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金色の空  作者: 古流
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38 光、のうちに

 武蔵が原高校野球部が土曜日の午後、優勝候補の東塔学園を1対0で破った大豪高校との試合を控えて試合場に集まっていた。そこには適度な緊張感を持った選手がキャプテンの伊達武蔵だてむさしを中心にして円陣を組んでいた。その試合を見るために武蔵が原高校の生徒が次々スタンドを埋めていた。

 梅雨空ではあるが、空には雲の切れ間から青空が広がり、漏れる太陽の熱気が球場周辺の空気を振動させていた。

 大豪高校も今度は負けていない。

 東塔に打ち勝った勢いをそのままに応援にも気合が入っていた。

 そんな喧騒から少し離れた円形広場の真ん中に水が出ない噴水があった。

 水不足を叫ばれた時期に水を止めてから、それ以後は一度だけ勢いよく水を噴出させているのを見ただけで、すぐに経費節減が叫ばれ、再び水を止められていた。その後も噴水ごときに手を回す余裕が無いとでも言いたげにそのままに放置されたままになっていた。その割には豪華な庁舎を建築中というから、なにおかいわんや、である。

 その噴水の周りを囲むコンクリートに定信義市さだのぶぎいちが白いTシャツにジーンズ姿で座っていた。頭にはキャップをかぶり、どこか人待ち顔だ。

 まさかのあの人……桂木麻奈美かつらぎまなみを待っているのだ。

 それは麻奈美らしく、唐突で突然の出来事だった。

 その簡単な経緯はこうだ。


 昨日の夕刻のことだった。

 昼間の蒸し暑さも日の陰りとともにおさまり、校門前の事務用品屋さんが打ち水をしたせいもあって風すら心地よく感じられた、放課後。

 陸上の練習を終え帰ろうと定信は友達仲間と校門を出た時、そこにいたのが桂木麻奈美だった。

「定信くん」

 麻奈美の久々に聞く声だった。

 定信義一は麻奈美の声を聞いた瞬間、心臓に流れ込んでくる血液が一気に増えたように驚いた心臓は早鐘をうちはじめた。

 定信はそれを気取られないように、そ知らぬ顔で行き過ぎようと顔をそむけ横の轟真悟とどろきしんごに話しかけた。

 轟はニタニタしながら、さらに横にいた新庄豊と熊谷芳紀に何やら目配せをすると、三人は一斉にダッシュして暮れかけの道を信じられない速さで走り出した。さすが陸上部である。羽があればペガサスとなって空を飛んでいってしまったであろうと錯覚するほどの素早さであった。

 定信はあっけにとられて、呆然と一人取り残されていた。

 おそらく麻奈美の姿を見た轟真悟が瞬時に気を利かせたのだろう。

 定信にとっては何とも迷惑な事態である。

 麻奈美がなにを思ってそこにいたのか、定信義一が知るわけがないし、そういう事態が起こりうる些細な前兆すら見当たらなかったのだから、さしずめこの場は相手の様子をうかがいながら、そろりと立ち去ろうと考えた。

 その時、麻奈美は謎のような笑顔を定信に向けているにもかかわらず、その目はまるで睨んでいるように見えたものだ。

 定信は後で言い訳がつくように曖昧に頭を下げて、麻奈美のいる校門からゆっくり離れていった。その後、少し歩いても呼び止める声はなかった。

 よかったという思いと、どこか寂しい気持ちが壊れかけの振り子のようにギシギシ音をたてながら、無限ループの罠にはまった思考回路よろしく、らせん状に回転繰り返していた。

 しかし、それは、いとも簡単に止められた。

 再び背後から聞こえた「さだのぶ……」麻奈美のやや怒った声のせいだ。

 その声は定信の背中を刺激し、さらに脳みそごと頭蓋骨を粉砕させた。

 その衝撃もまだやまぬうち、第二派がさらに定信義市を襲う。次の一言も想像を超えていた。言い方を変えれば大迷惑な一言になる。

「明日、私とつきあってよ」

 麻奈美は定信の約15センチほどの距離にいて、透き通った声が耳をゆすぶった。

 一応、定信義一は顔を向けた。

 騙されても、騙さない。無視されても、無視はしない。定信流の処世術だった。

「どうしたの? いやなの……」

 一方的に事を決めようとする麻奈美に、ひとこと言いたいのをぐっと我慢した。

「俺の都合もあるし……」

 顔を戻し足元に目をやりながら定信は言った。

「そうっか! 忙しい人なんだ。君は……」

 あっけらかんとして、そう言った後、ブラウン皮の学習鞄を後ろ手に持ち、腹立たしげに定信から離れていった。

 その後ろ姿を夕日が眩しく照らしていた。

 麻奈美はちらりとも振り返らず、次の角を曲がっていった。

「なんだよ……」

 定信は腹で舌打ちをした。

 冗談じゃない。何が私の恋人だ……別にこちらから頼んで恋人になったわけじゃないと、心の中で誰にも聞こえないような小さな声で言った。

 定信は麻奈美が曲がっていった角に目をやった。その道を大柄な男性がこっちに向いて歩いていた。

 麻奈美に翻弄されたまま、苛立ちだけが頭を支配していた。

 麻奈美は何に付き合えというつもりだったのか、そんなことを考えると腹立ちのほうが大きくなっていった。 しかし、がっかりした気持ちがあるのも確かだった。その証拠に足取りに力がなかった。まっすぐ歩いているつもりでも斜め45度に進んでいるのに定信義一は気付いていない。

「危ないわよ。そこはブロックの壁よ」

 その声に、我に返った定信は驚いたように立ち止った。なるほど壁が目の前にあった。

 そのまま、その声の主を振り返って再度、驚いた。

 再び桂木麻奈美がそこに佇んでいたからだ。

「明日、野球部の応援に行こうと思ってるんだけど……一緒にいかない。定信くんの都合がよければ、ね」

 麻奈美はじっと定信の顔を見つめた。

 見つめられた定信は、どこから現れたんだ? そんな顔をした。

「歩いていたでしょう大きな男の人が……その後ろに隠れていたのよ。わからなかった」

 定信が不機嫌な顔をして歩きだしても、麻奈美は、その横に一緒について歩いて行く。

「他の人と行ったら……そう思ってるのね。私は定信くんと行きたいのに……」

 黙っている定信にそれでも微笑み続ける麻奈美を、まるで昨日までとは別人と思うほどであった。

「明日は……」考えるふりをして首を半ひねりした。続いて出た声も、ひとひねりされていた。

「昼からなら、大丈夫だけど……」

 そう言ってから、素直じゃない自分が情けなくなった。

 嘘はつかないと決めていたのに…別に、朝も、昼も、夜もなかったのだから……。

「よかった。しゃべれるじゃない。歌を忘れたカナリヤじゃないけど、言葉を忘れたのかと心配したわ」

 のぞきこむように定信の顔を見た。定信は鞄を右手から左手に持ち直して「当たり前だよ」やや、ぶっきらぼうに言った。

「よかった。試合は、確か、昼の一時からよ。緑地公園の野球場知ってるでしょう。球場の前に水の出ない噴水があるのよ。そこで待ってて」

 待ってるじゃなくて、待ってて、ってやはり普通じゃない。……そんなことを思いながらも横を歩く麻奈美の微笑みが眩しかった。夕日が反射しているからだと定信は思いこんだ。


「それと、明日の待ち合わせのために電話番号とアドレス交換しない……?」

 一歩、進む間があった。

「別にいいけど……」

 定信義市の顔に西日が当たったのか、朱が差したように赤くなった。


定信に桂木麻奈美が再接近。

野球に誘われても、どこかすっきりしない定信だが……。


読んでいただいてありがとうございます。

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