19 空風、吹けば
青柳三平は師匠、青柳三太夫と会った昨日のことを思い出していた。
「明日は、わしが助っ人に行ってやるわい……」
師匠の顔が万華鏡のように千回変り、万回化けた。
三平は同級生の桂木美鈴を侮辱した相手に、果たし状を叩きつけたこと……結果、果し合いをすることを正直に告げていた。
当然、師匠に怒られ、止められるだろうと思っていた三平だったが、なぜか青柳三太夫は、しんみりと語りだしたのだ。
師匠の身の上話である。
三平を前にして延々と続いた。
長い話なので、要点のみ記すことにする。
まだ、日本の武術を修行中だった若き日の青柳三太夫は紅詩音という女と恋仲になった。
紅詩音は青柳三太夫とは流派が違う龍雲拳と名乗る武門の女だった。それも何かにつけ敵対する相手であった。
それでも好き同士の二人を裂くことはできないと、語り合って駆け落ちした二人だったが直ぐに見つけられ、修行中で未熟な青柳三太夫は、龍雲拳の猛者に完膚なきまでに叩きのめされた。
「もし、わしらを倒すことができたら、この女をやろう……はははは」
無念な心境の師匠を尻目に紅詩音は涙をながして龍雲拳に連れ戻された。
青柳三太夫はその悔しさを腹に叩き込み、紅詩音を取り返す為の流浪の旅にでた。信濃の山中で修行中に今の俳諧連歌芭蕉拳の原型の一茶拳と出会い、悪戦苦闘のすえ自力で芭蕉拳を生み出した。
それも詩音を取り戻したい一心からであった。
青柳三太夫が意気揚々と戻った時には、十年の歳月が流れていた。
紅詩音がいた流派も武門もなく、建物のあとは鳩やカラスの住処となっていて、雑草が一面覆っている有様であった。
そして、通りかかった旅人が教えてくれた。
全てに絶望した紅詩音は武門を捨てて出家し、尼僧となって、俗世間とのしがらみを切ったことを……。
それを知った師匠の無念の思いは計り知れない。
茫然自失で立ち尽くし、その両足は、あまりの強力のため数センチも地面にめり込んだという。
青柳三太夫おなじみの大また開きの立ち姿は、こうして誕生したのである。
……ざっと、こういう話である。
「青柳三平よ……さらばじゃ」
橋の上から大音声が轟く。
菅野も河川敷で遊んでいた人々も、大きな音に驚いてあたりを見渡した。三平以外には単に大きな音に聞こえたに違いない。おそらく師匠の言葉は三平以外には聞こえない。
これこそ俳諧連歌芭蕉拳の秘技の一つ、心心咆である。
「苦節十五年……わしは、ついに詩音を見つけたぞ。今から連れ戻し行く。もうお前とは会うことも無いかも知れん。芭蕉拳は全てお前に伝授した。それを受け継ぐも自由、捨てるも自由じゃ。お前も惚れた女のために身をさらす。さすがわしが見込んだ男だ。見事であるぞ」
「師匠!」
三平の大声は菅野に消された。
この一瞬の隙を菅野が狙わないわけがなかった。
疾風のような右の拳がこめかみを狙って伸びてきた。三平には、それが見えなかった。
あっと、目の前に迫った菅野の拳に気付いた時は遅かった。
青柳三平は目を動かす間もなかった。
骨が砕けるような鈍い音が三平の耳元で聞こえ、二人はお互い飛ばされていた。
「青柳三平! まだまだ修行が足りんぞ。ではさらばじゃ。いざ詩音のもとへ」
二、三度転げ回った三平には、師匠の大音声が確かに聞こえていた。
(師匠が助けてくれたんだ)
見上げた橋の上には、すでに師匠の姿は無かった。
三平はあたりを見渡した。もう師匠はもう、どこにもいなかった。
遥か、遥か、山の彼方の空遠く、雲の間に間でピカッと光った物があった。それが雷ではないのを青柳三平にはわかった。
それを見た時、三平の目から何故か涙が流れたのだった。
菅野は、つっと立ち上がると三平に近づいた。
「意味は分からんが、今日はやめだ」
三平も立ち上がると黒く汚れた顔を手で拭いた。微かに手に血がついた。唇から出血していたのだ。
「これで終わったと思うなよ」
菅野の言葉に三平は即座に返した。
「お前が桂木美鈴に謝るまで、俺は許さん」
にらみ合いは、しばらく続いた。
先に歩き出したのは菅野の方だった。公園においてきた妹の桃子が心配になったからだった。
菅野が歩き出すと、後ろからバラバラと仲間が続く。
その中の一人に竹本勝海がいた。
竹本勝海は三平を睨み敵意の笑みをたたえて言った。
「あの絵を描いたのは菅野じゃない。俺が描いたんだよ」
そう言って不適に歩み去る竹本の背中をぐっとこらえて見ている青柳三平だった。
決して後ろから攻撃してはならない。師匠の教えだった。戦いにそんな悠長なことを言っていていいのですか……問い詰める三平に師匠は答えたものだ「俳諧連歌芭蕉拳を伝承する。それはそういうことだ」
その時、三平は師匠の言葉をかみ締めていた。
青柳三太夫こそ武術の達人である。
その技の冴えを、ここでお見せすることはないが、一瞬にして雲の彼方に消えてゆくなど常人にはできない芸当である。これを達人といわず、なんとする。
俳諧連歌芭蕉拳のこの技は芭蕉軽功と呼び、 身のこなしを軽くすることで人より素早く移動することが可能になるのである。
伊賀出身の芭蕉も相当の早足の人だった?
なぜなら、おくの細道では、全ての移動距離が約2400km、それを移動日無しの日を含めて約150日で歩き通したのですから。
松尾芭蕉が軽功を会得していたとしても、なんの驚くことはない。
ちなみに軽功を駆使した松尾芭蕉は、なんと大阪の宿屋で死にました。
辞世の句が(旅に病んで 夢は枯れ野を かけ廻る)というものです。
まぁ、辞世の句には色んな説がありますが……。
読んでくださって有難うございました。