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14話「事情」

日曜日の午前十時、山吹は真夏の引率により、街中へと連れ出された。金曜日の放課後、下校中に電話がかかってきたかと思うと、急に日曜日の予定を聞かれたので、なにもないと答えると、出かけるからそのつもりでいろ――と一方的に約束を取り付けられたのだ。予定がないのは本当だったので、なにも困ることはないのだが、やや強引ではあった。


片並町はニ十分に一本しか電車が来ない程度には、発展的と言えない町だ。それでもひととおり暇をつぶせるものがそろっている。田畑の面積も多いが、しかし田舎だと自虐的にけなしたくなるほどの不便さを感じたことはない。


真夏に連れられるがまま商業地へ赴き、駅の近くにあるデパートでほしかった漫画や小説の新刊などをチェックし、ストックの切れかかっていた文房具などの消耗品を買い足し、ついでに少し服や靴なんかも見たあと、それなりの時間でフードコートにて昼食を摂る。


「なあ、本当にどうしたんだ? いきなり遊びに行こうなんて」


いつもなら遊ぶと言えば家でゲームが主流だったので、真夏から外に出かける誘いが来たのが珍しかった。真夏は炭酸飲料を飲みながら、ちらりとこちらを見る。


「いやなに、最近ずっと家にこもりっぱなしだろ? ストレス溜まってるだろうと思ってさあ。気分が沈んでる、そういうときこそ気分転換が必要だとは思わないかね、君?」


「誰だお前は。……まあ、たしかに、一人だと外に出るのも、な。今の状況だと気になる」


「どうあっても盗撮はされてんだ。休日に家にこもって休日の盗撮を避けたところで、結局、平日には撮られてるんだ。だったらもう、いっそのこと、ぱーっと遊んでストレス発散する日があってもよくないか? ときには開き直りも必要だと思うぜ」


「まあ……一理あるような、ないような。それって、ヤケになってるだけじゃないか?」


「そうとも言う。そも、気分が暗く、不安が募るのも、一人でいる時間が長いせいだ。そのことくらいしか考えることがないからだ。なぜそのことしか考えない時間が生まれるか? それはずばり、暇だからだろう。あれをやらなきゃ、これもやらなきゃ、そうやって他のことを考えていても、いつかは尽きる」


そう。そして、考えることが尽きると、解決しない悩みについて、もんもんと考えてしまう。


「次には例のことを考えてしまう。考えたくなくてもな。でも、誰かと一緒にいて、なにか別のことをしていれば、意識はそこから逸れていく。精神衛生的には悪くない。どうせ写真が届いたところで、もう中身なんか確認してないんだろ? いっそ気にしない、というのもひとつの手だ。証拠が増えていくだけだ、ってな」


「たしかに……いや、気にしないとまではいかなくても、気はまぎれるな。どうせ既に何十枚も撮られてるんだしな」


……ただ、そう言うわりに、窓際や通路側の席を避けて壁側の席に座ったような気がするが、偶然だろうか。


「よし、ゲーセンでも行くか」


「お、珍しいな。散財か?」


「たまにはこうして無駄遣いをする日があってもいいんだよ」


彼はゲーム全般がヘタなので、ゲームセンターなどには基本的に近寄らない。彼が例外的にまともにプレイできるのは、シューティングゲームとホッケーくらいだ。クレーンゲームやリズムゲームなどをやらせたときには、もう、目も当てられない成績を叩き出すことになる。


施設内のゲームコーナーに移動しながら、金額の上限を二人で定める。ついでに午後からの予定も話し合っていると、行き交う人々の中に見知った顔を見つけた。


「なあ、真夏。あれ、田辺じゃないか?」


「え? どこ……本当だ」


山吹が指差す先にいたのは、真夏と同じ東阪高校に通う田辺千秋だった。年の離れた女性と一緒に歩いている。おそらく母親だろう。


「ああ、母親と買い物か。なら大丈夫だな」


真夏が言う。大丈夫――とは、なにに対して言っているのかはわからないが、そのことについて尋ねる前に、真夏はさっさと歩きだしてしまったのでタイミングをのがし、結局なにも聞けはしなかった。



*



千秋が怪我をして病院へ運ばれたことを聞いたのは、月曜の朝のことだった。真夏が登校したときには既に教室には蒼がいて、千秋の姿がないのでどうしたのか、と尋ねたときに、血の気の引いた顔をした蒼が、やや食い気味で知らせてきたのだ。


「やばい、どうしよう。千秋が――」


日曜日の夕方ごろのことだったらしい。母子で買い物に出かけた千秋は、ほんの一瞬、トイレに行くために一人になった。そして母親のもとへ戻ろうとしたとき、突然誰かに腕を切りつけられたのだそうだ。傷はやや深かったものの、動脈や神経など大事な部分は無事で、命に別状はないらしい。


蒼がそのことを知ったのは千秋が病院へ搬送されてすぐのこと。同伴していた千秋の母親が気を利かせてくれ、傷の手当てが終わってから、ほんの少しの間だが会わせてくれたそうだ。事件のこともあるので、今日は学校を休むことにしたらしい。


その話を聞いた真夏は――緊張した。


「なあ、これってやっぱり偶然じゃないよな? 僕に嫌がらせしてきてたやつが、ナズナと千秋を襲ったんだよな?」


「手紙のほうは?」


「ナズナが病院に運ばれた日から、一通も来てない。他の物もなにも届いてない」


「そうか。と、すると……ああ、まずいな。まずい。これはよくない……」


真夏はぶつぶつと呟きながら机に突っ伏した。動揺を隠せない。動悸が乱れる。だんだん腹のあたりが重くなってくる。蒼は怪訝な顔をしている。


「なに?」


「いや。いや……なんでもない、これは俺のことだ。こっちの話だ、気にするな。千秋は大丈夫なのか? いつごろから学校に来られる?」


「学校には明日から来るって。体育はしばらく無理だけど。あれ、っていうか、板書とかどうすんだろ」


「利き腕をやられたのか?」


「ううん、左腕」


千秋は右利きだ。


「なら別に……ああ、でも、ノート押さえられないな。あと教科書開いたり、消しゴムとか色ペン取るときとか、それ以外のことも全部片手でやらなきゃいけないと考えると……たしかに大変そうだ」


いや、そんなことはどうでもいいのだが。どうでもいい話でもしていないと、気を保てそうにない。


「ナズナはもう来てるのか?」


「まあ、一応。痛くないって言ってるわりに、すっごい歩くの遅いけど」


「そりゃあ、傷はふさがってるんだろうけど、しばらくは慎重になるだろ。お前、足を怪我した状態で風呂入ると、手で傷口押さえて、しみないようにするだろ? ちょっとかさぶたになってきてても、心配でとりあえず押さえちゃうだろ? それとおんなじだ」


「マニキュア塗ったあと、もう乾いたってわかってても、しばらく指先に気を遣っちゃうみたいなこと?」


「そうだ」


「なるほど」


蒼が納得したところで、真夏はトイレに行くと言って席を立った。そのまま教室を出て、扉を閉めると、すぐにその場に座り込んでしまう。頭の中を満たす不安感は、会話でまぎらわすことができなかった。精神が安定しない。めまいがする。


警戒してくれ、とは言った。しかし、まさか本当に千秋まで襲われてしまうとは。いや、想定していなかったわけではない。だからこそ、彼女に忠告したのだ。これは想定の範囲内ではあった。それでも的中するとまでは思っていなかった。こんな精神状態で今日、一日ずっと正気でいられるだろうか。自信はない。


次に、次――そう、次だ。次のことを考えなくては。真夏はこれからどうするべきか。なにを考え、なにを目的に、どう動いて、それらをまず考えなくては。どうすればいい。答えを出さなくては。答えを出せばとりあえず、少しは落ち着くことができるだろう。平静を保たなくては。


そう、山吹にもある程度、入手した情報を開示しなくては。昨日は山吹の精神的な休暇になればと、ほとんど盗撮魔の話はしなかった。それに、あれは山吹だけでなく、真夏にとっての休暇でもあったのだ。この話はまた別の日にするつもりだった。早急に、その日取りを決定すべきだ。


廊下の向こう、階段の踊り場のほうで音がした。誰か来た、と思い、顔を上げ、すぐさま立ち上がろうとするが、少しばかり気付くのが遅かった。


「先輩? どうしたんですか?」


「ああ、彩ちゃん」


「お弁当、まだ人が少ないうちにと思って……あの、どこか具合でも悪いんですか?」


「いや、そういうわけじゃ、そういうわけじゃないよ。大丈夫。ちょっと……ええっと、まあ、体調は全然なんともないから」


「でも、顔色が悪いですよ」


「隈のせいでそう見えるだけだよ。弁当、いつもありがとね」


「いえ、あの……先輩、もしかして、なにか悩んでいることでもあるんですか?」


「悩み……?」


「私は、先輩のことを、まだ詳しくは知りませんけど。それでも、最近の先輩はちょっと変だなって、思います」


「悩んでることはあるよ。でも悩みなんて、生きてりゃ必ず生じてくるものさ。多かれ少なかれ、誰でもかかえている。ひとつやふたつ、なにか悩み事があるのが普通だし、よっぽど人間らしいと思わない?」


「それは、そうでしょうけど、そうじゃなくて……」


「――いや、うん、わかってる。おかしいな。なんでこう、俺は看破されやすいんだ。今後の課題だな。そうだね、悩みはあるよ。でも、別にだからどうってわけでもないんだ。たいしたことじゃないから、気にしないで」


「本当に?」


「うん、うん……たいしたことじゃないっていうのは嘘かも。俺にとってしてみれば、些事ではない。ただ……彩ちゃんが気にするようなことでもないよ。男の悩みなんて女子からすると、案外どうでもいいことだったりするからさ」


「先輩、その、あんまり……無理しないでくださいね。私でよければ、お話……いつでも聞きますので」


「……ごめん。今はちょっと、一人で考える時間がほしい」


「あ……そう、ですよね。すみません、気がまわらなくて。私、戻りますね」


「ううん。本当に、俺のことは心配しないでいいから。でも、ありがとね」


もっとうまく隠さなくては。これからは……そう、これからのことだ。山吹との話し合いの場を設けるのはもちろんだが、その前に、まずは白坂に連絡しなくては。

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