ヒロイン、掃除啓蒙に目覚める
昼休み、教室の窓辺でミランダはそっと鼻をつまんだ。
埃の匂いと、かすかに湿った空気――このところ、どうにも息苦しい。
「また風邪ひいた生徒が増えたわね」
隣の席の女子がそう呟いた直後、教室の隅で咳き込む声が響く。
放課後、保健室へ行くと、白衣の医師が深々とため息をついていた。
「換気不足と不衛生……これでは、病気が増えるのも当然です」
机には風邪薬と消毒薬の山。患者リストは既に紙束になっている。
――ああ、やっぱり。
この埃っぽさと湿気は、前世の経験から見ても完全に“危険信号”だ。
(これは掃除啓蒙のチャンス……!)
ミランダの心に、静かに、しかし確実に火が灯った。
そしてその炎は、次の瞬間には戦闘モードの輝きへと変わっていた。
「……よし、学園中を清潔にしてみせるわ」
その言葉に、たまたま居合わせたマーサが「また始まった」と小声で頭を抱えた。
ミランダは保健室を後にすると、そのまま図書室と執務棟を駆け回った。
まずは衛生被害の実例を医師や記録係から根こそぎ聞き出す。
「発熱二十四名、皮膚炎七名……」
彼女は羊皮紙にびっしりと書き込み、簡単な統計グラフまで描き上げた。棒グラフが悲鳴のように跳ね上がっている。
「数字は嘘をつかないわ。これなら、さすがの無頓着組も危機感を持つはず」
次に倉庫から魔法布と、例の抗菌液を引っ張り出す。
「視覚と嗅覚に訴えるのが効果的よ」
酸っぱい香りに顔をしかめたギルド員の少年を横目に、舞台上の展示台へ並べていく。
さらに文献研究部を巻き込み、手描きの掲示物を作成。
カビの顕微鏡図、健康な部屋と不衛生な部屋の比較イラスト――
そして会場の一角には《セイントダスター》の試用コーナーまで設置。
「演説だけじゃ足りないわ。実際に埃が消える瞬間を見せてやるの」
準備に奔走するミランダの背を見て、マーサは(これはもう止まらない)と、観念した表情で腕まくりをした。
学園の中庭は、普段よりずっと賑やかだった。
昼休みを利用して集まった生徒や教師たちが、半円形に壇を囲んでいる。
壇上に立ったミランダは、胸を張り、よく通る声で開口一番こう宣言した。
「――清潔は、健康の礎です!」
その響きに、ざわつきがピタリと止まる。
「健康な体は集中力を支え、集中力は学力を伸ばす。そして学力が未来を拓く――すべてはこの一歩から始まります!」
彼女は手元の板を掲げ、先日まとめた“病気発生率と清掃状況の比較グラフ”を見せる。
棒グラフの差は一目瞭然で、前列の教師が「……これはすごい」と小さくつぶやいた。
さらに、清潔さが気分を高める効果を、教室の実例を交えて説明する。
「この教室を片付けた日、テストの平均点はなんと十五点も上がりました」
生徒たちが「マジか!?」と身を乗り出す。
続いて実演コーナー。
《セイントダスター》で机をひとなで――灰色の埃が一瞬で消え、木目がつやつやと蘇る。
「おおーっ!」と歓声。
さらに《ピュアヴィネガー》を軽く吹きつけて拭き取ると、さっきまでのカビ臭さがスッと消える。
「これで湿気対策もばっちりです」
最後にミランダは埃払いの正しい順番、除湿の工夫、机や椅子の拭き方まで、手際よく実演してみせた。
笑いと驚きが交互に湧き起こり、観客の空気はすっかり前向きになっていた。
演説から一夜明けた朝――。
寮の廊下を歩いていたミランダは、妙な物音に足を止めた。
「……シュッシュッ……ゴシゴシ……」
曲がり角をのぞくと、普段は朝ギリギリまで寝ていることで有名な男子生徒が、床を雑巾で磨いているではないか。
「お、おはようございます、お嬢様!」
「おはようございます。……どうしたんですか?」
「いや、その……昨日の話、ちょっと刺さりまして。部屋も廊下も、やれば結構気持ちいいなって」
照れくさそうに笑いながら、彼はまた雑巾を動かす。
別の寮では、女子生徒たちが窓を開けて大きく換気していた。
「ほら、こうすると空気が全然違うのよ!」
「ほんとだ、スッキリする!」
寮母も腕を組み、「この調子でやれば風邪引きも減るわね」と満足げ。
教師陣の間でも話題になっていた。
「校内の衛生が改善すれば、医療費も減りますよ」
「授業も中断されにくくなるし、いいこと尽くしだな」
そして翌日から、学園中のあちこちでほうきの音や雑巾の絞る音が響きはじめた。
それは、ミランダの演説が種をまいた“小さな革命”の始まりだった。
数日後――。
朝の教室に入ったミランダは、思わず足を止めた。
窓から差し込む光が、机の表面で反射してキラキラとまぶしい。
まるで鏡の海が広がっているかのようだ。
「お、おはようございますお嬢様!」
いつもより早く登校していた生徒たちが、雑巾を片手に得意満面。
「今日は机だけじゃなくて椅子も磨きました!」
「黒板も拭きすぎてチョークが乗らないくらいです!」
……黒板がスベスベすぎて授業が始められないのは困る。
ミランダはにっこり微笑んで、やんわりと言った。
「みなさん、やりすぎは禁物ですよ。清潔はほどほどが一番です」
しかし、その笑顔の裏では――
(……でも、この眩しさ、嫌いじゃないわ)
と、ご満悦に机の天板に映る自分の顔を確認していた。




