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1話「恋は盲目」

山吹和正やまぶきかずまが高校二年生になったのはつい先月のことだ。クラス替えをしても友人たちはほとんどが同じクラスのままで、少なくとも自分だけが別のクラスで一人ぼっち、などという悲惨な事態にはいたらずに済んだ。山吹は友達がいないわけではないが、小学校や中学のころから仲の良かった者は皆、別の高校に進学したため、高校からはまたゼロから人と交流することになった。


友達の友達という連鎖から新たな友達を作っていた中学時代のおかげか、すっかり自分から誰かと仲良くなる方法というものを忘れてしまったので、一年のころは非常に難儀した。いや、もしかするとそんな方法は最初から知らなかったのかもしれない。ともかく、高校では四人ほど気軽に話せる相手がいるだけだ。だが、それでも人との縁があるというのはありがたい。


午後の授業とホームルームが終わり、帰り支度を済ませたとき、ポケットの中の携帯電話が短く振動したのがわかった。あわてて教卓のほうへ目をやるが、すでに担任は教室を去ったあとだ。携帯電話の持ち込みを禁止されているわけではないので、なにも隠す必要はないのだが、やはり使用に関しては厳しいところがあるため、連絡などが入ると少し身構えてしまう。なんとなくほっと安堵しながら通知を確認する。


まわりが徐々にタッチパネル式の端末に移行していくなか、山吹はいまだ折り畳み式だ。まだ買ったばかりだというのもあるが、どうもあの、精密機器でありながら無防備に画面をむき出しにしているフォルムが、見ていて不安になる。画面を保護するフィルムやケースも既に普及してあるので、それと併用して使っていれば、すぐに気にならなくなるのだろうが、やはりそれでも耐久面が心配で手が出せない。


新着メールが一件。件名は空白。差出人には見慣れた名前がある。山吹にメールを送ってくるのは大抵の場合が彼だ。


西東真夏さいとうまなつ


真夏とは山吹の幼馴染のことだ。小学校二年のときに彼がここ、片並町かたなみちょうに越してきて以来の付き合いで、高校は別だが、現在でもこうして連絡を取っては会う約束を取り付け、休日や放課後の貴重な時間をくだらないことに費やして日々を過ごすのだ。しかし言葉や態度には出さないものの、それが山吹には楽しかったし、進学先が違ってもなお、友がこうして連絡をよこしてくれるのがうれしくもあった。


「動くな」


本文はこれきり。総字数、実に三文字である。


なんだこれ、とあっけにとられつつ教室を出た。真夏からのメールが極端に短く、簡潔なものであるのは、おおよそいつもどおりのことだ。そう、実に簡潔。簡潔に書きすぎてなにが言いたいのかわからない。もちろんわざとやっているのだろう。だが山吹とて慣れたもの。さすがにその場から動くな、というような理不尽かつ頭の様子がおかしい意味ではない。ちょうどホームルームが終わったころに届いたということは、校門前で待機していろという意味だろうか。


片並町を含む周辺地域には全部で四校の高等学校がある。身も蓋もなく偏差値の低い順に並べると、西丘にしおか高校、東阪ひがしざか高校、北桐きたぎり高校、片並高校。山吹が通うのは片並高校で、真夏やその他の友人たちはほとんど東阪の生徒だ。山吹と真夏は自宅が近い位置にある。山吹が電車やバスで片並に通う反面、東阪は徒歩でも通える距離にある。つまり、真夏にしても山吹にしても、自宅からここまで来るには時間がかかる。なので、今回の指令のメールには山吹もやや怪訝な気持ちであった。


「今どこだ?」


下駄箱で靴を履き替えながら返信する。その場で少し待ってみるが返事はない。時差があるのは仕方ないことだと、正門に向かうと、校名の刻まれた大理石の陰から声がした。


「ここ」


ボストンバッグ型の学生カバンを背中に背負った男。まつ毛が長く二重瞼で、目元の印象はくっきりしているが、長い前髪で目元に影が落ちており、つりあがった目と濃い隈も相まって人相が悪く見え、黙っていると顔が怖い。これが西東真夏だ。


そして真夏の後ろにもう一人、リュックサックを背負った、真ん中分けの前髪の男。細身な体つきと猫背気味の姿勢。どこか頼りなさげな目つきは厭世的で、機嫌が悪そうな顔をしているが、それはいつものことだ。志村蒼しむらあお。中学からの知り合いで、真夏に連れられてよく山吹とも顔を合わせる友人だ。二人とも青色を基調とした同じ制服を着ている。まぎれもない、東阪高校のブレザーである。


「真夏、珍しいな。お前がここまで来るなんて」


「金曜日だからな。そんな日もあるさ」


金曜だとなぜそうなるのかわからないが、ともかく、そんなこともあるらしい。


「それにしても、ホームルームが終わってから来たにしては早くないか? 東阪からここまでって結構遠いだろ」


これには蒼が答えた。


「こっち、今日は早めに終わったから。こいつが、片並は今日は終わるの遅いって」


隙間風が通るような声だ。たしかに通っているのはわかるが、かすかにしか感じられないため、うっかり聞きもらしそうになる。山吹と蒼は二人きりで話すことや、会ったりすることもないが、だからといって苦手意識があったり不仲というわけではない。ただ、お互い趣味が合うわけでもなく、共通点も少ないため、真夏がいない状態だと同じ世界を共有しづらいのだ。


もちろん、山吹はもっと仲良くなりたいと思っている。実際、こうして三人で会うようになった時点で、中学のころよりも距離は縮まっているはずだし、蒼も嫌々来ているわけでもないようなので、少なくとも嫌われてはいないはず。ただそれは山吹が一方的にそう思っているだけなので、実際に蒼が山吹をどう思っているのかはわからない。普通に友達と思ってくれているなら安心だが、もしものことを思うと、ちょっと怖くて本人には聞けない。


「……ん? というか真夏、お前なんでそんなこと知ってるんだ?」


蒼が言った、片並――というより山吹のクラス――が今日は帰りが遅いと、真夏が言っていたらしいことに関してだ。前に会ったときは自分のクラスの時間割すらまだ把握していなかった真夏が、まさか他校の時間割を把握しているわけでもあるまい。


「それは俺のカリスマせ――あ、そうだ、前に言ってたゲーム、中古だけど安く売ってたの見つけたから買ったよ。山吹の家でやろう」


「お前そのさあ、なんか話してる途中でいきなり別の話するのやめろよ。処理能力ねえのかよ」


蒼の言葉は辛辣だが、そのとおりだ。彼はいつも真夏に対しては特別きびしい。真夏は感じたことや思ったことをすぐにその場で喋る癖があるので、話が唐突に変わったり、戻ったりする。嘘偽りなくそのままの言葉を口にするので、裏表がないと言えば聞こえはいいが、頭の中身を垂れ流しにしすぎているため、無防備といえば無防備だし、それはそれでいろいろと危なっかしい。


「うちでやるのはいいけど、ゲーム持ってきてるのか?」


「今あるよ。来る前に持ってきた」


「一度家に帰ったなら着替えて来ればよかったのに」


「いや、俺ブレザー大好きだから」


「中学のときに制服は嫌いって言ってなかったか」


「そんな昔のこと覚えてるわけねえだろ」


「うーん、お前なあ……まあそうだな、お前はそうだな」


この男の発言は基本的に冗談半分で聞き流さなければやっていけない。一瞬でも本気にしたほうが負けなのだ。山吹もそれはわかっている。


「ねえ俺、腹減ったんだけど、このへんってコンビニとかあったっけ?」


真夏が言う。蒼が信じられないような顔でうわ、と声をもらした。


「お前さっき昼飯食ったじゃん」


「それ昼休みの話じゃん」


「帰りにもなんか買ってたじゃん」


「もう食べたじゃん」


「いやだから食ったばっかだろって」


蒼が呆れるのも無理はない。真夏は昔から、成長期であることを差し引いてもよく食べる男だ。山吹はどちらかというと小食気味なので、真夏の食べる量にはおどろきを通り越して、蒼と同じく呆れている。


「そういや、話変わるんだけどさ」


蒼との言い合いがなかったかのように話題が移る。いつもいつも、こうした前置きがあるうえでならば、ころころと話題が変わろうと問題なくついていけるのだが。残念ながら毎回そうであるとは限らない。


「飯の件はもういいのか。……それで、どうした?」


「今日ね、告られた」


「こく……、は!?」


思わず声を上げた。唐突だ。唐突すぎる。蒼がぽかんとした顔で真夏を見ているため、彼も知らされていなかったことがわかった。


「告られたって、え? 告白? されたん? 女子に?」


女子からでなかったら、それはただの怖い話だ。蒼がうわずった声で確認すると、真夏はなんでもないように頷いた。


「こっ……え、だ、誰に?」


「俺も名前は知らない。学年も知らない。やっぱ罰ゲームとかかなあ、あれ」


前々からそうなのだが、彼はなぜか女という生き物に対して疑り深い。しかし彼自身に自覚があるのかどうかはともかく、真夏は決して見た目が悪いわけではないのだ。人相が悪く見えるのは黙っているときや不機嫌なときだけで、話し始めればよく笑う男だし、前髪で顔が隠れがちなため、遠目に見ていてはわかりづらいが、顔立ち自体はまあまあ整っているほうだ。正統派な美男子とは言い難くとも、好きな人は好きなはず。すれ違っただけの相手からひと目惚れをされたとしても、なにも不思議ではない。


「まったく知らない女子からってことか。でも、それならむしろ本当なんじゃないか? まったく知らない男相手に罰ゲームで告白なんて、リスクが高すぎる」


「わかんないぜ? 根暗を狙ったのかもよ。本当のことバラしたあとにキレたりしないようなさあ」


「クラスメイトならまだしも、なにも接点がない状態で、お前ならからかっても怒らないって判断するのは難しいだろ。それで……そのあと、どうしたんだ? その子」


「いや、俺が固まってる間にどっか行っちゃったから知らない」


「マジのやつだったらどうすんの?」


蒼が静かに問う。平静を装っているが、どうしても興味があるのだろう。そわそわと目線が落ち着かない。


「いやあ、めちゃくちゃかわいい子だったし、絶対なんかの罠だって、あんなん。志村、お前だってさあ、見るからに引く手あまた、いくらでも男を選べるようなかわいい子に、好きって言われたら嘘だろって思うだろ?」


「それは……ちょっと、まあ、気持ちはわかる」


「それに加えて、本当に一切、知らない子からなんだぞ?」


「信用できない」


「だろ?」


なぜか共感しあっている二人に山吹はおいおい、と割って入る。


「もっとポジティブに捉えろよ、本当に好きなのかもしれないだろ。せっかくのいい話じゃないか。もし返事を求められたらどうするんだ?」


「いや……断るけど」


「えっ、断んの?」


「そりゃ、断るだろ。知らない相手だぜ? 怖すぎ。ムリ。志村、お前だったら付き合うの?」


「いや断るけど」


「だろ?」


「……だったら、罰ゲームなのかどうかで悩む必要ないんじゃないか? てっきり、その子をいいなと思ったから、騙されてたらどうしようって言ってるのかと」


「どんな子だった?」


山吹の言葉はさらりと流され、蒼が真夏に問う。真夏はうーん、と頭に手を当てて考え込んだ。


「いや……かわいかったのは印象として覚えてるけど、どんな子だったかって言われると……あんま覚えてない」


「なんだそりゃ」


「女子って髪型一緒だと全部同じに見えるから……俺、もともと人の顔を覚えるの得意じゃないし」


「そうか……にしても、やっぱり断るのか。とうとう真夏にも彼女が――と思ったんだが」


「西東に惚れる女子とかそうそういないだろ。もったいね」


「いやいや、もし向こうが真剣なんだったらさ、もったいないからとか、そういう安易な考えで決めるのは不誠実だろ。まあ……世の中にはなんとなく付き合ってみたら好きになった、みたいな話もあるみたいだし、そういうのを否定するわけでもないけど」


「自分には無理、と?」


「そういうこと」


意外にもしっかり考えた結果のようだ。先ほどの物言いからして、知らない相手は信用できないから断るというだけかと思ったが、それだけでもないらしい。いつもなにも考えてなさそうな言動が多いので、つい忘れがちだが、真夏は決して思慮の浅い男ではない。いや、普段はそうであるかもしれないが、真剣なときは真剣だ。


「それに名前だって知らないんだし」


「まあ、もし俺が今のお前の立場だったらと思うと……たしかに断るかもな」


「あ、名前といえば」


また話が変わる。


「俺、また呼び間違えられた」


「名前? ああ」


真夏の姓である西東という字。読みはサイトウが正しいが、少々わかりづらいために読み間違えられることが過去に何度かあった。別に読めないわけではないはずだが、なにも言わずにただ西東と見せられると、どうも引っかかってしまうらしく、ニシアズマと読む人が多いのだ。もはや新学期における出欠確認の点呼で、その読み間違いと、それを訂正する真夏と教師のやりとりは恒例となっている。


そういえば中学のころに、全校集会で表彰される機会に恵まれた真夏だが、その際にもニシアズマと誤読され、訂正する癖がついていた真夏は体育館中に響くような声で「サイトウです」と叫んだ事件があった。その件を話に持ち出そうとしたが、からかいすぎると怖い顔をされるのでやめておく。


「お前はそうやって一生間違われ続けるんだろ。ぱっと見ニシアズマくんだもんな」


蒼が茶化すと、真夏はあからさまに嫌そうな顔をする。


「やだなあ、そんな人生。山吹、俺と苗字交換しない?」


「できないだろ」


「できないけど」


「わかってるなら言うなよ」


「あ、俺がナズナを嫁にもらえば合法的に俺の苗字を志村に変えることが……」


「なんでナズナなんだよ、絶対やめろ!」


蒼が大きな声で拒絶する。ナズナとは蒼の双子の妹のことで、蒼や真夏と同じ東坂に通う生徒だ。おそらく蒼が嫌がっているのは、ナズナと真夏がどうなるかということに対してではなく、それが叶ってしまうと戸籍上の話とはいえ真夏と義兄弟になってしまうことに対してだろう。


「まあまあ、そんなこと言わずに、お義兄さん」


「きっしょ! お前にお義兄さんとか死んでも呼ばれたくねえ」


手をこまねきながらすり寄ろうとする真夏の背中を押しのける蒼。真夏はふざけているだけだが、蒼は本気だ。


「……それだと逆じゃないか? 仮にお前とナズナが結婚したら、その場合、ナズナが西東になるんだと思うが」


「あれ、被害拡大じゃん」


志村家に婿入りするならともかく、嫁にもらうというのなら、真夏の言うとおり被害者が増えるだけだ――と考えたところで、ただの冗談になにを真剣になっているのか。情けないような恥ずかしいような気分になった。


「いやそもそも、うちの家族の一員になること前提で話すのをやめろ。他をあたれバカ」


蒼がどうしても嫌だと言うので、真夏はナズナを――そもそも狙ってすらいないはずだが――あきらめたようだった。少しの間が空いて、ふと気が付いた蒼が真夏に尋ねる。


「あの……お前、ナズナのこと好きなの?」


「いや、別にそういう目では見てない」


「じゃあなんでナズナの名前出したんだよ」


「なんとなく」


「そうかよ。くたばれ」

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