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金色の空  作者: 古流
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64 かさねて、長き

 会場の中は華やかな雰囲気の中に畏まった空気が流れ、舞台の豪華な緞帳どんちょうが緊張感をさらに高めさせていた。

 二人は前方が見渡せる最後方の席に座っていた。

 ほとんどの客が発表会関係者の家族親戚の類なのか、あちこちで挨拶と立ち話の輪ができている。満員ではなかったが、そこそこ席は埋まっていた。

 定信は手にある演奏会のパンフレットに目をとおしたり、会場の様子を観察したりしていた。

 青柳三平は定信から聞いていたビックリする人が誰なのかを考えていた。もしかしたら小学生の時に別れて以来、一度も会っていない桂木美鈴かも知れないからだ。どこかの席に十七歳になった桂木美鈴が座って居る。その姿を探そうとしていた。

 定信はビックリする人が誰なのか、この時、うすうす気づいていた。

 赤いドレスの東条紗枝。彼女との再会は驚きと時めきに値したからだ。ただ、どこかに違う結末を期待している自分がいることも知っていた。

 舞台が暗くなり、司会者がマイクの前に立ち、演奏者を紹介するとまだ小学校にも行っていないような小さな女の子が舞台に現れ、元気よく演奏を始めた。


 ピアノの音は否応なく定信に届いてくる。その音が耳になじんだとき、薄暗い会場にほのかに光る場所があるのを発見した。

 ほんのり光をまとった座席にはステージを見つめる一人の少女が座っていた。

 そこが自分の唯一落ち着ける場所であるかのように、身動き一つせずに。


 定信はその少女知っていた。千切れて吹き飛ばされたはずの記憶の破片から、その名前を躊躇ためらうことなく導き出した。

 定信はあの春の日を思い出していた。

 淡い日差しが軒先を照らし、縁側には日溜まりがあった。小さな庭には色とりどりの花が咲いて、伏せ目がちに折り鶴を折っていた……まだ、幼かったあの日。

 

 定信は辺りに気を配り、小さな声で呼んだ。

「桂木さん」

 少女は振りかえらなかった。声は届いているはずなのに。少女の肩がふるえ、髪が揺れていた。

(なぜ振りむいてくれない)定信は思った。

 もう一度呼んでみた。桂木美鈴の家のベルが壊れて、玄関前で大きな声で呼んだ時みたいに。

「桂木さーん」

 振りかえりはしなかった。声は届いているはずだった。少女が戸惑うように首を傾げていた。

 声が届いているはずなのに、そこに座ったまま動かない。

 定信は混乱した。

 人違いなのだろうか、それともピアノ演奏中に呼びかけたから、きっと怒っているんだ。待てよ、それなら後で謝らないと……会ったら何を話そう。思い出ばなしがいい。これからの夢の話も聞いてみたい。隠れ家の話し覚えてるかな……時間が出来たら、もう一度、橋の隠れ家に連れて行ってやろう。

 定信の想像はまばゆい輝き中、噴水のように七色の光を放って彷徨さまよっていた。

 七色の光は天と地をつなぐ架け橋みたいに、空の遥か上空で大きな虹になっていた。定信が見上げると太陽の光が反射して、光線が目を突き抜けていった。驚いて目を瞑ると真っ暗な闇があった。闇から一条の光が定信の目に灯る。光は徐々に広がって真白い世界に変化した。そこには、ピアノの音はなく、微かにざわめきが周波数のずれたラジオみたいに聞こえていた。

 そこで目が覚めた。

 暗かった会場に明かりがついていた。

 目をこすって見た。

 さっきまでそこに座っていた少女の姿が消えていた。

 小さな光は大きな光の中でその価値を消す。

 少女が座っていた席には大柄で派手な服を着た四十がらみの女の人が腰かけ、その横にはでっぷりと肥えた男が窮屈そうに座っていた。


(夢だった……)


 定信はそれを確認するまで少しの時間が必要だった。横に座っている三平が定信の様子をうかがっている。

「終わったのか」

 眠気眼の定信が三平に小声で言う。

「休憩中だ」

 そう言った三平の表情がどこか虚ろだった。

「寝てたのか? 三平」

「夢見てたのは、義一だろう」

 笑う三平の目が表情とは裏腹に落ち着きがない。ぐりっと眼鏡の奥の目が動いた。

「なるほど、で何か発見でもしたか、目が干し目になるぞ」

「見つけた」

 三平の身体が固まったまま、目だけが前方に動いた。連れて定信の目も移動する。

「四列前の左から五番目の席に座ってる娘、桂木さんじゃないか?」

 三平が眼鏡を持ち上げ、定信の耳元に近づき小声で言った。確かにその席には橙色だいだいの服を着た若い女性が座っていた。

 「本当か……」

 定信も一瞬、息を呑んだ。夢じゃなかったんだと身を乗り出した。三平は一息入れて言った。

「なに驚いてるんだ。義一(いわ)く、気の多い桂木の方だよ」

「桂木麻奈美……」

 定信の身体が脱力して肩が落ちた。声もどことなく元気がない。

「まぁ、雰囲気は、似てるけど‥‥でも、なんでこんなところにいるんだ」

 確かに髪のかたちや横を向いたときの面影が麻奈美に似ていなくもないが、定信が知る限り古室由香里と麻奈美の接点はない。

「古室は関係ない。おそらく定信義一がここにいるからさ」

 迷探偵、青柳三平は推理する。

「俺は由香里の同級生だからここに居ても不思議じゃない。ただ、俺がここに来ることを桂木麻奈美は知らないはず。だから理由がわからない」

 理由がわからないのも道理であった。それを考えることにおいてすでに誤りをおかしていることになる。定信の思考を超越したところに存在するのが桂木麻奈美だった。突然、定信の前に現れて、また去っていくのも麻奈美だった。ただ由香里の言っていたびっくりする人が桂木麻奈美だと思うと少々がっかりした気持ちになった。

「定信の居る所に、桂木あり」

 三平は断言した。怒ったように定信は言う。

「三平! 見てこいよ」

「なぜ、俺なんだよ」

「俺は脚がしびれて歩けないんだ」

 左足を両手でわざとらしくさする。

「俺は訳もなく女とは喋らない。それにあの桂木さんは義一の高校の同級生だろう」

 三平は言った。

「そう言われると辛い。俺も男の端くれ、訳があっても女とは喋らない。こともある」

 定信は時に女嫌いになるのだ。正直なところ美鈴の夢を見た後に麻奈美に会うのは避けたかった。彼が言い終わった時、一人の女性の視線がそそがれているのに気がついた。東条紗枝が驚いたように定信を見ていた。

 眩しくて息苦しい瞬間だった。定信はその視線をしばらく受け止めて、何もなかったように下を向いた。誰に指摘されるまでもなく、その視線を受け止め続けることが出来なかった。今までそうだったように目をそらしてしまった。

 戸惑いつつ、心を惑わせれている自分の抜けがらを、すっかり見透かされてしまうのが嫌だった。

 東条紗枝は頬笑みを消し、小さくため息をつくと視線を隣の席へ移した。その席には一人の男が座っていた。ただ、定信には前の席の客の頭が死角となって男の姿を見ることは出来なかった。


 再び場内が暗転して第二部が始まった。

 司会者が由香里を紹介すると、黒いドレスにピンクのバラの花を飾った由香里が舞台中央に現れた。

 その美麗さには会場からざわめきが起こったほどだ。二人が目を丸くして驚くほど由香里は鮮やかな変貌を遂げていた。

 舞台の中央のグランドピアノに座った由香里は、緊張を解すように小さく深呼吸をして静かにピアノを弾き出した。

 定信と三平は由香里の演奏くらいはしっかり聞こうと耳を澄ました。

 演奏曲はショパンの英雄ポロネーズだった。東条紗枝が好んで弾いた曲だから、定信は何度か聞いたことがあった。

 由香里の家で聞いたのと、高校の音楽教室で東条紗枝が弾いていたのを耳にした。

 ピアノの音が変調し、大きく弾けて音が跳ねた。高ぶる感情が濁音を破裂させて、重なり合う不連続な音に定信の両手は胸の前で自分がピアノを弾いているみたいに無意識に踊っていた。

 その曲が最大の聞かせどころになったとき、東条紗枝が席を立ち会場を後にしたのを定信は気がつかなかった。勿論、その後を追うように一人の男が薄暗い場内から消えたことも気付かなかった。

 演奏は続いていた。人が生きている限り、時が刻み続けるように、ピアノの鍵盤は由香里と共有する時の中を駈け続けていた。

 その最後の音が静かにフェードアウトした時、場内は割れんばかりの拍手が沸き起こり、花束を持った人たちが舞台の下に駆け寄っていた。


 とにかく演奏会は終わった。二人はどこか気落ちした足取りで会場を後にしていた。東条紗枝の姿もなかったし、桂木美鈴も二人の前に現れることもなかった。勿論、桂木麻奈美のこともすっかり忘れてしまっていた。

 結局、定信と三平に、特別に何が起こったわけではなかった。

 由香里のメッセージは謎のまま迷宮入りとなったのである。


定信の脳裏を過ぎるのは、あの日の出来事だった。

この物語もいよいよ峠を越えていきます。


読んでいただいて有難うございました。

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