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悪役令嬢ですが、破滅イベントよりホコリの方が気になります。  作者: 南蛇井


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竜の巣掃除事件

王都近郊の山あい。

灰色の雲が垂れ込める谷の奥で、獣たちの鳴き声がぴたりと止んだ。


「……本当に、この先に竜が?」

鼻を押さえながらつぶやく若い騎士に、ミランダは無言で頷く。


足元には、古びた骨と砕けた角。鼻を突く、酸っぱくも生臭い匂いが空気を支配している。

一歩、巣穴に近づくたびにその臭気は濃くなり、湿った空気がじわりと頬を撫でた。


「こ、これは……」

鎧の隙間から忍び込む悪臭に、歴戦の騎士すら顔をしかめる。


ミランダはじっと巣の奥を見つめた。

中から漏れ出すのは、腐敗と湿気の混ざった重い息。

そして――積み上がった骨の山。獲物の残骸が放置され、発酵とも腐敗ともつかぬ匂いを放っていた。


(……これは、威嚇じゃない。巣が不快で荒れてるだけ……!)


唇の端がわずかに上がる。

彼女の瞳には、恐怖よりも――次に繰り出すべき掃除計画の光が宿っていた。

山肌を渡る風が、またも鼻をつく匂いを運んできた。

騎士団の会議用テントの中で、重苦しい空気が漂う。


「通常、この手の案件は……討伐、もしくは山から追い払うのが常道だ」

地図を指で叩きながら、騎士団長が低く告げる。


だが、その言葉を遮るように、ミランダが軽やかに手を挙げた。

「――いえ、この竜は敵意ではなく、不快感で荒れていると見ます。ですから……掃除で解決します」


「掃除で……竜を鎮める?」

一瞬、全員の視線が「正気か」という色に染まった。


騎士団長は額を押さえ、「聞いたこともないぞ」と半ば呆れた声を漏らす。

しかし、ミランダは微笑みを崩さない。

「ですが、討伐は命の危険が伴いますし、竜の怒りを広げる恐れもあります。被害ゼロで終わらせるなら、清掃が最適です」


しばし沈黙ののち、団長は深いため息をついた。

「……いいだろう。やってみろ。ただし、竜の機嫌を損ねたら即撤退だ」


こうしてギルドに連絡が飛び、《セイントダスター》と《ピュアヴィネガー》が山のふもとに山積みとなった。

さらにミランダは、竜を刺激しないための準備も怠らない。

「入口付近で香草の煙を焚きましょう。落ち着く香りで、こちらの意図を伝えます」


騎士たちはまだ半信半疑だったが――その計画書の端には、彼女らしい一文が踊っていた。


『目標:竜の機嫌を取り戻し、巣を快適に』

竜が巣の外で悠々と日向ぼっこを始めた瞬間――

「今です!」

ミランダの合図とともに、清掃部隊が一斉に突入した。


巣穴の中は、まるで長年閉め切った納屋のような淀んだ空気。

鼻を刺す腐臭の元は、壁際に積み上げられた獲物の残骸や、粉々になった古い骨だった。


「……こりゃあ、荒れるのも無理ないな」

騎士の一人が顔をしかめる横で、ミランダは手際よく指示を飛ばす。

「残骸搬出班、袋詰め急いで! 床の血痕は《ピュアヴィネガー》を薄めて洗浄! こびりついても諦めないこと!」


岩肌の床に酢の爽やかな酸味が広がるたび、嫌な臭いが少しずつ和らいでいく。

一方で別班は、湿気を追い出すため、壁際に風通しの良い通気穴を開け、そこへ香草を詰めた袋を吊るしていった。


「こっちは宝物の間です!」

報告が来た瞬間、ミランダはピシャリと釘を刺す。

「埃は払っても、金銀財宝には一切触れないでください。信頼は掃除よりも大切です」


鎧の音を立てぬよう、皆が慎重に羽箒を動かし、宝物の間の空気まで清らかにしていく。

やがて巣全体が、ほんのり香草の香りと微かな金属光沢に包まれた。


次の瞬間、巣穴の入口から差し込む光に、埃の粒がきらめき、まるでそこが竜の宮殿のように見えた。

作業を終えて間もなく――


山の斜面を揺らすような重い足音が近づいてきた。

「……戻ってきます!」

見張りの声に、清掃部隊は一斉に巣の外へ退避。息を殺して様子をうかがう。


影が入口を覆い、巨大な老竜がゆっくりと首を突っ込んできた。

黄金の瞳が巣内をひと巡りし、次いで鼻先がひくひくと動く。


――異変に気づいたのだ。

だが、次の瞬間、竜の眼差しが和らぐ。

腐敗の臭いは消え、代わりに漂うのは香草の柔らかな香りと、岩肌に残ったわずかな酢の清涼感。


「……ぐるる」

低く響く喉音は、威嚇ではなく、まるで満足の吐息だった。


竜は奥へ進むと、いつもの岩の上に身体を丸め、そのまままぶたを閉じる。

どこか、心地よい湯治場に浸かった老人のような安らぎの表情だ。


遠巻きに見守っていた村人たちの間から、安堵のため息が漏れる。

「……本当に怒りが収まったんだ」

「誰も傷つけずに、こんな解決の仕方があるなんて……」


そしてミランダは、小さくガッツポーズを取った。

それからの日々――


あの老竜は、すっかり温厚な隣人になった。

麓の村を威嚇することもなく、時おり山を下りては家畜を一頭だけ狩り、代わりに黄金の小片をぽとりと落としていく。

まるで「税金」を納めるかのような不可思議な礼儀正しさだ。


村人たちは最初こそ戦々恐々だったが、やがてこの奇妙な“共存契約”を受け入れ、竜の訪問日には牧羊場を整えて待つまでになった。


そんな話は瞬く間に王都へと広まり――

「ミランダお嬢様は、竜の心まで掃除で磨き上げるらしい」

という半ば伝説めいた噂が飛び交い、冒険者ギルドには彼女宛の依頼が雪崩れ込むこととなる。


ついには王国の公式記録にもこう刻まれた。


『史上初、竜の巣清掃による被害回避』


ミランダ本人は、依頼の山を見てちょっとだけ頭を抱えながらも――

(掃除の力、やっぱり侮れませんわね)

と、どこか誇らしげに微笑んだ。

竜の巣掃除から数日後、ギルドの作戦会議室。


山盛りになった新規依頼の束を仕分けしていると、若いギルド員が目を輝かせて言った。

「じゃあ次は、港で問題になってる海竜の巣も掃除できますね!」


ミランダは一瞬、紅茶を口に含んだまま固まり――そしてにっこり。

「海水には塩分による防腐効果がありますし……もしかしたら案外きれいかもしれませんわね」

完全に前向きな反応だ。


その場の空気が一瞬にして凍りつき、周囲の大人たちがそろって叫んだ。

「問題は潮の匂いじゃなくて、海竜の牙だ!」


だがミランダは、紅茶を一口飲み干すと涼しい顔でメモを取り始める。

(次は潜水用の掃除道具を準備しませんと……)

――誰も、彼女の掃除道への情熱を止められそうになかった。

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