引っ越すことになったそうだぜ」
「……まあ、傷害事件の話自体はかなり広まってるからな。住みづらくもなるだろう」
「じゃあ、もう安心していいってこと?」
「たぶんな。あの二人が更正できるのかどうかは知らんが、できなかったとしても、逆恨みでこの町に戻ってくるより先に、別の標的を見つけるだろう」
「……それって解決にはなってないんじゃないの」
「いつか現れるかもしれない次の被害者には悪いけどな。もしそうなったところで、俺たちにはなんの責任もない」
「っていうか、真夏。警察に行ったときにあの若い婦警さんが言ってたんだが、お前、あの人に俺たちのこと相談してたのか?」
若い婦警さん――というのは露木のことだろう。
「当事者であるお前たちに黙って相談したのは悪かったけどな、俺だって最初から全部筒抜けにしてたわけじゃないぜ。相談したのはナズナが刺されたあとだ。状況が悪化してきたから、念のためにな。よく言うだろ、前もって相談していたほうが、なにかあったときにスムーズに対応してもらえるって」
「それは、そうだが」
「そもそも、志村の件に関しては、もうただのトラブルじゃなくて事件になっていた。双子の姉妹がそろってストーカー。一方が傷害事件にまで発展したということは、もう一方もいつそうなるかわからない。どっちにも予防線を張りたいのは当然だろ。一番危険なのは俺だったんだからな」
「一番、危険だった?」
「……そういえば、お前、三島頼子が来たとき、ずっといたのに出てくるのが遅かった――みたいなことを言っていたな。あれはどういうことだ」
「三島頼子と優香はストーキングのために一日中、家を空けている。もちろん学校は休んでいたし、家にもあまり帰っていなかったらしい。どこにいるかわからない以上、迅速に捕まえるには現行犯逮捕が最も手っ取り早い。もちろんリスクは高いし、具体的な方法もないが……と、俺が相談した刑事さんが言っていた。もちろん、冗談のつもりだったろう」
「……なんでそれを実行したんだよ。っていうかなんで実行できた」
「ナズナと千秋が刺されたのはなんでだと思う?」
「なんでって……三島頼子が蒼を好きだったってことは、まわりにいる女が邪魔だったから?」
「そう。ナズナはもしかすると、あの血のついたハンカチのことで騒いでいたのを見られていたのかもしれない。ナズナが捨てろ捨てろと怒鳴っていたから、標的にされた可能性がある。千秋は言うまでもなく、蒼に一番近い女性だったから」
「だったら、狙われるのって女子だけじゃないの」
「ところがどっこい。お前のまわりにいる主な女子はナズナと千秋だけだ。そして、お前が俺に相談してきてから、というかその前からもだけど、俺はお前といる時間が長かった。そんでもって、俺たち三人はよく集まっていた。で、三島優香の恋の相手は山吹だった」
「……そうか、たしかに、それならお前が危ないわけだ」
「三島頼子は志村蒼を、三島優香は山吹和正を好きだった。ならば、お互いにお互いの恋は応援するだろう。だが二人の間に、やけに二人に近付くうざったい邪魔者が一人いる。写真を撮るにも、あとをつけて遠くから眺めるにも。あの姉妹にとって、一番の邪魔は俺だった」
「じゃあ、あのとき三島頼子が出てきたのって」
「次は俺を狙っていたからだな。だから当たり前にナイフが出てきた」
「……お前さ、あのとき、なんで避けなかったの」
蒼がぽつりと問う。
「避けなかったわけじゃないさ。反応できなかっただけで」
「嘘だな。お前、反射神経はいいほうじゃないか」
「敏捷性が足りてないんだよ」
「踏みとどまっただろ」
山吹が言う。真夏は目だけでそちらを見た。
「避けようとしたのに、踏みとどまっただろ。あのとき」
「……なんだ。わかるもんなのか、そういうの」
「僕を庇ったってこと?」
「そんなわけあるか。一歩間違えば死ぬんだぜ? 誰が他人のためにそこまでできるかよ」
「じゃあなんで」
ふん、と鼻を鳴らす。
「俺が死ぬか、お前が死ぬか。なら、俺が死にたいと思っただけだ」
「……なにそれ。意味わかんねえじゃん」
「だろうな。あの一瞬の判断の動機については、俺にもわからん。でも、刺された瞬間、やっぱ無理だ死にたくねえって思った。死ぬのって本当に怖いもんなんだな。人間の体ってすげえよ。あんな死ぬほど痛い思いしても死なねえんだからさ」
「今回は助かったからいいけど、本当に死んでたらどうするんだよ」
「死んでたらどうするって、死んだらどうもできないだろが。でも……そうだな、切腹ってあるだろ。腹斬って詫びるやつ」
「まあ、知ってることは知ってるけど」
「あれな、なかなか死なないそうだ。腹を斬れば当然そこから血が出る。血だけじゃなく、内臓も全部こぼれてくる。それでもなかなか死ねずに長いこと苦しんで、結局、首をはねて楽にしてやることが多かったらしい」
「……なにが言いたいの」
「人間、死ぬときはあっけないもんだが、そう簡単には死なないってことさ。腹刺されて、刃物がまだ刺さってるなら、プロに任せればどうとでもなる。案外、助かるもんなんだよ。いや切腹は助からないけど。だから刑事ドラマでよくある、グサッとやられて三秒くらいで死んでるやつ。あれは現実的じゃない」
「ナイフを抜かれたらどうするつもりだったんだ」
「そうなったら、止血して祈るしかねえだろうな。残念ながら、いざ刺されるとパニックになって、自分にある知識なんかあてにならん」
「お前さあ」
「終わったことをぐちぐち言うなよ。たしかに刺されたのはわざとだったかもしれない。でも、避けたらどうなってた? 志村が刺されることになっていた? そうとも限らん。あいつは最初から俺を狙っていた。なら、俺が避けたら追いかけてくるかもしれない。一回目は避けれても、二回目は向こうもあわてている。ナイフを振り回す女相手にどうしろと? 最悪の場合、最初の一撃を避けたせいで死ぬことになっていたかもしれない。俺はこれが最善策だったと思うがね」
「どうだかな」
「結果として、俺は生きてる。お前らも生きてる。犯人逮捕。みんなハッピー。それでいいんだよ。結果こそすべてだ」
「その傷はハッピーエンドのための犠牲だったと?」
「俺は自分が犠牲になったつもりはない。これはそこそこ必然的な負傷。ハッピーエンドを迎えるためにまあまあ必要だった条件」
「……なんかもう、そこまで来たなら全部警察に任せりゃよかったんじゃないの」
「どの口が言うか。俺は何度もそう言ったのに、お前らが聞かなかったんじゃないか」
真夏が悪態をつくと、ちょうどそのとき、部屋の扉が開いて、夏目が入ってきた。
「あ、山吹もう来てたんだ。蒼、香と千秋は?」
「もうじき来るよ。ナズナが迎えに行ってる」
「夏目、今日は部活はないのか?」
「うん、今日は休み。真夏、怪我の調子はどう?」
「おう、夏目。そんなお前にひとつ朗報だ」
「朗報?」
「全部、終わったぜ」
*
『それで、いつものゆかいな仲間たちと遊んでいるうちに帰りが遅くなったと? 懲りねえなあ』
「懲りてないわけじゃない。あの一件がトラウマで、刃物を見ると緊張するようになったからな」
『お前、後遺症はなにもないって言ってたよな。それ、立派な後遺症じゃないのか』
「そこまで重症じゃない。リンゴを切ろうとしたら動悸がした程度だ」
『お前な……まあ、そこはのちのち解決していけばいいか』
蒼の家からの帰り道、白坂からの着信を受けた真夏は、薄暗い道を歩きながら疑問を投げかける。
「ところで白坂、結局のところ、お前はどうやって三島家に入り込んだんだ?」
『ああ、それか。簡単なことだ。娘さんとお互いに預け合っていた物を返しに、あるいは引き取りに来ました、って言っただけだ』
「そんな話でよく信じてもらえたな」
『嘘じゃなかったからさ。……実は俺な、中学のとき、三島優香と付き合ってた時期があったんだ』
「聞いてないぞ」
『言ってなかったからな。ほら、前に話した、お前に構いすぎたのを浮気と勘違いされてフラれたっていう』
「ああ、それ。にしても、三島優香のどこがよかったんだ。顔か?」
『別に好きだったわけじゃない。あまりにしつこかったから、仕方なく付き合ってただけで。でも、だからこそ浮気だって言われたんだろうな』
「それで、贈り物とかをお互いに返品するために?」
『一応、母親とも顔を合わせたことがあって、向こうも俺のことを覚えていたんだ。三島頼子が俺を嫌っていたのも、その優香との付き合い方が原因だろうな』
「向こうからすりゃ、姉と付き合ってるのに自分と姉の区別がつかないうえ、浮気の疑いがあるクソ野郎だ。そりゃ惚れるはずがねえ。ってことは、三島頼子と話す機会が多かったってのも、優香と間違えたのが九割ってところか」
『そんなところだ。優香を好きなる努力はしてたんだけど、その前にフラれちまったからなあ。だから俺は三島頼子からの被害を受けなかった』
「なるほどねえ。ああ、そういえば、三島頼子がお前をきらっていた理由だけどな。優香のこともあるけど、半分は本当にお前自身が無理だったみたいだぜ」
『半分もか? そりゃ悲しいな。……ああ、フラれるとか好きとか、といえば、あの子とはどうなったんだ? ほら例の後輩』
「ああ、彩ちゃん。あいかわらず……うん、いや、そういえば最近は連絡とってないな」
『おいおい、なんだよ冷たいな。もう飽きたか?』
「人聞きの悪い。病院で携帯をさわるのも気が引けるし、退院前後もごたごたしてて、ゆっくりメールするような時間がなかったんだよ」
『でも弁当を作ってきてくれるんだろ? それはどうなってるんだ』
「とりあえず落ち着くまでは、って遠慮したよ。少ししたらまた作ってくれるみたいだけど」
『尽くすねえ。うらやましいな』
「思ってなさそうな声だな。お前の――」
からん、と背後で音がした。振り返ると、道の先で空き缶がころころと道を転がっているのが確認できる。
『真夏?』
「ん? ああ、なんでもない」
『それにしても、最近は一気に暑くなってきたな。毎年のことだが、熱中症には気を付けろよ』
「わかってるよ」
『本当かよ。そもそも、お前は夏も厚着で学校に行くのをまずやめるべきだな。シャツだけでいいだろ。なんでセーターまで着るんだ』
「校則違反じゃないからだよ」
『あのな、夏服にセーターが違反じゃないのは、衣替え前の秋、寒い日があっても大丈夫なように。もしくは冷房の効いた教室で寒くなってきたときの体温調節のためってことであって、炎天下でその格好をしろってことじゃないからな?』
「わかってるよ。いいだろ、別に」
東坂の夏用制服は基本的に、白いワイシャツにネクタイ。だが、セーターやカーディガンの着用も認められている。白坂の言うとおり、炎天下で厚着をする必要はない。そんな暑苦しい格好をしているのは学年でも真夏一人しかいない。が、真夏にはその格好が妙に落ち着くのだ。
制服の衣替え移行期間最終日までブレザーを着用し、翌日からはブレザーの代わりにセーター。真夏は入学してから一度たりとも、ワイシャツ姿で登校したことがない。なにか意味があるわけではないが、こうなれば半ば意地だ。
『そうだ。今年の夏祭りはどうするんだ?』
「なにも決めてない。面倒だったら行かないな」
『今までならどっちでもよかったんだろうけどさ、今年はそうもいかないんじゃないか? あの後輩もいることだし。お前が誘わなくても、向こうから誘ってくると思うぜ』
「どうだかな。誘うにしても早すぎるだろ。祭りに誘うくらい、三日前にメールするくらいでちょうどいいんじゃないのか」
『なに言ってんだ。あの子はお前に気があるが、お前はあの子をなんとも思ってないんだろ。なら、お前が他の誰かからの誘いに乗るかもしれない。先約が入る前にさっさと予約しておこうと考えても不思議じゃないだろ』
「別に、それならそれで、みんなで行けばいいだろ。俺を夏祭りに誘うのなんて夏目くらいだ」
『バカ。二人きりじゃないと意味ないだろ。なんのために誘うと思ってんだ』
「なんのためだよ……っていうか、祭りなんてまだ一ヶ月以上は先の話だぜ?」
『一ヶ月なんてあっという間だ』
「はいはい。お前は他人の事情に首を突っ込むのが好きだな。考えとくよ」
足を止める。
じり、と靴の底とアスファルトがこすれる音がした。しかし、それは真夏の足元からではない。再びうしろを振り返る。薄暗い夕暮れの道に、先ほどの空き缶が転がっているだけで、他にはなにもない。
「白坂、そろそろ切るぞ。家に着く」
『ああ。また明日、そっちに行くから』
通話を終えて、ポケットに携帯電話をしまう。街灯にあかりが灯った。昼間はともかく、夕方以降はまだすごしやすい気温だ。風はやや生ぬるいが、汗をかくほどでもない。真夏はさっさと自宅へ向けて足を進めた。
――気のせいだろうか。
最近、誰かにあとをつけられているような気がする。
2018.01.16 改稿。




