八
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「あら、あそこに」
と、眼をやると、白い雲のように見える一面の薄の、その穂の茂みの中に黒い馬が見え、緋のズボンと輝く剣も透いて見えた。
馬のたてがみが風に縺れて、颯と靡いた薄の上に、近衛士官の帽子が現れ、波のまにまに揺られるようにして、広野の端を一直線に行ったり戻ったりしたが、少しの間立ち止まったその間に、須賀子は走って近づいて行った。
と見れば、榛の樹の低い枝に蟷螂が一匹いて、青年士官は一本の薄を抜き取り、蟷螂が傾けるその斧を突いて、前脚を振り上げて闘う素振りを見せる、その怒りの、物々しくも可笑しい様子を、抱いている幼児に指さして機嫌を取ったり慰めたりしていた。
姉はそれを見て莞爾として、
「上手にお守りができるのね」と言った。
「一度泣きかかって困ったよ。で、姉さんはもう帰るんかね」
「はぁ。あの品子さんが踏切の信号の合図をする内職をしているんだと言って、ちょうどその時間だから、停車場へ行きながら送って下さるって。私はそれに乗って牛込見附まで行くつもりだから。それに、とうとうこのお子をもらったよ。本当に私ゃ泣いたよ。可哀想っちゃぁない。鰒まで食べさせられちゃぁ、もうどうしようもないわ」
「どうしたんです」
「まぁ、帰ってゆっくり話そうね。さぁ、坊ちゃんをこちらへおよこし。高い所のままだとまた疳の虫でも起こされちゃいけませんから」
「それじゃぁ、もらって直ぐ連れて帰られますか」
「あぁ、そうとも」
「そりゃぁよかった」
姉が抱き取った信行を馬上からうち眺めて、
「その眼をご覧なさい、姉さん、ほら母様の子です。僕も可愛がりますよ」
「あぁ、そうしておくれ、嬉しいねぇ」
振り返ると、品子がやって来るのが見えた。縞柄も分からないまで着古した素袷を着ており、その裾は切れて海藻のように縺れて垂れ下がって、砂まみれのまま、腰骨を包み、穿き切らした粗末な藁草履にゆらゆらと身を任して歩いて来る。帯も細絎のままなので、きちんと着ているはずの着物も乱れて見える。肩の辺りも痛々しく、哀れにも、そのまま野に倒れ込めば、小野小町が髑髏へと変わり果ててしまうのを想像させる、そんな衰えた姿であった。
須賀子は軽い調子で品子に近づき、
「じゃぁ、母様、すっぱりと、もう行きますよ。よろしいですね」
声もなく品子が頷くのを見るや否や、幼児をひしと抱きしめ、ハタハタと走り過ぎ、線路の橋を渡り越して、停車場に駆け込むと直ぐに待合所に着いた。溝を隔てた目の前には、品子が信号旗を巻いた棒を力なく携えて、立木の幹に背を凭れかけ、あらぬ方向を見やっていた。
汽車が来た。
凄まじい響きと共に、信行は急に須賀子の膝から跳ね下りた。不意の物音に驚いたのである。
「母ちゃん、母ちゃん」
と呼ぶや否や、結んだ腰帯をひらひらさせ、可愛い足の踵を見せて、向かい側にいる母に向かって、アレヨという間に走り出し、線路の石壇に早くも下り立った。須賀子は青くなって飛びつき、危うく抱いて取る時、それよりも早く流れるように走っていた汽車は一揺れ揺って止まった。
同時に須賀子はホッと呼吸をついて、人の視線が集まっているのも気にせず、頭の上に高く幼児をつっと差し上げた。その時、品子が手にしていた信号旗の青がきらりと翻った。地響きをして汽車が止まった途端、須賀子は万感の思いを籠めて品子を見たけれど、彼女は彼方に顔を背けたままであった。信行の危急に手に汗を握った青年士官は、その時になって、ハッと我に返った様子で、ポケットの時計を探り、カチッと蓋を開け、俯向いて見たが、薄を手にしたまま、馬の尻に一あて当てて、穂の波に浮きつ沈みつしながら行き過ぎていった。
汽車が再び動き出した。それは須賀子と幼児を乗せて去って行った。
秋の日はやや薄暗くなり、あちこちの森は暗くなった。淋しい野末で青い旗を巻き絞った棒を引っ提げたまま、静かに彳む品子の冷ややかな眼が見詰めていたのは、十町一列に揃っている薄の穂と相並んで、東西にずっと走って、そのまま雲に吸い込まれていくような二筋の線路上にある、轢き裂かれた鰒の姿であった。
(了)
怪奇でもなくロマンでもなく、一抹の寂しさだけが残る作品です。
短篇で、ほとんどが会話文であるため、原文で読んでも意味を違えることなく読み進めることが出来そうです。
ただ、それを現代語に置き替えるとなると、それなりに意味を解釈しなければならない箇所がいくつかありました。
この作品に関しては主として、次の二つの論文が見つかりました。
① 市川祥子 泉鏡花「X蟷螂鰒鉄道」論 ――鉄道の意味するもの――
② 田中俊男 泉鏡花『X蟷螂鰒鉄道』論 ――隠蔽/顕在化の力学――
二つとも興味深い論考です。
①はネットでも読めます(https://gpwu.repo.nii.ac.jp/records/311)が、②はネットでは出ません。私はヤフオク!で買い求めました。(東京大学国語国文学会 「国語と国文学」平成十三年七月号)
興味をお持ちの方はお読み下さい。
この論文で参考になりそうな部分を少しだけ挙げておきます。
〇 この小説の舞台について……市川氏は品子が住む新井は現在の中野区。鉄道は甲部鉄道で、駅は中野駅であろうと推測している。
〇 鰒について……明治以降、その毒が犯罪に使われるのを防ぐために無闇に取引をすることは憚られた。鰒を抱えた夫が憲兵を恐れるのもそのためである。また、毒を恐れて余裕のある人々は食べないため、安く売り払われたということもあり、鰒は貧民と呼ばれる人々とつながりの深い食べ物であった。品子に鰒は食べるかと訊かれた時、須賀子が「いいえ」と答えたのも、恵まれた境遇にいる須賀子にとっては食べることもないのである。
〇 「X」について……明治28年末、ドイツでX線写真が発明された。この話題は翌29年、日本の各新聞をにぎわすことになり、尾崎紅葉は早速この新奇な話題を自作に取り入れた。この作品も「X」という文字からX線写真を連想させ、見えない何か(小説「X」の内容や品子の心中)を見透すという意味を持たせたとも考えられる。
実際の論考は二つとも上に挙げたようなトピックではなく、作品の中身に関するものですので、興味のある方は是非お読み下さい。
※ この「X蟷螂鰒鉄道」という題名は、らいどんさんが指摘されたように「X」「蟷螂」「鰒」「鉄道」という四つのバラバラのお題をもらい、それを取り入れて一つの作品を作ってみた、という印象が強いです。確か村上春樹も適当な単語を三つ使って文章を書く(作品を作る)練習をしている、とどこかで読んだことがあります。作家は色んなことをやっているんだとすれば、鏡花も例外ではなかったと思ったりしています。
ちなみに私も昔、ある人から三つの言葉を頂戴して書いたものがありますが、人様にお見せするのを躊躇います。(笑)