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金色の空  作者: 古流
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78 目にながむれば

 胸が高鳴り、足が微かにふるえた。

 十年の年月が嘘のように消えて、隠されていた入り口が姿を現した。

 隔てている距離は存在価値を失い、十年前がそうであったように、定信と桂木美鈴は木戸をくぐっていった。左に中庭があり、二人はそこまで歩いた。縁側のガラス戸は開いていて、廊下が春の光を受けて鈍く光っていた。そこに座ると陽の温かさが定信のお尻に伝わり、気持ちまで温かくなった気がした。

 庭の隅には不揃いの真珠みたいな木漏れ日が、震えるように集まっていて、その中から小さな粒が一つはじかれたよう飛んで、定信の身体に当たった。同じように小さな光の粒は躍るように二人を囲んで輝きだした。辺りには暖かな空気がただよい、今まで感じたことがないような幸せな気分になった。

 庭の花は光に誘われるように咲いていた。

 忘れな草もあの頃と同じようにひっそりと咲いていた。

 二人はこの十年を埋めるための言葉が、見つけられないのか縁側に黙ったまま座っていた。

 春の日差しが二人を包みこみ。花の香りがただよった。、

 待ち望んでいた情景だった。

 桂木美鈴は、定信の空想の中で幾度となく現れたあの頃の少女のままだった。その微笑みは心の闇すら真昼の草原のように照らし、迷うことがない光の道をつくっていた。これから二人が歩いていこうとしている道だった。どこへ行くのか定信は知らない。道に光が届かない場所があっても、一寸先が闇に覆われていても、歩いて行かなければならない道であった。

(そうだ! 約束した隠れ家を探すんだ)

 言葉にはならない思いが定信を縁側から立ち上がらせ、中庭の陽の中に立たせた。そして小学生の時そうしていたように垣根に目を移した。

 緑の垣根がガサガサと揺れ、その向こうで少年が黒ぶち眼鏡に太陽の光を反射させているのが見えた。

 定信はニヤリと笑うと桂木美鈴と中庭を歩き木戸を開けて外に出た。見慣れた道が左右に伸びていた。その道のずっと先の角を小学校の同級生の古室由香里が曲がって行った。

 そんな二人の横を白いカーボンボディーのスクーターがゆっくり通り過ぎようとしていた。それを定信はぼんやり見送っていた。ヘルメットで顔は見えなかったが、運転していたのは、きっとあの人に違いなかった。

 なぜか、今……顔がお思い浮かばないあの人……名前すら、もう思い出すことが出来ない。きっとあの人に違いない。

 懐かしさを含んだ草原の風のように輝きながら傍らを通り過ぎていく。

 スクーターのバックミラーが太陽を反射すると定信の手がキラリと光った。驚いて手を開けると眩しく光るものを掴んでいた。それが何であるのか定信にはすぐに分かった。しかしそれが、なぜ手の中にあるのか、その理由を知ろうとはしなかった。知る必要もないと思った。

 定信はそれを握りしめて首をかしげた。鮮やかな赤いレザーの繋ぎを身にまとい、ヘルメットからゴールドブラウンの髪をなびかせて走り去ろうとしている一人の女性に目に留め、眩しそうに雲ひとつない空を見上げると、一人の美しい女性の姿を思い描いた。悲しいほど美しい女性だった……しかしすぐに思考は停止した。辺りが明るすぎるからか、その姿をスクリーンに映し出すことが出来なかったのだ。

 一つだけ気付いたことがあった。後部座席に見覚えのある男が跨っていた。小柄な体をなお屈めて武蔵が丘高校の曲渕介まがりぶちかいが定信を振りかえって不気味に笑っていた。背筋に悪寒が走り感情の均衡が崩れそうになっても、これでいいんだと子供のように素直に思った。


 二人はゆっくりと、白い光の道を歩きだした。

 定信の家の前を通った時、家の中から定信の母の大きな声が聞こえてきた。

「ぎいち。そろそろ降りて来たら」

 定信はその声に反応するように、立ち止って玄関を見た。

 生まれ育った我が家の入り口。

 定信義市と桂木美鈴は恥じらいを浮かべて手をつなぐと、再び歩き出した。

 二人が光に包まれ見えなくなると、定信の家が水を含んだ絵具のように霞の中でぼやけた。


 定信が朝の散歩から戻って二階の部屋に行ったのを母は知っている。知っているのはそれだけだった。そのあと勢いよく階段を下りていった音も、乱暴に玄関を開け外に出ていった事にも気付いていなかった。

 母は定信がまだ部屋にいると思っていた。

「義一……」

 再度、大きな声が聞こえた。二階ではベッドが軋み、床を踏む音が聞こえ、ドアが開いた。その後ゆっくり階段を下りてくる足音が続いた。もう何年も繰り返している生活習慣音だった。

 母は柱時計に眼をやった。十一時を少し回っていた。定信が下りて来たと思い、昼食には少し早いが食事の準備のため椅子から重い腰を浮かせた。その時、立ち上がろうとした母の膝がテーブルの角に当たり、置いてあった湯呑み茶碗が転がって板の間に落ちた。派手な音が鳴り母は耳を両手でふさいだ。茶碗はきれいに二つに割れていた。両手を耳から離して手を切らないように割れた茶碗に手を置いたとき、階段を下りてくる定信の足音が途切れたのに気づいた。

(あれ……?)

 不思議な感覚に割れた茶碗に手を置いたまま、しばらく、その場に座り込んでしまった。


 母は台所をかたづけると階段を上がり、ドアが半分開いている定信の部屋をノックした。

「ぎいち……」

 ドアを開け母は部屋の中に入った。ベッドには定信の姿は無く一冊の文庫本が置いてあった。不思議に思ったのも瞬きの間だった。ベッドの端に腰かけて、開け放たれた窓の窓台まどだいに頭を乗せて、うたた寝をしている定信を見つけた。

「寒くないの。風邪ひくわよ」

 その母の声にも気づかぬ様子で、ぐっすり眠っているのか動かない。

「珍しく早起きするから、こんなところで寝ちゃうのよ。コーヒー温めるから下りてきなさい。珍しい物を見せてあげるわ。4月11日なのに誕生日おめでとうだって」

 母はそう言って定信の肩を叩いた。

 定信の頭が自らの意思で持ち上がったように母は思った。

 それを確認してから、呆れるように首を振って部屋を出ていった。

 しばらくして台所ではコーヒーの香ばしい香りがしていた。


 母はテーブルの上をあらためて眺めた。中央に小さな忘れな草の花鉢があった。母は手に持っていた一枚の手紙を、そのテーブルの上の花鉢の横に置いた。

 手紙には、たった一行(定信くん、二十歳のお誕生日おめでとう)と丁寧な文字で書かれてあった。

 定信の誕生日は4月1日。

(誰の悪戯かしら、玄関のブロックの上に忘れな草の花を置いたの? それに今日は4月11日なのに。定信くん、誕生日おめでとうなんて、どうかしてるんじゃない)

 定信の母は内心そう思っていた。水道の蛇口をひねると水が勢いよく出た。

「いつまで寝ているつもりなんだろう」

 母が手を洗って一人ごとを呟いていた時、外で定信を呼ぶ大きな声が聞こえた。

「さだのぶぅ、いるかぁ」

 聞こえたのは一度だけだった。伏魔殿ふくまでんに全ての音を封じ込めたみたいに二度とは聞こえなかった。

 ただ排気ガスを含んだ風だけは、開け放された定信の部屋の窓から流れこみ、ベッドに置いてある文庫本をもてあそんでいた。

 風のいたずらか、色鉛筆で一行だけ赤いラインが引かれているページが開いた。


「エリザベト、あの青い山々の後ろにある僕たちの青春、あれはどこへ行ってしまったんだろう」


 青空が広がり白い雲が浮かんでいた。

 再び大きな声が聞こえた。

「さだのぶぅ、行こうぜぇ。サイクリングにゃ最高の季節だぁ。あの山に向かってぇ俺たちの青春を見つけにいくぜぇ」

 轟真悟には伏魔殿も、懐かしき遠き想いも関係ないようだった。

 真新しい金色のクロスバイクに跨って、定信義一の二階の窓を睨んでいた。

 定信の目がかすかに瞬いて、白い光が広がった。そして轟真悟の自転車の向こうに白い服を着た一人の女性が立っているのを見たような気がした。

ついに最終話になりました。

誤字脱字の多いなか、大変読みにくかったと思います。

 約一年半の時を費やした訳ですが、力及ばずエンドマークを打つことになりました。

 金色の折り鶴を折る時、少しでも定信義一と桂木美鈴を思い出して下されば幸いです。それと金色の空を見た時も……。ww


 本当に長きにわたって読んで頂いて有難うございました。


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