Scene-3:【難破船】/記念日
そこへ、マスターが近づいて来て、悠太の前にそっとグラスを差し出した。
悠太は、目の前に置かれたカクテルをじっと見詰めた。それは、いつもの《ギムレット》とは明らかに違っていた。牛乳のように白くて、しかも仄かに湯気を立てている。
「マスター、これ、何?」
悠太の訝しげな表情を柔らかな物腰で受け止めながら、
「これは、《トム・アンド・ジェリー》というカクテルです。アメリカやイギリスでは、クリスマスドリンクとしても有名なんですよ。まあ、騙されたと思って飲んで御覧なさい。すっごく温まりますから」
悠太は、恐る恐るグラスをそっと口許へ運ぶ。滑らかな舌触りと同時に、ラムとブランデーの芳香な香りが鼻をつく。それから、熱い塊が身体中に広がっていく感覚が追っかけて来た。
「どうですか?」
「うまいっす」
マスターが嬉しそうに微笑んだ。
「玉子酒って訳でもないんでしょうけど、ホットカクテルなので、風邪をひいた時に薬代わりに飲む方も多いと伺っています」
「ふ〜ん、そうなんですか」
「ねぇねぇ、私にも飲ませて」
恵彌子が割り込んでくる。
「大丈夫かぁ?これって、ラムとブランデーがベースだぜ、たぶん」
「ええ、その通りですよ。よくお解りになりましたね?」
マスターが、目を細めて尋いた。
「何となくですけど。香りが、結構きついから」
「そんなの、全然、解んない。でも、美味しいね」
「あっ、お前、全部飲んじゃった?」
「……うん」
「酔っ払っても看病なんかしてやんないからな」
「平気だもん、これくらい」
何だか引っ込みがつかなくなってしまい悠太が更に言い募ろうとした時、マスターが助け舟を出してくれた。
「まあ、よろしいじゃありませんか。お酒は、美味しく召し上がって頂くのがいちばんですから」
マスターは優しく恵彌子を見やると、
「ただし、飲み過ぎて、折角の記念日を台無しにしてしまってはいけませんね」
記念日――。
そう、ちょうど四年前のこの日、二人は出逢ったのだった。
クリスマスを間近に控えた、悠太が大学3年生の冬。バイト先のコンビニで、当時はまだ看護婦の卵だった新入りの恵彌子を指導することになったのがきっかけだった。
――よろしくお願いします。
そう言って、少し恥ずかしそうにペコリと頭を下げた恵彌子の仕草が、悠太にはどういう訳か今でもはっきりと記憶に残っていた。
最初のデートの時、恵彌子が時間を勘違いして2時間も待ちぼうけを食ったこと,話しに夢中になってて、気が付いたら5時間も電話で話し込んでたこと,二人で初めて観に行った映画のこと……。
そして――。二人で初めて迎えた朝日の眩しさ。
「今夜は、雪になりそうですね」
マスターの言葉に悠太は我に返った。
本来の作品構成としては、ここまでが第1章になります。
“L-City”シリーズの小道具である【ブルジョワの丘】などは、この作品中ではフレーズとしてしか登場しませんけど、次回かそのまた次回作くらいではちゃんと書き込む予定ですので、多少読みづらいとは思いますが御了承下さい。