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五
五
「それでもはじめのうちは世間並みに人様とお交際出来るような名前をつけていたんです」
主婦は手近にあった硯箱を引き寄せた。蓋は盆替わりにして、煎餅を盛った小さい皿を乗せ、先ほど須賀子に勧めていたものであるが、硯の中の少しばかり濡れている所に筆に浸けて、掌に「信行」の二文字を見事に書いて見せた。
「お須賀さん、これにこう訓をつけておいたの」
「おや、信――、信行様ですか。好い名だこと」
「それご覧なさい。ですから今じゃ気恥ずかしくって、人様の前じゃ信行って言えませんから、もういい加減に信行、新粉って、そう言うんです。困るんですよ、お巡査さんが戸籍調べで廻っておいでの時、一々名前を読み立てられるのは。ほんとに新粉にしてしまえばいい。新粉細工みたいに、いずれ両親の玩弄物になって、後で日が経てば干からびて打っ棄られるくらいなもんですよ、お須賀さん」
と、凜として、声に力を籠めてそう言った。