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金色の空  作者: 古流
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51 くるしむ、なかれ

 五年前のあの日は、春の日差しが眩しいくらいの明るい空だった。

 学校帰りの僕は息を切らせて彼女の家の表門の開き戸を開けた。首をのばすと見通せる縁側で、その子は肩を丸めて一人で千羽鶴を折っていたんだ。


 だから僕は……こっそり近づいて連絡帳を手に持ったまま、その子に言ったんだ。

「どうして、そんな淋しい顔して鶴を折ってるの? 俺も折ってやるよ。元気一杯の折り鶴をさ」

 その子は身体が弱く小学校にほとんど通学していなかった。だから、斜め向かいに家があった僕がその子との連絡係だった。


「だって、この折鶴が千羽に近づくほど、私の命は……」


 その子は自分の病気が、もう治らない病気だと思い込んでいたんだ。

 その子は小学五年生にもなって、そんなことしか考えられなかったんだ。

 だから、その子の笑顔は……僕に見せる笑顔はいつも濡れていたんだ。


「元気だせよ」

 僕が励ましたら、涙でいっぱいの目を持て余すように、濡れた瞳を隠して笑顔を見せてくれたんだ。


 この様子を同じクラスの青柳三平は垣根越しから覗いていていたんだ。それに気付いたのは垣根に向こうで三平の眼鏡のレンズがキラキラ光っていたからさ。

「三平! なに覗いてんだよ」

 僕は半分笑いながら言った。三平がその子のことが好きなのを知っていたからだ。

「覗いてないよ。通りかかっただけだ」

 そう言うと、三平は黒ぶち眼鏡の奥の丸い目を見開いて足早に歩き出した。

 その子の目にも垣根越しから見え隠れする、三平の揺れる頭が映っていた。怒っているようであり、恥ずかしげだったり、淋しそうだったりした。

 そして、別れは、春の木漏れ日が雲にさえぎられ、冷たい風にさらされるように……あっけなくやってきたんだ。

 

 小学校五年の春の終わりだった。

 東京から北海道の病院に転院するために、その子は二人の前から突然いなくなったのである。

「この折り鶴には私の願い事が書いてあるのよ……でも、まだ読まないでね」

 僕と三平の手にはその子から貰った、その子の願いことを書き留めた金の折鶴があった。その子はしばらく考えてからこう言ったんだ。

「五年待って……五年が過ぎたら読んでも良いわ。その頃には、私はきっと」その後の言葉は聞き取れないほどの小さな声だった。ほんとは何も言っていなかったのかも知れない。僕が勝手に聞いたように思ったのかも知れない。だから、そのことがしばらく僕を悩ませたんだ。

「手紙書くね」

 それが最後の言葉だった。両親と並んで歩くその子の白い手が、僕には春の終わり告げる蝶のように見えたよ。

 約束していた手紙も来ないまま、二年後には家は無くなり、僕の思い出の中でも、思い出さない思い出の一つになっていた。

 そして、五年が過ぎて、その子が去った北海道から、どこかその子に似た麻奈美という元気な女の子が転校してきたんだ……とさ。


 話し終わった定信は一息ついた。

 定信が自らの経験を元にして作り上げた物語であった。

 話が本編と随分違うのは彼の記憶が前後したり、忘れたい部分は消えていたり、強調したい個所があったりの結果であった。三平の顔に少し赤みがさしているように思えるのは、定信の勝手な想像の産物である。


 麻奈美は三平を目だけで見た。三平は定信が語る話を無表情で聞いていた。それが男の値打ちだとでも言うかのように……。その静かな空間に流れ込んで来たのは遠くから聞こえる歌声だった。定信の目が捉えているのは生徒たちと歌を歌う江の島で突如姿を消した東条紗枝の姿だった。その横に権俵ごんだわら曲渕介まがりぶちかいを従えていた。


 その歌声を遮断するように定信が再び話しだした。

「桂木さん……どうだった、今のはなし」

 無意味な問いかけだった。

 私には折り鶴の思い出なんかないわよ……とでも言いたげに麻奈美の反応に変化はなかった。

「羨ましいいわ……折り鶴の話し」

 麻奈美の遠い目は言葉が嘘でないことを表していた。

「ぼやけてるんだ……五年も前だから」

「美しすぎるからだわ。美しすぎると思い出の神様が嫉妬してぼやけさせてしまうのよ」

「忘れたいからかも」

「青柳君も?」

「折り鶴のことはよく覚えているけど……思い出は思い出でいい。それに、僕は今がいい」

「私が横にいるから……?」

「……」

 三平は黙っていた。となりの定信が笑いながら三平の脇腹をこついた。

「青柳君は忘れられない人がいるのよ。」

「どうかな……」

 三平がそう言った時、火を囲む輪の中から麻奈美を呼ぶ声がした。小学生のためにキャンプファイヤも大詰めをむかえようとしていた。麻奈美は二人を促すように立ち上がった。

「もう、おしまいの時間よ。最後にみんなで歌を合唱するの。いらっしゃいよ。歌いましょう!」


 夜も八時をすぎていた。

「お腹すいたでしょう。はい」

 麻奈美が定信と三平に熱々の大きな焼き芋を持ってきた。

「早く食べないと歌を歌えないわよ」

 運動場の真ん中で輪になった子供たち。その輪が広がって皆の手はつながった。その輪の中に東条紗枝の手もあった、隣には曲渕介がいて二人の手は繋がっていた。定信は内心焦る気持ちが湧きあがってくる。それが意味のない感情だと気付けば気付くほど気分が落ちこんでいった。手にした焼き芋をあわてて口の中にほおばり、定信と三平は麻奈美を真ん中にして手をつないだ。初めて触れた麻奈美の手の温もりが、定信には遠い出来事のように感じるのだった。

「私は知らないわ。二人のぼやけた想いが何なのか? でも、いつか私もそのぼやけた想いの片隅に佇んでいたいのよ」

 麻奈美は二人の手を強く握りしめた。

 定信の手はその温もりから逃れるように虚空を泳いだ。そして、定信がそこで見たのはヒラヒラと舞う季節はずれの白い蝶だった。

 決して触れる事のなかった……重なり合いそうで重ならなかった美鈴の小さな手だった。

 その冷たさも温もりも知らないまま、定信の手は風を掴んでいた。



桂木美鈴の思い出話は語られた。

 

それは定信の決別のストーリーであり、三平の揺れることのない決意の物語であった。


二人の中には、もう桂木美鈴が戻ってくる場所などないのだろうか。



夏の夜の摩訶不思議。


白い蝶だと思ったら蛾の仲間でした。


読んでいただいて有難うございました。


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