16 後談
数日後のこと。事件解決を終え、なつと波岩の二人は探偵事務所で静寂な日々を送っていた。波岩は扉の傍にあるデスクにおいて、淡々と事務作業を行っている中、カランカランという鐘の音が事務所に響かせる。波岩は扉から覗かせた顔を見て、椅子から腰を上げた。
「御報告です?」
「ええ」
と報告に来たスーツ姿の美桜が頷く。相変わらずの色白で透き通った肌を見て、つい波岩は鼻の下を伸ばしていた。そんな彼の様子を一度一瞥したなつは、波岩のすぐ傍に移動し、「なに鼻の下伸ばしてんだよ」と耳打ちをした。
「べべべ……別に伸ばしていませんし」
波岩は咳払いと共に誤魔化しながら、美桜を中央のテーブルに案内する。慣れた手つきを見ながら、美桜は三人掛けのソファに座った。その向かい側のソファになつと波岩が座る。
「事件、無事に解決を致しました。お二人の力のおかげ──」
と慇懃に頭を下げる。
「良いよ良いよ。我々はただ、推理を披露して事件を解決しただけなんだから。お礼なんていらんぞ」
少し頬を赤らめて、顔の前でなつは手を振る。そんな彼女を隣で見ていた波岩は「……照れ屋め」とめちゃくちゃ小さい小声で呟いた。
「何か言った?」
「……聞こえてたんですか」
──相変わらずの地獄耳だな。
呆れつつ、波岩は美桜に話の続きを促した。
「事件の犯人であったエリは全て自白してくれました。動機はなつさんの仰る通り、光昭という男性を恨んでいたそうで、彼が撮影したであろうアダルトビデオの回収を今進めております」
「ふむ。それで、もう一人の花恋という女性はどうなった?」
「彼女については任意で取り調べを継続中です。恐らく彼女については何ら関わっていない──つまり、エリの単独犯として事件の幕を閉じる予定です。まあ、花恋さんのその後のケアについて、本庁としてはあまり考えていないようで……」
「そうか」なつは椅子から腰を上げ、後ろの窓を見つめた。「何もなければ良いが……」
「……どういうことです?」
波岩がなつに問いかける。彼女は波岩に視線を向けず、窓の向こうの景色にずっと見つめたまま話した。
「あの女性が今度犯罪に手を染めるとしたら、エリが危なくなるかも知れない──ということだ。まあ、あくまで可能性の段階だから気にしなくて──」
「気にしないはずがないじゃないですか!」
机を美桜は軽く叩く。その様子になつは軽く口角を上げた。
「なつさんが言いたいのはつまり……恨みの連鎖で、殺しの連鎖でもあると言いたいんですよね。だったら、私はその連鎖を食い止めてみせます」
「ふむ。それで?」
「だから、私は彼女を自宅に招き入れて同居する方針です」
ピシャリと発言した美桜の言葉に、波岩は少し目を見開いた。一方のなつはただ「うんうん」と頷いただけだった。
「えと……それって……前から決めてたんですか」
「そうです」
即答した美桜の姿を見て、なつは「よく言った!」とすぐ美桜の傍に駆け寄り、小さな頭を撫で撫でし始めた。咄嗟の行動に美桜は思わず「なになになに⁉」となつから離れた。
「何するですか」
「何って……ただ頭を撫でただけだけど」
「ハラスメントで訴えますよ?」
「ハラスメントって……同じ女性なのに?」
「あ」
言葉に詰まらせた美桜の姿を見て、なつは「ぐふふ」と気味の悪い笑みを浮かべた。
──何をしてるんだ、この人……。
そう思いながら、「それではまた」と言い残して事務所を後にする美桜の姿を、波岩は見送った。彼女の姿を見つつ、彼は自分の座席に戻って椅子に腰を落とした。
時計の針が幾分か進んだ頃、波岩は「あ」と唐突に声を出した。
「なんだ?」
「前から気になってたんですけど」
「どうした? 言ってみろ」
少し乱暴な物言いに口を歪めつつも、波岩は頭の中で引っ掛かっていた質問を口にした。
「……なつさんが探偵をしている理由って、本当に〝人を殺すため〟なんですよね」
数秒、間合いが空く。
窓の隙間からピューという隙間風が事務所に響かせる中、なつはこう言った。──険しい表情、そして、強い握り拳をつくって。
「ああ、そうだ。俺はあの人を殺したい。そして、自分自身を知りたい」