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金色の空  作者: 古流
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75 春、しづかなる

「優しい子なのね。美鈴って子は」

 桂木麻奈美の声がしんみり聞こえてきた。定信と三平は黙って頷いただけだった。

「それじゃ、桂木美鈴と桂木麻奈美が同一人物か否か、十年後ここで話すわ。カラスの約束よ」由香里は美鈴を真似て言った。

「闇夜にカラスかよ」

「カラスがいなくても、あなたの手に金の折り鶴があるじゃないの」

 由香里は定信の折り鶴を指さした。そして、おもむろに願い事が書かれている金色の折り紙で紙飛行機を折り始めた。そしてその紙飛行機を川に向かって飛ばそうとする。

「飛ばすのか?」

 定信の声に、にっこり笑ってうなずくと手を前に動かした。紙飛行機は水銀灯の白い光の中を、しばらく水平に飛ぶと、前触れもなくトンネルへ突入する特急列車みたいに暗闇の中へ一筋の光の尾を引いて消えていった。一筋の光の先には全てを消し去る黒い流れがあった。その先には同じような橋が水銀灯の明かりでぼんやりと姿を現していた。水銀灯は頼りなげに輝いていて、近くに停車していた白いカーボンボディーのスクーターがその影を落としていた。紙飛行機が見えなくなったと同時にスクーターのイグニッションキーが回され、低いエンジン音が排気ガスとともに吐き出された。

 闇の向こうで霞む出来ごと。

 もちろん定信も由香里もそのことに気付きはしなかった。


「明日二十歳なのに、折り鶴もないだろうけど」

 定信は一人ごとのように言った。由香里はしばらく消えた川面を見ていたが、すっきりした表情で振り返り、どこかの民放の女子アナみたいに意味ありげな笑みを貼りつけてオーバーに言った。

「そして今日は、もう一つサプライズを発表します」

「なんだよ」

 定信が即座に反応する。

「桂木麻奈美さんは、青柳君が好きみたいでーす」

 由香里の言葉に麻奈美が反応する前に、三平が由香里の口を塞ぐ意味で声を被せた。

「うそ言うなよ!」

 それには麻奈美が答える。

「嘘じゃないの、私は……定信より青柳君が好き」

 唐突で衝撃の告白であった。そのまま麻奈美は三平に視線を移した。その目は真剣な輝きがあった。それでもどこかで芝居がかった何かを感じた定信だが、その胸中は複雑な思いだった。面前でこうもはっきり言われるといささか面白くない。それを表に出すのも癪なので平静を装ったが声がかすれる。

「三平、何か言ってやれよ」

「何か?」

「にぶいな」定信義市はそういって三平の腹を軽く叩いた。

「まあ、とにかく定信義市は振られたって訳で……」

 由香里はその場の空気が澱みそうになったのを笑うことで変えようとした。


 その時、無意識に桂木麻奈美の手が髪を掻きあげた。

 驚くほど細い白い手だった。

 白い手……。

 桂木美鈴との別れの日、三平は白い手を見た。

 桂木美鈴の乗った自動車が遠ざかり、三平はそれを追って突然、走り出した。

 走っても、走っても離れていった。それでも走った。ついに信号待ちをしている自動車を見つけ、車の窓から振られている白い手を見たのだ。

 今、そこに白い手がある。

 目の前に、三平の言葉を待ちながら川を背にしている。


「私が思うに、この十年は、ここにいる皆が出演した一つのドラマだったのよ」

 由香里の声は朝はやく窓から差し込む春の日差しのように明るく響いていた。

「それじゃ、ラストシーンは渋く決めないと」定信義市がカラ元気で答えた。

「終わりがあれば始まりがあるでしょう。これからまた新しい物語が始まるの」

「幻を追うんじゃなくて、目の前の人生を生きようってことか」

 定信が受けて、三平と麻奈美見た。何故か黙りこむ二人が温かな空気に包まれているように見えた。きっと水銀灯の明かりのせいだと定信は無理に思った。そう思わないとやりきれない気持ちに押し潰されそうだったからだ。

「まぼろし……桂木美鈴は夢まぼろしの如くなりか?」

 捕まえられないもどかしさを曖昧あいまいな言葉にしか表現出来なかった。

 青柳三平は黙ったままだった。しばし沈黙のあと、その口が動き人には聞こえない小さな声とともに微かに風が吹いた。

 その風が川の流れを急かせたのか、静かに連なる音が川の上を流れていた。それはせせらぎの音のようでもあり、人の笑い声のようでもあった。

「そう、思い出が美しく悲しすぎたら……それはまぼろしになるのよ」由香里の目が濡れていた。

「幻になるんだ。十年という年月は……有漏路うろじより無漏路むろじに帰る一休ひとやすみ雨降らば降れ風吹かば吹け!」

 定信義市の一休拳が空拳となり、その場に座り込んだ。


 橋を照らす水銀灯はいつしか影を消していた。

 光は水の上を流れ、水は光の中を急ぐ。

 光が進むだけ、時間は加速していた。

 気がついたら霧のような雨が降っていた。光がさらに澱む。

 橋の上から向こうが見える。

 同じように水銀灯が切なく灯るもう一つの橋。

 欄干の柱の隙間から洩れる光に定信が驚いたように身を乗り出した。

「東条先生……」

 白いカーボンボディーの車体が目にはいったからではない。水の流れに隔てられても、遠く米粒のように見えていても、何度も見ている偶然という影……。定信義市はなぜか東条紗枝を見つけることが出来るのである。

 フォーサイクルの微かな振動が空気を振動させていた。定信は東条紗枝がなぜ、今そこにいて、これからどこへ行こうとしているのか知らなかった。ただ、脳みそにくっきりと刻印された文字があった。それは、さようならと言う五つもひらがなだった。信じたくないが東条紗枝とは、二度と会うことは無いのだろうと漠然と思った。

 美しい影は小雨降る中、白い残像を定信の脳裏に焼き付けたまま、橋の上から見えなくなった。 まるでヒロインが拍手に送られ下手へと消えるように、夜の闇へ溶けていった。

 定信はその後を追うように、一人の男が白い光の中を走っていったのに気付きはしなかった。東条紗枝を見つけることが出来ても、曲渕介を見つけることなど到底不可能だからだ。


 十年の長い時間はたった一幕の舞台で終わりを告げた。橋の上の四人の姿が無くなり、夜が深くなった。人がいなくなり、新しい日があと少しで始まる。

 それぞれの新たなドラマの始まりであった。

 そしてこの物語の終わりを告げる時でもあった。

 日が開けて四月一日。

 定信義一の誕生日だったが、別に何のイベントも起こることなく、淡々と過ぎていった。平凡な日々の営みほど素晴らしいものは無い。定信がそう実感するほど、それからの数日は無い無い尽くしの日々だった。無いことが有ることを意味していると気付いたかどうかは疑問だったが、快適な時間であったことは事実のようであった。

 青柳三平は大学生活を続けるため北海道に戻り、古室由香里は新しい道を歩み始めた。桂木麻奈美は短大を卒業すると、それを待っていたように一家で北海道へ引っ越ししていった。


 四月十一日の早朝、大学は休みだと言うのに、珍しく早く起きてきた定信は朝食を食べると「どこへ行くの」母の声に送られて出ていった。目的があったわけではない。目が覚めた気まぐれで早朝の散歩に出かけたのだ。

 この気まぐれな出来事が、あり得ない出会いを演出することになろうとは、定信は気付こう筈がなかった。

 住宅街をのんびり歩いていると、古室由香里の家の前で一人の若い女性が定信に声をかけてきた。

「すみません。この辺に定信さんってお家ご存じ無いですか?」

 定信は散歩の邪魔をされたくなかったのと、母に用事があるのだろうと考え、道のりだけを教えた。

 若い女性はお礼を言うと、やや大きめの紙のバックを持ってゆっくりと歩いていった。

 定信はしばらく不思議な面持ちで立ち尽くしていた。その場所こそ、定信が小学生のとき東条紗枝に道を聞かれた同じ場所だったからだ。不思議な面持ちで女性を振り返らずにはいられなかった。

 その後ろ姿を見た時、定信は懐かしい人に会ったような気がして、心がざわめいた。


約束の十年が過ぎてしまいました。ついに桂木美鈴は姿を現しませんでした。

定信の誕生日は四月一日。その日も過ぎ四月十一日、一人の若い女性が定信の前に現れた。

いったい誰?

 そしていつになったらこの話しが終わるのやら……。


 読んで頂いて有難うございました。

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