14 別れ、いざよふ
その週の日曜日に、桂木美鈴の家族は大きな病院に移る為、父親だけを残して北海道へ引っ越して行くことになった。
玄関から桂木美鈴が出てくるのを、定信義市はイチゴの入った箱を持って待っていた。少し離れて青柳三平が妹の千佳子と並んでいた。
古室由香里も定信義一の横で目に涙を溜めていたし、数人のクラスの仲間も山本先生を囲むように輪になっていた。
美鈴の家のガレージから黒い車が一台出てきて、玄関から母親と美鈴と二歳下の妹の佳代が大きなバックを持って出てきた。
見送ってくれる友達の姿を見つけると美鈴は服の袖で涙を拭った。
「有難う……」
美鈴がみんなに精一杯の声で言った。心なしか微かに声が震えていた。
山本先生は両親に挨拶をして美鈴に声をかけた。
美鈴は嬉しそうに微笑むとクラスの仲間に小さく手を振った。
先生の横には菅野芳治が仲間を引き連れ突っ立っていた。
美鈴は思い出したようにポケットから一枚ハンカチを取り出すと、定信義一のところに近づいてきた。
「縁側に落ちてたの。これ貰ってもいい?」
「ああ、いいよ」
定信義市は不愛想に答えた。寂しい時や悲しい時ほどそうなった。
思いを伝えるのが嫌じゃなかった。
思いを伝えるのが下手なだけだった。
「有難う‥‥」
涙を見せたくなかった。美鈴の笑顔は下を向いた。
美鈴は定信義一のハンカチで涙を拭うと、その目の前に定信義一の手が伸びてきた。
「これ……約束したから」
定信義市の手には近くの果物屋で買った苺が入った箱があった。
「……ありがとう」
美鈴は母の顔を不安げに覗き込んだ。軽く頷いた母の笑顔を見て、美鈴も微笑んでそれを受け取った。
定信義一の手がそこにあった。
肌の温もりだけを残して、美鈴の手と定信義市の手は重なることなく離れていった。
「元気でなぁ」
定信義市の精一杯の言葉だった。
定信義一の横では古室由香里が顔をくしゃくしゃにしていた。
「由香里。病気を治して帰ってくるからね! その時は仲良くしてね」
由香里の濡れた目からさらに大粒の涙が流れてきた。
「待ってるから……絶対待ってるから」
「……」
「美鈴、忘れないでよ。折鶴のことも……」
由香里はそういって鞄から金の折鶴を出した。
「千羽も折れなかったけど……」
頷きながら美鈴は小声で言った。
由香里はただ頷くだけで声にならなかった。
父親に車に乗るのをせかされても、立たされっ子みたいに、しばらくそこを動けない美鈴だった。
三平はやや離れて桂木美鈴を見ていた。表情を変えずに妹の千佳子の手を握っていた。
「お兄ちゃん、手が痛いよ」
千佳子は三平が握る力が強く、手の痛さに泣きそうになっていた。
それでも三平は千佳子の手をきつく握ったままだった。千佳子も仕方なくそのまま我慢していた。
美鈴が三平を見て微かに微笑んでも、三平の固い表情で立っている様は、まるで山田の案山子だ。
別れがつらいのか、美鈴はなかなか車に乗ろうとしなかった。
車の中から妹が美鈴を呼んだ。
「お姉ちゃん……」
桂木美鈴は流れる涙を拭いながら、意を決したように小さく手を振った。
「バイバイ……」
それが桂木美鈴の最後の言葉だった。
桂木美鈴が車の中に消えるとドアが音を立てた。
それぞれの思いを残したまま車がゆっくり走り出した。
窓を開けて手を振る美鈴の白い顔が徐々に遠ざかっていった。
学級委員の菅野芳治の横顔には、今まで見せたことが無かった影が宿った。
車はそれほど広くない住宅街の道を、美鈴のためにゆっくり走っていた。
定信義市は少し離れたところに立っていた三平と三平の妹の千佳子に走りよった。
「行っちゃったな」三平がしんみり言った
「ああ……」定信義市はぶっきらぼうに車が走り去った方を見つめていた。
「もう、会えないのかな……」
「分からん」
「俺…又会いたいな」
「わからん……」
「お兄ちゃん、痛いよ」
千佳子がたまりかねて手を動かした。
「俺……俺は……」
三平はそう言うと千佳子の手を離して、車が走り去ったほうに向かって大きく手を振り大股で走り出していた。
別れは人の数だけあります。
その形は千差万別です。
それは、何時訪れても、決して、驚くことでは無いのです。
読んでいただいて有難うございました。