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金色の空  作者: 古流
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66 若き、あしたの

 ドアがギィィッと音を立てて開いた。どうも建て付けが悪いのか神経に障る音がでる。

 暖房費節約のためか、ややヒンヤリとした暗い部屋に高級スーツに身を包んだ一人の男が姿を現した。懐かしげに部屋を見渡しながら広い部屋の中央に置かれたあるデスクに目を止めた。そこにはラフな格好の若者が必死でキーボードを叩いていた。

 ちらっと視線を送る。

「田中副所長代理補佐主任じゃありませんか、この度はご栄転おめでとうございます。部下として心からお祝い申し上げます」

「ありがとう」

「いかがですか、そちらのほうは?」

「どこでも似たようなものだが、三十面さんじゅうずらしたアルバイトが、人が落していった食べ残しの飴に群がるありみたいに、どこからともなく湧いてくる。まさに非正規労働者の巣窟そうくつだ」

「バイト学生ですか?」

「学生ではない、三十越えの非正規労働者だ」

「正社員じゃなく?」

「最近は人件費節約のためだろう、非正規労働者がほとんどだよ。我々みたいな正社員は様付きで呼ばれている。恐れ多い正社員様だ。ははは」

「正社員様ですか……嬉しくないですね」

「身分を隠しておけよ。正社員狩りが頻発しているらしい」

「そうですね。物騒な世の中になってきました……で、どのような仕事をされていらっしゃるのですか?」

「そうだな、簡単に言えばあら探しだ。天網魁魁(てんもうかいかい)()にしてらさずってとこだろう」

「よくわかりませんが? それは頼もしい」

「はっははは、ここだけの話しだが、しょせんは天下りを目的として場所だ。仕事などはアルバイト連中にやらせる。私などは朝と夕刻にめくら判を押すだけだ」

「それなら、この部署が仕訳される意味は、なんなのですか?」

「意味? 意味など考えるな。考えても仕方がない。もともと無いものだからだ。暴かれた秘密を隠すことは難しいが、新しい秘密を作るのはそう難儀ではないだろう」

魑魅魍魎ちみもうりょうですね」

「難しい言葉を知っている」

「田中副所長代理補佐主任に鍛えられましたから、でもここも私とやる気のない正社員様の二人だけになりました。来年には仕訳されてなくなります。時代の流れですね」

「雲の上で安穏としている時代ではなくなったと言うことだよ。借金が莫大だと、口うるさい連中が騒ぎだす。大向こうは無視できんのだよ」

「自業自得ですかね。人数が少なくなったせいか結構処理件数が多くて毎日残業ばかりですよ。パソコンは旧型ですし、毎年賃金が削られるしやる気が失せてしまいます」

「腐るな。生まれた時が悪いのさ。しかし、今日はそんなグチを聞きに来た訳じゃない。君が気にしていたあの案件ことを教えてやろうと思ってな」

「あの案件ですか……気にしていたんですよ。もうあきらめていたのですが」

「あの案件でわかってくれるか、昔はいちいち口答えをしておったが……八年前の金の折り鶴のことだ」

「どうなったのですか?」

「廃棄処分されるところを偶然俺の目に留まった。必ず叶えなければならない願い事だが、どうやら廃棄されたようだ」

「それで、願い事は」

「ここにある。まぁ、おまえの仕事が増えるだけだから、俺が握り潰してもいいぞ」

 男の手が前に差し出された。

 その手には赤い糸の金の折り鶴がぶら下がっていた。

 その赤い糸にはさらに重要書類である意味を込めた必願と朱で印が押されていた。

「これですか。有り難うございます。大丈夫ですから私に戻してください。ほかの仕事はともかく、この願い事だけは私が責任を持って叶えてやります」

「なぜ、その願い事に執着する。願い事は他にもあるだろう?」

「よくわからないです。これがえにしと言うのかも知れません。込められた想いの重さと深さを受け止めてしまったからでしょうか」

「縁……か」

「でも八年が過ぎました。時間は取り戻せません。今となっては選択肢が少ないですが」

「いや、やり方はいくらでもある。頭を使え。頭はいくら使っても減らん」

「ご教授ありがとうございます。よく考えます」

「今、その子がどうなっているかは知らんが、その願いは必願事項だ。君に託したからにはもう後戻りはできないぞ! 言っている意味が分かるな」

「はい、勿論理解しています。頑張ってみます」

「それは、君にゆだねられたんだ。不思議な縁というものだろう」

「そう思います。ところで腕に時計がありませんが腕時計はどうしたんですか」

 大切にしていた高級腕時計が左手首から消えていた。そう言えばスーツも少しくたびれているように見える。

「時計は息子に譲った。就活中なんだ」

「もうそんなになりましたか。早いものですね」

「君はいくつになったんだ。」

「三十歳になりました」

「結婚したんだったかね」

「まだです」

 田中副所長代理補佐主任は冷たい目で若者を覗きこむ。

光陰矢こういんやの如しだ。時間は待ってはくれんぞ。来年になれば転勤だ。自分のことも考えろ」

「安月給じゃ無理ですよ。それに先行きが見えないから身動きがとれないです」

 西の方に目をやれば黄金色に染まった雲が龍のごとくうねり、その雲に虹が架かっていた。それも上下に二つ揺らいでいる。虹は天と地をつなぐ道と言われている。

「虹ですね。珍しく上りと下りの虹がでてます」

「上りの虹がでるのは、おめでたい事が起こったからだ。恩赦があったみたいだな」

「なんならあの虹で下界へ下って、しばらく天上の垢でも洗ってきたいくらいですよ」

 下りの虹は日に何度となくランダムに出る。

 上りの虹は珍しく、ほとんど見ることがない。

「まぁ、そうやけになるな。雨が降り続く事がないように、晴天もそう長くは続かない」

「それじゃ、いいことないじゃないですか」

「はっは、しょせんは力のある者がのし上がる仕組みだ。流れに乗れるか、のり損ねるかは時の運もある。そこへたどり着くには鬼にも蛇にもならねばならん。その立場になるには苦労もそれなりだ」

「欲と二人連れとはこのことですね」

「欲は毒にもなり、薬にもなるってことだな」

 田中副所長代理補佐主任の目が西の空を眺めた。若い男は金の折り鶴をみた。その折り鶴に込められた幼い少女の思いに真摯な心が留まっていた。

「まぁ、無理はするな。廃棄処分になるにはそれだけの理由があったのだろう。どんな理由に関わらず、だ」

 田中副所長代理補佐主任の最後のひとことが宙に留まる。行き場を失った子供の涙のように……。


 そんな会話が虹を滑って下界に落ちてきた。



「虹だわ」

 桂木麻奈美かつらぎまなみが校庭の隅から見た空にはきれいな虹が架かっていた。

 横にいた定信義一さだのぶぎいちが同じように見上げて呟いた。

「ほんとだ」

 春の気配を伴って冷たい風が、二人の間を遠慮することなく吹きぬけていった。

 朝に降った霧雨が嘘みたいに晴れて、武蔵が原高等学校の卒業式を祝うように太陽の光は眩しいくらい黄金色に輝いていた。

「ほら、上にも薄く虹が架かっている」

 空にはふたつの大きな虹が上下に重なるように架かっていた。麻奈美の言った意味がわからないのか、定信は目を細める。

「大きな虹の上に、もう一つ虹が架かってるでしょう」

「あっ、ほんとうだ。へぇ、初めて見たよ。こんな虹」

「よく見て。下の虹と上の虹は色が逆さまでしょう」

「下の虹は赤が上だけど、上の虹は青が上だ」

 どうやら人間の眼にはそう見える。同じ場所にあって、どうしてなのか定信は首を捻った。

「なんで、ああなるの?」

「さぁ、そう見えるんだからそれでいいんじゃない。本当に不思議ね」

「反射の関係かな」

「知らないわ。私みたいに綺麗だからいいじゃない」

「一言余分」

「一言余分」

「一言余分」

 その言葉はいつ果てることなく、二人の周りをグルグル回り続けていた。 


 定信と麻奈美はお互いを思いやる気持ちが芽生えたことに気づきはじめた頃が卒業だった。

 轟真悟とどろきしんごが大きな声で定信を呼んでいる。

「さだのぶぅ、桂木も来いよぉ。そんなところでいちゃついてないでぇよ、これから飲みに行くぞっ」

 三々五々に小さな集団ができていた。

 定信と麻奈美は轟がいるところまで小走りで来た。

 その定信の目は校庭の隅で一人、にこやかに微笑んでいる東条紗枝とうじょうさえを見つけた。学校を辞めたけど卒業式を見に来てくれたんだと定信は麻奈美に「先に行っといて」と声をかけて彼女のところへ走っていった。

「東条先生」

 定信が声をかけた。ずいぶん久しぶりの再会だった。

「定信君、大きくなったわね。卒業おめでとう」

「有難うございます。先生も元気そうで良かった」

「けっこう暇だから、体重が増えちゃったかな」

 定信にはそうは見えなかった。細く見える黒っぽいスーツ姿が知性を感じさせ、微笑む笑顔が眩しかった。

「卒業したら一度、先生のところに遊びに行っていいですか?」

 今まで言えなかった言葉が何故か途切れることなく口から出た。そんな定信を嬉しそうに見つめる東条紗枝。

「目をそらさないのね……もちろん、大歓迎よ」

 東条紗枝が微かにウインクしてように感じた。定信の胸が高鳴り、身体がふわぁっと軽くなった。飛びあがれば虹すら掴めそうだ。しかし二人の会話はここまでだった。東条先生に卒業生が次々と声をかけていった。卒業生たちに交じって一人、小柄な曲渕介まがりぶちかいが近づいてくる。

 定信はこれ以上話をするのを諦めて轟真悟のところに走っていった。

 

 轟真悟が桂木麻奈美のテニスの格好を真似ているのを見て、麻奈美が怒るように笑っていた。

 麻奈美のスカートがめくれ、右のハイキックが轟を襲う。それを顔面に受けた轟が周りの歓声とともに、その場に巨像の如く倒れた。土煙が舞い、笑い声が二人を包んでいた。

 定信はそこに向かって走っていった。

 高校三年間の喜び、怒り、悲しみ、楽しみの数だけ、影が校庭に刻まれている。

 笑い声を伴ったざわめきが潮を引くように無くなると、その影も消えた。

 ただ写真で切り取ったような時が止まった無人の校庭があった。

 誰も気付かないのだ。

 時が思いがけなく、その動きを止めることを。

 それは定信にも、三平にも、東条紗枝にも、麻奈美にも、轟真悟にも、そして桂木美鈴にも言えることだった。


 時は気まぐれ。

 彼らが二十歳をむかえようとした頃、重い動きをいよいよ加速する。

 定信も高校を卒業して行きました。そして彼らは二十歳の年を迎えようとしています。

 いよいよ、ラストが近づいてきました。今しばらくのお付き合いをよろしくお願いします。

 読んでいただいて有難うございました。

 

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