魔王城は今日も平和です!!
魔王城への最後の階段を上りきったとき、リュートは剣を構えた。
「ついに、ついにここまで来た……!」
三年間の旅路。仲間との別れ。数え切れない戦い。すべてはこの瞬間のためだった。
重厚な扉を蹴り開け、リュートは叫ぶ。
「魔王リリス! お前の悪行、ここで終わらせる!」
だが、扉の向こうに広がっていたのは――
「きゃっ、誰か来たー!」
「え、今日って何か予定あったっけ?」
「リリス様ー、来客ですよー」
――放課後の教室のような、賑やかな空間だった。
広々とした玉座の間は、クッションやぬいぐるみで埋め尽くされている。
魔族の少女たちが床に座り込み、トランプやボードゲームに興じていた。
壁には手作りらしいポスターが貼られ、「今月の目標:早寝早起き」などと書かれている。
「……は?」
リュートの脳が状況を理解することを拒否した。
「あ、もしかして勇者さん?」
奥のソファから、銀髪の少女が顔を上げた。頭に小さな角が生えている。
魔王リリス、その人だ。
「そうだ、私が勇者リュート・ファルシオン! 貴様の――」
「わー、本当に来てくれたんだ! ねえねえ、お茶飲む? ノワが焼いたクッキーすっごく美味しいんだよ」
リリスは屈託なく笑って、隣の席をぽんぽん叩いた。
「いや、そうじゃなくて……戦いに……」
「戦い? ああ、そういう儀式的なやつね。わかるわかる」
リリスはうんうんと頷いた。
「でもさ、その前に一息つかない? 遠かったでしょ?」
「遠かったって、お前……」
「リリス様、来客には先に身なりを整えていただくのが礼儀では?」
凛とした声とともに、黒いドレスの女性が現れた。
ベルゼア、四天王筆頭である。
「あー、そうだね。ねえ勇者さん、その鎧、血とか泥とかついてない? 洗濯する?」
「しない!」
リュートは思わず叫んだ。
「いいから戦え! 魔王と勇者なんだから!」
「えー、でもお腹空いてない?」
別の少女――ノワが、トレイいっぱいのクッキーを持ってきた。
甘い香りが鼻をくすぐる。
確かに、朝から何も食べていなかった。
「食べない! というか、なんなんだここは! 魔王城だろう!? もっとこう、おぞましくて、邪悪で、暗黒に満ちた――」
「ああ、前はそうだったんだけどね」
リリスが懐かしそうに言った。
「でもさ、ずっと一人で暗い城にいるの、寂しくてさ。だから魔族の子たちを集めて、みんなで楽しく過ごせる場所にしたの」
「楽しく……過ごす?」
「うん! 今日はベルゼアが新しいボードゲーム買ってきてくれて、みんなでルール確認してたんだ。複雑だけど面白いよ。勇者さんもやる?」
リュートは眩暈を覚えた。これは罠だ。
魔王の巧妙な罠に違いない。
「騙されないぞ! お前は人間の村を襲い、作物を枯らし、疫病をばらまいた! その罪、決して許されるものでは――」
「ちょっと待って」
ベルゼアが手を上げた。
「それ、いつの話?」
「え? 三年前だが」
「ああ、やっぱり」
ベルゼアは溜息をついた。
「それ、リリス様じゃなくて、前の魔王だよ」
「は?」
「前の魔王、超性格悪くてさー」
ノワが口を挟んだ。
「魔族にも優しくなかったし。だからリリス様が倒して、新しい魔王になったの。もう二年半前かな」
リュートの頭が真っ白になった。
「じゃあ……じゃあ俺の旅は……」
「うん、ちょっとタイミング悪かったね」
リリスが申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、連絡しようとは思ったんだけど、人間の国って魔族の手紙受け取ってくれないし」
「そんな……」
膝から力が抜ける。三年間。すべては無駄だったのか。
「でもさ」
リリスが優しく微笑んだ。
「勇者さん、すごく頑張ったんだよね。ずっと正しいことのために戦ってきたんだよね」
「……そうだけど」
「だったら、その力、こっちで使わない?」
「こっちで?」
リリスは立ち上がり、窓の外を指差した。
「魔界にもね、まだまだ悪い魔族はいるんだ。弱い者いじめする奴とか、理不尽に暴力振るう奴とか。私、そういうのなくしたいんだけど、一人じゃ手が回らなくて」
「魔王が……そんなことを?」
「変かな?」
リリスは首を傾げた。
「でも私、みんなが笑顔でいられる世界がいいなって思うんだ。人間も魔族も関係なく」
その瞳は、嘘をついているようには見えなかった。
純粋で、まっすぐで。
「勇者さんの正義感、私たちに貸してくれない?」
リュートは、自分の中の何かが音を立てて崩れるのを感じた。三年間信じてきたもの。魔王は倒すべき絶対悪だという前提。
でも、目の前にいるのは、ただの優しい少女だった。
「……クッキー、もらってもいいか?」
リュートが小さく呟くと、ノワが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「やったー! いっぱいあるよ!」
リュートは鎧を脱ぎ、クッションの上に腰を下ろした。差し出されたクッキーを一口齧る。素朴な甘さが口に広がった。
「……美味いな」
「でしょ!」
気づけば、魔族の少女たちが自然にリュートの周りに集まっていた。旅の話を聞きたがり、目を輝かせている。
「ベルゼア、ノワ、新入生歓迎会の準備」
リリスがぱんと手を叩いた。
「新入生って、俺?」
「うん! 魔王城へようこそ、勇者さん。いや、リュート先輩?」
「先輩って……」
「だって年上でしょ?」
リュートは笑ってしまった。魔王討伐という壮大な使命は、こんなにも呆気なく、こんなにも温かく終わった。
窓の外では、魔界の夕日が沈もうとしていた。
「なあ、リリス」
「ん?」
「お前、本当にいい魔王になれると思うよ」
リリスは少し驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑った。
「ありがとう。一緒に頑張ろうね、リュート先輩」
魔王城の、新しい日常が始まろうとしていた。
放課後の教室のような賑やかさの中で、元勇者は思う。
これはこれで、悪くない。いや、むしろ――
「リュート先輩、このゲームのルール教えてー!」
「ちょっと、順番守りなさい」
「リリス様、お茶のおかわりです」
――最高かもしれない。
剣を置き、クッキーを手に、リュートは笑った。
魔王城は今日も、明日も、きっと平和だろう。
(完)
カクヨムから転載




