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金色の空  作者: 古流
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62 波、に流るゝ

 高校生最後の夏休み。

 お盆も過ぎ、暑さも朝夕は過ごしやすくなった日曜の朝早く、定信義市は鎌倉へ行こうと最寄り駅まで歩いていた。途中、小学校の同級生である古室由香里の家の前を通ったとき、門扉の上から当の本人が顔をだした。

「あ、定信君、おはよう」

 由香里がすっぴんの眠そうな顔で言った。

「やぁ、古室、久しぶり、元気か」

「そんな恰好して、どこへ行くの」

 定信は白いTシャツにブルージーンズ、足元には青いスニーカー、背中にザ・ノース・フェイスのリュックを担いでいた。頭にはサッカーチームのネーム入りの着古したキャップを目深に被り、首から一眼レフカメラがぶら下がっている。

「ちょっとそこまで」

「何がちょっとそこまでよ。たいそうなリュックしょって、カメラぶら下げて……デートでもなさそうね」

「夏休みもすぐ終わるから、鎌倉まで行こうかと思って」

「鎌倉、一人で?」

「うん、気ままに一人旅」

 由香里はしばらく何かを考えているように黙った。

「定信くん、本当に一人?」

 由香里は定信の顔を覗き込む。定信はそれから逃げるように表情はぶっきらぼうになった。小学生のときいつもそうしていたように。それが当たり前だった。

「ひとり」

「まさか、海を見に行くって言うんじゃ無いでしょうね」

「何も決めていないんだ。なんとなく鎌倉へ行きたくなった。鎌倉の海か? いいなぁ、カメラをぶら下げてね」

「邪魔しないから、鎌倉へ私も連れて行って」

「いやだよ。行きたけりゃ一人で行けよ」

 定信は由香里を置いて歩きかけた。素の由香里にはどうやらぶっきら度が増す。

「すぐ準備するから五分待って。先に行っちゃ駄目よ」

 定信がその言葉を無視して行くはずがないことを由香里は知っていた。急いで家の中へ入って行った。定信がその間ぼうっと待っていたのは言うまでもない。結局由香里が出てきたのは七分後だった。

 驚くほど綺麗に化粧をし、昨日から準備されていたかのように水色を基調にした花柄のワンピースが涼しげだった。頭には小ぶりな麦藁帽子が乗っていて、左肩に大きめの鞄をかけていた。由香里が現れた時、あまりの変化に驚くと同時にぶっきら度は下降線をたどる。変身した由香里は定信の中ではもう由香里ではないのだ。

「ごめん思ったより時間がかかったわ」

「家の人は何にも言わないのか」

「定信君と一緒だって言ったら、何にも言わなかったわ」

「安全パイかよ」

「まぁ、そう言うこと」


 二人が鎌倉に着いたのは昼食には少し早い時間だった。鶴岡八幡宮をお参りして、鎌倉の大仏を見物して、再び電車に乗り江の島へ着いたのが昼を一時間くらい過ぎた頃だった。定信はその間カメラマン気取りでシャッターを切りまくっていた。

「私も撮ってよ」

「僕は風景しか撮らない。人がそこにいると風景が止まって見える」

「訳のわかったようなこと言って。じゃ、二人で記念写真撮ろうよ」

「あとで撮ろう」


 その後、小学生の頃の思い出話から、進路のことまで、二人の間でとりとめのない会話があった。

 ただ、二人がこの場所に来たことについて、それぞれの思いがあったことはお互い隠したままだった。

 

 二人はドリンクを買って江ノ島海岸の木陰で涼をとった。

「まさか今日、定信君とこんなふうにデートするなんて目覚めた時には想像もしていなかったわ。眠気眼で早起きしたからかしらね」

「僕も古室とこうなるなんて、信じられないし、信じたくない」

「馬鹿!」

 由香里の拳骨が定信の顔面を襲う。それは一センチのところで止まる。二人は小学生に戻ったみたいに笑った。

「定信君はここに来るのって、初めて?」

 由香里は江ノ島に来るのは初めてだった。厳密にいえば初めてじゃないかもしれない。少なくとも記憶に残っている意味では……。

「うん、初めてじゃないかも知れない」

「そう思ったわ。きっと過去に女性とここに来たことがある。それは私ではない誰か。いったい誰かしらね?」

 悪戯っぽく笑う由香里に、幼い面影が見えた。定信は懐かしそうに眺める。その顔の向こうに霞む、たくさんの人影を。

「誰だっていいだろう。家族かもしれないだろう」

「それは違うって、家族で行ったところに再び一人で出かけようと思わないし、そんなエネルギー湧いてこないわよ。きっと好きだった人と来た場所だと思う。そして、今は別れて手の届かない人」

 そう言い終わると由香里は木陰から出て、太陽の光が届く砂浜へ歩み出た。海と光にその姿を誇示するかのように、白い浜辺を渚に向かって歩いて行った。

 お盆が過ぎると海水浴客の姿も少なくなり、少し離れた浜辺には人の姿もまばらだ。

 風が強く吹き、波が高くなり、砂浜に白波がたつ。

 由香里の姿を追うように定信も砂浜に足跡をつけて行った。照りつける太陽が肌に痛い。

 由香里のサンダルが海水に濡れて立ち止り、定信の影が由香里と重なった。

「きっと、こんな海だったのよ」

 どこか遠いまなざし、真っ直ぐ海を眺め、何かを思い出して驚いている子供みたいに目を丸くして、珍しく笑わない由香里がそこにいた。

「海が、どうしたって」

 波の音が静かになり、定信の声が由香里に届いた。

「お父さんが若くて独身の頃の話し。お父さんの好きだった人が鎌倉の海でおぼれて死んだんだって。波の荒い海……きっと今日みたいな海」

「ふーん」

「定信くんが鎌倉へ行くって言ったとき、私は何故かそのことを思い出したの。そして父の言っていた鎌倉の海を見てみたいって、見たこともない人だけど、心から冥福をお祈りしようと思って」

 由香里は鎌倉の海と聞いて、そこへ行きたいと思ったのにはそれなり理由があったのだ。

 二人の間に波の音が和太鼓のように響いていた。

 胸の前で手を合わせる由香里をまねて「じゃ、僕も」定信も手を合わせた。

 祈る二人の姿は風と波の中に漂っていた。人がいても止まることのない風景がそこにあった。帽子からはみ出た由香里の髪の毛は微かに揺れて、定信の白いTシャツははためいていた。背中のリュックは身体の一部のように張り付いたままだった。

「定信君はどうして来ようと思ったの。ここに、誰と来たの。彼女……」

 由香里の問いかけに、苦笑いをした定信は足元の小石を拾って海に向かって投げいれた。それは音すらたてず波に飲み込まれた。

「去年の夏、ここに来たことがあるんだ。コンビニで偶然にスクーターに乗っていた、その人と出会って二人乗りしてここまで連れてこられた」

「連れてこられたの。強引な人ね。もしかして年上の人だったりして」

「まさか」

 慌てて否定した定信の顔が波のように引きつった。

 確かに年上の人だった。

 東条紗枝が定信の前に姿を見せなくなって寂しい気持ちが起こったことは事実だった。それは単なる別れとは違う感情だった。小学生の時に初めて出会ってから、桂木美鈴と入れ替わるように定信の前に現れた。東条紗枝を想う気持ちは、その姿がかすんでいくほど大きくなっていった。 

 だから去年の夏、東条紗枝がこの海で何を見ていたのかを知りたいと思った。

 海を見る切なそうな表情を思い出すたび、出るはずのない答えを知りたいと思った。


「ふーん、その人が忘れられないんだ」

「どう言うのかな、謎めいていて、謎だけを残して居なくなったから、その正体が何なのか知りたいんだ。ここへきても結局何もわからないけど、それは、はじめからわかっていたけどさ」

「それが、恋なのよ。恋は盲目。それに恋愛って結構体力居るからね。私は体力には自信あるのよ。恋に縁がないだけ。縁が無くてもお腹はからっぽ。空腹は恋の邪魔者よ」

「迷言! よし、何か食べよう。焼きそば奢るよ」

「ピザも食べたい」

「ピザも奢る」

「どうしちゃたの。無理しないの。お金持ってきたから」

「じゃ、奢ってもらおうかな」

「いいわよ、」

「冗談だよ。古室にお金は使わせない」

「またまた」

 由香里が身体ごと顔を定信に近付けてくる。

「化粧をとれよ。化けた古室とじゃ、どうも調子がでない」

「絶対いや。ありえない」


 近くのレストランで食事を終えて二人は帰路についた。最寄駅に着いて改札を出て家に向かって歩き出した。由香里の家が見えたとき彼女は突然、定信の正面に回って言った。

「今年の十二月にピアノの発表会やるから青柳君と来て。招待状送るから」

「時間が合えば」

「時間が合えばって、こう言う時は万障繰り合わせて来てくれるんじゃないの。同級生でしょう」

「わかった。出来る限り」

「まったく」

 由香里は怒ったように定信を置いて足早に歩き出した。定信は仕方なく後をついてゆく。しばらく歩くと由香里はニッコリ笑って振り向いた。そして不安げな定信の腕をとり引っ張るように腕を組んだ。

「私は気にしてないのよ。私のことをどう思っていても。気にしてないわ。でも、たまにはいいでしょう腕を組んで歩いても、どっちみち私なんか眼中にないんだから。それとも誰かに見られたら都合が悪いの」

「別に、そんなんじゃない」

「今日は楽しかったわ。有難う」

「ああ」

 ぶっきらぼうに返事を返す定信の腕は、由香里の腕の中で関節技をかけられたようにきりっと痛んだ。

 定信義市と古室由香里が違う思いで鎌倉の海を見つめる。


 告白した父の話は何を意味するのか……。


 読んでいただいて有難うございました。

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