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風の少女と呪いの絆8  作者: たき
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(5)

 早朝、キルクルスはハヤブサの姿でリリーの家を飛び立った。

 リリーがさらわれてから彼女の家で過ごすことを最初はためらったが、彼女の父親と今後について相談を重ねるため、そのまま居座ることにしたのだ。

 昨日の件も報告すると、ファイはしばらく黙考してから受けてみてはどうかと勧めた。フォルマにまとわりついていた闇の気配がブレイであったことを知り、そのブレイからの申し出ならばと判断したようだ。

 待ち合わせ場所はフォーンの町のはずれにある一軒の古びた家だった。近くで降りて人に戻り、生き物の気配がない家の様子をうかがっていると、まもなく門の奥から一人の人物が現れた。

 灰色の外衣にフードを目深にかぶった相手は、すぐにキルクルスのいるほうを見た。目敏いなと舌打ちしながら、キルクルスはそろりと近づいた。

「逢引したいならもう少し穏便な誘い方をしてほしかったよ」

 君の腕が確かなのは認めるけど、とキルクルスは肩をすくめてぼやいた。

 フードの下からのぞくこげ茶色の瞳が黒みを帯びている。洗礼を受けた信者や一時的に洗脳された者にも表れる症状だが、彼の色は生粋のものだった。

 相手もまた無言でキルクルスの目を凝視している。何色とはっきり断言できない輝きに彩られた双眸はキルクルスの立場を告げていた。

 本来、差し向かいで話すことなどあり得ない間柄だった。始祖の血が濃く出たことにより、始祖の姓を受け継ぐ『継承者』に定められた両者の対談だ。

 あのとき彼の射たのが『狩人』の黒き矢だったら、自分は鳥のまま死んでいた。しかしいいかげん川を流れてから試してみると人の姿に変わることができ、魂を引きずられる恐怖も感じなかった。

 足に刺さった矢を引き抜いてみると、矢羽根に隠すようにして文が結び付けられていた。手紙を読んだときは何の冗談かと思ったが、脅威の命中率を誇るはずの彼がわざわざ『狩人』の黒き矢に似せた普通の矢を用いたうえに急所を外した可能性を考え、ファイに意見を求めたのだ。

「これをファイ・キュグニーに渡してくれ。リリーの声を奪ったものだ。回復を想定して作られたものではないから僕たちのもとに解毒剤はないが、彼なら治療薬を開発できるかもしれない」

 渡されたのは薬の材料が記された紙と小瓶で、小瓶には白い粉が詰まっていた。リリーはグラノにこれを浴びせられ、吸い込んだらしい。

 しばし小瓶を見つめていたキルクルスにブレイが尋ねた。

「二人の様子を聞かないのか……御使いによる探索はごまかせても、僕たちの知らないところで連絡を取り合っているということか?」

 ブレイの冷静な判断に、キルクルスは唇を引き結んだ。

「リリーたちと通じているなら、僕が危険をおかして来る必要はないね。ここから先はリリーに伝えよう」 

「君の目的は何?」

 まだ疑いを残したキルクルスの問いかけに、ブレイは瞳を揺らした。

「リリーを犠牲にすればフォルマが悲しむ」 

「……だからリリーを助けると?」

 確かにブレイとフォルマは惹かれ合っているようだが――本当に信用していいものか。

「君に頼みがある」

 続けてブレイが告げた内容に、キルクルスはますます困惑した。

「そんなことをしていいの?」

『継承者』なのにと驚きを隠せないキルクルスに、ブレイはうなずいた。

「モスカは僕の子を妊娠している。純なる血統は受け継がれる」

 それにグラノもいるからとブレイはつぶやいた。

「儀式は四日後の予定だ。準備を急いでくれ」

 その日は始祖が心臓を捧げた特別な日なんだと語るブレイに、キルクルスは念を押した。

「もしいざとなって、やっぱり嫌だと言っても遠慮なく()()よ」

「かまわない。僕は後悔しない」

 肩越しに答え、ブレイは建物の中へ入っていった。ここはブレイたちが学院に通っている間に使用していた仮住まいだったのかもしれないと、キルクルスは思った。

 預かった小瓶と紙をふところに入れて身をひるがえす。ファイが出勤前なら薬を託せると、キルクルスはキュグニー家へ引き返した。



 帰りに川へ入って矢を拾い、背負っている矢筒に紛れ込ませてからブレイは帰還した。

 門番のあいさつを受けて屋敷に戻ったブレイが馬を下りたところで、モスカがやってきた。

「おはよう。矢を回収してきたの?」

「うん」

「彼はどうなってた?」

「水草に絡まった肉片と骨の残骸を彼だと言うなら、そうだろうね」

 さらりと答え、馬を下人に預けて歩きだしたブレイは、地下牢へ続く扉が少し開いていることに気づいた。

 またグラノが二人にちょっかいをかけに行っているのか。

 これから彼らの朝食を準備するつもりだったが、先に様子を見たほうがいいかもしれない。

「モスカ、悪いが炊事場に行って、二人の朝食の用意を頼んでおいてくれ。君は運ばなくていいから」

 重いものは持ってはだめだよと注意すると、モスカは微笑してきびすを返した。つわりはまだあるようだが、精神的には満たされているらしく、モスカは以前より表情が豊かになってきている。

 彼女なら己の意地をかけて務めをはたしてくれるだろう。

 グラノとは――うまくいくかどうかわからないが。そう思いながら地下牢への階段を下りたブレイは、オルトの顔を踏んでリリーと対峙しているグラノを目にした。

「グラノ、やりすぎだよ。彼にも尊厳というものはある」

「こいつらにそんなものは必要ない」

「いいから足を下ろすんだ」

 ため息をつくブレイにグラノは舌打ちし、最後に一度強くオルトの顔を踏みにじって足をどけた。

「来るならもう少し後にしてくれれば、面白いものが見れたのに」

「面白いものとは?」

「リリーの自慰行為」

 グラノがにやりとする。一方、リリーはおびえを怒りと不屈で抑え込んでいる顔つきをしていた。保護者が多いわりに甘ったれた女の子ではないようだと、ブレイは認識を改めた。

「君はこの二人に対する言動が過激すぎる。僕が許可するまでここへの立ち入りを禁止する」

「ああ? 何でだよ。命令するなよ」

「僕に逆らうつもりか?」

 ブレイが冷ややかに見据えると、グラノはいまいましげに毒づき、牢を出る際に格子戸を蹴飛ばして階段をのぼっていった。 

 ブレイはグラノが完全に去るのを音で聞き分けてから、オルトへと近づいた。

「顔の骨が折れてるな」

 しゃがみ込んで具合を確かめ、あまりのひどさにブレイは眉をひそめた。一番の重傷は顔だが耳も切れ、背中の傷も悪化している。

 さてどうするかと考えていたブレイの前にリリーが立った。口の動きで『水の法』と告げるのを読み、ブレイは首を横に振った。

「ここでは特別な場合をのぞいて『治癒の法』は使わないと言ったはずだよ」

 リリーがその場に膝をついた。目の高さを合わせ、出せない声で必死に訴えている。

「……願いをかなえるために、君は何を差し出せる?」

 リリーがばっと身を引いた。警戒と非難のまなざしに、グラノとどういうやり取りがあったのかブレイは思い至った。

「僕はグラノと同じものを求めたりしない。君に触れると刺激が走る理由を教えてくれないか」

 リリーはしばし胸の前でこぶしをにぎり、胸元から五芒星をかたどった首飾りを引っ張り出した。

「なるほど、それが原因か」

 一度しまうようブレイが指示すると、リリーは首飾りを服の内側へまた滑り込ませた。

「もう一つ確認したい。仲間とはその首飾りを通して連絡を取り合っているのか?」

 リリーはブレイを見つめ、それからかぶりを振った。


 ――連絡は取っていないわ


 口の動きで読み取ったブレイは「ごまかさなくていい」と返した。

「先ほどキルクルス・レーンに会ってきた。君たちの状況を何となく把握している様子だった」

 リリーが目をみはる。

「脱出経路は儀式の準備を見ながらこちらで考える。できれば屋敷付近まで味方に来てもらったほうがいい。君が法術を使えない以上、オルトの力だけで町を抜けるのは厳しい」

 ブレイの話に、リリーは困惑顔で首をかしげた。

「首飾りが連絡手段でないなら取り上げてもかまわないだろう。それと引き換えに、水の神法士にオルトを治療させよう」

 やはりリリーは返事をしなかった。自分を信用していいか迷っているのだ。

「グラノは僕の権限でここへは近寄らせない。もちろん他の者にも接触を禁じる」 


 ――あなたは何者なの?


「僕は……儀式で君の心臓を取り出し、僕の血とともに我が主に捧げる役を担う者」

 ブレイは視線を落とした。

「そして、一族の歴史の中で最たる汚点となるだろう者だ」

 少し語り合い、ようやくリリーから承諾を得たブレイは、大地の女神の礼拝堂に行き、地下にある一室の扉をたたいた。 

 祖父は、警兵によるリリーとオルトの捜索がフォーンの町から周辺の町に拡大しつつあるという報告を受けているところだった。

「ブレイ、どうかしたのか?」

 大導師の孫であり『継承者』でもあるブレイの訪問に、信者がさっと壁際へ下がって恭しく首を垂れる。

「リリー・キュグニーが取引を求めています」

 祖父が眉をはね上げ、先をうながす。リリーとの間に衝撃が起きていたのは彼女の持つ首飾りが原因だったこと、その首飾りを手放す代わりにオルトの傷を『治癒の法』で治してほしいと訴えていることをブレイは伝えた。

 ようやく障害の理由がわかり、かつ取り除けるという吉報に、祖父をはじめその場にいた者が歓喜にわいた。

「許可をいただけますか? すぐに水の神法士を連れていき、首飾りを没収しようと思うので」

「ああ、かまわん。よくやった、ブレイ」

 祖父は大机に歩み寄ると、引き出しから木箱を取った。

「これを持っていくといい」

 祖父がブレイに渡したのは封印の箱だった。何も入っていない状態なら開け閉めできるが、物をおさめてふたをすれば鍵がかかり、取り出すことはできなくなる。

「ありがとうございます。取引を終えたら箱を持ってきます」

 ブレイは微笑して、箱を手に部屋を出た。その足で一度自室に戻り、装飾品をおさめた棚の引き出しを開ける。いくつかある首飾りのうち、ねじれ輪をかたどったものをブレイはつかんだ。

 それは洗礼を受けた子供が親から贈られる首飾りだった。

 自分の誕生を喜んだ両親は今、この世にいない。二人同時に流行り病であっけなく逝ってしまい、主神のもとで転生の順番を待っているはずだ。

 天空神の手で一度清められる魂と違い、暗黒神の支配下に置かれた魂はそれまでの人生で背負った心の重荷をかかえたまま生まれ変わる。前世の記憶はないものの、長い間蓄積され続けた淀みを感じるのだ。

 息苦しさが多いほど、主神のために働くべく何度も生まれた証とされる。主神は気に入った下僕を優先的に新しい体へ移すと言われているから。

 そんな中、始祖の血が濃く出たことを示す黒い瞳で自分は生を受けた。月日とともにこげ茶色へと変化はしたが、時折もとの色が浮かぶ自分を誰もが敬い、かしずいた。

 自慢の息子、自慢の孫、栄えある『継承者』――狭い世界で降りそそがれる賛美はゆるやかに感情をそぎ落とす虚無感へと横滑りしていく。こうして自分は死ぬまで蓄えた澱を携え、また別の人間(うつわ)へ入るのだろうと思っていた。それが我々に課せられた使命、幸せなのだと……。

 しばし首飾りを眺めてからポケットに忍ばせ、ブレイはお抱えの水の神法士を率いて再び地下牢へ向かった。

「約束どおり、水の神法士を連れてきた。首飾りをこの中に入れてくれ」

 ブレイが差し出した箱とブレイの顔を交互に見て、リリーはそろそろと首飾りをはずした。念のためにと、ブレイは神法士の目の前でリリーにさわり、何も起きないことを確認してうなずいた。

「よし、いいだろう。彼の治療を。ああ、先に『誘眠の法』をかけておいてくれ。万が一にも目を覚まして暴れられたら困る」

 ブレイの指示に従い、水の神法士は『誘眠の法』の後で『治癒の法』を唱えた。無残なありさまだったオルトのけががきれいに癒えていくのを見て、リリーが安堵の表情で涙ぐむ。

「交渉成立だ」と言い、ブレイはふたを閉じた箱を大きめの布で包んだ。神法士とともに牢を出て鉄格子に鍵をかけてから、二人の朝食がまだだったことを思い出し、炊事場に取りに行くよう神法士に頼む。靴音が遠ざかるのを十分に待ち、ブレイはくるんでいた布をひらいた。

 箱は完全に閉じていなかった。布をかませてすきまを開けていたのだ。

「見届け人が張り付いていれば本当に没収だったところだけど。でも君が持っているより、オルトに預けておいたほうがいいかもしれない」

 鉄格子のすきまから木箱を差し出すと、リリーが遠慮がちにブレイを見ながら首飾りを手にした。ブレイはポケットからねじれ輪の首飾りをつかんで箱の中に入れ、今度はきちんとふたを閉めた。

 振ると首飾り本体と鎖のすれる音がかすかに聞こえる。出来栄えに満足したブレイは、もの言いたげなリリーの視線に気づいた。


 ――ありがとう


 ブレイは瞳をすがめた。

「君のためじゃないから、お礼を言われても困る」

 リリーは不思議そうに首を傾けてから、なぜグラノはあんなひどいことができるのかと尋ねてきた。

「彼の祖父は僕の祖父と兄弟で、首席導師だったんだ。でも君の母親を第九の心臓にしようとして失敗し、儀式に用いた始祖の心臓まで奪われた」

 九つの心臓を供物として捧げれば暗黒神が顕現し、世界を闇の楽園に変えると言われていた。導師たちは競って心臓を集めていたが、中でも自分とグラノの祖父はどちらが大導師の位を得るかせめぎあっていた。そのあせりが雑な誘拐となり、結果として始祖の心臓を持ち逃げされるという大失態ではすまないことをしでかした。

「グラノの祖父は罪人として処刑された。直系でありながら地位は最底辺に転落、グラノもグラノの母親もずいぶん蔑まれて生きてきた」

 あのとき、始祖の心臓を強奪したのはオルトの父親だったという。導師の娘だったグラノの母が顔を覚えていて、オルトを見かけたときに怒り狂ったのだ。それまでの心労も重なったせいかグラノの母は気がふれてしまい、今は誰も訪れない寂しい場所で一人療養している。

「だからグラノは君たちへの憎しみが人一倍強い」

 本当なら今頃は大導師、あるいは首席導師の孫として、何不自由ない生活を送っていたかもしれないのだ。その可能性を粉砕した敵に向ける激情は、抑えようとしても抑えきれるものではないだろうと察する。


 ――グラノのお父さんは?


「父親は誰かわかっていないんだ。もともと僕たちはその……性に奔放で、結婚という正式な関係を築くことさえしない者たちも大勢いる」

 それでも血筋に誇りをもつ一部の人間はきちんと婚姻を結ぶ。しかしグラノの母親は血筋はよくても見下される存在だったので、一夜限りの遊びどころかただの性欲処理としてぞんざいに扱われていたらしく、妊娠が発覚しても名乗り出る男はいなかった。

「まさか同情しているのか?」

 リリーの表情がくもるのを見て、ブレイは驚惑した。自分をかどわかし、幼馴染を痛めつけた相手なのに。


 ――グラノが私たちにしたことは許せない。でも、グラノの境遇はあんまりだと思う


「……だから君たちは仲間になったのか」


 ――何のこと?


 リリーの質問にブレイは答えなかった。

 喜怒哀楽がぼやけていた頃の自分にはなかったいたわりという概念が、今なら何となく理解できる。

 まぶしさとぬくもりにあふれた恋しい存在に想いを馳せていたブレイは、朝食を手に水の神法士が戻ってきたことに気づいた。

 リリーも首飾りをポケットに突っ込む。ブレイは朝食の盆を受け取ると鉄格子のすきまから押しやり、神法士を連れて地下牢を去った。

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