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金色の空  作者: 古流
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57 この月かげ、と

 赤い車がそのボディーを震わし猛牛のように突進してきた。青白く光るハロゲンライトは青柳三平あおやぎさんぺいの目つぶしになった。

 その隙に竹本勝海は飛び跳ねるような上段の蹴りを眉間に打ちこんできた。それをかわされるとお構いなしに目と喉を同時に狙った突きが迫る。

 三平の体は夕闇に浮遊する蝙蝠のように前後左右に素早く移動する。

 麻奈美の身体も同じ車に乗っているみたいに連続移動していた。これは芭蕉軽功の慣性移動であった。

 そんな二人に赤い車がヘッドライトを上下させジグザグに突っ込んでくる。それは予測不能の凶器となって三平を瞬時、撹乱させた。

 麻奈美の目も眩しい光の海に溶けて意識が白濁した。

 赤い車は容赦無く突っ込んできた。

「どうやら、俺の仲間がその女を帰らせるのが嫌らしい」

 竹本勝海の甲高い声は三平の神経を細い針で突いてくる。それは痛みを伴い、さらに痛みを増した。増した痛みを解放するには刺さる針を抜くしかない。その針を抜くため自己に向けてつぶやき続けた。

「古池や蛙飛びこむ、水の音」

 三平は三人の猛者を相手に後手を踏んではいないが、余裕はなかった。

 腕に覚えのある喧嘩慣れした男たちを相手にしては、一瞬の戸惑いが不覚につながる。戦いは躊躇し怯んでは勝てない。修羅場をくぐった場数が実戦には力を発揮する。文字に書かれた必勝法など子供を眠らせる子守唄である。まして竹本の蹴り、突きは激しい勢いで三平をたじろがす。

 彼の拳法は情け無用の必殺拳法であった。

 人間の急所を容赦なく突いてくる。眼球、鼻、顎、金的、喉仏、向う脛、丹田。下手すれば簡単に死に至る場所である。死を免れても大怪我は避けられない。

 卑怯千万である。しかし当たり前と言えば当たり前のことである。戦うと言うことは言い方を変えれば、生きるか死ぬかと言うことだ。情など入る余地などはないのである。


 三平が気付いた時には、麻奈美の腕は竹本の長い手に握られていた。

「痛いじゃないのよ!」

 彼女は振りほどこうと力を入れて動かした。ピクリとも動かない。さらに竹本は彼女の首に腕をまわした。

「こいつを取り戻したかったら……」

 首に回った腕に力を入れた。麻奈美の苦しげな目が三平を見つめる。

「これから一時間後に神社に来い。覚えてるだろう。菅野の事を……今度は俺がお前に果し状を叩きつける。あの時の決着をつけてやる。変な真似をしたら、この女はただでは済まない」

 三平の目が激しい怒りに燃えた。大地を踏みこむ足に力が入る。大股開きの立ち姿は震えているように見えた。己の不甲斐なさに烈火の怒りが深紅の炎となって燃え盛る。その炎が川面を赤く染めていた。必死の抵抗も空しかった。車の中に押し込まれた麻奈美を乗せた車は、三平を嘲笑あざわらうかのようにフロントを浮かせて走り去った。

 車の中から投げかけた麻奈美の恐怖に満ちた目を彼は忘れない。


 口を噛みその目は車を追った。

 三平の気持ちは深海の小石のように黒く沈んでいた。助けを求めた一人の人間すら救うことも出来ない自分に対して。あまりの情けなさに柵にもたれて崩れ落ちた。まるで連打を食らい戦闘能力を喪失したボクサーのように。


 目の前を一台の軽四輪が通り過ぎって行った。運転者がチラリと視線を投じ、排気ガスの臭いが辺りに漂う。

 約15度ほど移動した新月は三平の目の先に輝いていた。

「新月の夜は何かが起こる……狼伝説じゃあるまいし」と呟いた三平は携帯を見つめ定信義市に電話をした。

 定信もちょうど帰って食事中らしく口をもぐもぐさせながら電話に出た。そして麻奈美のことを相談しようとしたが、なんとなく言いそびれて、大した話もせずに電話を切った。

 電話を切るとほぼ同時に「神社に行くか」と微かな呟きが無意識に三平の口からもれた。その言葉の先端「神社……」の二文字を定信は聞いた。その神社の意味することなど意識もしない。まさか、これから桂木麻奈美のことで、小学校の同級生の竹本勝海と果し合いに赴くなど想像すら出来していない。

 三平は警察に連絡しようとも考えたが、おそらく話をややこしくさせる元になると考え、もう一度、竹本に会ってからでも遅くないと思った。

 まず神社に行くしかないと腹をくくった。

 大人が歩いたら二十五分くらいかかる道のりだが、三平の芭蕉軽功なら十五分もかからない。

 その間、食事が終わったのか定信から電話が二度かかってきた。三平はそれには出ずに道を急いだ。


 定信は食後の運動とばかり自転車に乗って夜の住宅街に走り出ていた。行くあてなどはないが三平の家を目指した。

 定信は三平の家まで自転車を転がしたが玄関前に出ていた彼の母の姿を見て、まだ三平が帰っていないことを知り自転車を反転させた。もう一度、携帯を鳴らしたがやはり彼は出なかった。

 まあ、何かあれば連絡してくるだろうと、近くのコンビニで冷たい飲み物を買って家に帰ろうと、自転車のペダルに力を込めた。夏の夜とはいえ定信の首筋に汗が流れおちていった。

 空には三平が見ていた新月がかかっていた。三平は新月が好きだと言っていた……その時、彼が携帯電話を切るときに聞いた「神社」の二文字が甦って来た。

 新月の夜は気が引きしまると。もしかしたら神社で芭蕉拳の稽古でもしているのかも知れない。神社に行って稽古している三平を驚かせてやろうと、コンビニで彼の分の飲み物を買って走り出した。気のせいか、定信とて新月の夜は気力が湧いてくる。確かに自転車をこいで流れる汗が気持ちよかった。どこまでも走れる気がした。

 神社までは序の口、寂寞せきばくたる荒野、白銀の原野までも。


 神社の境内につながる薄暗い階段を駆け上がった三平は、鳥居の右側にある社務所に明かりが点いていないのを確認した。

 境内の中にも人の姿は見当たらなかった。これから訳のわからん連中の諍い事が始まろうとしているのだから当然だ……信じない人は信じないのかも知れないが、どうやら人間を含め生きとし生けるものには予知能力があるようだ。その証拠にややこしい事が始まろうとしている神社の境内には動くものは何一つ見えなかった。動いてたまるか、とお互いが牽制し身じろぎひとつしない我慢大会のように。


 三平は神社の手水舎ちょうずやの柱の影に隠れて時刻が来るのを待っていた。

 竹本は約束の時刻に階段を上って姿を見せた。桂木麻奈美はその後ろにいた。さらに見張るように二人の仲間がノコノコついてくる。不思議なことにその時、麻奈美の表情には恐怖というものが消え去っていた。放心状態でもなく知らない人が見れば竹本の彼女のようにも見えたに違いない。

 三平は竹本が何を考えているのかわからなかったが、話し合いだけで終わりそうには思えなかった。

 小学校の時も芭蕉拳に対抗意識を燃やしていたし、今また対決を挑んできた。その当時とはまるで違うスケールで。

 三平にとって結局、これは偶然とはいえ女を守る戦いになった。

 師匠が恋人を雲龍拳の猛者に奪われ、奪い返さんがために十年の年月をかけて作りだした芭蕉拳。いま又、雲龍拳を使う竹本に女をめぐって挑まれる戦い。

 因果の不思議さを知った。知りたくもないのに知らされる。知りたくないことほど知ろうとする。知ってどうする。


 何のための戦いなのだろう。彼は考える。定信の友達の桂木麻奈美を助けるためなのか、男三平はそれが誰であれ救いの手を差し出すであろうことはわかっていた。偶然それが桂木麻奈美であったということだ。もしかしたら、これは桂木美鈴を守る戦いなのかも知れない。それがどういうことか整理がつかない。その気持ちが雪崩なだれとなった。

 師範、青柳三太夫が雲龍拳にやられたように、三平も竹本には勝てないかも知れないと懸念がぎった。相対して感じたことは、力は当時とは雲泥の差であった。

 鋭く肉を切り、素早く骨を断つ。

 青柳三平は俳諧連歌芭蕉拳の生みの親、師範、青柳三太夫の仇敵の雲龍拳を操る竹本勝海に挑んでいく。


再び湧いて出た男の世界。知ってか知らずか三平を巻き込む女の戦い。そこに駈けつける定信。


「古池や蛙飛びこむ、水の音」三平、大丈夫か?


読んでいただいて有難うございました。


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