20 遠く、別れて
菅野芳治が妹の桃子を向かえるため、仲間と別れて公園に向けて歩きだしが、少し手前の路地に入った駄菓子屋の前で一人立っていた桃子見つけた。
「桃子!」
呼ぶ声に桃子は振り返り、近づいてくる兄を見つけた。
「公園で遊んでなかったのか」
「猫がいたから……」
「猫……桃子は猫が好きだからな」
「ふふ、そしたら車が来て、恐かったから目を瞑ったら、そしたら体がふわっと空を飛んだ」
「空を飛んだ?」
「うん、髭のおじさんがいた」
「髭のおじさん……? さては、桃子がお菓子を食べたがるから、お菓子屋さんに連れてきてくれたってか……」
「うーん?」
桃子がお菓子屋に目を移した。そこにはおいしそうな御菓子が並んでいた。
兄、芳治は桃子に何か買ってやりたかったが、いかんせん、お金を持っていない。
桃子も無理にねだるようなことはしない、おとなしい控えめな女の子だった。
菅野はポケットから、残り一つの飴を取り出して桃子に渡した。
桃子はしばらくそれを眺めていた。
「これ、兄ちゃん食べろ。桃子は一つ食べたから」
そう言ってつき返す。
「いいから、食べな。チョコレート買ってやりたいけど……そうだ、これから母ちゃんの仕事場へ行って一緒に帰ろう……それで……」
「それで?」
桃子はその後、兄が何を言うのかわかっていたので怪しげに笑った。
「帰りにスーパーで何か買ってもらおう」
「パラソルチョコ食べたい」
桃子が傘の絵を指で書いた。
「チロルチョコも美味しいぞ」
指で四角を描き、それをおいしそうに口の中に入れた。菅野は桃子を抱き上げると大またで歩き出した。
春の日は短く、梅雨のようにどんより曇る空があった。
その空から、にわかに霧雨が落ちてきた。霧雨でも雨に濡れると、じんわり寒さが身に染みる。
青柳三平と定信義一はお互いの汚れた顔を見ながら苦笑い。おまけに体のあちこちが痛む。
河の土手を抜け、しばらく歩くと三平の妹の千佳子が公園の入り口で座り込んでいた。
「千佳……」
三平は千佳が公園で遊んでいるのを知っていたが、もう家に帰っている時間だと思っていた。
「千佳!」
三平は声をかけた。
「あ、お兄ちゃん」
そういうなり千佳子は立ち上がって駆け寄ってきた。
泣いていたのか目が濡れている。
「まだ、遊んでたのか?」
「桃子ちゃんと」
「桃ちゃんとか……それで、桃ちゃんは帰ったのか」
「桃ちゃんはこの道を向こうに渡っていった……」
「千佳は」
「桃ちゃんが帰ってくるのを待ってた……」
「桃ちゃんはもう帰ったんじゃないのか」
「……」
定信義一はあたりに目を泳がせた。それらしい子はいなかった。
三平の不安そうな顔を見て、定信義市は千佳子の頭に手を置いて言った。
「もう帰っているかわからんから家に行ってみよう」
「うん」
気を取り直したのか千佳子は目を袖で拭った。
菅野の家はもう六時なのに、照明がついていなかった。
「帰ってないのかな」
どこか不安げな三平の気持ちを察して、定信義一が誰もいないのを確認するために、玄関戸をどんどんたたいた。
やはり誰も出てこない。
「菅野もまだ帰ってないのかな」
三平がそう漏らしたとき、後ろに菅野が野菜の入った近くのスーパーのビニール袋を持って立っていた。
「まだ、やる気か」
目をつり上げて、大きな体をさらに伸ばした。
「いや、桃ちゃんが帰っているか……気になったから」
定信義一が三平に変わり答えた。
「桃子になんの用だ」
「千佳ちゃんが公園で遊んでいたら、桃ちゃんが突然いなくなったって言うから、心配になって来てみたんだ」
「ふん、お菓子屋の前にいた桃子を俺が連れて帰った」
「そうか、よかったな。千佳……」
菅野は三平の声を無視するように、家の鍵を開けて中に入っていた。その様子を見た定信義市は憤然と言い放った。
「行こう」
定信義一が歩きかけた時、向こうから桃子が仕事帰りの母親に手を引かれているのが見えた。
千佳を見つけたのか、大きな声で「千佳ちゃーん」
手にはパラソルチョコを持って駆け出した。
菅野の母は菅野に似ず小柄でややふっくらしていた。細くて背が高いのは父親に似ていると言うことなのだろう。
「桃ちゃん、又遊ぼうね。バイバイ」千佳は兄の三平の腕をとった。
「また、あそぼ。今日はね、髭の伯父さんと空を飛んでお菓子屋さんに行ったのよ」
「空を飛んだ? へぇー、その話し今度、聞かせてね」
そう千佳子が答えているうちに、定信義一と三平は菅野の母に会釈をしていた。
三平は口の傷を見られないように口に手をかざしていた。
気がついたら雨はやんでいた。
しばらく歩いて一息つくと定信義一が口をきった。
「三平の空手も……なかなかのもんだ」
「功夫だよ。でも菅野の力には驚いた」
「横綱、菅野山だぞ……」
定信義市が相撲のすり足の真似をして、二三歩前に出た。
「でも、三平の漢方なら勝てるかもしれない」
「漢方って……でも、実は親からは禁止されてるんだ」
「へー、せっかくここまで修行してきたのに」
「勉強ができなくなるからって……」
「おまえの母ちゃん教育熱心だから」
「それでも、内緒で練習してるけど……」
それまで黙っていた千佳子が二人の会話に割って入った。
「桃ちゃんが髭のおじさんと空を飛んだって、どういうこと? 桃ちゃん、車に轢かれそうだったんだよ」
三平は驚いたように千佳子の話しを聞いていた。
「車に轢かれそうって……?」
「公園から出て行こうとした桃ちゃんに車が……気がついて、そこに行ったら、もう誰もいなかった」
「そして、誰も、いなくなった……」
三平は顔をゆがめ、わざと恐ろしげに千佳子に言った。
千佳子は定信義市の後ろに逃げ込んだ。
誰が空を飛んで桃子をお菓子屋まで、瞬きの瞬間に連れていったと言うのだろうか。
桃子の言う、髭の伯父さんと空を飛んだのが事実なら、それは誰なのか。
定信義市は千佳子の話をまともに聞いていなかった。
人が空を飛ぶことなんか出きるわけがない。まして小さいながら人を抱えて空を飛ぶなんて……信じろと言うほうがおかしい。
青柳三平は、そんな芸当ができる男を一人だけ知っていた。
「三平……最近歩き方が変だぞ」
定信義市が首をひねりながら言った。
「そうかな……」
三平の足が青柳三太夫、顔負けの大また開きになっていた。
折り鶴の話しが少し脱線しております。夏の暑さのなせる業とは言いません。
あぁ、青柳三太夫はいずこへ、はたして、詩音と出会えたのか?
やはり夏ばてのせいですかね……。
読んで下さって有難うございます。