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金色の空  作者: 古流
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59 暗、にもあらず

 青柳三平あおやぎさんぺいの整えられた髪が乱れ、竹本勝海たけもとかつみの必殺の右足が鼻先を掠めていった。決死の形相から続けさまに前蹴りが繰り出された。地を滑るように後方移動する三平の動きは傍から見れば余裕があるように見えた。しかし三平には余裕などなかった。竹本の限界を超えた攻撃のなせる技であった。それは三平をたじろがせ、また皮一枚でかわせる原因となった。全力の攻撃ほどかわしやすいものだ。視野が狭くなり隙が多くなる。

 石灯籠を飛び越え、ひのきの幹に足をかけ、本殿の白壁を転げて境内の石畳に飛び出る。

 竹本が三平を追って境内中央に走り込み相互が睨みあった。二人の動きが静止した束の間、その間に菅野芳治すがのよしはるが仁王立ちしていた。

 竹本の表情は獰猛なけものが獲物を狙う時のように陰険いんけんに歪んだ。

 菅野が竹本に声をかけた。

「だいたいお前は青柳に恨み節を言う前に俺を相手にすべきだろう。教室におかんが乗り込んできたのは俺のせいだ。つまり、俺が原因をつくった。お前は相手を間違っている」

 竹本の顔が激しくなり、瞳孔が細くなった。

 仲間の一人、背の高い方が竹本の顔をちらっと眺めた。

 菅野は竹本に向かってゆっくりと歩いて行った。まっすぐに、何の躊躇ちゅうちょもなく、微かな恐れすら抱くことなく。

「それとも俺が相手だと、手に負えないか」

 この一言が竹本の怒りを増長することになった。俺はあの時とは違う。そう叫びながら矛先を菅野に帰ることになった。三平は菅野の後方でその状況を見ていた。竹本は小学生の菅野の恐ろしさを知っていが、今は、その時の竹本ではなかった。どんな強面でも避けて通るほどの悪鬼に取りつかれていたのだ。根拠なき自信、今なら奴を倒せる。菅野が血にまみれ、泣き叫ぶの姿を想像し、心から憐れむように竹本の首が微かに左右に振られた。

 静かな時は束の間だ。

 定信が麻奈美に視線を移した僅かな時間、菅野の少し後ろにいた三平の眼鏡に血しぶきが飛んだ。菅野は左の腕を押えて痛みを耐えるように膝をついていた。その目は苦痛に歪んでいた。

 一瞬何が起こったのか菅野にも三平にもわからなかった。いわんや定信と麻奈美には悪夢の出来ごとと映った。菅野の腕に刺さったナイフから流れる血を見た麻奈美が口を押さえ、目から涙が流れた。

飛刀ひとう……」

 三平が小さく呟いた。菅野はそれを聞いて頷いていた。ただ誰が投げたのかそれはわからなかった。少なくとも三人の中の一人に違いない。菅野は腕の刀を抜き去り、三平が後ろから首に巻いていたタオルを腕に巻き付けた。

「誰が投げた」

 菅野がそのナイフを右手で持って誰言うとなく言った。おそらく竹本の後ろにいる背の高い男に向かって。投げたところは見てないが刺さった角度からその男と目星をつけた。

「この暗い中で音もなくこんな物騒なものを投げちゃ、それは卑怯というものだ。少々の悪さは目を瞑れても卑怯な真似は我慢できない」

 菅野の声が響く。

「ナイフは一本だけとは限らないぜ」

 竹本は目の前で苦痛に顔を歪める男を見て言い放った。

「小李飛刀に仕損じなし。一本にしておけ。二本目が飛んだら血を見ることになる」

 菅野が凄んだ。


 桂木麻奈美は定信義一の腕にしがみついていた。身体の震えが定信に伝わる。

「定信くんの一休さんで、あの憎らしい男をやっつけて……菅野っていう子、血を流しているし、青柳君も顔が青い。あとは定信君しかいない」

 そこまで言われて黙っていては男がすたる。やわであろうと定信は男だ。男、定信義市だ。しかし残念ながらそんな思考は持ち合わせていなかった。振りかかる火の粉は払うが、自ら火の中に入ることはしない。

「僕はここで桂木さんを守る。それが今、僕に出来ることだ。そして守ることは、攻めるよりも難しいんだ」

 定信は定信なりに戦っていた。

 

 再び静寂の時がきた。何の動きも伴わず微かな音すらたてず、二本目の飛刀が投げられた。音がなくても光があった。石灯籠の光が反射した。菅野が光の方にナイフを飛ばした。カチーンと音が鳴って光が石灯籠を掠めて線香花火のように火花を散らした。一本のナイフはそのまま石灯籠に当たって落ちた。もう一本は大柄な男の手のひらに音も無く収まっていた。菅野が予言したように、うめき声とともに、その手から一筋血が流れた。

「三本目はもう投げられない。その手では」

 菅野は痛む腕をさすりながら言った。

「よしわかった。お望みなら菅野。俺が相手だ」

 竹本はそう言うなり地を走り菅野に殴りかかった。手負いの菅野に手加減無用のこぶしが無差別に繰りだされた。菅野はかわすどころか身体の急所に必殺の拳を受けていた。竹本の前蹴りが菅野のみぞおちに命中し菅野の身体が後方に飛ばされた。

 竹本は倒れている菅野に叫び続けていた。

「菅野、あの時とは、もう違うんだよ。お前の意識はあの時のままかもしれないが、俺はお前とは違う世界に居るんだ。俺に一指も触れることなど出来ない世界だ。それが証拠に、お前がどんなにいきり立とうが俺にパンチを当てることなどできないだろ。その差が何かわかるか。お前には大事な家庭がある。可愛い妹もいる。大学に行くため勉強もしなきゃならないだろ。俺には何もない。守るものが何もないからだ。少々の打撲ぐらいお前には屁でもないだろう。しかし、このまま続けばそうもいかない。同級生としての情けだ。ひとこと俺に許しを請えばこれで終わりにしてやる。ここで会ったが因果と言うもんだ」

 菅野は身体が痛むのか立つことができない。痛む手で血がにじむ腕の傷跡を押えた。痛みがあろうがその声に淀みはなかった。

「竹本、今のお前はカスの中のカスだ。永遠に敵を倒し続ける腕と足だけを振り回すだけの愚かな人間だ。あの時も救いがたい悪だったが、今よりも愚かじゃなかった。そして、少しは手ごわかった」

 三平は二人のやり取りを少し離れたところで聞いていた。菅野が近寄るのを制したからだ。

 竹本の目が怒りに震えたように見えた。否や、半身、倒れている菅野にいきなりの右足の踵落しが首筋に繰り出された。菅野の両手は寸前その蹴りを止めたが、身体は狛犬の台座に打ちすえられ、その反動から身体は二度三度回転した。

 竹本の後ろにいた背の高い男がアロハシャツに手を差し込むとニヤリと一笑いっしょう、菅野に向けて左手を一閃させた。その素早さに誰ひとり気付かない。

 三本目の飛刀は投げられたのだ。音さえたてず、光さえ消えて。

「残念ながら、俺は左ききだ」

 音を消し、光を失った鈍い光芒が菅野に迫る。

 光は三平にあった。三平の口が微かに動き、右手は新月が輝く空に向けられ、手は月をなぞるように弧を描いた。光が三平の身体を眩しく包んでいく。神社境内の唯一の光、石灯篭のぼんやりとした明かりは最早見えない。さらに明るい光の中ではそれ以下の光は存在価値が消え失せるからだ。三平の身体に光が纏わりついていた。三平は右手を下ろした。月の光が境内を走る。光は速い。少なくとも音よりは……。

 俳諧連歌芭蕉拳の超絶技「名月や池をめぐりて夜もすがら」

 芭蕉の心象風景は三平の手で形となって唸りを上げる。菅野の目の前で火花が散り、打ち上げ花火のように空中を走った。背の高い男の左手から血が飛んだ。血は地面に落ち、光は空に昇った。

 見上げる空には新月が少し角度を変えて輝いていた。気がついたら神社の石灯籠にぼんやり明かりがともっていた。

 それを見た竹本は動けない菅野から再び攻撃を三平に向けた。繰り出される拳と蹴りは徐々に三平を追い詰めて行った。

 動けない菅野に情け無用の攻撃を加えた竹本に怒りを感じた三平は、本殿の白壁を背にして動きを止めた。それを見た竹本は勝利を確信し三平と同じように動きを止めた。しかしこの二人の止めた動きには雲泥うんでいの差があった。

 俳句は五、七、五の十七文字だけではない。余白に込められた思いがある。三平が動きを止めたのはその余白であった。身体は止まったが芭蕉拳は止まってはいなかったのだ。三平は素早く身体を反転させると、唇を震わし心を鼓舞こぶしながら地を蹴った。

「夏草や兵どもが夢の跡 」

 風が竹本の身体に押しつける。壁は竹本の背中にあった。見えない何かに押さえつけられてでもいるかのように動くことができない。顔に白い小さな砂粒があたる。竹本の目には季節外れの雪に見えた。身体を硬直させたまま立ち尽くす竹本の身体に正体不明の白い粉は容赦なく降り注いでいた。

次回は定信義市の一休拳が炸裂します。いまいち目立たない定信の渾身の一撃をお楽しみに。


 東条紗枝と桂木美鈴の恋心の一劇はしばしの猶予を……。



読んでいただき有難うございます。

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