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金色の空  作者: 古流
36/79

35 のがれいでゝは

 轟真悟とどろきしんごの自転車は巧みに信号待ちの車の波をすり抜けていく。

 定信義市さだのぶぎいちは見失うまいと必死にペダルをこいだ。広い車道を左に曲がり、小さな川を渡ると商店と住宅が軒を並べる道に出た。

 コンビニから十分ほどの距離だった。

 定信義市は初めての場所にも関わらず、なんとなく見覚えのある道のような気がした。

 そんな思いにとりつかれている間に、前を行く轟真悟の姿は見えなくなっていた。見えなくなったのではない。彼は目の前の花屋の店先に、クロスバイクを止めていた……。隣の理髪店のクルクル回る看板の影で見えなかったのと、まさか花屋の前にいるわけがないという思い込からであった。その隣のラーメン屋から食欲をそそる茹でた麺の匂いが匂ってくる。

 定信義市はラーメン屋の匂いに誘われるように、そ知らぬ顔で花屋の前を通り過ぎていった。意識してゆっくり走っても、轟真悟が追ってくる気配がないので自転車止めて後ろを見た。

 彼は花屋の前から一歩も動いていない。

 それどころか、定信義市を手招きしていた。

 仕方なく自転車を反転させて戻って行った。はたして、道を逆方向から見た風景が、図らずも彼の脳細胞を横四方固めから解放しようとしていた。

 過去に歩いたことのある彼の記憶が、しびれた足が少しづつ感触を取り戻すように徐々にはっきりしてきたのだ。


 定信義市が理由も言わずに、オープン間なしの花屋に青柳三平を連れ出した記憶であった。

 それは一年前、中学三年生の春のことだった。

 学校から帰ってきた定信義市は、台所のテーブルの上に無造作に置いてあった一枚のチラシが目に入った。

 そのチラシは新しくオープンする花屋のものだった。観葉植物や鉢花が好きな母が見ていたものだろう。

 flower shop 勿忘草わすれなぐさの大きな文字と、その下に、うす紫の花の写真がトリミングしてあった。

 その写真を見たとき、定信義市の眉間のしわが顔の中心に何本も集まった。

 チラシを手にすると、突然「三平とこに行ってくる」と言い放って外に出た。

 携帯で三平に連絡してから、待ち合わせ場所に自転車を飛ばした。

 青柳三平は徒歩で少し遅れてやってきた。

 定信義市は自転車の後ろに乗るように言ったが「歩かないか」の一言で、自転車をその場に置いて歩くことになった。

 中学生も三年になった当時、二人の歩くという行動は一般の散歩とは少し違っていた。

 俳諧連歌芭蕉拳はいかいれんかばしょうけんの至芸、芭蕉軽功ばしょうけいこうを継ぐ三平に、一休拳を独自で編み出した定信義市は対抗心を燃やし芭蕉軽功に負けてなるかと全速力で歩くのである。

 もちろん、そうすることが、身体能力を鍛えることにつながるとの思いもあった。

 とにかく、木枯し一号と二号をプラスしたような速さで歩くので、すれ違う人々は二人の風圧で飛ばされそうになる。

 嵐の如き二人である……にもかかわらず、普通に会話はできた。

 常人に、出来る芸当ではない。

 少し前を歩いていた青柳三平が、定信義市の速さに合わせたのか肩を並べた。

「どこへ行くんだ。そろそろ言ってくれてもいいだろう」

 三平が連れ出した理由わけを言わない定信義市に業を煮やして聞いた。早足で歩いていても、芭蕉軽功の三平の息は寸分の乱れもない。

 日々鍛錬のたまものであった。

 なお、答えない定信義市は額から汗を流し、少々息が上がり気味である。

 負けてならぬと歯を食いしばって足を前に出す。

 何か、思案しているのだろう。

 そう察して、さらに二人は無言で歩いた。

 定信義市が口を開くまで、三平は芭蕉の俳句を呟やくことにした。

「朝茶飲む 僧静かなり 菊の花」

 三平の周りで、かすかに風が起こる。もちろん芭蕉拳の極意である。この俳句は一休和尚が若い頃に修行をした祥瑞寺しょうずいじに句碑が残されている芭蕉の一句である。

 知ってか知らぬか定信義市……これに答えねば男ではない、と一休拳を繰り出す。

南無釈迦なむしゃかじゃ、娑婆しゃばじゃ地獄じゃ、苦じゃ楽じゃ、どうじゃこうじゃと、いうが愚かじゃ」

 強烈な一撃を受けた三平が苦笑いして、したり、とばかり定信義市の胸に拳を突き出した。

「一休拳あなどれず、とんちの一休、恐るべし」

 二人はお互いやり合いながら、しばらく歩いて道を左にとって川を渡った。チラシではこの道沿いに花屋があるはずだった。


俳諧連歌芭蕉拳も一休拳も、さらに進化を遂げていた。

それにしても、一休和尚、恐るべしであります。

滋賀県の近江八景のひとつ堅田の浮御堂の近くに 一休和尚ゆかりの祥瑞寺はあります。若いころには暇さえあればカメラをかかえて訪れたものです。

 

 読んで下さってありがとうございました。

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