Scene-4:【悠太のアパート】/熱い想い
「風が気持ちいいね」
恵彌子が悠太の腕にすがりつくようにして歩きながら言った。
「酔っ払ってるからだよ」
悠太は、恵彌子の小さな胸の膨らみを二の腕あたりに感じていた。肌を刺すような寒さの中で、悠太にはそこだけ温かった。
「うわぁ!雪だよ、ほらッ!」
二人が【夢紡橋】に差し掛かった頃、恵彌子が子供のような歓声をあげた。立ち止まって手を差し伸べた彼女の赤い手袋に粉雪が静かに舞い降りる。
「きれいだね」
橋を照らす灯りを反射してキラキラと輝く冬の天使たち。二人はしばらくの間、黙って彼らの乱舞に見入っていた。
「ねぇ、この橋のこと、どうして【夢紡橋】っていうか知ってる?」
「ううん」
「この橋を渡ってる時に雪が降ると、その人の夢が叶うんだって」
悠太は、少し考え込んでから言った。
「なるほどね。夢を紡ぐ橋って訳か」
「そう。だから、【夢紡橋】。それに下を流れる川は、【聖夜川】。……よくできた話しでしょ?」
「出来過ぎなんじゃない?」
二人は、顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、俺の夢も叶うってことなのかな」
恵彌子が、意味ありげな視線を悠太に向けた。
「悠太の夢って何?」
「うん?教えてやらない」
「イジワルぅ」
――俺の夢はね。
悠太は、心のうちでそっと呟くのだった。
――俺の夢は、お前とずっといっしょにいることなんだよ。
雪は、密かにしかし絶え間なく空から降りていた。
二人が悠太のアパートに着いた時、辺りはすでにうっすらと雪化粧を纏っていた。
「寒いけど、ちょっとだけ、ここで待ってて」
どことなく照れたような微笑を残して、恵彌子は古ぼけたドアの奥に消えた。
しばらくすると、
「入っても、いいよ」
「いいよって、ここは俺ん家でしょうが」
「いいから、いいから」
「一体、何だって……」
悠太の言葉は、目の前に広がる優しい空間に溶けていった。
「テーマは、クリスマス。私の彼氏は、サンタさん……なんてね」
なるほど、テレビの脇にはツリーのイミテーション。雪を模した綿があしらわれ、ミニチュアの玩具や豆電球のイルミネーションで着飾っている。
いつもは汚れたマグカップが無造作に置いてあるだけのテーブルには、真新しいテーブルクロスが敷かれ、磨きあげられた燭台が鈍い光沢を放っていた。
恵彌子は燭台に立てられたローソクに火を灯しながら、
「明かりを消して」
「うん」
キャンドルとツリーだけの灯火の中、肉厚のステーキとクリームシチューが浮かび上がる。
「さあ、座って」
無邪気な恵彌子の笑顔が眩しかった。恵彌子は忙しい勤務の合間を縫って、これだけの下準備をしていてくれたのである。
「今日、仕事、何番だっけ?」
「ん?早番だよ」
「それじゃあ、ほとんど寝てないってこと?」
「大丈夫。ナースの体力をなめちゃいけません」
悠太は、壁にアレンジされたモールやペーパーフラワーを落ち着きなく眺めて言った。
「何だか、今年はやけに力入ってるって感じだな」
「う〜ん、結構……お金、使っちゃったかな。でも、雰囲気でてるでしょ?それに、この前の悠太の誕生日、祝ってあげられなかったし」
――そう言えば。
悠太は、ぼんやりと思い出していた。その日は、恵彌子が両親の説得に根負けして、実家へ帰省していたのだった。
こうして二人でいると、ひとりきりで過ごした誕生日のことが、悠太には余計に寂しく思えてしまうのだった。
キャンドルライトに照らし出された温かくて穏やかな空間、その向こう側に彼女はいた。少女のような笑顔に輝きながら。
「それからね、もうひとつ、見て欲しいものがあるの」
悠太のセンチな想いに関係なく、恵彌子は軽やかな足取りでキッチンへ向うと、
「ジャーン!」
恵彌子がテーブルの上に載っけたものは、手作りのデコレーションケーキだった。工夫を凝らしたクリームの飾り付けと、中央にはウエハース製のロッジが居を構えている。
それから、よく冷えたシャンパン。
「乾杯しよッ」
そう囁いた恵彌子の言葉を悠太は静かに受け止めていた。二人が同じ想いを互いの心の中に灯すようになってから、もう4年もの歳月が流れてしまっているのである。
不思議な気がしていた。
――何か、違う。
そんなわだかまりが、悠太の心の片隅に漂っていた。それは微かな漠然としたものであったが、決して拭い去ることが出来ない確かなものでもあった。さざ波のような不安が、悠太の中で湧きあがってゆく。
「どうしたの?そんなに深刻な顔しちゃって。ケーキ、美味しいよ。これでも自信作なんだからね。早く食べよ……」
悠太は、恵彌子の言葉を飢えた唇で遮っていた。
この夜のキスは、チョコレートケーキの味がした。