最後の婚約破棄宣言
王都の中心にそびえる王宮。その大広間では、きらびやかなシャンデリアが眩く輝き、貴族たちが絹の衣装を翻しながら舞踏に興じていた。
今日は王国建国祭の夜会、そして次期王妃候補をお披露目する場でもある。
――その場に、掃除道具を持たずして招かれた女性がひとり。
「……場違いですわね」
ミランダ・クロイス。掃除ギルドの代表にして、近年の衛生改革を牽引した立役者。
彼女はシンプルながらも品格漂うドレスに身を包み、背筋を伸ばして入場する。
本来なら舞踏会など無縁の庶民出身。けれど彼女の功績が、今や王都の誰もが知るところとなっていた。
だが――貴族たちの視線は冷ややかだった。
「見ろよ、あれが王子の婚約者だ」
「まさか掃除ギルドの娘が……前代未聞だ」
「血筋もないくせに……」
囁きは毒のように広がっていく。だが、ミランダは微笑んだまま一歩も引かない。
「人の目はどうでもよろしいですわ。大切なのは、この場が埃一つなく清潔に保たれていることですもの」
彼女の視線の先、磨き込まれた床はシャンデリアの光を反射している。
そう、この場を完璧に清めたのも――数日前、ミランダとギルド員たちだった。
音楽が鳴りやみ、王宮大広間の空気が一変した。
煌びやかなシャンデリアの下、第一王子レオンハルトが高らかに声を張り上げる。
「ここに宣言する! 我は、ミランダ・クロイスとの婚約を破棄する!」
瞬間、会場全体にどよめきが走った。
「な……!」
「やはり、庶民の娘が王妃など許されぬのだ!」
「今、正式に……!」
囁きが囁きを呼び、ざわめきは嵐のように広がっていく。
王妃候補の座を巡る典型的な「婚約破棄劇」。誰もが、今から涙や怒号が飛び交う修羅場を期待した。
だが、当の本人――ミランダは、眉ひとつ動かさずワイングラスを手にしていた。
「……まあ。予想より早いお言葉でしたわね」
彼女の冷静さに、逆に周囲が飲み込まれる。
「泣かないのか?」
「取り乱さぬのか……?」
レオンハルトの宣言は確かに重々しく響いた。だが、その瞳にはただの拒絶ではない、どこか別の意志が宿っていた。
――これは、ただの「破棄」で終わらない。
会場の空気が張り詰め、次なる言葉を待つ。「──そして本日より、ミランダ・クロイスを『王国清掃大臣』に任命する!」
レオンハルト王子の口から放たれたのは、予想外も予想外、誰も想定していない言葉だった。
一瞬、会場が静まり返る。
「…………は?」
「今、なんと?」
「け、けい……清掃大臣……?」
さきほどまでの婚約破棄ショックが、完全に吹き飛んでいた。
怒号も悲鳴もなく、ただ全員が“理解不能”で思考停止する。
「大臣って……清掃の……? そんな役職、聞いたことが……」
「いや、彼女の掃除の腕前は確かだが……王国の要職に!?」
「むしろ破棄より衝撃だろこれ!」
ざわざわと混乱が渦を巻くなか、王子は堂々と続けた。
「ミランダの功績は疑いようもない! 洪水の後、街を救い、魔獣の巣を浄化し、下水を蘇らせ、衛生改革法を推し進めた! この国に必要なのは“王妃”よりも“清掃大臣”だ!」
威厳ある声で言い切る。
その瞬間、場の誰もが「……え、そうなの?」と心のどこかで納得しかけてしまった。
一方ミランダはグラスを置き、目を瞬かせながら呟いた。
「……婚約破棄からの任命……? まあ、汚れを放っておけない性分ですし……」
彼女の落ち着きに、さらに会場全体が混乱するのだった。「……え、これは降格なのか? それとも昇格……?」
「婚約破棄で、まさかの閣僚入り……? え、どういう流れ……?」
広間の至るところで、貴族たちが眉をひそめ、肩を寄せ合ってひそひそ声を交わす。
怒り出す者もいなければ、喜ぶ者もいない。ほぼ全員が「理解不能」の領域に取り残されていた。
一方、当の本人であるミランダは、実に涼しい顔で一礼する。
「……正直申し上げますと、婚約よりも掃除の職務の方が、わたくしの性に合っておりますわ」
あまりにもあっさりとした受諾の言葉。
ざわ……と再び空気が揺れ、「本人納得してるの!?」と困惑の波が走る。
その場の混乱をさらに収めたのは、国王の豪快な笑い声だった。
「ははは! 本人がそう申すなら良いではないか! 妃よりも掃除を選ぶ大臣……うむ、実に王国らしいではないか!」
「……王国らしいとは……?」
「いや、そこは笑い飛ばしていい場面なのか……?」
貴族たちがさらに混乱する中、王様の大らかな一言で決定は覆らぬものとなってしまった。確かに──婚約破棄は成立した。
第一王子とミランダの婚約関係は、公式に解消。
だが、その場にいた誰もが気づいていた。これは「追放劇」でも「失脚」でもない。
「……大出世、であるな」
壇上から会場を見渡していた宰相が、低く呟く。
「王家の威信を傷つけず、むしろ格を保った形だ……掃除で」
「掃除で……」
そのあまりにも珍妙な結論に、近くの文官たちは思わず復唱してしまう。
会場の片隅では、これまで「破棄された令嬢のざまぁ展開」を期待していた一部の令嬢たちが、肩を落としていた。
「ちょっと……全然ざまぁになってないじゃないの……!」
「むしろ王族に勝ってる感じよね……」
彼女らにとっては不完全燃焼。
だが国にとっては、歴史的な瞬間であった。
一人の掃除人が、婚約破棄を経て閣僚に昇りつめる──常識を超えた結末。
その瞬間、「婚約破棄劇」は華麗にひっくり返り、前代未聞の逆転オチとして幕を下ろしたのだった。王国清掃大臣に任命されたその翌日。
ギルド本部では、ミランダの就任を祝うざわめきが続いていた。
「じゃあ次は……国際会議場もミランダ様が掃除するんですか!?」
目を輝かせて問いかけたのは、例のギルド員少年。
ミランダは少しもためらわず、扇子で口元を隠しながら答えた。
「もちろんですわ。汚れた議場では、まともな条約も結べませんもの」
その堂々たる返答に、場が一瞬静まり──
「「いや、国際問題にまでモップを持ち込むな!!」」
王子と宰相が同時に総ツッコミを炸裂させた。
ギルド員たちは大爆笑、貴族たちは呆然。
こうして「婚約破棄劇」は、最後の最後まで“掃除オチ”で締めくくられたのであった。




