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第2話 侍女たちの反発と初勝利

朝食を終えた俺は、食堂の長テーブルの前に立った。

 壁際には侍女たちと下働きがずらりと並び、湯気の立つ食器を手に俺を見ている。

 ……よし、やるぞ。


「諸君」


 わざと低めの声で切り出し、背筋を伸ばす。悪役令嬢らしく威厳を出すのだ。

 とはいえ言う内容は、貴族の朝の号令としては異例中の異例。


「本日より、朝一時間は――清掃の時間とします!」


 ピシィン、と空気が凍った。

 誰かがスプーンを落とす乾いた音が響き、それを合図にざわめきが広がる。


「……えぇ……」

「無理です、お嬢様……」

「掃除って……本気のやつですか?」


 反応は、全員ほぼドン引き。

 俺は内心(まぁ、こうなるよな)と思いつつも、口元には微笑を貼り付けた。

 この瞬間、俺とこの屋敷の埃との戦いが、正式に開戦したのである。


 最前列にいた、髪をきっちりまとめたベテラン侍女が一歩前へ出る。

 背筋は棒のように真っ直ぐ、声は刃物のように冷たい。


「私たちには、朝から殿下へのお届け物やお庭の整備、書類の仕分けなどの準備がございます。

 お嬢様が突然決められても――」


 “無理”という言葉は、最後まで言わずともはっきり聞こえた。


 その後ろから、ふわりとした雰囲気のおっとり侍女が小さく手を上げる。


「掃除は……形だけで十分ではありませんか?

 ほら、ほうきでサッと、ぱっと見きれいなら……。

 貴族の屋敷で、そんな本気でやること……」


 “ないでしょう”という結論が、柔らかな声に包まれて放たれる。


 食堂全体が冷ややかな空気で満たされ、俺への視線がじわじわ刺さる。

 不満と困惑がないまぜになったオーラが、壁紙ごと圧し潰してくるようだった。


 だが――俺の中で火花が散る。

 埃は敵。敵の言い分など、聞き流すに限る。




 俺は堂々と前へ進み、長テーブルに手を置いた。

 金色の髪飾りがきらりと光り、外見だけは完璧に貴族令嬢。

 ――だが中身は、現場叩き上げの掃除おじさんである。


「――汚れはな、放置すれば心まで汚す!」


 静まり返る食堂。

 侍女たちの視線が一斉に俺へ集まる。


「一日一時間の本気掃除を三ヶ月続ければ、屋敷は生まれ変わる。

 これは俺が保証する!」


 堂々と言い切った瞬間、後ろの方で「……保証って何の?」と小声が飛んだが聞かなかったことにする。


「ではここで――汚れの溜まりやすい場所ランキングを発表しよう!」


 侍女たちの表情が一斉に「は?」になる。

 俺はお構いなしに、手を指折りながら続けた。


「第五位、食器棚の下。第四位、廊下カーペットの縁。

 第三位、暖炉の裏。第二位、階段の手すりの裏側。

 そして栄えある第一位は――ベッドの下だ!」


 ざわ…と空気が揺れる。

 俺は畳みかける。


「放置した埃にはダニやカツオブシムシが巣を作る!

 衣類や絨毯を食い破り、場合によっては肺まで――」


「ひぃ……」と小さく息を呑む声。

 そして後列の侍女が、顔を引きつらせながらつぶやいた。


「……なんか怖い知識を聞かされた……」


 ――いいぞ、まずは恐怖からだ。埃撲滅計画、ここから始まる。


ざわつく使用人たちの中で、ひときわ鋭い声が飛んだ。


「そんなの、どうせ続きませんよ」


 声の主は、短めの栗色髪を揺らす若手侍女――マーサ。

 瞳には反骨と闘志が宿り、口調はきっぱりと断言調だ。


 俺はニヤリと口角を上げた。

 ああ、こういう奴が現場では一番伸びるんだ。


「じゃあ、今日だけ俺と勝負しよう」


 食堂の空気が一瞬止まる。


「……勝負?」とマーサが眉をひそめる。


「片側の廊下をお前、もう片側を私――ミランダが掃除する。

 どちらが綺麗になるか、全員で判定だ」


 廊下掃除で勝負、という前代未聞の提案に、侍女たちの間でくすくす笑いが漏れる。

 だがマーサの瞳がきらりと光った。


「……いいでしょう。負けませんから」


 闘志がほとばしる瞬間。

 俺は胸の奥で、現場時代の血が騒ぐのを感じていた。


 ――よし、見せてやる。これがプロの掃除だ。


勝負開始の合図もなく、マーサはすでにモップを滑らせていた。

 だが、その動きはどこか投げやりだ。

 表面をなでるだけで、隅の埃は健在――いわゆる「形だけ掃除」。


 対して俺は、まずカーペットを丁寧に端からめくる。

 木目が見えたところで、モップを構えた。


「角度は――四十五度だ」


 ブン、と音が鳴るほどの鋭さでモップが走る。

 二槽式バケツで汚れた水とすすぎ水をきっちり分け、

 最後は乾いた布で磨き上げる。


 ぐんぐん艶が増し、床が窓からの光を反射し始めた。

 背後で見守る使用人たちが、思わず息を呑む。


「な……なんか光ってきてません?」


 一方のマーサ側は――確かにモップは通ったが、うっすらと白い埃の筋が残り、

 光など夢のまた夢。


 仕上げの乾拭きを終え、俺は一歩下がった。


 結果は――誰の目にも明らかだった。

 右半分は鏡のような輝き、左半分はくすんだ埃まみれの床。


 食堂の奥から「……すご……」と呟きが漏れる。

 俺は鼻で笑い、モップを軽く回して肩に担いだ。


「――勝負ありだな」


勝負がついた瞬間、マーサはじっと床を見つめていた。

 くすんだ自分の側と、鏡のように光るミランダ側――いや、俺の側。


 彼女の拳が小さく震え、唇がきゅっと結ばれる。

 そして、ぽつりと絞り出すように言った。


「……負けました」


 周囲の侍女たちがざわめく中、マーサは顔を上げた。

 その瞳は、まだ負けん気を燃やしている。


「でも……どうやったら、こんなに光るんですか?」


 ――来た。

 この一言を待っていた。俺はゆっくりと口角を上げる。


「教えてやろう」


 声は令嬢らしく、しかし内心は現場のベテラン清掃員としてニヤニヤが止まらない。

 モップの持ち方から、力の入れ具合、二槽式バケツの水替えタイミングまで――

 俺は惜しみなく語り始めた。


 マーサは真剣な眼差しでメモを取り、何度も頷く。

 気がつけば、彼女の口元にも小さな笑みが浮かんでいた。


 ――こうして、“掃除仲間1号”が誕生した。


勝負が終わった食堂は、不思議な熱気に包まれていた。

 光り輝く床を前に、他の侍女たちも集まってくる。


「……ほんとに、こんなに変わるんだ」

「水拭きのあと乾拭きすると、ここまで違うのね」


 ついさっきまで冷ややかだった視線が、興味と驚きに変わっていく。

 マーサはまだモップを握ったまま、俺の動きを反芻するように目を細めていた。


 少しずつ、空気が和らいでいくのがわかる。

 笑い声まで混じり始めた食堂を見回し、俺は胸の奥で小さくガッツポーズを決めた。


(よし……まずは一人、掃除沼に引きずり込んだ)


 悪役令嬢の顔のまま、心の中ではニヤリと笑う。

 半年後の断罪イベント? そんなものより――

 この屋敷の全員を、ピカピカの信徒にしてやる。




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