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18話「確保」

……


……


…………


…………ってくるから、あと頼むわね。


わかってるよ、なんかあったら連絡するから。


替えの服はそこ、他の荷物はそっちに。


露木ちゃんがついててくれてるし、こっちは大丈夫だから。


また夕方ごろに来るからって言っといて。


わかった。


…………


……



目が覚めたとき、真っ先に視界に入ってきたのは白い天井だった。身に着けている衣服の質感には覚えがない。物音がしたので、わずかに首をかたむけると、こちらに背を向ける男の姿があった。


真夏の実の兄、西東真冬だ。


部屋にただよう独特な匂いと、ベッドに横たわった今の状況、そして思い出せる限りの記憶から、ここが病院であることを知る。同時に、ナイフで刺されたものの助かったことも。ほっと安心したような、なんとなく惜しいような、後悔しているような、複雑な感情がじわじわと湧き出てくる。


真冬がこちらを向く前に、また天井に頭を向けて目を閉じる。兄との接触を避けたい無意識による行動だ。足音が近付いてくる。目を覚ましたことが知れたら当然、この男は騒ぐだろう。その相手をするのは面倒でしかない。真夏はこの状況下でも、真冬との会話を拒みたかった。


ゆっくりと深い呼吸を繰り返し、たぬき寝入りを決め込む。しかし、それはすぐに看破された。


「真夏、起きたか」


思わずため息が出る。観念して目を開けると、こちらを見下ろす真冬がいた。明るめの色に染めた髪。両耳にぽつぽつ開いたピアスの穴。真夏とは正反対の男だ。


「怪我、痛いか?」


腹にナイフが刺さって、痛くないとでも思っているのだろうか。いや、じっとしているからか、今はそれほど痛くはないのだが。


「母さんたちさ、病院から電話あって、たいした怪我じゃないって知ってたらしくてよ。今さっきまでいたんだけど、もう仕事行ったよ」


まあ、そうだろう。無事だとわかっているなら、わざわざここに留まる理由もない。


真冬はそれきり黙り込み、ベッドの横のパイプ椅子に座ると、こちらに背を向けたまま、


「あんまり、迷惑ってか、心配かけるようなことすんなよ」


と言った。


「人のこと言えんのか」


真夏はようやく声を発した。会話するつもりはなかったが、思わず口をついて出た言葉がそれだ。真冬はなにも言わない。きっと、既にすべての事情を聞かされているのだろう。


真冬は優秀だった。いや優秀というより、素行は悪いが、要領がいいためにテストの点数が良かったので、成績表だけを見ると優秀な気がしてくるのだ。だが自分の要領の良さをいいことに、学校はサボってばかりで、遊ぶことばかり考えていた。朝になってから帰ってくるのも日常的だ。問題を起こして親が学校に呼び出されることも珍しくないし、非常に手のかかる男だ。


真夏はその逆に、親に対する反抗心もなく、わがままも言わず無欲であり続けた。できないことはできないが、言われたことにはよく従う。成績はかんばしくないが、おとなしいという意味では手のかからない子だったろう。いてもいなくても同じなくらいには。


なので、家族や周囲に迷惑をかけるという意味でなら、真冬のほうがよっぽどひどい。迷惑を、心配をかけるなと、迷惑が服を着て歩いているような真冬に言われたくなどない。たしかに無茶はしたかもしれないが、それでも今まで真冬が周囲にかけてきた迷惑心配その他諸々には遠く及ばない。刺された。それだけのこと。こちらはただの被害者だ。この傷はいわば不可抗力。真夏とて好き好んで刺されたわけではない。なぜこの男に叱られなければならないのか、納得がいかない。


病室の扉が開いた。白坂と、そのうしろに背の高い女性が一緒だ。凛とした印象の顔つきに、どちらかというとスレンダーな、それでもそれなりに体格がいい。彼女は真冬の知り合いである、露木という刑事だ。知り合い、というか、よく真冬が彼女の世話になっていたというだけだが。真冬が事のあらましを聞いているとすれば、おそらくそれは彼女からだろう。


「お、目ぇ覚めたかい。そいつはよかった」


そう言って露木はからから笑った。男勝り、というより姉御肌な人だ。


「いやあ、刺されたって聞いたときはおどろいたよ。無茶やらかしたもんだね」


「無茶は無茶かもしれませんが、露木さん。あれは真夏にとっても想定外だったと思いますよ。本当は警察が来るまで場を引き延ばすつもりでしたから」


「なにもかも予想外ってはずないだろう。本当にそうなら、服の中にタオルなんか仕込んじゃいないさ。そうだろ?」


「タオル?」


「それのおかげかどうかは知らんが、ま、そんなにひどい傷にはなってないから安心しなよ。ナイフ自体、刃渡りの短い折り畳みナイフだったし。通報が迅速だったのもよかった。運がいいね、あんた。通報したのは白坂か?」


「はい。隠れて様子を見ていて、三島が現れた時点で警察に」


露木と白坂のやりとりに、真冬が白坂を睨む。


「白坂。お前、今回のこと全部知ってたのか」


「あ、ま、真冬さん、えっと、それは……その」


「そうだ、真冬。あんた、さっきドクターが呼んでたよ。今後の……たぶん入院中の面会時間がどうとか、治療がどうとかの話と思うけど。ついでに真夏が起きたこと伝えて来なさい」


「どこ行きゃいいの? さっきの部屋?」


「そうそう。とにかく行っておいで」


露木に言われるがままに病室を出て行く真冬。真夏が体を起こそうとすると白坂が止める。ベッドのリクライニングを調整するリモコンを渡され、言われるがままに操作してベッドを起こす。


「白坂、あれからどれくらい経ったんだ」


「一晩だ。露木さんの言ったとおり、傷はそれほどひどくない。たぶん、午後からはお前んとこの連中が見舞いに来るだろうよ。場合によっては、もっと早くに来るかもしれないけどな」


「たいしたことないってことはあいつらも知ってるんだろ? だったら、誰かが来るとも限らない」


「なんだよ、さびしいな。山吹と志村は来るだろ。向こうからすれば、まだ聞きたいことがあるだろうし。他のやつらだって」


「で、どうなったんですか、あの二人」


白坂の言葉を聞き流して露木に尋ねると、彼女は呆れたような笑みを浮かべた。


「あんたね、真冬がいるとだんまりなのに、いなくなった途端にしれっと喋りだすんじゃないよ。あんたら兄弟の仲とか、なんかそういうの? あたしがとやかく言うつもりもないけどさ。ああ見えてあの子、本気であんたのこと心配してたんだよ。それはわかってやんな。病院に駆け付けたときなんか、廊下を走るわ大声で騒ぐわ、無事だと知ったら腰抜かすわで大変だったんだから」


「まあまあ、露木さん。真夏にもいろいろあるんですよ」


「……あの双子ちゃんたちがどうなるのかは、まあこれからね。今はおとなしくしてるみたいだよ。頼子は殺意があったことを認めてるから、これは殺人未遂って扱いになる。優香のほうは、たぶん接触禁止令が出て様子見ってとこ。あ、つっても、たぶんね、たぶん」


「殺人、殺人未遂」


「なんだい?」


「……いえ、なんでもないです」


「なあ……真夏、よく聞きな。真冬は、あれはあれで悪さばっかりするどうしようもない子だけどね。あんた、親より先に死んだりしたら、あの子よりよっぽどひどい親不孝者になっちまうよ」


「ひどい、ですか?」


「ひどいとも。親より先に子が死ぬなんて、親からしてみりゃこれ以上ない不幸。まさに生き地獄だよ。あたしは独り身だから、これは他人の受け売りだけど。……無茶はほどほどに、しっかり生きな。ね」


「露木さん、あなたは」


「おっと、もうこんな時間か。あたしはそろそろ署のほうに戻んないとだ。ま、今はしっかり休んで、さっさと怪我を治しなね」


そう言って露木だ立ち去ったあと、静かになった病室で白坂がぽつりと呟く。


「あの人、どこまで知ってるんだろうな」


「……さあな」



露木が去ったあと、真冬はしばらく病室にいたものの少し経つと帰っていった。白坂はそれからも残っていたが、別段話すこともなく、ただ静かな時間だけが流れていく。次に誰かが病室を訪れたのは昼前のこと。扉がノックされたと思うと、若い看護師が顔を覗かせた。


「西東さん、面会希望の方がいらしてますよ」


「面会?」


真夏の代わりに白坂が答え、それから真夏に耳打ちした。


「俺そろそろ帰るわ。また夕方くらいに来るから」


「そんなに何度も来なくていいよ」


「さびしいこと言うなって、じゃあな」


さっさと荷物をまとめて、白坂が病室を出て行く。看護師は一度うしろを見てから、どうぞ、とそこにいる人物に声をかけた。ありがとうございます、と少女の声。看護師はそのまま去っていく。声の主はすぐにピンときた。


やってきたのは清水彩だった。


彩は暗い面持ちで扉をくぐり、ベッドの上の真夏を見ると、眉を寄せて目を細めた。真夏は思わず、ベッドからわずかに背中を離す。彩がベッドの脇まで早足で駆け寄ってきたかと思うと、ふとその姿が視界から消えた。シャンプーの残り香がふわりと香る。


一瞬、三島頼子に刺されたときのことを思い出してしまった。反射的に押しのけそうになるのを、すんでのところで堪える。彩の肩を掴んだまま、真夏は小さく呟く。


「……痛いよ、彩ちゃん」


嘘ではない。が、それほどの激痛でもない。胸元から声が聞こえる。


「ごめん、なさい。先輩、怪我してるのに」


「いや……うん、いいよ、気にしなくて。学校は?」


彩がそっと真夏の背中から腕をひき、体を離した。


「……さぼっちゃいました」


「あ、悪い子だ」


「先輩の教室に行ったんです。そしたら、先輩がお腹を刺されて入院したって聞いて、あの、最近このあたりに出没してた、傷害事件の……ですよね」


「うん。でも、もう犯人は捕まってるから、大丈夫だよ。それで来てくれたの?」


「はい……どうしても心配で」


「そんなに気にすることじゃないのに」


「気にしますよ!」


なんの気なしに返した言葉に、彩が思わずといった様子で声を上げる。


「……わ、私、先輩のこと、好きなんですから。気にしますよ。先輩が――」


彩は瞳をうるわせ、わずかにうつむいた。


「先輩が、死んじゃったら、どうしようって、こ、こわく、て……」


そこから先は涙にふるえて言葉にならなかった。目の前で少女が泣く姿に真夏はうろたえる。女性に限らず、泣いている者へのうまい接し方を真夏は知らない。


「なんでそこまで――」


なにがそこまで、彼女を駆り立てるのだろうか。


なぜそこまで、真夏にこだわるのだろうか。


「……ごめん」


今の彼女に、そんなことを聞く気にはなれなかった。


「よかった……先輩が無事で、本当に……」


「無事だよ、無事だってわかってたから来てくれたんでしょ?」


「先輩、西東先輩」


彩は濡れた目で真夏を見る。赤くなった顔で必死に、懇願するように。


「……いなくならないで。どこにも、いかないでください」


真夏は、やはり困惑した。



*



彩が名残惜しそうに帰っていってから三時間ほど。廊下に人の気配がすると思ったら、大所帯が押し寄せてきた。大所帯、といっても六人だが、病室がやけに狭く感じられる。蒼と山吹、千秋、香、ナズナ、今日は珍しいことに夏目も一緒だ。


一番に声をあげたのは夏目だった。


「真夏、お腹刺されたって聞いたけど、大丈夫なのか?」


「大丈夫じゃなかったら、お前たちが来るべきは病室でなく霊安室だよ」


「よかったあ、元気そうだ」


「死ぬかと思ったけどな」


「シャレになってないぞ、それ」


「シャレのつもりはないから当然だ」


夏目が安心したように笑った。香がリンゴの入ったカゴを真夏に差し出す。


「はい、真夏。お見舞いのフルーツ」


「フルーツってかリンゴしか入ってないけど」


「リンゴ好きなんでしょ?」


「好き。ありがとう。愛してる」


「お見舞いっていったらメロンとかバナナが定番かと思ったんだけど、真夏はメロンきらいだって山吹が」


「バナナも苦手だったな。食ったあとに舌がざらざらするとか言って」


夏目が、あ、と顔を上げた。


「俺、みかん持ってるよ」


「なんで」


「さっきロビーでみんなを待ってたとき、隣に座ってた知らないおばあちゃんがくれて……」


「それはお前がもらったんだからお前が食べな」


山吹が夏目を椅子に座らせる。ナズナが蒼のうしろから顔を覗かせ、にやりとした。


「なにか花とか持ってきたほうがよかった? 菊とかシクラメンとか椿とか」


「もれなく縁起の悪いラインナップだなあ」


夏目が手に持ったみかんをいじりながら真夏を見る。


「菊はわかるけど、シクラメンと椿も縁起が悪いのか?」


「シクラメンは、名前に死と苦が入っていて不吉だから見舞いの品には向かないっていう、まあ語呂合わせだな。椿が縁起が悪いっていうのは、花の終わり方、朽ち方の問題だ」


「朽ち方って……桜が散る、アサガオがしぼむ、とかの?」


「他にも、梅がこぼれる、菊が舞う、牡丹がくずれる、とかな。花の終わりを表現する言葉はなにも、枯れたのひとつだけじゃない」


「椿は……落ちる、だったか」


山吹の答えに、真夏は指を立てる。


「そう。落ちる。その椿の花が落ちる様子が、首が落ちる様子を連想させるから縁起が悪いと。そもそも俺は花のにおいがダメだから花自体が見舞いの品に向かない。最近は生花の持ち込みを禁止してる病院も少なくないしな」


「それなら、お花は持って来なくて正解だったね。蒼が花屋さんに入るのを嫌がったからやめておいたんだけど」


「だって、見舞いでも男に花贈ったってしょうがないし」


「うそつけ。お前も花のにおいがダメなだけだろ」


「それもあるけど」


笑っていた香がちらりと扉のほうを見た。


「なんか、安心したら喉かわいてきた。一階に自販機あったよね」


「夏目、一緒に行ってやれ」


「え、俺?」


「バカ。香は道に迷う天才だぜ? 病院なんて慣れない場所で一人で出歩かせてみろ。構内放送で迷子のお呼び出しだ」


「ちょっと、そこまでじゃないよ」


「一人で行って、ここまで戻って来れる自信は?」


「うーん、あんまりない。そもそも自販機が具体的にどこにあったか覚えてない」


「ほらな。夏目……と、ナズナもついてってやれ」


「は、なんで私?」


「三人寄れば文殊の知恵。いくら迷子三銃士でも三人そろった状態ならまだなんとか大丈夫だろ」


「ちょっと、私まで方向音痴リストに加えないでよ」


「いいよいいよ。俺と香の二人で行ってくるから。みんな、なにかほしいものある?」


「アイスティー」


「あ、じゃあ、オレンジジュースがあったらおねがい」


「お茶、頼めるか」


「僕、なんか炭酸だったらなんでもいい」


「俺はいいや。しら……知り合いが、さっき持ってきたのがあるし」


「おっけー。じゃあ、行ってくるね」


意気揚々と部屋を出て行った香と夏目だったが、十分もかからないはずの買い出しから二人が帰ってきたのは、それから三十分以上は経ったあとのことだった。

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