17話「片割れ」
ごめんなさい――と、先ほどまで真夏に向けていた強気なものとは打って変わった、弱弱しい声で少女が言った。以前として、山吹にはこれが姉のほうか妹のほうかの区別がつかない。
「本当は、心のどこかでわかっていたの。悪いことをしてるって、こんなことをしていちゃいけないって。でも、やめられなくて」
真夏のほうを見ると、彼は山吹の視線に反応し、顎で少女を指した。なにか言いたいことがあるなら自分で言え、お前が話せ、と言われたような気がした。
「――でも、結果として、ずっと続けてきただろう。追い詰められてから本当は、なんて言われても、それはただの言い訳だ。さっきも言ったとおり、二度と俺に関わるな。写真のデータも全部削除してくれ」
強気な態度と言葉で突き放す山吹だが、内心では彼女が恐ろしかったし、さっさと切り上げてしまいたかった。だが、ついちらちらと真夏の顔色をうかがいながら話すうち、彼の目が、生半可な結果を、外敵にかける情けを、うっかりでも隙を見せることを、許さないような気がしたのだ。
「ご、ごめん、なさい」
「ごめんじゃなくて、データを――」
そのとき、どこからか、かすかに金木犀の香りがした。
「あんたたち、なにしてるのよ」
突然、視界の外から聞こえた声。見ると、そこで座り込んだままの少女に瓜二つの、もう一人の少女が立っていた。例の、双子の片割れだろう。頼子か優香かわからない少女は怒った顔のままこちらを睨みつけている。
「今度はどっち? ああ、もう、ややこしいなあ」
真夏のうしろで蒼が困惑した声をあげる。真夏はそれを気にせず、視線をそちらに移した。堂々と、落ち着いている。
「ようやく出てきたか、三島頼子。ずっといたにも関わらず、ずいぶんと遅い登場だな」
三島頼子――そう呼ばれた少女は、地面に座り込んだままの少女――三島優香を見てから、眉間にしわを寄せて真夏を見据える。やはり、真夏は二人の見分けがついている。
「男三人で寄ってたかって姉さんをいじめて、なんのつもり?」
「おいおい、お前ら姉妹にいじめられていたのはこっちのほうだぜ」
「バカ言わないで。いじめた? 私たちが?」
「おっと話が通じない常識欠如タイプときたか。これは恐れ入った」
真夏の声の調子が軽い。その態度を妙だと思わないほど、山吹と真夏の付き合いは浅くない。真夏は本来、人見知りをする性格で、はじめて話す相手にここまで饒舌にはなれない。今までもそうだった。まるで会話が成立しないほどではないが、どうしても態度がぎこちなくなるはず。その真夏がなぜ、いや、平時ならともかく、今は非常事態なのだから、多少のことは耐えられるのか――ああ。そこまで思考して思い当たる。
極度の緊張状態が続くと、あるとき、すっとすべての感情が失せてしまうような感覚にならないか――真夏は以前、そんなことを山吹に語った。たとえば、授業でなにかを発表しなくてはならないとき、作文や教科書を音読するとき、自分の番が近付いてくるたびに緊張はより激しいものとなっていく。だが、いざ自分の番がまわってくると――途端になにも感じなくなる。
それまで続いていた緊張が、うそのようになくなる。そんなことがないか、と。山吹にその感覚はよくわからないのだが、もしかすると、今の真夏はその状態なのかもしれない。
「西東、あいつ、結局なんで僕を恨んでるわけ?」
蒼が小声で真夏に尋ねると、真夏は三島頼子から視線を逸らさないまま答える。
「恨みじゃないさ。言ったろ? 三島頼子は惚れた相手につきまとい、ストーカー行為をはたらき、同じ男を好きになった女がいれば暴力をふるうこともあった」
「大迷惑……」
二人のやりとりを耳ざとく拾った頼子が、大きくため息をつく。
「……ああ、そう。あんた、まさかあの男の差し金?」
頼子が低い声で言う。あの男、というのが誰のことか山吹にはわからない。おそらく、真夏が言っていた協力者のことだろう。真夏はその言葉に、は、と軽く笑って見せる。
「逆だ。あの男が俺の手駒なのさ」
二人がなんの話をしているのかも、やはりわからない。だが、発言の内容と、もとより鋭い目つきをいっそう鋭く細めての笑みは、傍目に見ればどちらが悪人かわからないほどの迫力だ。
緊張を振り切って、落ち着いた状態で物事に当たれるなら、それはいいことだ。だが、これはそんな悠長なことでもないと山吹は予測する。なにもないように見えても、精神には確実に負担がかかっている。いつもの真夏じゃない。理由はわからないが、そんな気がする。
真夏はこんな顔をする男じゃない。
ところで――真夏はふと無表情に戻り、言葉をつなぐ。
「お前は恋多き乙女だったそうだが、俺の協力者たるそいつには見向きもせず、それどころか、いたくきらっていたんだって?」
「ええ、きらいですとも」
「なぜ、と最初は思ったが、あいつはお前たち姉妹の区別がつかず、いつも間違えていたそうだな。そりゃ、いくらお前でも、何度言っても呼び間違えてくるようなやつに惚れるはずないか」
「半分は正解。でも、半分ははずれよ」
「では残り半分は?」
「……さあ。同族嫌悪――みたいなもの、かしらね」
「ほう、あれを同族とするか」
「はっきり言って、かなりタチが悪いわ。あの男」
「お前がそれを言うのか。まあ、どうあれ、この二人はお前たちの理想には届かない。聞いただろ? あれはどっちだ、と。こいつらは、お前たちを見分けられる王子様ではなかった。お前がきらっていた男と同じだ。無論、俺もな」
頼子は二秒ほど間を置くと、下を向いて右手で顔を覆った。小さく肩がふるえ、やがて山吹のところまで笑い声が届く。
「ふふ、ふふふ。ええ、ええ。そうね、そうみたい。なんでかしら。なんでいつも、うまくいかないのかしら。こんなに愛しているのに。なんで、誰も応えてくれないのかしらね」
「頼子……もういいのよ、やめて」
優香が頼子を見上げ、おそるおそる言う。だが、頼子の耳には届いていないようだ。
「どうして。どうして、誰も愛してくれないのかしら。私はこんなに、こんなにも、好きで、好きで、愛しているのに」
「すべてが身勝手だ。ひとりよがりにすぎない。その一言に尽きる」
そう、彼女たちのそれは、相手のことを想った行動などではない。すべて自分の心を満たすためのもの。ただの自己満足だ。
「なんで? なんでよ。なんでうまくいかないの。なんでいつも」
頼子が顔を上げた。
「なんで――邪魔ばかり入るのかしら」
ちら、と彼女の左手が光った。
ちがう、あれは。
山吹が理解するより一瞬早く、頼子が地面を蹴った。
進路は一直線。
その先にいるのは。
「真夏、蒼! 避けろッ!」
真夏の視線は既に頼子の左手に。
だが真夏のうしろにいた蒼にはまだソレが見えていない。
優香が甲高い声でなにか叫んだ。
まずい。
手を伸ばす。
突き飛ばしてでもあの刃を避けなければ。
しかしその前に。
――頼子の頭が、真夏の肩に届いた。
「真夏ッ!」
頼子の左手がナイフから離れた。同時に真夏が頼子を突き飛ばす。
避けられなかった?
ちがう、今のは。
「真夏、真夏、大丈夫か!」
腹部を押さえたまま、数歩うしろによろめき、屈みこむ真夏。山吹が駆け寄り体を支えて寝かせてやると、真夏が小さな声でささやいた。
「タオル。持ってきて」
「え? た、タオル?」
それ以来、真夏はなにも言わない。顔をしかめたまま、じっと震えた呼吸を繰り返しているだけだ。一度その場を見渡す。優香は顔を手で覆って泣いている。蒼は真っ青な顔で真夏を見ていて、頼子はただ放心している。誰もそこから動く様子はない。
「蒼、蒼!」
「は――あ、え」
「救急車と警察に電話してくれ。できるか?」
「あっ……う、ん。電話、電話、しなきゃ」
「頼むぞ、すぐ戻る」
言いながら走り、乱暴に玄関の扉を開けた。タオルがあるのは脱衣所の棚。自分では冷静なつもりだったが、何度も足がもつれた。狭い家の中をどたばたと駆け、所望されたタオルを掴んだところで、母親が顔を出す。表の騒ぎがまるで聞こえてないわけではないはず。どうしたの、と不安そうに聞いてくるので、真夏が刺されたと短く答えながら再び外へ飛び出した。
放心していたとはいえ、山吹がいない間に頼子がなにかする可能性もあったが、それは杞憂だったようだ。さっきまでと同じ光景が広がるばかりで、山吹を追ってきてその修羅場を見た母親が、警察、と短く叫んですぐさま家の中に引っ込んだ。
真夏に駆け寄り声をかける。薄目を開けて山吹を見ると、持ってきたタオルを受け取る。ナイフを固定し、傷口を押さえたまま再び目を閉じた。声をかけると反応するので意識はある。
うしろで蒼が通話している声が聞こえた。大きく取り乱している様子はないものの、やはり内心ではパニックに陥っているらしく、うまく状況を説明できずにいるようだ。
「友達が刺されて、あの、南地区の……え? え、あ、はい。はい。し、止血? 止血、処置……あ、ナイフは、はい。や、山吹、止血、応急処置!」
「処置? あ……たぶん、もう済んでる」
「は? は……ほん、とだ」
真夏の状態を見た蒼がうしろを向き、何度か相槌を打ってから電話を切った。話しているうちに少し落ち着いてきたらしく、手の震えが止まっている。
「警察には母さんが連絡してくれてるはず。少しすれば――」
到着するはず、と言い終える前にサイレンの音がこちらに近付いてくる。少しばかり動揺した。いくらなんでも早すぎる。
「山吹」
蒼が小さな声で山吹を呼ぶ。そちらに耳を傾け、こちらも小声で応対した。
「なんだ」
「さっき救急車に電話したとき、既に別の誰かが通報してたみたい」
「え?」
「既に同じ内容の通報を受けてる、って言われて」
「通報――って、いったい誰が?」
「わからない……けど誰かが、したんだと思う」
そこからは早かった。三分もしないうちに救急車とパトカーが到着し、救急隊員が真夏を担架に乗せる。警官が一人、頼子と優香に、もう一人が山吹と蒼に声をかけた。若い女性と年配の男性の刑事だ。そこまできて、ようやく二人の緊張が解ける。あとは、すべて専門家に任せればいい。
「……真夏、頼むから、死ぬなよ」




