(17)
最後の最後で大きな衝撃をまき散らした交流戦の舞踏会から二週間ほどたち、ゲミノールム学院に転入生が来た。
一人はアンデュレ・ヴィスタ。
舞踏会でリリーに逃げられたディックが荒れに荒れ、逃げ道を作ったことがばれたアンデュレは制裁をくらった。舞踏会にこっそり持ち込まれた酒を無理やり飲まされて服をはぎ取られ、下着姿でいるところを教官に目撃されたのだ。下等学院在学中は禁止されている飲酒をしたあげく、品性を欠いた行為を咎められ、アンデュレは処分が決定するまで自宅謹慎となった。ディックたちの仕業だと訴えても信用されず、これ以上槍専攻に在籍するのは難しいとして教養学科への移籍も検討したが、アンデュレは転校を希望した。父も両学院の学院祭でおこなわれた代表戦を観戦していたので、ゲミノールム学院でソールたちと鍛錬したいというアンデュレの熱意に賛成し、家族で引っ越すことを決めたのだ。
ゲミノールム学院武闘学科の制服を着たアンデュレと廊下で会ったリリーは話を聞き、責任を感じてあやまったが、むしろ感謝しているとアンデュレにお礼を言われた。ソールやカルパと連れ立って歩くアンデュレは、以前のようなおどおどした暗い顔つきではなく、ほがらかな笑い声を立てていた。
そして『水の女神がまどろむ月』に入り、降臨祭を七日後に控えた放課後。
女の子たちが目当ての男子生徒を呼びとめ、いたるところで約束が交わされているのを尻目に、フォルマは日誌を片手に教官室へ向かっていた。
「本当? 嬉しいっ」
下りかけた階段の一階から届いた声に、ああここもかと小さく息をつく。邪魔をしないようきびすを返そうとして、告白されている相手がエラルドであることにフォルマは気づいた。気配を察したのかエラルドが顔を上げ、視線があう。気まずさに、フォルマは会釈をしてさっと場を離れた。
舞踏会の最初のダンスのとき、エラルドはフォルマのこげ茶色の耳飾りを見て、他に何もないことに落胆した様子だった。エラルドの瞳と同じ色はあえてつけなかったフォルマに、それでも遠慮がちに最後のダンスについて探りを入れてきたので、遠くに行ってしまった好きな人を忘れられないから、今年は誰とも踊らないとフォルマはきっぱり答えて謝罪した。
「ああ、うん……わかった」と寂しげに笑ったエラルドが最初のダンスを丁寧に踊ってくれたことに申し訳なさと感謝をいだきつつ、フォルマはエラルドとの将来を断ち切ったのだ。
エラルドはもう新しい恋へと進んでいる。本当は自分もそうしたほうがいいと頭ではわかっていたが、ついつい先のばしになっている。
虹の森の池に映った子供はこげ茶色の瞳をしていた。もしキルクルスが言っていた天空神からのご褒美が、あの子供なのだとしたら――。
遠回りして別の階段に誰もいないことを確認し、一階へ下りる。そのとき、あたりをきょろきょろしながら男子生徒が近づいてきた。
青いベストはオーリオーニス学院の制服だ。弓を背負った灰紫色の髪の彼は、フォルマを見るなり足をとめた。
そしてフォルマも、彼から目が離せなくなった。
「こんにちは」
「……こんにちは」
にこやかな挨拶に慌てて応じる。
「すみません、学院長室はどこですか?」
「――あ……えっと、中庭をはさんだ向こう側です」
かろうじてのどから説明の言葉をしぼり出す。
穏やかながらどこか淡々とした口調が、記憶を激しく揺さぶる。
(あり得ない)
あるはずがない。
顔はもちろん、髪の色も違うではないか。瞳をのぞけばまったくの別人だ。
でも――でも、瞳は。
「ありがとう」
頭を下げた彼はしかし、立ち去ろうとはしなかった。じっとフォルマを凝視し、質問する。
「武闘学科生ですよね。何回生ですか?」
「……一回生です」
「じゃあ同期生ですね。専攻は?」
「弓専攻」とフォルマが答えたとたん、相手がぱっと笑顔になった。
「一緒だ。僕の名はリヤン・エルブ。オーリオーニスから転入してきました。よろしく」
手を差し出される。嬉しそうに輝くこげ茶色の双眸に、フォルマは泣きそうになった。
「……よろしく」
涙をこらえてうつむきがちに握手をしたものの、いっこうに手を放す素振りがない相手にとまどいが増す。
「あの……?」
首をかしげるフォルマの手をにぎったまま、リヤンはフォルマを食い入るように見つめていた。
「……すごくおかしな奴だと思われるかもしれないけど」
やがて前置きをし、リヤンが語った。
アルクス市の孤児院で育てられた彼はオーリオーニス学院に入学したが、先日急に孤児院の院長からゲミノールム学院に行くよう勧められたという。そこにお前の会いたい人がいるからと。
「会いたい人……?」
鼓動が速まる。呼吸がとまりそうになった。
「うん。ある人の名前がずっと頭にあって。身近にはいないのに、なぜか恋しくて仕方がなかったんだ」
つながれた手を通して切なさが流れ込んでくる。なつかしいぬくもりに打ち震えているのは、自分のほうかもしれない。
「会えば、絶対にすぐわかる自信があった」
「……その人の名前は?」
「フォルマ」
こぼされた名に瞠目したフォルマを、リヤンは抱きしめた。
「僕が会いたかったのは、君だ」
初対面でいきなり抱擁されたというのに、嫌な感情がわかない。むしろ喜びが膨れ上がった。
そんな相手は一人しかいない。この世でただ一人だけ。
“ご褒美”
(ああ、神様……)
包み込んでくるリヤンにしがみつく。
我が身に降りそそいだ奇跡に、ありがとうございますと胸内でつぶやき、フォルマはむせび泣いた。
降臨祭当日、迎えに来たソールと手をつなぎ、リリーは家を出た。吐く息は白いけれど、空は優しい薄青色が広がっている。
少しでも長く一緒にいたいという自分の希望を、ソールは「俺も同じことを言おうとしてた」と笑ってかなえてくれた。遊びに行くにはまだ幾分早い時間だったが、通りに並んだ露店はすでに営業を始め、何組もの二人連れが物色している。
「寄らないか?」
ソールが指さした装身具の店で、リリーは展示されている品々をのぞき込んだ。
「あ、これ、ペイアにいいかも」
ペイアが好みそうなリボンを発見したリリーに、ソールが苦笑した。
「今日はあいつのことは忘れてくれ」
二人で出かけたときはいつもペイアにお土産を買っているので、つい癖になってしまっていたが、今日は恋人同士にとって特別な日だ。自分たちのことだけ考えてほしいと暗に告げられ、リリーは照れながら承知した。
そしてその店で、リリーはソールに髪飾りを買ってもらった。きれいな透かし模様が入った銀色の髪飾りは小さな石をはめ込める形になっていたので、その場で黄赤色の玉を店主につけてもらう。
さっそく休み明けに使うねとお礼を言い、リリーはソールに尋ねた。
「ソールは何か欲しいものある?」
「新しいお守りの袋が欲しい。前にもらったのはボロボロになってしまったから」
確かにお守りはすり切れ、今にも破れそうだった。そうなるまで身につけてくれていたということなので、それはそれで嬉しいが。
「袋だけでいいの? 中身は?」
「中身はそのまま風の紋章石を使うからかまわない。『花冠の乙女』にもらった花びらも一緒に入れるつもりだ」
横目に微笑まれ、リリーははにかんだ。学院祭の演舞で配った花冠は長もちするよう一応防腐剤をかけてはいたが、余興だったのでいずれ捨てられると思っていたのに、まさかまだ取ってくれていたとは。
本当に、一つ一つをとても大切にしてくれる人だ。リリーはつないでいた手をそっとほどくと、ソールの腕に滑り込ませた。
密着度とともに心臓の音も高くなる。視線が交わればいっそうだ。それがまた心をはずませ、ふわふわと浮き上がらせる。もちろん振り払うようなまねはしないソールと腕を組んだまま、リリーはジェソの店へ向かった。
扉を開けたリリーは、勘定台にいたのが初老の先代店主だったので驚いた。
「カラモスさん、お久しぶりです」
「おう、リリーか! ……って、なんだ、本当にドムスの孫とくっついたのか」
でれでれの笑顔から渋面になり、カラモスは舌打ちした。
「まさかうちの鍛錬所の『祝福の女神』が槍専攻生にかっさらわれるとはな」
「カラモスさん」とリリーが眉間にしわを寄せてたしなめると、「冗談だよ」とカラモスは手をひらひら振ってソールを見た。
「お前さんのことはシータやオルトから聞いてる。あの二人が信用して任せたのなら大丈夫だろう」
カラモスの話にリリーはほっとした。ソールも喜色に頬をゆるめている。
「今日、ジェソさんは?」
「ああ、毎年この日は夫婦で出かけるから、いつも店番を代わってるんだ」
「仲がいいんですね」
「よすぎて目のやり場に困るくらいだ」
がははと大口を開けて笑うカラモスは、娘婿に大変満足し自慢に思っているらしい。それからしばし雑談し、新しいお守り袋を購入してリリーたちは店を出た。
どこかで温かいものでも飲もうかと言っていたとき、正面からオルトがやってきた。隣にはウィオラがいる。
舞踏会では何とも言えない交流の仕方をしていた二人だが、結局交際を始めたのか――というわけではないらしい。腕も組んでいなければ、手もつないでいない。ただ肩を並べて歩いているだけだ。
「よう」
オルトが片手を挙げる。リリーとソールが二人の微妙な距離感をどう判断していいか迷っているのがわかったのだろう、オルトは眉尻を下げた。
「今朝いきなり家に来たんだよ。父親付きで」
「えっ……」
「降臨祭は女性から誘うのが決まりなのだから、間違ったことはしていないわよ」
平然と反論するウィオラに、「いや、普通におかしいぞ」とオルトが突っ込む。
「せめて前日までに約束するものだろう。承諾するかどうかもわからないのに、当日の朝早くに突撃してくるなんて聞いたことがない。しかも父親付きで」
二度言った。リリーも特に引っかかったのはそこだった。なぜ父親が付いてきたのか。
「どうしてもオルトのご両親に挨拶がしたいといって父がきかなかったのよ」
「おかげで母さんがぶっ倒れた」
はあ、と金髪をかきなでながらオルトがため息をつく。イオタが目を覚ましたら大騒ぎになりそうだから、ひとまず外出してこいとタウに追い出されたのだという。
「令嬢がこんな町をぶらついても退屈だと思うけどな」
「つまらないかどうかは、一緒にいる相手で変わるわ」
それに今日は歩きやすい靴を履いてきたのと、ウィオラが足元を見せる。万全の備えで乗り込んできたらしい。父親付きで。
「まあ、適当に時間を潰して帰るしかないな」
こいつがどれだけ強くても、なじみのない場所に放置するわけにいかないし、とオルトは億劫げにぼやいたが、相変わらず面倒見がいいなとリリーは感心した。責任感が強いのはオルトの美点だ。
「道はすぐに覚えるわ。来年度からゲミノールムに通うことになったの」
ウィオラの発言に三人は驚愕した。
「何だって!? どういうことだ?」
「ゲミノールムにはよき鍛錬相手がいるから刺激になると思って。父も賛成してくれたわ」
あなたとの対戦も楽しみだわと、ウィオラがソールを流し見る。
「お前、本当に無茶苦茶だな。交流戦前は相手地域への立ち入りは禁止されるのに、どうやって家に帰るつもりだ?」
へたをしたら間諜行為で大問題になるぞと注意するオルトに、「その点については心配いらないわ」とウィオラは答えた。
「私の住む家をこちらで用意するから。父が今、大急ぎでちょうどいいところを探しているの」
「いや、だめだろう。お前の妹はどうなる? 再来年に入学するんじゃないのか?」
「妹は教養学科を受験予定だから交流戦には参加しないし、スクルプトーリスに通ってもかまわないでしょう。もし渋られたら、妹もゲミノールムに呼ぶわ」
さらっととんでもないことを言っている。唖然とするリリーとソールの前で、オルトは本当にあきれたさまで長大息をついた。
「よく向こうの学院が許したな」
女性ながら剣専攻の代表になるほどの実力者で、『紅玉』にも選ばれ、権威ある貴族の家柄だというのに。
「そこはさすがに父の力を借りたわ」
「得意のごり押しか。お前が抜けたらもっと弱体化するぞ」
「私一人で覆せるほど、交流戦は甘くないもの。強くなる努力もしないのにむだに威張る人たちには、ほとほと愛想がつきたのよ」
単にオルトを追いかけるためだけにという理由ではないみたいだ。学ぶ意欲に見合った環境にいたいという気持ちはわかるし、共感もできる。ピスタシオ家はあらゆる方向に貪欲なのかもしれない。
「私も見てみたいです。ウィオラさんと、オルトやソールが打ち合うところ」
想像するとわくわくしてくる。追従口ではないと伝わったのか、ウィオラがじっとリリーを見つめた。
「リリー・キュグニー。あなたとはいいお付き合いができそうだわ。仲良くしましょうね」
同性ですら見とれるほど美しい笑みを浮かべるウィオラの隣で、オルトは完全に困り顔だ。ただ、勝手に囲んで騒ぐ女の子たちを前にしているときとはどこか違っていた。相手の押しの強さに逃げ腰である点は同じだが、ウィオラに対してはきちんと個を認識して接しているように見える。
立ち話がすぎると体が冷えそうなので二人と別れたが、カラモスが店番をしている武具屋へ入っていくオルトとウィオラに、何だかしっくりくる組み合わせだなとリリーは思った。
その後はカルパとマイカ、レオンとチュリブを遠目に見かけ、ルテウスとセピアにもばったり会った。ダンスの練習の間にちょっとずつ匂わせ、舞踏会本番で黄色い飾りを挿したセピアの心の声に、ルテウスはちゃんと気づいた。慣れないことに恥じらったのかかなり無愛想ではあったが、最初のダンスが終わったときに受け取りたいと言葉にしてくれたのだ。
自分の考えをしっかりもっているルテウスは、自分にも他人にも厳しいぶん衝突も起きやすいが、セピアならきっと彼の尖った部分を上手に削り、お互いを補いあっていくだろう。
それから昼食をとり、また露店巡りをしていた最中に、フォルマの後ろ姿を目にした。隣を行くのは七日前に転入してきた弓専攻生だ。
こんなことがあるのかと驚いて父に聞くと、時を早めたか、あるいは未来から送られてきたのかもしれないと言っていた。神がもたらす奇跡は自分たちの想像をはるかに超えるものだが、そこまでの恩寵はそうそうないだろうと。フォルマが成し遂げたことは、本当に天空神を喜ばせたのだ。
そして夕刻の迫る頃、雪が降りだした。あれほどたくさんの人たちが行き交っていったのに、今はもう人影はまばらだ。みんな、できるだけ二人だけの空間を確保するために移動していた。
手をつなぎ、誰もいない道を歩いていたソールが立ちどまる。一度空を仰いでからリリーを見下ろしたソールの顔は、少し緊張していた。たぶん自分も同じような表情をしているだろう。
手袋をした手でそっと頬をなでられる。くすぐったさにリリーが身を縮めて小さく笑うと、黄赤色の双眸が細められた。
今度は両手で頬をはさまれる。息が触れ合うほど近づいたところで、リリーは目を閉じた。
来年も再来年もその先も、ずっとずっとソールと一緒にいられますように。
冷たい雪が髪に落ちて解ける中、唇に優しいぬくもりを感じながら、リリーは祈った。




