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金色の空  作者: 古流
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1 人、こひ初(そ)めし

 小学校の帰り道。

 定信義市さだのぶぎいちは同級生の古室由香里こむろゆかりの家の前を通り過ぎようとした時、突然の女性の声に立ち止まった。

「ごめんなさい」

 そこには若い女性が困った様子で立っていた。

 まだ冷たい春風に白い帽子からはみだした黒髪がそよぎ、黄色い上着から浅黄色のスカーフがのぞいていた。

 長くのびた足には洗い染めたジーンズがはりつき、足元の青いスニーカーが目立った。定信義市はその女性が声を出すのを首が痛くなるほど見上げて待っていた。女性は定信の顔をじっと見つめていた。

「半ズボンにトレーナだけで寒くないの?」

 女性が小学四年生の定信義市を見ての第一声であった。

 彼はただ首を横に振っただけで、怪訝そうに見つめていた。

「でも、あんた、かわいい目をしてるね」


 女性は微笑んで定信の目をじっと見つめていた。

 定信もその女性をなんて綺麗な人なんだろうと思った。訳もなく胸がドキドキして、なぜか突然トイレに行きたくなった。緊張したり、気分が高まったりするとトイレに行きたくなる。それは思春期の入り口に足を踏みいれたことだとは定信は気がついていなかった。


「あの……このあたりで古室こむろさんって家知らない? 赤い屋根の大きな家……」

その女性がそこまで言った時、定信義市はぶっきら棒に目の前の一軒の家を指さした。

「ここが古室っていう赤い屋根の大きな家だけど……」


 住宅が立ち並ぶ一角。

 玄関口から中庭まで緑のじゅうたんが敷き詰められているひときわ大きな家があった。

 高い塀で囲まれ、その塀の上からきれいに手入れされている木々が大きな枝を伸ばしていた。その上に赤い屋根が夕焼け雲を思わすように波打っている。


「嫌だわ……」

 若い女性は照れたように顔を赤くした。目の前赤い屋根の大きな家の門にまさしく古室の表札がかかっていた。

「有難う、助かったわ」

 ニッコリ笑う女性につられるように定信もニィーと笑った。その笑顔をのぞき見るように若い女性はかがみこんだ。

「あんたやっぱり、かわいいわね」

 一言残して、その女性は仄かな香りとともに颯爽とそこを立ち去っていった。その手の小さなポシェットが金色に光った。大豆くらいの大きさの金色の鶴のアクセサリーが陽光に輝いていた。

 古室の家の門のところで、ふたたび定信義市を振り返ってニッコリ笑って手を振った。


「奇麗だな……」

 定信の頭の中で、ときめきにも似た感情が駆け巡っていった。年上の女性に、そんな感情を持つことなど今の今までなかったことだ。西洋絵画の世界から抜け出たような女性の佇まいに、幼いと思っていた定信義市の異性へのときめきが吹き出したのかも知れない。


 なんだろう……。

 定信もその女性見つめ、ぎこちなく手を上げて左右に動かした。

 女性が家の中に入ってからも訳も無く、そこに立ったままで動けなかった。まるで定信だけが時間の長針を無理やり止められたみたいに……。 

「あの由香里に……あんな美人の姉さんがいたのかな……」

 今若い女性が入って行こうとしているのは、同級生の古室由香里の家だった。


 定信が翻って歩きだそうと前を見た時、同級生の青柳三平あおやぎさんぺいが前から歩いてくるのが見えた。短めの髪をそろえ、長袖の白いシャツの上に黒っぽいカーディガンを羽織り、アイロンのあたったズボンに、汚れ一つない白い運動靴を履いていた。

 定信は小走りにそこまで走っていくと青柳三平が突然、ブスッとした顔で言った。

「義一は不思議に女に人気がある」

「知るかい!」

 定信もブスッと顔をこわばらせた。

「今の女の人はお前の知り合いか?」

「道を聞かれただけだ」

「由香里の家に入って行ったのか」

「たぶん……」

「……なんか美人に見えた」

 めがねの奥で青柳三平は目を細めた。

「お前。目が悪いのに……」

 定信が冷やかした。

「目が悪いけど、眼鏡をかければ見えるんだよ」

「うん、綺麗だった」

 その言葉を受けて三平が大きく胸を張った。

「ここで一句……」

「このタイミングでくるか……」

 三平が胸を張ったら俳句をひねる時だと定信は知っていた。


山路やまじきて 何やらゆかし すみれ草」

 定信も由香里を思い出しながら即座に返した。

「山路出て 何やらおかし 由香里ゆーかりかな……意味分からんけど、結構でした」

 適当に頷きあって二人は怪しげに笑った。


 笑い声は分かれ道まで続いた。道が分かれて二つの影が離れた。定信の背中のランドセルが大きく上下して、大またで走り出した。由香里の顔が目に浮かんだ。そして、さっきの若い女性の笑顔がその上にかぶさった。

「ピンキリとは、このことを言うんだな……」

 一言つぶやいて小走りに走りぬけた。

 その女性こそ、その時、大学一年生、十九歳の東条紗枝とうじょうさえだった。


不定期更新です。週末には更新したいですが……。

読んでいただいてありがとうございました。

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